交わらぬ願いこういう時に、己は人間で相手は刀なのだということを思い知らされる。
私は私の刀たちの一振とて失うつもりは無い。
それはこの本丸を発足した当初から変わらずずっと思い続けていることであるし、刀たちにだって何度も話をした。
己を軽んじる行動は取らないでほしいと、御守があるからといって無理をすることは許さないと、そして、必ず私の元に帰ってくると約束して欲しいと。
何度も何度も伝えてきた、戦争をしているのだから全員が無事でなんて甘い事をと言われるのは分かっていたけれども、それでも願わずにはいられなかった。
「なんで進軍したの」
「あとは首魁のみだったからだ」
「重症進軍はしないでって言ってるよね」
「御守を持たせてくれてるだろう」
「あれは、使う前提で持たせてるわけじゃないって何回も言った」
「結果として勝利したし、全振折れずに戻ってきたのだから良いだろう」
「……それ、本気で言ってるの」
分かっている、私が駄々をこねているだけだという事なんて。
これは遊びではなく戦なのだということだって、痛い程理解している。
けれども私は私の刀が一番大切で、なによりも優先すべきことは私の刀達の無事なのだ。
「しかし、」
「なんで、」
「主」
「なんで、自分を蔑ろにするの、なんで自分を犠牲にしようとするの」
「それは」
「……ごめん、頭冷やしてくる」
涙でぼやける視界を手で拭って足早にその場を去る。
後ろで呼び止める声が聞こえるけれど、これ以上ここにいたらみっともなく泣き喚いてしまうだろうことが容易に想像出来たから、今は一人にしてくれと聞こえないふりして自室へと籠る。
かたりと襖を閉じ、そのままずるずると床に座り込む、もうその時には嗚咽が堪えられず唸りながらくしゃくしゃに泣く事しか出来ない自分が惨めだった。
⸺涙腺が決壊して一度泣き出してしまったら最後、どうにか止めようと堪えてみても涙は止まってくれずぼたぼたと畳に落ちては染みていく水滴を、どこか他人事のように見つめる。
どれくらい泣いていたのかは分からないが、部屋に籠った時にはまだ明るかった窓の外が薄らと暗くなり始めていることに気付いたけれど、今はこの場から動く気にもなれなくて。
彼らは刀で、武器で、戦い使われることこそが誉であることなんて分かっているのだ、分かってはいるが全てを受け入れるには私が弱すぎた。
私と、人間と、何ら変わらぬ見た目をしている彼らが、傷付き血を流し、時には腕や足を失くして帰ってくる度に心が擦り減っていく心地がする。
私の元へと帰ってきてくれたことを喜ぶ気持ちと、ぼろぼろになってまで戦い抜いてきた姿への畏れとで感情が綯い交ぜになって、力を込めて立っていないと崩れ落ちてしまいそうになるのだ。
だから私は乞い願う、願っても、約束は違われるが。
これはもう、仕方のない事なのだと思う、何を是とするかが根本的に違うのだろうから、それに対して怒ることも、正しくはないのだろうということも分かっている。
夕餉はいらないと、清光にでも言っておけば良かった。
これでは誰かが呼びに来てしまう、こんな顔、見せるわけにはいかないのに。
泣きすぎて頭は痛いし目もひりひりと痛むが、気を抜くとすぐにぽろぽろと涙がこぼれ落ちてしまうから動く事も出来なくて。
ここまで落ちてしまったのも思えば久々だった、それこそ、本丸を発足したばかりのころはよく色々な刀たちと衝突していが、最近はそれなりに上手くやっていけていたのだ。
上手く誤魔化せていたの方が正しいのかもしれないが。……けど、
「誰一振とて、折りたくないんだ、私は」
鍛刀をすれば依代は手に入る、出陣でドロップもある。
だけど、私の刀は貴方しかいないのだと、どうして伝わらないのだろうか。
代わりなんてないのだ、姿かたちが同じであっても代わりになんて、ならないんだ。
私は貴方だから愛おしいと思うのに、なんで代わりがいる前提になってしまうのか、なぜ分かってくれないのか、それがただただ悔しいのだ、私は。
ぐるぐるとそんなことを考えていると、ふいに襖の向こうから声をかけられ、体が跳ねる。
「……主」
「っ、」
「先刻は、すまなかった」
「……何が悪いかわかってないくせに、謝らないで」
「それは、」
「もういいよ、今日はもう休むから、伝えておいて」
わざと突き放すような言い方をすれば、障子の向こうで息を飲む気配がする。
私だって傷付いたのだから、貴方も傷付けば良いなんて少しでも思ってしまうのが、いつまでたっても子供のままなのだと言われたらそれまでだけれど。
でも、こうすれば流石に放っておいてくれると思ったのだ。……思ったのだけれど。
