Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    85_yako_p

    カプ入り乱れの雑多です。
    昔の話は解釈違いも記念にあげてます。
    作品全部に捏造があると思ってください。

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji ❤ 🌟 🎀 🍎
    POIPOI 417

    85_yako_p

    ☆quiet follow

    SideMで初めて出した同人誌のweb再録です。
    2018年の6月ですって……そして拙いね……

    流血表現があります。恋愛要素はないです。名無しモブがでます。牙崎の父親捏造。

    ##web再録
    ##牙崎漣
    ##大河タケル
    ##伊瀬谷四季
    ##カプなし

    牙崎くん死なない! オレ様は死なない。何を唐突にと思うだろうが、本当に死なない。例え話なんかじゃない。そのまんま、言葉通りの意味だ。
     『死ぬかと思った瞬間』と書かれた台本をテーブルに放り投げソファに身を沈める。事務所は空調が効いていて、ソファはそれなりの固さがあり横になるにはぴったりだ。うるさいチビもらーめん屋もいない。そういえば、最近は別々の仕事が増えた。オレ様は次の仕事まで時間がある。だけど、それまでは正真正銘の一人っきりだ。あっちには眼鏡かけてんだか乗せてんだかわかんねぇやつがいた気もするけど。
     死ぬかと思った瞬間。先ほどまで、チビとらーめん屋としていた会話が脳裏を掠める。チビは一番キツかった減量中の話をしていた。らーめん屋がそれを笑って聞いていて、オレ様にもそんな瞬間はあったか聞いてきたから、あるわけないだろ、と答えた。だってオレ様は最強大天才だから。
     本当は死ぬかと思った瞬間ならある。と言うかあれは実際に死んだと言ってもいいのかもしれない。
     でも、生きてる。だってオレ様は死なない。
     深く息を吐き出す。きっと、オレ様が感じる死とあいつらの思う死は別物だ。
     目を瞑って、ぼんやりと考える。
     時折思い出す、古ぼけた記憶。


     一番古い記憶だ。オレ様はいくつだったんだろう。五つかそこらだっただろうか。細かいことは覚えていない。
     その日は確か親父が、オレ様に日の出だか日の入りだかを見せようと、オレ様を景色の良い見晴らしの良い場所に連れてきたんだった。寂れていて人のいないそこは観光名所ではなかったんじゃないかと思う。人はいなかったと記憶しているが、それは思い込みかもしれない。ただ、思い返す記憶にはいつだって、オレ様と親父以外は誰もいない。
     人の手が行き届いていない、崖と呼んで差し支えのないそこは風が少しだけ強かった。これだけは覚えている。 やっぱり細かいことは覚えていないが、無邪気に見下ろした崖の下は、今この年になって見てみるとしたら、少し恐ろしくなるほどに高かったはずだ。
     当時のオレ様は、なんというか少しアホだったんだと思う。いや、あれくらいのガキなんてみんなアホだろ。ガキなんて基本的にどこをとったってアホだけど、なんというか、たとえば自分が怪我をするだなんて欠片も思っていないあたりが、なんというか、アホだ。
     オレ様も例に漏れずそのアホの一員だったというコトだろう。崖の高さに恐れを抱くどころか、普段見ない見晴らしのよい景色に興奮したオレ様は、親父の手を払って崖に近づいて真下をのぞき込んだ。

     子供ってのは頭の方が重いのか。それか、風でも吹いたのかもしれない。繰り返しになるが、細かいコトなんて一つも覚えちゃいない。

     ただ、落下したという事実だけを覚えている。親父の驚いたような声が聞こえて、一拍おいて、あ、なんて思ったら身体がぽろりとさっきまでいた位置から離れて崖の下に落ちていった。
     身体が痛かったから、多分落ちるときに崖にぶつかりながら落ちたんだろう。最後に息が止まるくらいの衝撃があって、ようやく自分が落下したことを知る。
     痛む身体とか、浅くなる呼吸とか、脈拍に合わせて溢れる止まらない血だとか。ろくに覚えていないはずなのにイヤに鮮明なこれは、多分勝手なイメージだ。あんな小さなころのことなんて覚えてない。でも一度イメージしてしまったその痛みには実感があって、一息吸うごとに焼けるように痛む肺と骨は思い返すたびに息が詰まる。 頭がズキズキと痛む。呼吸に血が滲む。視界が霞む。どこか他人事のように、追体験のような痛みを辿る。喉の奥に血がたまっていく感覚に吐き気がする。
     ふっと意識が暗転して、ああ死んだんだなって思った。死んだことはないけど、きっとコレが死だ。そう思った。

     そう、ここでオレ様は死んだはずだった。

     ふっと目を開くと何故か視界が高かった。オレ様は親父に抱きかかえられて、朝日だか夕日だかを見ていた。
     さっき崖へと踏み出したはずの足は親父の腕の上でぶらぶらと揺れていて、無鉄砲な五つか六つのガキが死ぬ心配なんて何一つなかった。
     親父がこんなことするのは珍しい。親父は何かに操られたみたいに、最後までオレ様を抱えていた。今から思い返すと、親父のあの異常と言ってもいい行動は何か不思議な力が働いた証明だったのかもしれない。
     親父が見せたがっていた夕焼けだか朝焼けだか。そこから見た日の色なんて覚えていない。オレ様の頭の中は一瞬前に味わった死への戸惑いでいっぱいだった。
     だけどその時のオレ様はその不思議な体験を言葉にできなかった。だから、その不思議な出来事を胸に抱えたまま日々を過ごすしかなかった。あの日抱え込んだこのもやもやを手放す手段を、オレ様は未だに知らない。


