ポケットにはひとつだけ。 普段は入らない雑貨屋に寄った。無意識だったけれど、もしかしたら近づいてきたアイツの誕生日が関係しているのかもしれない。
店内のめまぐるしさは、慣れない。圧、とでも言うのだろうか。俺の背より高くに詰まれた商品はそれぞれが主張しあっていて、譲らないぞとでも言うように色彩を撒き散らしている。BGMは騒がしくて、なんだか不思議な、正体のわからない匂いがする。
忙しい場所だな、と思う。雑貨屋で働いてたという、年上の後輩を思い出す。この喧噪の中で働いていたということか。純粋に、すごいと思った。
賑やかさの渦の中、ここにアイツが欲しがるものはないのかもしれないと、そう思った矢先にそれを見つけた。
灰色の手触りのよいまんまる。ボタンが二つと三角の皮。口と鼻こそないが、それは猫の形を模したがま口だった。
がま口。ふと、アイツの行動を思い出す。じゃらじゃらと鳴る小銭の音を思い出す。
どんなに浮き世離れしていたって、アイツだって現代日本に生きる人間なのだ。当然、アイツは金を使って買い物をする。アイツだって、金を持ち歩いている。
だが、その持ち歩き方には問題があった。アイツはいつだって、金をあのぶかぶかとしたズボンのポケットに放り込んで、当たり前のように闊歩する。
お札はレシートと同じようにくしゃくしゃになってポケットへ。小銭だって小学生がポケットいっぱいに詰めるどんぐりみたいにポケットへ。こんなの、とても十八才とは思えない。小学生のようだと言ったら、オッサンでもそういうやつがいると言ったのは誰だったか。
それを思い返すと、このがま口はアイツへの贈り物に相応しい気がしてきた。アイツは猫がきっと好きだし、がま口は必要だろう。少し、まともな財布を買うことも考えたけど、今まで小銭もお札も一緒くたにポケットへ入れていたやつだ。がま口のほうがまだ使うだろう。
手のひらサイズの猫を持って、レジに。プレゼントですか、包装は、という問いにとっさにそのままでいいと答えてしまった。まぁ、いいだろう。
店を出るとき、少しだけ気分がよかった。騒音に晒されていた耳が、ぼんやりと風の音を拾った。
***
「嘘だろ」
思わず声が出た。目の前の光景にくらりとした。
アイツは不機嫌そうにソファーに座っていて、何やら人に囲まれていた。もちろんいない人もいたけれど、大勢の、同年代の人間が楽しそうにしている。
がま口を持って立ち尽くす俺、その手元を四季さんが見て笑う。「それ、もしかして漣っちへのプレゼントっすか?」
そうだ、とも言えず視線を彷徨わせる。机の上に並べられた、たくさんの『それ』を避けるように。
だけど、やっぱり目に留まる。くまっちだっただろうか、ピンクのがま口、ドーナツを模したがま口、上品な佇まいのがま口、ワンポイントにレースがついたがま口、イチゴのついた白いがま口、漢字が刺繍されたがま口。片手では数えられない数のがま口が、机の上に並べられている。
「……コレ、」
「ふふ、きっとみーんな、タケルっちとおんなじっすよ!」
四季さんがそういうと、集まっていたみんながはじけるように笑い出した。つまり、ああ、なんてことだ。俺とおんなじことを考えた人間が、こんなにいたなんて。
四季さんが手招きをして、たくさんのがま口の中に俺のがま口もいれろと笑う。俺は首を横に振る。
「……もういらないだろ、これは俺が使うから、」
「ダメっすよタケルっち! こんだけあったら一つ増えるくらい、楽しいだけっす!」
「むしろ、あと一個増えたらいいねって話してたところなんですよ」
「え? なんで、」
「あと一個ありゃあよう、一週間で……あれだ、」
「ローテーションが組めるだろう、と。伊瀬谷達と話していた」
「…………ぶはっ」
堪えていたがダメだった。俺の笑い声に被さるように、いろんな人間が、アイツにおめでとう、と言う。ずっと無言でいたアイツを見ると案の定ブスッとしているものだから、ますますおかしくなってしまう。
ぽす、とがま口の群れに猫を放つ。アイツの眉間のシワがますます深くなって、何かを言いたげな口は盛大な溜め息を吐き出している。
「……おめでとう。大事に使えよ」
「………………うっぜぇ」
なんだかむずむずしたような顔でアイツが吐き捨てる。みんな、この言葉を額面通りになんて捉えていない。
「一週間、ちゃーんとローテしてほしいっす! オレ、火曜日ね!」
「なんで?」
「火曜日はカラオケ三割引っすから! 漣っち、今度カラオケ行くときはそのがま口持ってきてほしいっす!」
「あ! じゃあ俺のがま口は木曜日がいいな。ケーキを頼めば紅茶が半額です!」
「えー! それならあたしも木曜日がいい!」
「オレ達は何曜日だろうなぁ? 玄武」
「空いた日に使ってもらえばいいじゃねぇか」
「タケルは? 希望の曜日、ある?」
隼人さんがこちらを見る。空いた日でいい、けど。
「金曜日は味玉サービスデー……」
「決まりっすね!」
四季さんがホワイトボードに一週間の予定を書き込んでいく。ホワイトボードが、がま口達の予定で埋まる。
「とりあえず、今日はオレのがま口っすね!」
そう言って四季さんは無遠慮にアイツのポケットに手を伸ばして振り払われている。アイツはしばらく抵抗していたが、観念したように口にした。「自分でやる」
ざらざら、小銭を飲み込んだくまっちが鳴る。この場にいる、アイツ以外の全員が、それを見て満足げに微笑んだ。
「よっしゃー! せっかくカラオケ三割引だし、これからカラオケに行くっすよ!」
わいわいと、みんなが動き出す。微動だにしないアイツの手を四季さんが引っ張る。そうして、甘えるように笑う。「火曜日にはコレを見て、オレのこと思い出してほしいっす!」
それを聞いて思う。金曜日、アイツは律儀に猫のがま口に金を入れるのだろうか。そうして、俺を思い出したりするのだろうか。
前者は有り得るかもしれない。アイツはああ見えて、律儀なやつだから。でも、後者はないんだと思う。思い出すもなにも、俺たちはお互いを忘れられるような距離にいない。きっと、四季さんのことだって、そうだろう。
みんなが身支度を整えていると、事務所の扉が開いた。そこには天道さんがいて、アイツを見つけると嬉しそうに笑う。
「漣! いてよかった。渡したいものがあってさ」
そう言って、高級そうな包装をされた四角い箱をアイツに手渡した。アイツは了解も取らずに、無遠慮に包み紙をバリバリと剥がす。
「………………マジかよ」
アイツが笑った。笑うしかないとでも言うように、息を吐くついでのように。
アイツの手の中には上等な皮の財布が握られていて、それを見たみんなが一斉に笑う。何人かなんて、笑い転げている。
「え? ん? どうした? そんなに変なものだったか……?」
わかってないのは天道さんだけだ。四季さんが天道さんに、笑いながらこう告げた。
「定員オーバー、っすよ!」