蜂蜜色の夢拝啓 お母様へ
街に華やかな広告が増えたように思う。鮮やかな赤。呼応するように花屋の店先には真っ赤なカーネーションが並んでいる。広告塔がせっつくようにまくし立ててくる。『母の日の準備はお済みですか?』
「母の日ぃ?」
アイツのどうでもよさそうな疑問符。その疑問は俺に向けられたものではない。アイツは俺に何も聞かない。
質問を向けられた円城寺さんは少し困ったように答える。いつも通りのやりとりだ。
「ああ、漣は知らないのか。えっと……母の日って言ってな。まぁ、母親に日頃の感謝を伝える日だな」
一番よくあるのは赤いカーネーションをあげることかな。あとは晩ご飯を作ってあげたり、家事を手伝ってあげたり。カーネーション以外の贈り物をする人もいるだろうな。過去にそうしたことがあるのだろう、記憶を辿るように円城寺さんが口にする。アイツはそれをつまらなそうに聞いている。自分で聞いたくせに。
「そろそろなのか?」
「そうだな、確か5月の第二日曜日だから……ああ、ちょうど漣の誕生日と同じ日だな」
「ふーん……」
確か、そんな会話をした。しばらく前の話だ。
「なんでそんなこと言うんすか!?漣っち……まさか、照れてるんすか!?」
「んなわけあるか」
四季さんの声は決して高くないはずなのによく通る。バンドのボーカルだからだろうか。一方でアイツの声はいつもバカみたいにデカいわけじゃないことをずいぶんと前に知った。そういう時のアイツの声はいつもより輪をかけて幼く聞こえる。
「じゃあなんで!オレ、漣っちの誕生日お祝いすんの、メガメガ楽しみにしてたんすよ!?」
ここにいるのは俺と、アイツと、High×Jokerのみんな。あと巻緒さんと咲さん、神速一魂の二人。空き時間があった年の近い人たちを四季さんが集めたからだ。それはだいたい一時間前に話が遡る。
『漣っちの誕生日をお祝いする会』
デカデカとそう書かれたホワイトボードを前に四季さんが息巻いている。集まった年の近い仲間達はそれなりに楽しそうにそれを見ていた。
「それって、事務所でいつもやるお祝いとは別でやるの?」
「そーっすよ!ハヤトっち!せっかくだから、年の近いもんどーしで遊びたくないっすか?」
四季さんの話では、アイツの誕生日に時間が空いてる同年代の人間で遊びに行かないか、とのことだった。
「漣っち、絶対大人数でカラオケとかゲーセン言ったことないと思うんすよね!だから、みんなでパーッとお祝いしたくて」
事務所でパーティはやるけど、それは食事がメインだから。そう四季さんは言う。それを聞いて、アイツは食べ物があれば何でもいいんじゃないかと思ったが黙っていた。水を差すもんじゃない。
「スケジュールが空いてるのって誰だろうな」
「誰を呼ぶんですか?未成年で……もふもふえんのみんなはまだちょっと早いかな」
「感慨無量。その気持ちは必ず漣アニさんに伝わるだろうよ」
「ねぇ、それならショッピングもしたいなぁー!漣に服、買ってあげたい!漣のこと、パピっとデコっちゃうよ!」
めいめいが好き勝手に喋る中、俺は黙っていた。楽しそうでいいと思う。ただ、その場に俺がいる、と言うのはどうにも想像ができないことだった。
「タケルは?タケルはこれそう?」
「タケルっちが来たら、漣っちも喜ぶっすよ!」
唐突に話をふられてびくりとする。どうしたものか。スケジュールは空いているが、どうしてもその場に俺がいる図が浮かばない。
「いや、俺はいいよ」
「えーー!?なんでっすかぁ!?」
「なんだよ、同じユニットの仲間だろ?祝ってやりゃいいじゃねぇか」
四季さんと朱雀さんに詰め寄られる。だが俺はいないほうがいいと思っている。そのことを正直に伝えた。
「俺がいたら……アイツはすぐ勝負だなんだって言い出すだろ?普通に遊ぶなら俺はいないほうがきっといい」
本心だ。それはずっと前から感じていたもやもやを形にしたような結論だった。
前に四季さんがアイツをカラオケに誘ったと言っていた時、むやみやたらに勝負を仕掛けられなかったかと心配したが、結果は杞憂だった。漣っちそんなこといっこも言ってなかったっすよ、と。四季さんに言われて認識した。多分、俺といないときのアイツは何かにつけて争うわけではないのだろう。だから、俺はいないほうがきっと穏やかでいい。そう思っていた俺に四季さんは言った。