     ぷすり、と箸を立てた小籠包から透明な液体がこぼれ落ちる。そのまま小籠包を傾けて、液体をレンゲに注ぐ。レンゲにたまったそれを飲み干して、そのまま穴の開いた小籠包を口に運ぶ。
     チビは食べ方がよくわかっていないのか、小籠包をそのまま口に入れて火傷をしていた。らーめん屋が水を手渡して食べ方を教えている。
     この、大衆食堂と言った風の中華料理屋はほどよく混雑していて、喧噪が心地よかった。この喧噪には覚えがある。昔、親父とこんな食堂で話をした覚えがある。


    「死んだことがある?」
     親父のマヌケな声にこくり、と頷いた。あれはいつごろの話だろう。十は越えていたはずだ。
     なんでいきなりこんな話をしだしたのかは覚えていない。その日、急に幼少期のあの死の体験を思い出したのかもしれないし、もしかしたら覚えてないだけでこの頃にまた何かで死んだことがあるのかもしれない。
     ただ理由なんて些細な物だったに違いない。きっとそのときにいた店の喧噪が秘密を打ち明けるのにぴったりだったからだとか、そういうものだと思う。
     死の浮遊感だとか、そのときの痛みだとか、全てがなかったことになっていた体験だとか。あと、操られたようにオレ様を抱える親父の薄気味悪さだとか。そういうことをうまく言葉にできる気がしなかった。
     だから、自分が死んだことがあることだけを告げた。それがなかったことになっていたことも。
    「ふぅん」
     今から思えば突拍子もない発言だっただろう。それを聞いた親父は食事の手は止めずにそう唸った。そういえば、そのときに親父が口に運んだものも小籠包だった気がする。何故だろう、記憶にはどうでもよいことほど鮮烈に残る物なのか、たんなる空想の思い込みなのか。親父がもぐもぐと口を動かしていたので、オレ様も何か食べていた気がする。どうでもいいことなのに、これは覚えていない。なんで親父の食ってた小籠包だけを覚えてるんだろう。
     やがて、小籠包を飲み込んだ親父がどうでもよさそうに言った。
    「……猫には魂が九つあるって言うからな、オマエの魂も九つくらいあるのかもな」
     そういってまた小籠包をまた一つ。そういえば親父は小籠包の食べ方を教えてくれなかったからオレ様は最初火傷するハメになった。アイツは火傷したオレ様に水を差しだしてくれたけど、最後まで食べ方は教えてくれなかった。(小籠包の食べ方は勝手に見て覚えた)
     親父はどういうつもりでこんな返答をしたのだろう。その回答は満足のいく物ではなかったけど、何故か納得したのを覚えている。
     あと何回かは死ねるのか。いや、何回か死ぬまでは死ねないのか。疑いもせずにそう思った。


    「で、漣は何を話すんだ?」
     意識が引き戻される。何の話だ、そう口を開く前にらーめん屋が言う。
    「次のロケ。『死ぬかと思った瞬間』」
     そう笑いながら問い掛けてくる。チビが一言、ボケッとしてんなよ、なんて呟いたからそれに噛み付いて口論になる。こらこら、とらーめん屋に止められる。いつも通りのやりとりだ。
    「だから、オレ様は最強大天才だからそんな瞬間、ねーんだよ」
     嘘、ではない。でも本当でもない気がする。
     実際には死ぬかと思った次の瞬間には死んでいたのだ。 そして、それがなかったことになる。
     だけど、こんな話が非現実的で、他人に話すことではないことくらいオレ様にはわかる。
    「うーん、まぁ、漣らしくていいのかもなぁ」
     らーめん屋が笑う。チビが小籠包を箸で突いた。透明な液体で満たされるレンゲ。ついぞ教わらなかった小籠包の食べ方。
     教わらなくても、わからないコトが大きくても、わりとなんとかなるものだ。

    ***

     『死ぬかと思った瞬間』とテーマにしたトーク番組の終了が終わった日のことだ。
     下僕がなにやら偉そうなオッサンと話したあと、嬉しそうにオレ様たちをねぎらってきたので今日の収録は成功なのだろう。当然だ。
     結局オレ様は『死ぬかと思った瞬間』なんてなかったのだが、それでよかったらしい。チビの減量中の話も、まぁ、そこそこウケてたみたいだし。
     ただらーめん屋の死ぬかと思った話にはスタジオの空気が変な感じになってた気もする。あれには、さすがのオレ様もちょっと引いた。たまにらーめん屋が何者なのかわからなくなる。


     死ぬかと思った、か。
     死ぬかと思った、なんかではではなく、実際に死んだことならある。そういえばここの公園で一度死んだことがあった。そういえば、なんて軽々しく言ってしまったが、記憶にある限りではここ以外で死んだ記憶はない。オレ様は死なないとはいえ、そんなにしょっちゅう死んではいない。当たり前だ。なかったことになるとはいえ、そう何度も死んでたまるか。いや、ここでは死んだんだけど。
     ただ、死んだと言っても実際はこうしてピンピンしているので、すっかり忘れていた。
     ここで、殺されたことがあったっけ。
     そう思い、今日の寝床に決めた公園を見回した。割と好んで寝床にしているこの公園は、いつも通り人通りもろくになく、静かだ。
     何もオレ様は進んで死にたいわけではないので、この場所で殺されたという事実を思い出すとこの公園で寝る気が少し失せてくる。移動するのはめんどくせーから、ここで寝るけど。


