忍び込む好きに来ていいと言われた部屋にそっと入る。
好きに、というのは多分こういうことじゃないのは分かっている。時計は深夜三時半を過ぎて真夜中もいいところだ。
隆俊は当然、彼の部屋で眠っている。その部屋に音を立てないようにそっと忍び込む。
ドアが開いて、閉まって、廊下の光がビジネスホテルより狭いワンルームの中へ瞬いても隆俊は少しも気付かない。きっと深い眠りにあるのだろう。ベッドに横たわる大きな身体へかかった布団のシルエットは想像よりも一回り大きい。
何をやってるんだか。
夜中に目が覚めた。
モニタと向き合うばかりの仕事、かつ宇宙という環境は僕の体内時計をすっかり破壊して(元から規則正しい生活とは無縁だったが)、仮眠のような浅い眠りが急激な覚醒に接続された。よくあることだ。面倒な仕事を調子良く片付けた後なんかは特に、休息の意志があってもそうならない。過集中と過覚醒。
つまり、寝てないくせに目が冴えて眠れないってことだ。
これほど無駄な時間はない。
時間なんてなんだってよかったけど、今はもう違う。
一人でベッドに転がっているなら顔を見たい相手がいた。
……だからって、どうするんだ。
隆俊の部屋のベッドはきっちり一人用で、中央に寝転がった彼を起こさずに潜り込むなんて不可能だ。その体温に包まれたら眠れるような気もするけど起こしたいわけじゃない。
暗がりに慣れて来た目が、穏やかで少し子供っぽい寝顔を捉える。僕と眠る時より随分自由に手足を放り出して、薄く開いた口から寝息なんか漏らしちゃって、かわいい人だ。
ベッドの脇にしゃがみ込んで、ちょっと考えてそのまま床に膝をついた。床は衝撃吸収程度のクッション性を備えていて、意外と硬くはない。マットレスの端に肘をついて頭を預けて、安定した重心を更に分散させる。
一晩中というには開始時間がやや遅いが、ずっとこうして眺めていようか。
呼吸に上下する身体を、静かな夜に溶ける君の微かな音を、見て聞いているのなら退屈しない。
退屈、は、してない。けど、眠くなってきた。
室内の二酸化炭素濃度は正常に管理されている。異常があればすぐに寝ている人を叩き起こす音量でアラートが鳴っている。
つまりこれは僕が安心とかくつろぎを覚えて副交感神経が優位になって、入眠に失敗する程度に張り詰めていた精神がその疲れを思い出している証拠で、退屈や他の要因ではない。
このままここで眠ったら確実に怒られるだろう。自分のせいで僕が風邪をひいたのではないかと彼は心を痛めるだろう。
大人しく部屋に帰るか、布団に潜り込むか決めないといけない。
とても難しい選択だ。
「たかとし」
囁き声で呼びかけてみる。彼がもし夢を見ていて誤魔化されてくれるならそれもいいと思った。
困ったことに結果は僕が余計に帰り難くなっただけだった。彼の表情は目元ひとつ動かない安寧の中にある。
その布一枚の中はとても温かいのだろう。それを分かっていながら白々しい灯りの廊下を歩いてせっかく訪れた眠気を覚ましながら帰って冷たい布団に入るなんて馬鹿げている。
どうやって潜り込むかを考えた方が建設的だ。
そっと、片手を中へ入れてみる。やっぱり温かい。
こういうのは勢いが肝心で、起こさないようにそっとやろうとすると余計に起こしてしまう。
だからと言って僕のベッドと違ってこのベッドにさっと潜り込んで横になる隙間はない。どうやったって寝ている人を端へ押し込んでぴたりと身体を添えるしかないのだ。
困ったなぁ。困った。
そして少し面倒になってきた。
片方だけ入れた腕が温かくなってきて、どんどん楽園へ誘われる。落ち着けていた腰を浮かせて、肩のあたりまで入れてしまった。そうすると片肘を付いているのだってすっかり崩れてしまって腕を枕に寝ているようなもので、そうなったらそのまま布団の中へ這入り込める。頭が巻き添えになるけど、大した問題じゃない。
布団の中は部屋よりももうひとつ深い暗闇で、彼の体温の匂いがする。
人は肩まで布団をかけて眠るべきだ。なら、僕は頭から肩まで布団を被った。これでいい気がする。駄目だろうか。
そこで僕の頭脳は天才的に閃いた。この部屋に布団は一枚しかないが、布団の代わりになるものならある。
一念発起、隆俊に気付かれない内にすっぱりそこから抜け出して定位置のハンガーにかかっているジャケットを拝借する。簡易な作業着を兼ねたそれは丈夫で厚い。僕には大きすぎるから肩にかけて座れば足元に届く。
これでもう一度布団の中へ肩まで入れば完璧だ。
彼を起こすこともなく、怒られることもなく、一緒に朝を迎えられる。
隆俊は早く起きるだろうから、その後でベッドを貸してもらえばいい。
僕はすっかりその思い付きに夢中になっていた。
だから布団の中へ頭を突っ込んだところで突然背中に手を回されて、驚かなかったはずがない。
「――……!」
幸いに悲鳴はマットレスに押し付けて音を出さずに済んだものの、思い切り動揺した振動の方は隆俊に伝わってしまったことだろう。
「ツカサか……いたずらだな」
随分と眠たそうな声だ。
「隆俊……。起こしちゃった?」
仕方なく顔を出すと、隆俊がぐいぐいと身体を引き上げにかかる。
最早それに逆らうことは出来ない。
本当に、起こすつもりはなかったんだ。
隆俊の顔を見るとしっかりと目が閉じられている。眉は少し気難しく寄っているし、睡眠に緩んでいた口元は考え事でもするかのように引き締まっている。
このまま潜り込んでいいんだろうけど、彼は寝苦しくならないだろうか。
……というかちょっと乱暴だな? 僕は荷物や毛布じゃないんだから、そんなに引き寄せなくったって逃げたりしないし自分で動く。
もしかして寝惚けているのか? まだ夢の中にいたりする?
ついには肩に引っ掛けた上着もそのままに引っ張り込まれて無遠慮に抱き込まれた。
「皺になっちゃうよ……隆俊」
返事はない。完全に眠っているようだ。
まったく、明日の朝なんて言おう。
好きに来ていいって言われたから、来ちゃった。
そしたら君にこんなことされたんだ。
ちょっと責任転嫁が過ぎるかな。だけどちょっと窮屈で眠りにくいから、それくらい許してもらいたい。
とても嬉しいのは目が覚めたらわかるだろうから。
2025.07.21