鴛鴦屋敷 浮竹十四郎の屋敷は京のはずれにある。
屋敷というにはあまりに粗末すぎるものの、あばらやと言うにはほんの少し足りない。
貴族のような豪奢な作りでもなければ、長屋に何人もひしめいているわけではなく、商家のように賑わうことはない。
仮にも参内は許されている立場であるからか塀は小さいながらも立派にあり、庭には桜と松の大樹が根を張っており、あまりにも細い遣水の通った池には小さな金魚が対で泳いでいる。
その池を眺められるように太い梁でできた主屋の寝殿で生活空間がすっぽりと終わってしまうのだ。
門を閉ざしてしまえば何者も屋敷の中を覗くことなどできないが、とうの門が閉じられる事など野分と不在の時以外にほとんどなく屋敷の主人である男もまた、よく顔をのぞかせる。
不在時は塀より上に突き出す常に花盛りの桜と松だけが皆の目を楽しませる陰陽師屋敷だった。
「京楽〜暑いぞ」
その屋敷の主人は円座に胡坐しながらだらり、と脇息にもたれかかっている。
あーだのうーだの、暑い暑いとうめきながらどうにか冷えた部分がないものかと動き浅葱色に近くなった二藍の狩衣が乱れる。手に持つだけで何も書かれていない蝙蝠扇をバタバタと打ちながら結い上げた髪が乱れるのも構わず小袖の首筋を扇ぐ。
「そりゃあ夏だもの」
京楽、と呼びつけられたモノはいつのまにか几帳の奥から顔を出し、浮竹に瓶子を差し出した。中は酒の代わりに井戸で汲んできたばかりの冷えた水。
ぬるい風すら吹かない夏にあって澄んだ清い水を浮竹はちゃぷちゃぷとゆすって頭上で肩を落としている男を見上げた。
「水菓子かなにかないのか」
「無い無い諦めて。ほら烏帽子が落ちるみっともない」
「う〜〜今日は休みにしよう」
「ダメだよ、午後からえーと、誰だっけ従三位の……ともかく約束があるんだから。二匹を呼んで」
「双魚たちもこの暑さで池の底に隠れてるんだぞ、かわいそうじゃないか」
「ボクは可哀想じゃ無いのかい」
京楽はふぅ、と大袈裟に溜息をつきながらも必要な着替えや道具をそっと脇に整え乱雑にして乱れた浮竹の髪に手をやった。
「やっぱり髪が乱れてる」
「結い直すの面倒だなぁ」
「キミが結うわけじゃ無いくせに。身の回りの世話をボクにさせるなんてお前さんくらいだよ」
「俺に惚れたのが運の尽きだな」
京楽ははた、と塀の外へ遠い目を向けた。墨色の瞳の瞳孔は小さく狭まり視点は頭上へと移動するのにあわせ浮竹も首を動かして京楽の顎先を見つめた。
「お客様かな」
「ボクを見てる。うん、客だろうけど今来るかな」
「いや、一刻後に来るさ、更に厄介ごとを背負い込んでな」
「じゃあまずは影をつけよう」
京楽は浮竹の懐に躊躇なく手を差し込むと松葉を摘み、矢のように投げる。するととそこだけに京楽のひとがたをした影が生まれそのまま塀の向かいへと消えていった。
「じゃあ一刻の余裕はあるわけだな」
冷えた京楽の体温に背中を預けると、水の入った瓶子を傾ける。
氷や雪のように酷く冷えるわけではないが、湿った冷たさは人では無いのを浮竹に伝え僅かながらの涼をとる。
「式の使いの荒い主人だこと」
「人に献身してくれる精霊もまた珍しいものだよ」
式ならいい、ただの使い捨てだ。虫の命、花の命。一瞬の軽やかな命なれどもまた季節が巡れば出会える小さな命だが――これなる京楽という男はそれよりも気位の高いものだ。
「そうだねえ、こんな短い命の主人に惚れてしまうなんてボクはどうにかしてる」
「安心しろ、俺が死ぬまではお前も生きるさ」
常緑の松こそがこの男の本体。出会いは数奇なものでうっかりこの陰陽師に使役をされることになったのだが――ただ使役されるのではわりにあわない。
瓶子から唇を離した浮竹の艶を帯びた唇を少しばかり吸うと満足気に次なる準備のためにもう二人ばかりの影を呼び寄せた。
おわり
浮竹十四郎
得意は式占、星読みはまあまあ。官位は従五位下
のほのほしている。肺に憑き物(ミミハギ様)がある為に体調がままならないからと陰陽寮を辞している。ぶっちゃけ土着神つけてるのがバレると厄介
寿命が近い京楽を枯らさないように実はちょっと色々している。
京楽
浮竹の屋敷に生えてる松の木の精。樹齢270年で実はそろそろ寿命が近いけどうっかり人間に惚れてしまったので使役されるのもいいなぁとか思ってる。
自分を遺して死んでく人間の多さは昔からよく見てきた。
双魚
池にいます
つづき
小さな屋敷の中で童たちがばたばたと鬼事をしているのを肴に酒をちびちびとやる。
蛍が飛び交う時期は過ぎ、夏の夜は松虫が鳴く。
頭の皮までぎゅっと結われるのはどうにも苦手で、客人が帰った後は早々に髪結紐を断ち切り燃やしてしまっていた。
「じゅーしろ、あそんで!」
「あそんであそんで!」
「はははは、また今度な。夏は暑いからお前たちには酷だろう」
「けち!」
「けちんぼ!」
藁で編んだ円座の上で浮竹は水干姿の二人の頬を撫でると池からは小さな水音を二つさせて、童の姿は消えた。
「――それに今夜は先約があるんだ。なぁ、京楽」
「忘れられているかと思ったよ。ああほら、烏帽子が落ちてる。見られたら恥ずかしいでしょう」
「ここにいるのは俺とお前だけ、人は俺しかいないんだから見られてもいいさ」
円座をもう一つ用意すると、京楽と呼ばれた精霊がその場に座る。瓶子の中身は昼間と違い水ではなく濁酒で、空になった浮竹の杯へと瓶子を傾けると自分は手酌で酒を注ごうとして浮竹に止められた。
「今夜は違うだろう、総蔵佐」
「真名呼ぶのやめてよ、どこで聞かれてるか」
さらり、と白い髪が肩から胸へと一房だけこぼれ落ちる。流石に庭先に面した間で小袖姿になるわけにはいかず、二藍の狩衣に白が映え、瓶子もそれをもつ手も何もかもが浮き上がって見えた。
「俺が結界を忘れたことがあると思うか?」
「……今のところ、ないかな」
出会って数日で、名前を掴まれた。松の木が本体であるとは伝えていたのに、松とは関係のない真名を言い当てられて以降、庭の桜の木は春の盛りのまま時を止めている。枯れもしない、散りもしない。満開の桜がある限り松の木もならんで青々と枝葉を伸ばし続ける。
「さくら、今日の働きもありがとう」
「こそばゆいねそれ」
座ったばかりの円座から腰を上げると、京楽は湿った冷たい体で浮竹の背中に覆い被さった。
「床はのべたか?」
「色々準備させていただきました。いこうか」