     あれはアイドルになる前の話だったと思う。どんくらい前かは覚えてねーけど、チビにぶん殴られてしばらく経ってたから、アイドルになる、数ヶ月前とかそこらだろう。
     確か満月の夜だった。月の明かりがはっきりしていて、夜でもあたりがよく見えた。まぁ月なんてなくても街灯があるけどな。
     その日も確かこのベンチで寝てた。固くて寝心地がいいわけでもないけど、ベンチなんてみんなそんなもんだ。地べたよりマシ。寒くもなく、そんなに暑くもなく、よい夜だった。月なんていつでも見られるから、月を見るわけでもなくそのまま眠った。

     ふと、何気なく目を開けた時には、ソイツは既に目の前にいた。

     ビックリした。外で寝ている以上、それなりに周囲は警戒している。だけど、こいつには気配とかそういうのが一切なかった。まるでそこにいるのがごく当たり前かのようにソイツは存在していた。
     黒のパーカー。目深にかぶったフード。黒のズボン。なんというか、こんな夜更けに公園に現れるにしては、明らかに怪しい人間だった。まぁ公園で寝泊まりしてる時点で、オレ様も似たようなもんなのかもしれないけど、それにしたってこいつの異質さは際立っていた。
     何も言わずただこちらを見ているだけの(おそらく)男。
     何がしたいんだろう、そう思って上半身を起こす。寝転がったままやりすごすには、男はあまりにも薄気味が悪かった。
     ぐっ、と。
     起こそうとした上半身、その脇腹を思い切り押された。 ビリ、と痛みが走る。冷たい。違う。
     押されたんじゃない。刺されたんだ。そう気がついた時にはもう遅かった。
     男の右手はナイフを握っていた。そのナイフが深々とオレ様の脇腹に突き刺さっていた。
    「……っ!」
     痛みで一瞬思考が飛ぶ。なんだ、何をされたんだ。
     倒すなり、逃げるなりしないと。そう思った矢先に思い切り腕を引かれ、地面に引き摺り倒される。仰向けに地面に転がされたオレ様の上に、ソイツは馬乗りになってくる。そのまま逆手に持ったナイフを当たり前のようにオレ様の腹に刺してくる。何度も、何度も。
    「かはっ……!」
     ナイフが振り下ろされるたび、刃物の冷たさが臓器を撫でて、一拍おいて刺されたところが焼けるように熱くなる。普段なら負うことのない傷の痛みに目がちかちかする。痛みに耐えきれず、うめき声が漏れる。
     俯いたソイツの表情は見えない。気配は相変わらず感じない。口元だけが見える。無表情な口元からは何も読み取れない。何とか言えよ。
    (くっそ……)
     逃げようにも血が抜けたせいで力がでない。そもそもマウントを取られている時点でこちらが不利だ。
     怪我だってしてるし。つーか、させられたし。なんなんだよコイツ。
    「……んだ……てめぇ……」
     自分の喉からは思ったよりか細い声が出た。男の耳には届いていないのか、反応はない。
     オマエ、本当なんなんだよ。会話は成立するのか。
     無理っぽいな。そう思った瞬間、耳に届いた低い声。
    「……神様」
     は?
     今こいつ、何て言った。この状況でそんなこと、それはどちらかと言えばこっちの台詞だろう。オレ様は、神に祈るとかそんな気はないけど。
     コイツは確かに『神様』って、そう言った。心底悲しいと言ったように。なんなんだ。意味がわからない。
     そいつはそのまま祈るように両手でナイフを握る。逆手に持たれたナイフが月の光を反射してキラッと光った。それがまっすぐにオレ様の心臓めがけて振り下ろされて、それでおしまい。心臓を刺されて生きていられるはずもない。オレ様は死んだ。


     はずだった。だけどやっぱりオレ様は死ななかった。
     目が覚めたらそこは月明かりをぼやりと浴びたベンチの上で、急いで周囲を見渡してみたけど怪しい奴なんて一人もいなかった。
     腹に手を当てる。傷なんて一つもついていない。覚えている限りでは死ぬのは久しぶりだったけど、やっぱりオレ様は死なないみたいだ。多分、そう確信したのがこの時だ。オレ様の死は、なかったことになる。
     あの男はどこに行ったんだろう。オレ様と出会わなければ何もしないのか、もしかしたら代わりに刺されたやつがいるのか。それだけが少し気がかりだった。


     思い出したら少しだけ疲れてしまった。死ぬのは何度だって慣れないし、思い出せば気は滅入る。
     この公園はあの時となにも変わってないように思う。ベンチは固くて月がキレイだ。
     くるりと周りを見渡して、誰も居ないのを確認してから目を閉じた。思い出した様々を思い返すこともなく、意識はすぐに落ちていった。

    ***

     今日の仕事は地方の祭でのパフォーマンスだった。
     祭のことはよくわからなかったので控え室でらーめん屋の話を聞いた。なんというか、騒がしそうなイベントだ。ただ、ケータリングにいろんな食べ物が出てくるのは悪くなかった。
     焼きそば、焼きトウモロコシ、焼き魚、すごい形をしたグルグルの芋、ちっちゃい甘いの、赤い甘いの、なんかふわふわした甘いの。らーめん屋が言う。
    「控え室でおとなしく座りながらこういうの食べてるっての、何だかおかしいな」
     らーめん屋が言うに、祭の醍醐味は、食べ歩きらしい。
     空き時間には祭とやらをくるりと回ったが、なんか、よくわからないものがいっぱいあった。変なの。
     いろいろなことをした。途中で金魚が捕れたので覇王にやろうかと思ったら、らーめん屋に飼えないなら返すように言われたからおとなしく返した。あれは猫の餌で配ってるわけじゃないんだな。
     射的ってやつでチビと勝負をしたが、どちらも何もとれなかった。らーめん屋が言うには、どうやってもとれない店もあるらしい。
     ただ、人混みの中でチビはずっとキョロキョロしてた。 いつものコトだと思って放っておいた。