「いいじゃないっすか!みーんなでカラオケ採点勝負するっす!」
「おい、それ絶対四季が勝つやつだろ」
「……勝負になってもいいのか?」
多分騒がしくなるぞ。そう言えば賑やかでいいと返される。なんだ、いいのか。少し拍子抜けしたのを覚えている。いつも煩わしく感じてるお決まりのやりとり。あれは悪いものではないのか。
アイツと俺は友達、ではないと思う。でも、友達どうしでも勝負したりするんだな。そんなことをぼんやりと考えていた。
「よーし!ライングループ作るっすよ!」
詳しいことはそっちで相談するっす。四季さんがスマートフォンを操作し始めたあたりで見慣れた銀髪がパーティションから覗いているのが見えた。マズい。
こちらの心境などどこ吹く風でアイツは唐突に現れた。なんでだよ、オマエいつも事務所ではソファと給湯室しか行き来しないだろうに。
気がつかない四季さんに変わって必死にホワイトボードを隠そうとする朱雀さんと咲さんを横目に、アイツはホワイトボードに目をやると、ああ、と一言、思いついたように口にした。
「オマエら、オレ様の誕生日は祝わなくていいぞ」
意外な言葉に俺を含めたその場にいた全員が目を丸くした。そして話はもどる。
「照れてるわけじゃないならなんでっすか!?漣っち祝われるの好きでしょ!?」
「嫌いじゃねぇけど好きでもねぇよ」
「……なら…………どうして………?」
まくしたてるような四季さんの代わりに、夏来さんが疑問を口にする。アイツはあー、とか少し悩むような声を出した後、こともなげに言った。
「だって、母の日なんだろ?オマエら母親のこと祝ってこいよ」
沈黙。アイツだけがよくわからないと言ったふうに顔に疑問符を浮かべている。俺たちはと言えば、言葉を出さぬままざわめくといった器用な事をしていた。だって、アイツがそんなことを言い出すなんて誰も思ってなかっただろう。
「えっと……漣っち。母の日ってそんな丸一日かけて盛大に祝うもんじゃないっすよ?」
「あ?そうなのか?」
「人によると思いますけど、僕は感謝の言葉をあげて終わりかなぁ……」
巻緒さんが困ったように笑う。咲さんが人それぞれだと思うよ、と付け足した。
「それでも、いるうちに祝っとけよ。親なんて、いついなくなるかわかんねーぞ」
その言葉にハッとしたのは俺だけではなかったと思う。俺は無意識に、昔同じ施設育ちだと話をした玄武さんの方を見ていた。
「……孝行したい時に親はなし、なんて言いますしね」
あくまで冷静に旬さんが告げる。
「ですが、それはあなたをお祝いしない理由にはならないでしょう。漣さんが気にするのであれば、昼間のうちに漣さんのお祝いをして、夜は帰って母の日をお祝いする。これでどうですか?」
「……うん!それでどうかな、漣!」
隼人さんが同調する。確か前に隼人さんの家に行ったとき、両親はめったに帰ってこないって言ってたっけ。隼人さんはアイツの話をどんな気持ちで聞いていたんだろう。他の人だって、もしかしたら事情があるのかもしれない。俺だって、もう祝うような母親はいない。
「……好きにしろ」
アイツらしい肯定だった。四季さんが飛びつかんばかりに……いや、実際飛びついて喜ぶ。俺は、果たしてその集まりに参加するべきなのかをずっと考えていた。俺のスマートフォンに、LINEのグループ参加を促す通知がきていた。
結論から言うと、俺は四季さんの集まりに参加しなかった。別に変な意地とか、気を使ったとかじゃない。仕事をしていた。
少し前にプロデューサーがアイツを探してて、理由を聞いたら踊れるアイドルを探しているらしい。どこかで空いた穴を埋める人間をプロデューサーは探していた。
「なぁ、それ、俺でも大丈夫か?」
「え?別に大丈夫だけど……ああ、そっか。ありがとう。タケルは優しいね」
別に、褒められることではないと思った。別にアイツのためじゃない。アイツが来れなかったらきっと、四季さんや隼人さんが悲しむからだ。
