ホワイトデー 蔵水&イコプリ「ロシアンルーレット」「やぁ」
ボーダーのラウンジで最高に輝く笑顔と圧倒的セレブオーラをまき散らす同輩を目にして、水上は眉間の皺を三本増やした。
(ここで課題を消化していたのが間違いやったか)と思ったが、連れ立っているのが蔵内である以上、席を立つのを断念した。
「課題中だったか……。王子、後にしよう」
「うーん……。みずかみんぐ、ちょっとだけ休憩しない?小腹がすいてたらで、いいんだけど……」
そう言われてみると、確かに小腹がすいている。
「せやな。後は纏めるだけやし……ええよ。何なん?」
「ふふっ、良かった」
再度、燦燦と満面の笑みを湛えて水上の正面に座る王子と蔵内。それに微かな寂寥を感じたが、その理由はすぐに判明した。二人が鞄からほぼ同一の包みを出す。両手に包まれたそれらは、チョコブラウンの包装紙に包まれ、ダークオレンジのリボンが結ばれていた。
「さぁ、どうぞ」
「良ければ食べてくれ」
穏やかに微笑んで、其々差し出した。
なんて……?
いや、恋人である蔵内から貰うのは分かる。しかし、本来なら二人きりの時に渡すであろうプレゼントを、よりにもよって王子と一緒に渡してくるのが分からない。それでも、自分に対して酷いことをしてはこないという信頼を置ける相手だ。……一人は微妙ではあるが。
「……ま、おおきに。いただきます」
「召し上がれ」
微かな衣擦れの音と共に包装を解いた。オレンジとカカオと紅茶の香りがふんわりと上る。
「マドレーヌ?」
「うん。ぼくたちに作れそうなのがこれだけだったんだよね。キャンディもマカロンもバウムクーヘンも、ちょっとハードルが高すぎたよ」
「弓場さんのレシピだから、味は大丈夫だと思うんだが……」
……??
元奨励会員である水上が、情報処理に多少の時間を要した。
蔵内の“チョコとオレンジのマドレーヌ”と王子の“紅茶とオレンジのマドレーヌ”。
今日の日付。
王子の台詞に登場した菓子のラインナップ。
……!!
順に、“あなたが好きです”、“あなたは特別な人”、“幸せが長く続きますように”。
そしてマドレーヌは、“あなたともっと仲良くなりたい”。
外耳が即座に色付いた。正面を見られず、顔を逸らしコーヒーを呷る。柘榴石と土耳古石の眼差しが温かく見守る。
「……そろそろ、いいかい?」
くすり、と笑んで王子が続ける。
「このマドレーヌ、どちらがクラウチ作か当ててみてくれないかい?」
「はぁぁあ!?」
「当ててくれるよな、水上」
真っ直ぐに曇りなき瞳を向ける蔵内に、返す言葉が見つからない。
いやいやいや、これ、間違ぅたらあかんやつやん。
瞳は輝いても、目が笑ってないからだ。滝汗が背中を流れ落ちる。数度、深呼吸を繰り返し、姿勢を正す。琥珀色の双眸がすう、と半眼になった。両手を合わせ、一礼する。
「ほな、よろしくお願いします」
まずは、蔵内のチョコマドレーヌ。
しっとりとしたブラウニー寄りの生地に、オレンジキュラソーとドライオレンジが合っている。濃厚なカカオだが、後味は爽やかだった。
そして、王子の紅茶のマドレーヌ。
こちらは軽めの食感で、オレンジも控え目でダージリンを主役にしていた。鼻腔を抜ける、フレーバーティーのハーモニーを堪能する。
ひとくち、ひとくちと、噛みしめる。水上のコーヒーが空になっているのに気付いた蔵内が、いつの間にかお代わりを用意してくれていた。
一つずつ食べ終えた水上が最後にコーヒーを飲み切って、ほぅ、とほろ苦い息を吐く。
「………………。……あんなぁ………」
期待と不安の入り混じった二組の宝石がじっ、と射抜いてくる。同い年とは思えない稚さを感じさせる二人に胸中でひっそりと白旗を上げた。
やれやれ……。ほんま、敵わへんなぁ……。
ざかざかと乱雑に代赭色の後頭部を掻き毟り、二人を睨めつける。
「これ、両方とも……蔵っちやろ」
ぱぁぁあ…っ!
そんな擬音語が突き刺さるような直視しかねる眩しい笑顔が満ちる。王子もさることながら、蔵内が泣きそうになっている。
「み……っ、水上……っ!」
二人きりなら抱き着いていたであろう恋人が、テーブルの上の水上の拳を両手で包み込む。優しく、強く握りしめ、薄い手の甲をすりすりと親指で撫でる。
釣られて涙目になっている王子が蔵内の肩を労うように叩いた。
「良かったねぇ、クラウチ……。“きっと、水上なら判ってくれる”って言ってたものね……」
「うん、うん……。ありがとう、水上……」
何度も頷く海老茶色の頭髪を、やんわりと撫でてやる。
「なんで俺がお礼言われてんねん……。こちらこそ、ありがとさん、蔵っち。めっちゃ美味しかったで」
恐らく、「例え王子でも、“もっと仲良くなる”のは困る」とでも言ったのだろう。「自分以外の誰からもプレゼントを贈られるのも嫌だ」とも。
……何気に、独占欲が強いねんなぁ……。
………嫌や、ないけど。
ふ、と口元を綻ばせる。穏やかな時間が、三者の間に齎される。「あ、そうだ」と不意に思い出したように王子がパシパシと瞬いた。
「ぼくも、イコさんに渡さなきゃ。クラウチ、行こう。失礼するよ、みずかみんぐ」
「ああ、約束だったな。済まない、水上。後でまた」
「水上了解……」
来た時以上に眩しい喜色に満たされた二人が、その機動力を活かして軽やかに去っていった。「忙しな」と独り言ちた水上は、密やかに笑みを浮かべた。
「……イコさんも、気張ってくださいよ……」
優秀な副官からのエールが作戦室まで届いたのか、「どっちも王子やん!美味しいで!ありがとさん!!」と叫んだ生駒が王子をひしと抱きしめて、濃厚な口づけを蔵内の眼前で披露するまであと三分。