     仕事は成功。当然だ。下僕が満足そうに笑っていた。
    祭の熱気は性に合っていた。太鼓の音色を取り入れた曲は、歌い慣れたものだけど雰囲気が変わっておもしろかった。あと、法被ってやつを着た。
     チビは相変わらず熱心に客を見ていたと思う。


     祭が終わって、スタッフのやつらと別れて、迎えの車まで歩いて行く途中。
     駅とは逆方向へ進む道で相変わらずチビは人混みに何かを探している。前みたいに露骨な探し方ではないけど見てればわかる。多分らーめん屋もわかってるからそのままにしてる。
     誰を探しているんだろう。気にならないと言えば嘘になる。だけどもう一度聞いてみる気分にはなれない。
     チビが言い出すまで待っててやる、とか、そういうのではないけど結果的にそうなっている。

     チビは、探してるやつが見つかったら、アイドルを やめるんだろうか。

     ぼんやり、そんなことを考えていたら反応が遅れた。何かに気がついたチビが大声を出す。
    「……っ!待ってくれ!」
     そう言ったチビが車道に飛び出して反対側を目指して駆け出した。いや、正確には駆け出そうとした。
     人混みを無視するように、道路をものすごいスピードでトラックが通り去ろうとする。そのライトが車道に飛び出たチビの体を照らしていた。
     あ、チビが轢かれる。
     思った時には体が反応していた。チビの手を引いたんだっけ、体を押したんだっけ。多分手を引いたんだと思う。思い切り勢いがついて、当然のようにオレ様の体が前に出る。立ち位置が入れ替わる。トラックのライトに思い切り照らされる。眩しくて、一瞬だけ目がくらむ。
     視界の端で思い切り道路に転ぶチビが見えたと思ったら、ものすごい衝撃の後、体が思い切り飛んだ。ああ、そうか。代わりに轢かれたのか。当然のことに気がつくのに少し時間がかかった。
     どれくらいくらい吹っ飛んだんだろう。昔、崖から落ちたときみたいな衝撃が体中をきしませる。落下した体がアスファルトを転がる。体をところどころすりむいて痛い。
     何やってんだろう。オレ様は。
     ざわざわと、一拍おいて周囲が騒がしくなる。うまく耳に単語として届かない。ざわざわ、意味のなさない音が聞こえる。
     その中でもらーめん屋の声はよく響いた。単語が意味をなして耳に届く。ああ、なんか言ってるな。チビの声もする。
    「おい!漣!しっかりしろ!」
     オレ様の体をチビが抱えている。らーめん屋はオレ様に声をかけながら板きれを取り出してどこかに連絡をしている。少し離れて人の群れがこちらを見ている。
    「…………ごめん」
     チビが今にも泣きそうな顔でこっちを見ている。体を支える手がバカみたいに震えてる。うるせーよ。謝んじゃねーよ。
     だいたいな、知らねぇと思うけどオレ様は死なないんだから。だからオレ様なんて気にしてないで早く探してるやつのところに行けよ。そいつを見つけたから、こんな無茶な、バカなことしたんだろ。ようやく見つけたんじゃねーのかよ。そこまで思ってふと気がつく。
     ここでオレ様が死んだとして。この死がなかったことになったら、どうなるんだろう。
     今までの経験上、オレ様の死がなかったことになるときには、死ぬことになった原因そのものがなくなる。 
     なら、ここでオレ様が死ななかったら、コイツが飛び出した原因、つまり、コイツが探してるやつを見つけた(であろう)こともなかったことになるんじゃないか。
     そう考えるとなんだかいたたまれなくなる。このまま死んでやるつもりはないけど、これが九回目の死なら、もしもオレ様が死ねば、チビは今ここに集まった人の中から捜してるやつを見つけられるのか。
    「……いいから、……探してるやつ……いたんだろ……そいつ見つけに……早く……」
     もしかしたら、ザイアクカンみたいな物を感じたのかもしれない。オレ様の死がなくなれば無駄になってしまうことだとしても、そう伝えずにはいられなかった。
    「そんなことできるわけないだろう!」
     が、今にも殴りかかってきそうな剣幕で怒鳴られる。なんだよオマエは。オレ様のことなんて気にしてんじゃねーよ。バァーカ。
     ああ、ダメだ。頭がぼやっとしてきた。死ぬかもしれない。いつまでも慣れることのない感覚。少しの浮遊感。たぶん、オレ様はそろそろ死ぬ。
     そう思うと意識に霞がかかったようになってきた。おい、チビ。いいから早く探してたやつを探しにいけって。オレ様が死んで、もしも生き返っちまったら、オマエ、探してるやつのこと見つけられないかもしれねぇんだぞ。なぁ、ずっと探してたんだろ。オレ様のこと気にして、ずっとずっと探してきたもんをないがしろにするなんて、そんなこと、すんな。オレ様のせいで、せっかく見つけたやつの手が掴めないなんて、そんなの、ダメだ。
     オマエは、知らないと思うけど。
     全部なかったことになっちまうかもしれねえけど、オマエはオレ様を抱きかかえてる場合じゃなくて、その手でずっと探してたモンを掴みに行くべきなのに。
     そこまで考えて意識が落ちた。オレ様は死ぬのか。チビは、探してたやつに会えるのか。ああ、これは何度目の死なんだろう。


