足が攣った茨の話三人目軸
ぎくり、
視界の向こう側で、身体がこわばっているのが見える。
(茨……?)
夕飯も終え、息子を寝かしつけ、娘にもおやすみと言ったところである。
茨は今日一日お腹が張って仕事どころじゃなかった、と言いながらダイニングテーブルでパソコン作業をしていて、わたくしは相変わらずの仕事人間っぷりに苦言を呈しながら食器を洗っていた。
(仕事が好きなのはいいことですけれど、部下を扱うのも大切な仕事だと言ったところですのに。無茶をするから)
茨は周りを頼りたがらない。そういうところ、ぶっちゃければ経営者に向いてないとさえ思う。坊っちゃま相手だったらキツくお説教を差し上げるところだが、茨相手だとそうも行かない。人生のパートナーではあれど、仕事のパートナーではないのだ。
「ゆ、ゆづる……」
「はいはい」
スポンジを泡がついたまま網に戻し、はめていた手袋の泡を軽く洗い流す。手袋を外して水を止めて顔を上げると、茨はパソコンに目をやったまま硬直している。
「足、攣った」
「おばか」
足が攣るのは今日に限ったことではない。仕事中はもちろん、テレビをみているときや寝ているときにもある。
「言ったでしょう、無茶はするものじゃないって」
「うるさいな。わかるでしょう、こっちは仕事なんです」
「存じてると毎回申し上げてると思いますが?」
はぁ、と茨の座っていたダイニングテーブルを引いて、足元に腰を下ろす。ぴきり、と固まっているのはどうやら右足のようだ。
足先をつかみ、ゆるり、ゆるりと上下に動かす。
「ぐっ……ふぅ」
だんだんと足の緊張がほぐれ、指先が動き始めた。
「……もう今日はやめにしましょう」
「はぁ、もっと午前中にやっとけばよかった」
「今朝は張っていたんでしょう?妊娠中に万全の日などあるわけないのはわかりきったことではありませんか」
だから申し上げたのに、という言葉は飲み込んだ。
もうとっくにわたくしも茨もアラサーなのである。アラサーともなればそもそも身体が元気ではない日が増えてくる時期なのに、それにプラスして妊娠しているのだから元気な日があるわけがないだろう。
「ん」
立ち上がると、茨が待ってましたと言わんばかりにわたくしに子どものように手を伸ばす。
「……あなた今相当重いんですからね」
「ん?知ってる」
だから?と言わんばかりの顔になにか言ってやりたい気もしたが、やめた。
茨をいわゆるお姫様だっこのような形で抱えて、ソファに下ろす。……この間、そんな話を氷鷹さまかなにかにしたときに『腰をやらないようにな』と心配されたのを思い出す。
「弓弦、パソコン取って」
召使いのように顎で使われてるなぁと思いながら、茨のPCを手に取った。
「他は?」
「平気。あ、水ほしい」
ああ、そうだった。
台所に戻り、いつものタンブラーを取り出す。ウォーターサーバーで白湯を入れると、茨に手渡した。
「では、洗い物にわたくしは戻りますね」
「ね、弓弦」
「今度は何」
ひょい、とズボンを手で引かれる。
「キスして」
可愛い妻の頼みを断れる夫がどこにいるのだろう。
小さくちゅっとリップ音を響かせるように唇に口付け、る、
ぐんっ、と茨に胸ぐらを掴まれた。
「!?」
「……もーちょっと」
ことん、とタンブラーが床におちる。
ソファに寝転がったままでも飲めるように、フタ付きのタンブラーにしたのが功を奏したようで水はこぼれない。
仕方ないな、と茨の頭と顎を抑える。仕方ないな、と言いつつ目の前の茨が可愛くて可愛くて仕方がない。
「ふ、……ん、ぁ」
熟知した茨の好きなところを掠めるように舌で嬲った。
は、と顔を上げる。ツーと唾液が線を引いて、ぽたりと酸欠で真っ赤になった、茨の頬に落ちた。
「……洗い物、してきますね」
一般的には安定期を過ぎれば男女の営みを再開していいとされているが、男性妊娠という特性上、わかっていないことも多いので妊娠がわかってからは一度も手を出していない。
「ふーん、意地悪」
「……あなたねぇ」
ぱちん、と軽くデコピンをお見舞いする。
「ぜんぶ終わったら、隅から隅まで愛してさしあげますから。今はゆっくりおやすみなさい」
ぶぅ、とぶすくれた茨が、はぁいとつぶやいた。