希う「主」
「準備?」
「ああ、頼む」
「はい、頼まれました」
手渡された橙色の鉢巻を握り、国広の後ろへと回る。
移動した私に合わせるようにしてしゃがんだ彼の額へと鉢巻の中心を当て、後ろ側でずれてしまわないように少しだけきつめに結んでから、乱れてしまった髪を整えるように指先で梳いていく。
「こっち向いて」
「ん」
「うん、完璧」
「後ろも、結べているか」
「……ちょっと直しても良い?」
「ああ」
本当は直すところなんてないのに、わざと結び目を解いて、丁寧にりぼんの形に結び直していく。
いつの頃からか始まったこのやり取りに、飽きずに付き合ってくれている国広に心の中で感謝をしながら最後に結び目をぽんと軽く叩くのは、私の中で一つ願掛けのようなものになっていた。
無事に帰ってきますように、口には出さずに念を込めて結び、背を押す。
「うん、大丈夫」
「助かった」
「もう行く?」
「ああ、そろそろ皆に確認をしに行くつもりだ」
「そっか」
「主」
「なあに」
何度も何度も、その背を見送ってきたはずなのに、出陣前のこの言いようのない不安だけはどうしても慣れなくて。
暗くなってしまいそうな気持を内側へと押し留めて、呼ばれた声に顔を上げれば、国広は口元に笑みを浮かべていた。
そうしてそっと、何か大切なものにでも触れるように私の髪を一房手に取りゆっくりと、まるで厳かな儀式のような仕草で口元へと当てるのだ。
「髪、随分と伸びたな」
「……最初は短かったもんね」
「また切るのか」
「暫くはこのままかなあ」
「そうか」
「誰かさんも気に入ってるみたいだし、」
毛先に口付けた後、手遊びをするように私の髪の先に触れている国広をじとりと見つめてみるけれど、特に気にする素振りもなく、まあそうだな、なんて返事をされる。
「俺の願が掛けられているからな、切る時は事前に教えてくれ」
「……え、」
「よし、では行ってくる」
「ちょ、ちょっと待って」
「なんだ?」
「え、さっきのどういう」
「あんたもやっているだろう、だから、俺からも返しておこうと思ってな」
「っ、」
ばれていたとか、髪に願が掛けられているってどういうことなのとか、思う事が有りすぎて言葉が上手く出てこない。
はくはくと口を開けては閉じてを繰り返す私を見る国広の瞳が優しい色をしているのさえ恥ずかしいし、どうして良いのか分からなくなってしまう。
「……なにを、願っていたの」
「あんたの元へと戻れるようにと」
「そっか」
「駄目だっただろうか」
「……私の無事だけを願っていたりしたなら許さなかったけど、それなら、良いよ」
「主は、何を願っていたんだ」
「たとえ、たとえ一欠片だとしても、私の元へと戻ってきますようにって、」
縁起でもないことをと、自分でも思う。
けれど、たとえ一欠片だとしても還ってきてと、願ってしまうのだ。
いつまで経っても自分本位で弱い自分が情けなくてどうしようもない。
「なら、何があっても俺は主の元へと戻ってこれるな」
「え、」
「まあ折れる気なんざさらさら無いので安心してほしい、御守も持たされている、慢心はしないがそう簡単に欠片になる予定は無い」
「でも、」
「主」
「……うん」
「よし」
そろそろ今日の出陣部隊の面々が国広を探しにきてしまうだろう。
長々と捕まえてしまった、こんなはずでは無かったのに。
落ちかけていた気持ちを戻すため、ぱちりと己の両頬を叩き、それから国広へと向き直る。
「国広、行ってらっしゃい」
「ああ、行ってくる」
「待ってるから、此処で、貴方の帰りを。だからちゃんと戻ってくること」
「任せろ」
背伸びをして、鉢巻の巻かれた額へと一つ口付ける。
こんなのは最早、願掛けというよりはまじないのようなものだけれど。
額に手を当て呆けた顔をした国広は、そのすぐ後にじわじわと頬を染めていった。
これで、仕返しは出来たと思いたいのたけれどどうだろうか。
何が起きた、みたいな顔をしている国広の背を押して皆が待っている門前へと送り出す。
もう、先刻までの悲しさはどこか遠くへと消えていた。