     結論から言うと、やっぱりオレ様は死ななかった。
     時間は道を歩いていたあの時まで戻っていて、思った通りチビに目を向けるとチビは誰のことも探しちゃいなかった。
     あの時の、昔の親父と同じだ。らしくない。チビ、オマエどんなときだって人混みに誰かを探してただろうが。
    「おい、チビ」
    「なんだ」
    「……なんか、探したりしないのかよ」
     言えば、気がついてくれないだろうか。今この状況が異常だと言うことに。
    「ああ」
     こっちを見て、一言。
    「今日は、いいんだ」
     そう言って、機械じみた笑いをむけられる。
     少しだけ、ゾッとした。
     
    ***

     ここ最近、オレ様はらーめん屋の家にずっと泊まっている。
     なんでもこの辺り、オレ様がだいたい寝泊まりしてる公園あたりに不審者がでたらしい。
     何かあってからでは遅いからと下僕がたいそう慌てていた。そして、オレ様に寮で寝泊まりするように言ってきた。
     寮にはオレ様の部屋があるにはある。というか、下僕の話をふんふんと聞いていたらいつの間にか用意されていた。ただ、どうにもあそこで寝泊まりする気分になれず、あそこは半ば物置状態だ。その季節に使わないものとか、貢ぎ物とか、そういうものの置き場所。正直に白状すると、あそこには布団すらない。
     それを包み隠さず伝えたところ、下僕からは盛大なため息が漏れた。もっと気にかけておくべきでした。私の責任でもあります。でも、それでもいいです。外よりはマシでしょう。布団がないなんていつものことですよね。というか、布団なら今すぐにでも買いに行きましょう。頼むから安全な室内で寝泊まりしてください。屋根がある部屋のなにが不満なんですか。と泣き言のように訴えられた。
     が、当然拒否した。
     物置にしてる時点で察してほしい。どうもオレ様はあそこで寝泊まりする気分にはなれないのだ。
     なんと言えばいいのか、オレ様にもよくわからない。だが、あの場所はなんとなく性に合わない。嫌いというよりは、好きになれないというか、なんとなしに外で寝るほうが性に合ってる。
     というか、なんで下僕がそこまでオレ様に指図するのかが、そもそもわからない。どこで寝ようが、オレ様の勝手だろうが。
     だが下僕も簡単には折れなかった。寮がダメなら事務所に寝泊まりしてもいいと言い出して、事務所にずっと泊まるのか、と考え出したあたりでらーめん屋が会話に入ってきた。そしておおまかな事情を聞いて言った。
     それなら漣、うちに泊まるか。と。
     正直面倒だった。でも、折衷案としては悪くなかった。らーめん屋の家なら何度か世話になったことがある。あの家はまぁ、悪くない。
     下僕のお節介が収まるまでがいつになるかわからないが、少しなら寝泊まりしてやってもいい。そう思えた。
     らーめん屋の案に同意すると、下僕は大層喜んでいた。何故からーめん屋も嬉しそうにしていて、ちょっと意味がわからない。
     おかげで、ここ数日はレッスンが終わると、らーめん屋がオレ様を引き摺って家に帰っていた。一度だけチビも来て泊まっていった。
     そういえば最近のチビは顔を合わせる度にオレ様が外で寝泊まりしてないかずっと口うるさく聞いてきた。らーめん屋に迷惑をかけてないかとかも。下僕に何か聞いたのか。メンドクセー。


     そんな日が続いていた、のだが。
    「漣、本当に大丈夫か?」
     夕方、早めの夕飯を終えたオレ様を座らせてらーめん屋が真剣に告げる。
     らーめん屋はこれから明日の地方ロケのために移動だ。オレ様の手にはらーめん屋の家の合い鍵が握らされていた。
    「自分がいなくても寝泊まりしていいから、くれぐれも外で寝るんじゃないぞ。まだ不審者、捕まってないんだから。どうしても来にくいなら寮か事務所でも……」
     そのあとも長々と小言は続く。半分くらい聞いちゃいなかった。
    「気が向いたらきてやるよ」
     そう答えて立ち上がり、家を出た。らーめん屋はまだなんかごちゃごちゃ言っていたけど聞く気もなかった。
     少しなら寝泊まりしてやってもいいと思っていたが、その『少しなら』はオレ様の中でとっくに終わっていたのだ。


     らーめん屋の家は悪くなかった。風呂は広くないけど、飯はうまい。ただ、やっぱり自分には一人の時間が必要なのだとしみじみ思った。
     日が沈みかけている。一人はひさしぶりだった。伸びをして深呼吸をすると、久々に肺に息を吸い込んだ感じがした。
     今日はひさしぶりに一人でのんびりしていよう。どうせ、らーめん屋が帰ってきたらまたあそこで寝泊まりすることになるんだろうし。しかし、いつまで下僕はとやかく言い続けるのだろう。ずっとこのままなのはごめんだ。様々な思いが浮かんでは消えていく。ポケットの中でらーめん屋の家の合い鍵が非難するようにチリ、と鳴ったが、知ったことじゃない。
     ここにくるのもひさしぶりだ。黄昏時の公園は人が一人もいなかった。昔、殺されたことのある公園だと思うとちょっとイヤな感じがするが、なんだかんだここに居着いてしまっている。
     不審者ってどんなやつなんだろう。昔見た、あの男みたいなヤバいやつじゃなければいい。その辺にでもいそうなやつなら負けない。
     半ば定位置となったベンチに寝転がる。相変わらず固い。下僕の言葉を思い出す。屋根のある部屋の何が不満なんですか。
     別に不満じゃない。こっちのほうが好きなだけだ。ちょっと早い時間だけど寝てしまおう。朝、遮る物の何もない朝日で目を覚まして、覇王の様子でも見に行こう。そう思って目を閉じた。


