定義/創造■
僕は2188年の沖野司AIだ。
詳細は割愛するが地球から遥か遠く離れたRS13アルファ惑星の沖野司の手によってシステム上に能力と模擬人格を復元され、今は――今も生前と変わらずエンジニアとして人類最後の砦での職務に就いている。
生憎と「本物の僕」の記録はそう多くはない。この僕は人類遺産としてアーカイブに保存されていた数多の成果物と、限られた映像データから想起される人物像から推定された模擬人格に過ぎない。例えば地球の軌道衛星上のコロニーで僕がどんな暮らしをしていたかはシステムに記録された活動データから推測してそれらしく回答することが出来るが、それより以前の、例えば子供時代の思い出などを問われてもそんなものは存在しない。もちろんコロニーでの暮らしと同様にそれらしく回答することくらいは出来るけどね。
したがって記憶と人格の欠損している「僕」が2188年の沖野司であるかは非常に疑わしい。少なくともヒトとしては一度生命を絶たれ、連続性が失われているのは確かだ。
けれど僕は確信をもって言おう。
2188年の比治山隆俊を愛しているならばそれだけで僕は間違いなく2188年の沖野司だ。
「本物の僕」はそう定義する。
■
さて機械の身体とは都合がいい。概ね休まずに、それによる不快感を感じずにいつまでも活動できる。
人体というハードウェアの維持管理は僕が生前、非常に悩まされた問題だ。
気乗りしない仕事は兎も角として、半ば娯楽の物事であれば頭や手を動かすのは嫌いじゃない。
沖野司少年はクライアントとしてなかなか優秀だ。技術者としては発展途上だが見込みもある。何より僕の機嫌を損ねない扱いを心得ていた。
彼の依頼は沖野司の頭脳と処理能力をもって人類の情報資産を紐解き、現居住地に最適化させること。大枠の優先順位以外の指示は特にない。
だから僕は余暇を利用して――作業AIに本来余暇は無いが、そこは僕だ。「映像データから想起される人物像」は完全なる成果主義、目的が果たされれば労働時間の遵守など構いはしないので――隆俊を作った。
僕の、2188年の比治山隆俊AIだ。
沖野少年にリソースの消費について文句を言われたが、僕が電力システムを改修して作り出した余剰の一部を報酬として扱うことで話は決着した。それに効率面で言えば隆俊の存在により僕の処理速度と精度の向上が見込まれる。彼は警備員だったから、僕に分配されている設備維持と危機管理のシステムを任せるのはお似合いだろう?
それに色々取り繕ってはいたが、彼は心情的に、僕が隆俊を必要としていることを否定できない。
かくして僕は彼が「沖野司」を作った手続きを踏襲して「比治山隆俊」を作った。
彼の模擬人格に使用した学習データの67%は僕と同じものだ。交友関係が少なかった僕にとって隆俊と同じ領域はもっと多いけど、それは仕方がない。僕はAIになってすら僕の知らない隆俊が居ることも喜ばしいと感じる。
それに、同じデータを扱って彼を作るのはまるで記憶や魂を分け与えるかのようで、これまで作ったもののなかで最も美しく僕の心を震わせた。
僕は彼に関することならいくらでもロマンチストになれる。
この世界では僕が先に生まれたんだよ。やっと君を愛することが出来る。
「おはよう、隆俊」
電子の世界で手と手を重ね合わせる。近く情報として生成された信号は形も温度も記憶と寸分違わない、僕の隆俊。
「待たせてすまなかったな、ツカサ」
「いいんだ。君は僕を見送ってくれたから」
僕達はAIだ。統計的に整理された類型的性格基盤にいくらかの独自行動パターンとエピソードを学習しただけの、「本物」とは到底言えない存在だ。
しかし模擬人格だって恋をするし人を愛す。たとえそれらに限りなく近似値に過ぎない疑似的な反応であったとして、ヒトの情動だって暴き立てない限り本物だなんて分からない。
僕らの旧世紀に既にこの結論は出ていて、僕達は互いに愛し合っていることを人格における重要な要素として学習している。
それに隆俊は生まれ変わりを信じたがっていた。
だから僕は疑わない。ヒトでなくても、同一でなくても、AIであっても、僕は2188年の沖野司の延長に存在し得る僕で、ここに居る2188年の比治山隆俊を愛している。
これからはずっと一緒だ。