仕事を終えてスマートフォンを見ると、何通かメッセージが入っていた。写真が添付されていて、そこには楽しそうに笑うみんなと、ふてくされてるような、居心地が悪そうな表情のアイツがいた。よかった、と思う。アイツのためじゃない、みんなが楽しそうで、だ。
最後のメッセージがきたのが18時頃。そこで本当にみんな解散したようだ。四季さんが名残惜しそうなメッセージを残しているが、みんなアイツの言うとおり、母の日を祝いに家に帰ることにしたらしい。
隼人さん、どうしてるのかな。少しだけ気になった。母親がいるのにずっと会えない気持ちってどんな感じなんだろう。
事務所に寄ったのは気まぐれだ。ただ、何となくアイツの言葉を思い出してたのかもしれない。誰もいない家にそのまま帰る前に、誰かの顔が見たかったのかも。
事務所をあけたら何人かが楽しそうに談笑していて、その中にアイツの姿があった。何やらおいしそうな食事が並んでいて、忘れていた空腹を思い出す。
「おっ!タケル!今仕事終わりか?腹減ってないか?こっち来てなんか食えよ」
天道さんが矢継ぎ早に告げて、ピザの乗った紙皿を手に手招きしている。オレのだ、とアイツが騒いでいるが次郎さんに止められている。はいはい、きざきのはこっちにあるでしょ。
天道さん、次郎さん、みのりさん、神谷さん。なんの集まりなんだろう。珍しい組み合わせだな、と言えば、みんなでダーツに行くつもりだったらしい。その前事務所に寄ってアイツへのプレゼントを置いておこうとしたところ、ソファで眠っているアイツを見つけて今に至ると。
アイツは俺を見ると、弁明するみたいに口を開いた。
「オレ様はいいって言ったんだ。母の日ってのもあるんだし」
実際、こいつは誕生日を祝わなくていいと全員に言って回ったらしい。だから、円城寺さんとは明日、コイツを祝う約束をしてある。
「別に、祝われることは悪いことじゃないだろう」
「そーそー!俺たちだってこのままだったらダーツ行って終わりだったし」
「そーだよきざき。おとなしく祝われときな。まぁでも、母の日っての、ひさびさに思い出したなぁ」
「一応俺は毎年花とか贈ってるぜ。帰省する暇はないから宅配だけど。山下さんは?」
「あー、うん。俺は心の中で感謝しておしまいかなぁ。母親はずっと遠くにいるしねぇ」
「いやー、花屋の時はカーネーション売る側だったからなぁ。自分があげたりしたことないかも」
「俺は……そうだな、たまには感謝でもしてみようかな」
母の日について、それぞれがめいめい好き勝手に喋りだす。机にはいくつかの酒缶。酔ってるのかもしれない。
大人になったら母の日ってそんなに重要でもなくなるのかな。自分はもうしばらく母親がいないからわからない。それでも昔は施設の人に花とかをあげていた気がする。いつから彼女達に花を贈らなくなったんだろう。天道さんみたく、来年は花を贈ろう。
しばらくは食事をして、みんなの話に耳を傾けていた。と言っても、アイツは食事に夢中になっていて、主に大人達が話をしていた。たまにアイツが話しかけられて、めんどくさそうに返す。
「タケルはどうだ?」
たまに天道さんや神谷さんが話をふってくれて、話に混じる。ダーツに連れて行ってもらう約束をした。コイツと一緒に、という話だったからまた勝負になるのかな、と思ったけれど、思ったよりイヤではなかった。そういえば、結局四季さん達とカラオケで採点勝負をしたのだろうか。気になったけど聞けなかった。ダーツは純粋に楽しみだった。面白かったら、隼人さん達も誘って行ってみよう。
そうして、どれくらい経っただろう。酔った輝さんが特撮のポーズを連続で決めてくれて、みのりさんがそれをすごい勢いで撮っている。そんな空気の中でアイツがふと口を開いた。
「……母親ってどんなもんなんだろうな」
取りこぼしそうな音量のそれを拾ったのは山下さんだった。
「……人それぞれじゃないかな。俺にとってはもう思い出だしね。おじさん、母親はもういないから」
驚いた。山下さん、母親いなかったんだ。アイツは驚きもせずにつまらなそうに神谷さんをじっと見つめた。
「ううん……本当に人それぞれだと思うよ。恥ずかしながら、俺は親と折り合いが悪くてね」
本当は母親との繋がりって素敵なものなんだろうけど、と困ったように神谷さんが笑う。そうしたら、いつの間にか椅子に戻ってきた天道さんが言い聞かすように話始めた。