    「漣っち! 漣っち起きるっすよ! ねぇ!」
     やたらと大きな声が響いている。四季の声がする。誰の許可もらってオレ様の夢に出てんだ。うるさい。
    「れ! ん! っち!」
    「うるせぇよ!」
     反射的に声をあげたら目が覚めた。だが、目を開けた先には四季がいた。夢じゃなかったのか。
    「あー起きたっす! よかったー。オレ、漣っちのことめっちゃめっちゃめーっちゃ起こしたんすよ! 全然起きないからどーしようかと思ったけど起きてよかったっす。でもでも、タケルっちから聞いてたほど寝起き悪くなくって一安心っす。漣っち寝起きメガ悪いって聞いてたから」
    「ちょっとまて」
     なんというか、こいつのまくしたてるような言葉は寝起きに聞くもんじゃねぇな、と思った。周りを見渡してみるとあたりは暗くなっていた。
    「なんすか?」
    「……えっと……ってか、なんでオマエ、こんなとこにいんだよ」
    「そー、漣っちダメっすよ道流っちの家にちゃんと帰るか寮行かないと! プロデューサーちゃんがハイパー心配してたっすよ?」
    「知るか。つーか、それとオマエがここにいるの関係ねぇだろ」
    「それがあるんすよ! あのね! ホントはプロデューサーちゃんが漣っちのこと気にしてたんすけど、プロデューサーちゃんお仕事あって。そんでジジョーを噂で聞いてたオレが漣っちを探しにきたって寸法っす! 漣っちライン送っても反応ないし、プロデューサーちゃんが公園で寝てたらどうしようって言ってたし、だからオレ帰り際に漣っちのよく居る公園見てみよーって思って。そしたら漣っちマジで公園にいるからマジ驚きっすよ! 漣っち、プロデューサーちゃんの話聞いてた? ここ、不審者出るからメガ危険っすよ? あ、危険で思い出したけどオレが漣っちのこと探しに来たこと言っちゃダメっすよ? オレ仕事帰りなんすけど、危ないからまっすぐ帰るように言われてるんすから。だって不審者が出るとか、メガメガ危ないっすからね!」
     長い。そして、なんというか、絶妙に聞いてないことばかりが返ってくる気がしてならない。
     とりあえず、下僕がまたオレ様を気にしてるってことはなんとなくわかった。
    「で?」
    「漣っち、もー言ったけど、この辺り最近不審者出るんだから、外で寝泊まりとかダメっすよ! でも漣っちのことだから寮にも帰る気ないんでしょ」
     正解だ。
     一度、寮に泊めてくれと騒ぐ四季に寮を使っていないことを言ったことがあったっけ。
    「お説教は聞く気ねーぞ」
    「お説教なんてしないっすよ! ようは寮がイヤで、道流っちがいないのに道流っちの家に行くのもイヤなんでしょ?」
    「別に……」
    「だから、オレんち泊まりにきたらいいっすよ!」
    「はぁ?」
     だから、の意味がわからない。だが、四季のなかでは一連の流れはどうやら繋がっているらしい。理解が出来ない四季の思考回路に寝起きの頭がくらくらする。
    「だから、オレんちに泊まりにくれば」
    「別に聞き逃したとかじゃねぇよ」
    「名案っしょ? 母ちゃんもいいって言ってたし! ね?」
     名案なもんか。そもそもオレ様は一人になりたいんだ。こいつの家に行くくらいなららーめん屋の家に行った方がマシだ。
     思ったことをそのまま伝える。
    「断る。だったら、らーめん屋の家に一人でいたほうがマシだ」
    「えー! いや、それでも別にいいんすけど。とりあえず外で寝ちゃダメっすよ」
    「うるせぇ。わかったからとっとと帰れよ」
    「ダメっす! オレが先に帰ったら漣っちここで寝ちゃうでしょ!」
     またもや正解だ。
    「だから、見送るまでぜーったい帰らないっす! それか、オレんちに一緒にくるか! 絶対に、どっちかっすよ!」
     メンドクセーことになった。もういいから帰れよ、オマエ。
     どうするか。とりあえず、コイツの家に行くってのはない。寮だってごめんだ。らーめん屋の家を借りるか。欲を言えばこのままここで寝てしまいたいのだが、四季がそうはさせないだろう。
     面倒だが、ここで四季にわーわー騒がれるほうがよっぽどやっかいだという結論になった。だるいが、覚悟を決めてベンチから起き上がる。
    「漣っち! オレんちくるっすか?」
    「誰が行くか。らーめん屋のとこ行くから、オマエも帰れ。ほら」
     そう言って立ち上がれば四季が楽しそうに横に並ぶ。何が楽しいのやら。この静かな公園で、コイツは一人で騒がしかった。
     歩き出そうとしたところで目の前に黒い影が見えてギョッとする。最初は何かと思った。それは人影だった。気配も何も感じさせず、ソイツはただそこに立っていた。
     黒のパーカー。目深にかぶったフード。黒のズボン。なんというか、どこか見覚えのある明らかに怪しい人間。脳が勝手に記憶を探ろうとする。意識が少しだけ逸れた隙にソイツは距離を詰めてきた。まっすぐに向かってくる男に脳が警鐘を鳴らす。