気配が少し離れた気がして、詰めていた息をそっと吐き出したのとほぼ同時、背を預けていた障子がすぱん、と開けられた。
突然のことに体勢を崩しながら、どうにか倒れないよう手をついて茫然と背後を振り返れば、綺麗な顔を目一杯しかめている、何故か布を被った国広が立っていた。
「な、に?」
「失礼する」
「は、え、何で」
「主」
混乱する私の前にしゃがみこんだ国広が、ぱさりと布を広げて私を包む。
そのままぎゅうと抱き締められて、身動きが取れなくなる。
私を包む薄汚れた布は、少しだけ甘いような埃っぽさと、洗剤の香りと、それから国広自身のあたたかな匂いがして、遠い記憶の中のいつかの日と重なっていく。
いつだかも、こうして布に包まれたことがあった、まだ国広が布を被っていた頃の記憶だ。
あの日も、ぼろぼろに傷付いた彼に怒って、泣いて、喚いて、そんな私を同じくらい苦しそうな顔をして抱き締めてきたことを思い出した。
「くにひろ、」
「すまない、あんたを、泣かせたいわけでないんだ」
「じゃあ、言うこと聞いてよ」
「それは、そうなんだが」
「いつもそう、本当に聞いてほしい願いだけ、皆聞いてくれないんだ」
「……すまない」
「私は誰も折りたくない、皆が皆のまま、私のもとに帰ってきてほしい。もしもの時は一欠片でも、って思うけど、それはそうならざるを得なかった時だけだ」
次から次へと頬を滑り落ちていく涙が鬱陶しくて、布に顔を押し当てる。
わざわざこれを出してきて、ずるい、そういうとこだけは間違えないのは何なんだ。
言ってやりたい文句も怒りもたくさんあるのに、喉がひりついて声が上手く出なくて、唸り声を上げてぽすぽすと抱きしめてくる男の背を叩く。
「もうやだ」
「ああ」
「私の国広は、貴方しかいないのに」
「そう、だな」
「代わりはいないんだよって、なんで伝わらないの」
「すまない」
「……国広第一の傑作で、いまは、私の刀なんでしょう?大事なことは、それくらいなんだって、言ってくれたのに、」
「っ、」
もう、駄目だった。
我慢なんて出来なくて、先程まで声が出なかったのが噓みたいにあとからあとから言葉がこぼれていってしまう。
私は嬉しかったんだ、そう言ってくれたことが、私の刀であることを誇りに思ったのだ。なのに。
「じゃあ、私の刀である今だけは、私のそばにいてよ」
「置いていかないで」
「どうせ、私が先に死ぬんだ、だから今生くらい、私に頂戴」
嗚咽を堪えながら、言葉を紡ぐけれど、それももう限界だった。
幼子のように声を上げて泣く私の背を擦りながら、国広はただただ私が泣き止むまで抱き締め続けた。
怖いんだ、どうしようもなく怖い、失うことが何よりも怖い。
そんな簡単に自分を切り捨ててしまわないでくれと、願うことがそんなにも受け入れ難いことなのか私には分からない。分かりたくない。
「あるじ」
「な、に」
「すまない」
「謝るなって、いった」
「それでも、こんなに泣かせている事に、詫びさせてくれ」
すまない。
もう一度、耳元で囁かれた言葉に、私はもう何と返して良いのか分からなくなってしまう。
最初から違えるつもりなのだとしたら、約束なんてしなくていいのに。
私のためにと、優しい嘘をついているつもりなら、止めてほしいのに。
「……次約束破ったら、暫く口きかないから」
「分かった」
「出陣も手合わせも禁止で、一月くらい畑仕事させるから」
「それは、嫌だな」
「じゃあ、無理しないで、怪我するなって言ってるんじゃない、命を大事にしろって言ってる、これは、伝わってる?」
「ああ」
「じゃあ、もう、いい」
伝わってるのだというなら、今はもう、これ以上言うこともない。
いや、言いたいことは山程あるけど、今じゃない気もする。
「腹は減ってないか」
「それより、疲れた」
「す、すまない」
「良いよ、お互い様にしてあげる、けどちょっと肩貸してて」
「それは構わないが」
「……ねえ、何で、布羽織ってきたの」
「以前、主が落ち着くと言っていたから、だな」
「あの時も貴方に泣かされたんだけどね」
「う、それは」
「忘れてないなら、いいよ」
今はもう、それで良いよ。
約束を破られるたびに私は怒るだろうし、泣くだろうけれど、忘れていないならまだ許そうと思えるから。
私は人間で、貴方は刀で、大切にすべきものが違うのは分かっている。
分かっているからこそ、伝わらないもどかしさが悔しくて苦しいけれど、生きているうちはこうして言い合うことも出来るのだから、どうか生きて、最期のその時まで私の傍にいてほしいのだと、やっぱり私は願ってしまうんだ。