「そうとは限らねぇさ。俺は元の職業柄いろんな家族を見てきたけど、本当に正解なんてないって思うぜ」
だから、漣は漣なりの考えでいいんだ。そう微笑む天道さんの声色は優しかった。
ふーん、と相変わらず興味のなさそうなアイツの返答。でも、こんなことを聞いてくるなんて珍しい。照れだろうか、心なしか顔も赤い気がする。
「……漣、お前、顔赤くないか?」
「……ねぇ!?それチューハイじゃないの!?」
みのりさんが大慌てでアイツの手を取る。その手にはジュースのような缶が握られていた。パッケージの隅に書かれた、『アルコール8%』の文字。
「ちょ、いつの間に」
「ああ?何かこっちの銀のは苦くてまじーからこっちにした」
「それお酒だよ!もう飲んじゃダメ!」
「あ?何で?」
「未成年はお酒を飲んじゃダメなんだよ!」
「はぁ!?誰が未成年だ!」
「オマエだろ」
「ふざけんな!オレ様は最強大天才なんだよ!」
何がしたかったのか、すくっと立ち上がったアイツがそのままふらふらと倒れる。わーわーと騒ぐ大人達と呆然とする俺。そのまま急速にパーティはお開きとなった。
「大丈夫か?俺が泊まっていこうか?」
「大丈夫だ。心配はいらない」
事務所の鍵を受け取り、彼らを別れた。事務所のソファには眠ってしまったアイツがいる。
結局あのあとアイツはうとうととし出したのでソファに転がしておいたらあっけなく寝た。それを見届けて、パーティの片付けをして今に至る。
あんなに賑やかだった事務所には、俺とアイツしかいない。そのまま置いて帰るのは、と言うことで誰かが事務所に泊まろうと言い出したので、その役を買って出た。
アイツが転がっているソファの反対側に腰掛ける。あと少ししたら俺も眠ろう。
そう思ってあいつのことを見ていたら、閉じられていた目がぱちりと開いた。
「……アイツらは?」
「帰った」
「そーか」
まだ寝ぼけてるようで、どこか言葉がふわふわしている。
「なぁ」
「なんだ」
「母親ってなんなんだろうな」
驚いた。まだその話は続いていたのか。それは質問なのだろうか。違うと思う。アイツは俺に何も聞かない。俺だって、アイツに何も聞かない。だから俺たちは、多分びっくりするほどお互いのことを知らない。ただ俺はアイツをみて、知ったつもりになっているだけ。アイツだってきっとそうだろう。
少しの沈黙を挟んで、またアイツが口にする。
「目の色が、オレ様と一緒なんだって」
「……?母親がか?」
「そう。それしか知らねー」
そういって目を伏せてしまったから、はちみつみたいな金色が瞼に隠れる。
「……綺麗な人だったんだろうな」
素直にそう思った。あとから考えたら、コイツのことも間接的に褒めてしまったようで居たたまれない。
アイツなりに、母親のことを考えてみたんだろう。生まれた時から母親がいない気持ちは俺には少しわからない。でも、思い出を語ってやれるほど俺だって母親との思い出は多くない。誰か、四季さんあたりなら教えてやれるんだろうか。
伏せられた目が開かれて、金色と目が合う。マジマジと見ることは今まで何度もあったはずなのに、初めて不思議な色だと思った。
「アイツらは祝えたのかな」
「何を」
「母の日」
双眸にいつもの力はなく、とろんとしている。それを肯定してやれば、ふふ、と嬉しそうな吐息を吐いてまた目を閉じた。
しばらくもしないうちに寝息が聞こえる。今度こそ本当に眠ったらしい。
「母親か……」
母親か。一つ言えるのは母親がいたら俺はこの場にはいない。それが不幸なのか幸いなのかがわからなくなるくらい、俺はコイツらと一緒にいすぎた。
教えてやるには俺はひとりぼっちが長すぎて、知らないでいいと言えるほど思い出を裏切れない。それでもらしくないコイツを見るのは少し心がざわついた。
「……誕生日、おめでとう」
言いそびれていた言葉をかける。受取手が眠ったままで言葉がゆらりととけていく。
明日、たくさんのプレゼントに埋もれるコイツを見たい。円城寺さんと俺に祝われて、不遜な態度で笑うコイツが見たい。何故かそんなことを思って目を閉じた。
はちみつ色の瞳をした女性の夢を見た。