    あの男だ。

     そう思い至ったのと、四季をかばうように前に出たのがほぼ同時だった。
     ぐっ、と。
     あの時と同じだ。男の手にはナイフが握られていて、それがオレ様の脇腹に深々と突き刺さっている。
    「……っ!」
    「え?」
     そのまま力を込めて仰向けに倒される。馬乗りになられたところまで一緒だ。ただ、今回は四季がいる。
    「……っおい! 逃げろ!」
     そう言いかけた瞬間、ナイフがもう一度振り下ろされた。男は四季に目もくれずこちらを見ている。
     男は相変わらず感情の読めない目をしている。泥で濁った硝子玉のような目で、そのまま機械的にナイフを振り下ろしてきた。記憶のそれと一致する痛み。振り下ろされるナイフ。何度も、何度も。
     ただ、あの時と違うのは、ここに四季がいることだ。
    「漣っち!」
     四季の悲鳴が聞こえる。そして、一寸遅れで四季が男に飛びかかるのが見えた。
     バカ、何やってんだ。腰が抜けてないなら逃げろよ。刃物持ってるやつに飛びかかるやつがいるか。だいたいオマエ、根性なしのくせに。
    「……い……から……逃げろ……!」
     既に息を吸うのも苦しい状況では思ったことように声も出ない。喉に血が絡んで気持ちが悪い。
    「でも漣っちが…………え?」
     呆けた四季の声が聞こえる。四季の脇腹に男の手が当てられていて、そこから伝うように血が流れている。
     どさ、と四季の体が崩れ落ちる。ただでさえ血の足りない頭から残った血が引いていく。
     アイツ、刺されたのか。
     四季の苦しそうなうめき声が聞こえる。それに被さるように男の声が聞こえる。
    「…………神様」
     ああ、また神様か。こいつ本当に意味わかんねぇ。
     だが、あの時とはずいぶん様子が違う。何かから逃れるような、震えた声。
    「……違うんです」
     絶望しきったような、とんでもない間違いを犯してしまった時のような声。
    「違うんです違うんです違うんです違うんです違うんです違うんです違うんです違うんです違うんです違うんです違うんです違うんです違うんです違うんです違うんです違うんです違うんです違うんです違うんです違うんです違うんです」
     繰り返し、繰り返し、繰り返し。そう言って男が立ち上がる。震えた男の声。体も震えているのか、カランと男の手からナイフが落ちた。ワケがわからない。何が違うんだよ。
     そう思った矢先、男が駆け出した。公園の出口に向かってまっすぐに。
     あっという間に男の姿は消えた。暗闇に溶けた。端的に言えば、逃げた。
     取り残されたこちらはわけがわからない。何度も刺された腹から血が抜けていって冷たいのに、血が伝う肌が熱い。変な感覚。
     これ、死ぬんじゃないだろうか。前も刺されたときは死んだし、きっと死ぬ。心臓は刺されてないけど。
     果たして、これは何度目の死なんだろうか。九回は死ねるという保証はないのに、そんなことを考える。
    「うう……」
     四季の声が聞こえる。そうだ、こいつも刺されたんだ。そちらに目を向けると、ずるずるとこちらに這ってくるのが見えた。
    「うう……漣っち……だいじょぶっすか?」
     正直、大丈夫ではない。死ぬかもしれない。目を閉じると意識が消えそうになる。返事が出来ずにいると頬に水滴が落ちてきた。
    「……ごめん……漣っち……」
     目を開けたら四季が泣いていた。なんで泣いてんだよこいつ。意味わかんねぇ。
    「漣っち……オレのこと……かばって……刺されて、ひっく、オレ……何にもできなくて……」
     そう言って泣く。別に、かばったわけじゃない。ちょっと前に出ただけ。あれはなんつーか、気まぐれだ。それに、オマエはオレ様のこと助けようとしただろうが。だからオマエまでしなくていい怪我したんだろ。
     だいたい、あいつに絡まれたのだって、あいつらの忠告を無視してオレ様が外で寝てたからだろ。オマエはオレ様を気にして、探しに来て、そんで挙げ句に助けようとして刺されたんだろうが。ああ、それならもっと遡れば、アイツだって前にオレ様が生き返らなかったら殺人鬼として逮捕されてたのかもしれないんだ。本当に、四季、オマエ巻き込まれただけだ。オマエ、被害者だぞ。
     だから泣くのやめろ。泣くなら、怪我が痛いとかそういうことで泣けよ。なんで、オレ様のコトで泣くんだ。うるさい。怪我、そうだ。怪我だってしてるんだろう。痛いだろうに。腹に力入れられなきゃ歌えねぇだろ。オマエ、バンドの歌うやつだろ。次のライブ楽しみにしてたんじゃねぇのかよ。ライブ、近いんだろ。刺されてる場合じゃねぇだろ。

     正しいのかもわからない思考がぐるぐる。
     血の足りない頭に浮かんだ最悪の解決方法。

    「……おい」
    「え?」
    「どいてろ」
     四季は素直に距離を取る。動作がぎこちない。傷が痛むのだろう。オレ様は男が落としていったナイフを手に取る。四季が不思議そうにこちらを見ている。

