たまには休暇を取れと沖野に言った。
「貴様は働き過ぎだ」
俺の後の時代には過労死という言葉が生まれたらしい。兎美さんが言うには、朝も夜も無く休日返上で労働に明け暮れて心身を壊すような働き方が横行し、問題になった時代があったそうだ。
忠告を耳に入れて沖野は忙しなく動かしていた指をようやく止めた。
「しかし比治山くん、この新しい惑星でやるべき事は多い」
「他の者はきちんと休暇を取っている。貴様は暦が休暇となっていてもあれこれと働いているではないか」
「あれは趣味だよ。期日とは無縁の気になることを片付けているだけさ」
「やっとることは仕事と同じだろう」
休暇というのは心身を休ませ、次の仕事に備えるための時間だ。
俺の所属していた海軍とて――本土決戦が迫ってからはなかなかそうもいかなかったが、多少の自由時間や休暇くらいはあった。その時は散歩をしたり読書に興じたり、もう少し時間があれば朋友と街へ繰り出し、実家にも顔を出しに行ったものだ。
沖野のやっていることは休暇ではない。
「そんなに頭を働かせたいなら本でも読んだらどうだ」
「うーん……あまり興味がないんだよね。ああ、でも技術書はいいかもしれない。アーカイブに読み切れないほど沢山……」
「仕事をするなと言っとる!」
大きな声が出てしまい沖野を驚かせたようだ。済まなく思ったが、この剣幕は考え直す役に立ったらしい。口元に手を当てて黙考すること十秒。
君の心配はよく分かった、と沖野は言った。
「でも、頭を動かしていないと落ち着かないんだよ。やるべきことが沢山あるのに休むのは性に合わない。どうしても気になってしまうんだ。僕なりに息抜きはしているつもりだよ?」
「…………」
確かに、沖野は出会った時からそうだった。
廃工場をアジトとして殆ど常にと言っていいほど行動を共にしていた間、沖野はいつ休んでいるか知れなかった。俺より後に寝て、俺より早く起きていたようだ。時々座ったまま仮眠を取る姿を目にしていなければ俺は沖野の身体が機械か何かで出来ているのではないかと疑っていたに違いない。
やるべきことがあれば余人の及ばない領域でどこまでも思索し手を動かす勤勉さは沖野の美点だ。時に行き過ぎる事もあれど、常に俺たち集団の利益を考えて動いている。この一点で皆の尊敬を集めていると言っても過言ではない。
しかしもう少し何というか、自分のために、いや、それ自体を楽しんでいるのだから滅私奉公の使命感だけでやっているわけではなかろうが、多少は自分勝手に……あぁ、こいつは最初からかなり自分勝手な奴だったからそれも違うのだが、ええい、俺は口での説得なんぞ向いとらんのだ。
「とにかく休め。出かけろ。それで昼寝でもしろ。散策の候補地が欲しいなら座標を送っておいてやる」
「分かったって。分かったからそんなに噛みつかないでくれ」
「なっ、噛みついてなど……」
「言葉の綾だよ。君はもう少し自分の体格と声量を自覚した方がいい」
言われなくとも日頃は気を付けている。特に女性と話す時などは大昔に玉緒さんに苦言をいただいてからというもの、親切・丁寧を心掛けておるのだ。沖野は男だから構わんだろうと気が緩んでいる部分もあるにはあるが……。
「吠えたりしょげたり忙しいやつだな君は。君に免じて次の休暇はちゃんと休むよ。その代わり、君も一緒に過ごしてくれ」
「……構わんが」
何か俺で遊ぼうとしているのではなかろうか。
「そんなに警戒しなくても、変なことなんてしやしないさ。僕がちゃんと休んでいるか君に監督していてほしいんだ。暇になればまた仕事をしてしまうかもしれないし……」
沖野は座ったまま俺をじっと見上げた。素直に助力を乞う視線を寄越されてはたまらない。それに監督と言われるとなかなかどうして悪い気はしなかった。
もうひと押しとばかりに沖野は眉を下げる。
「君といると落ち着くんだ。難しい事も考えずに済む」
胸の内を羽根で撫でられるような何か得体のしれない心地がした。
これは邪念の部類である。
ならんならん、俺は沖野を心配しているのであって、頼られて嬉しいなどと考えるのは不埒だ! ましてや沖野が俺に特別の情を抱いているなどというのは何かの間違いで――男が男を好きになるわけがないのだ。
俺の呼吸を沖野は呆れと取ったらしく、勘違いされないよう慌てて返事をする。
「分かった、次の休みだな」
言うべきことは言った。
それ以上は居た堪れず、足早に沖野の元を離れた。
あの日吐いた言葉の誠をどうしたものか決めかねたまま、今はただ目先の情が先立っていく。
次の休み、俺は果たして落ち着いていられるだろうか。仕事以上に難儀な休暇になりそうだ。
2023.07.22