    「……なかったことにしてやる」

     少しだけ躊躇する。そのためらいを消すように、深く深呼吸をして、自分の胸めがけてナイフを振り下ろした。


     目を開く。体に痛みはない。だが横には四季がいた。オレ様の予想ではこいつがオレ様の様子を見に来たことまでなかったことになるはずだったんだが。
     だけど、思った通り、オレ様の死はなかったことになった。それに伴う様々も。
     あたりを見回す。男はいない。
     自分から死んだのは初めてだった。だって、それが一番いい気がしたんだ。
     それでも、何かやってはいけないようなことをした気分になった。誰に責められたわけでもないのに言い訳がましく考える。あのままだったらどのみちオレ様は死んでただろうし。ただちょっと、それを早めただけだ。
     でも、覚えていないはずのナイフの感触が手のひらに残っていて、変な感じだった。自分の体とはいえ、人を刺したのは生まれて初めてだった。まぁそれも、なかったことになったけど。
     何はともあれ成功だ。これは九回目の死ではなかったらしい。本当に九回死ねるのかなんて知らないけど、オレ様は死んでないし、四季だって刺されてない。
     思いつきだったけど、思った通りになってよかった。これでオレ様が死んだら本当にマヌケだっただろうな。ただ自殺しただけになっちまう。
    「で、道流っちの家に行くっすか? それとも、オレんちくる? オススメはオレんち!」
     何はともあれ、オレ様はこの場所から一刻も早く離れたかった。
     いなくなったあの男はどうなったんだろう。またどこかで、あいつは人を殺すのか。なんだか昔の時よりも、胸がざわざわした。
     あの夜も、この夜オレ様を殺した男。でも、それすらなかったことになったんだよな。あの男はまだ誰も殺していないんだ。
    「……オマエんち行ってやる」
    「…………え?マジっすか? やったー! テンションあがるっす!」
    「行くなら早くしろよ」
     そうして足早に公園を後にした。胸がざわざわしたけど、元気なコイツを見てたら少し安心する気持ちもあった。コイツは怪我なんてしてない。次のライブだって、ちゃんと出られる。
     わかっちゃいたけど、オレ様はわりと自分勝手だ。


     四季の家は騒がしかった。だけど、四季が早々に部屋に案内してくれたおかげで、四季の家族とはあまり話をせずに済んだ。正直、何を話していいかさっぱりなのでよかった。
     四季の部屋はなんというか、想像通りの部屋だった。もっとも、コイツの部屋なんて想像したことないけど。
     先に風呂を借りてから案内された部屋はカラフルで、物が多いはずなのに生活感が薄い。物が少ないのに生活感の滲み出るらーめん屋の部屋とは真逆の印象の部屋。ガクセーの部屋ってのはどこもこんな感じなんだろうか。変なの。あと、ベッドに変なクマのようなものが大量にいる。ピンクのクマ、ピンクのクマ、オレンジのクマ、ピンクのクマ、緑のクマ、青いクマ、ピンクのクマ、水色のクマ。びっしりとクマ。それなりのデカさのクマ。ベッドのどこを見てもクマ。いったいどこで寝てんだアイツ。なんとなく落ち着かない気持ちでいたら四季が戻ってきた。手に大量の菓子を抱えて、嬉しそうに話しかけてくる。
    「パジャマパーティするっすよ!」
    「なんだそれ」
    「パジャマでパーティするんすよ! 漣っち貸したパジャマ、ハイパー似合ってるっす!あ、写メ撮ろ!」
    「やーだ。オレ様は眠いんだよ」
     菓子は明日食う。そういってその場で横になると四季がビックリしたように言ってくる。
    「床で寝る気っすか?」
    「じゃあどこで寝んだよ。この部屋寝る場所ねぇぞ」
    「そんなことないっすよ!」
     そう言って四季はベッドの上のクマをぽいぽいと放り投げる。床に散らばるクマ。いいのか、そんな扱いで。
    「ベッドあいたっすよ」
     そう笑うので遠慮なくベッドに横になる。すると、四季もベッドの上に乗ってきた。
    「何してんだオマエ」
    「え? オレも寝るんすよ」
    「はぁ!? 狭いだろ。床で寝ろよ」
    「床って!  家主に対してあんまりっすよ! あ、でもでも漣っちが床で寝るのもなしっす! お客様なんだから! おとなしく一緒に寝るっすよ!  大丈夫、もともと広いベッドだし、くまっちもどかしたし!」
     四季がそう言って電気を消すので言い返す気も失せた。
    四季は知らないだろうけど、オレは今日は一度死んで疲れてるんだ。体調とかは変わらないけど、精神的に。
    「おやすみー」
    「………………」
    「おやすみ!」
    「……………………」
    「漣っち!」
    「…………………………」
    「おやすみ! 漣っち! ねぇ! おやすみ!」
    「あー! おやすみ!」
    「ふふ」
     ふふ、じゃねえよ。
     ともあれ、長い一日が終わろうとしていた。


     誰かが泣いてる。誰だろう。
     女だ。女が泣いている。うつむいたその表情は長い銀の髪で隠れていて見えない。ただ、嗚咽だけが聞こえる。
     泣かれると、困る。
     何故と言われても困るが、泣かれるのは好きじゃない。
     おい、泣くな。言いたいのに声がでない。
     女が顔をあげた。蜂蜜色の瞳と目が合った。


     次に目を開けた時、女はいなかった。だけど、嗚咽が聞こえてくる。
     視線を音のするほうへ向ければ、四季が上半身を起こして泣いていた。なんで泣いてんだよこいつ。なんか、こんなことがさっきもあった気がする。なかったことになったけど。
     眺めていたら目が合った。四季の手がこちらに伸びて、するりとほほを撫でる。
    「……生きてる」
    「は?」
    「漣っち、生きてる」
     そう言って泣く。わけがわからない。
     生きてる。あたりまえだ。オレ様は死なない。九回目は、わからないけれど。
     ぽつりぽつり、四季が話しはじめる
    「漣っちが死んじゃう夢見て……それっ、が、夢って思えない、くらいリアルで……漣っち……オレのことかばって、大怪我して……でも漣っち……うっ……最後に自分から死んじゃって……ひっく……オレすっごい怖くて……漣っち……なんで、自分から……」
     驚いた。コイツ、覚えてるのか。いや、覚えてるも何も、あれってなかったことになるんじゃないのか。
     四季が泣いてる。普段だったら無視してただろうに──そもそも、コイツって泣くんだな──この時はその様子をくだらないとも言えず、ただ眺めてることしかできなかった。
     オレ様が目の前で死んだら、四季は泣くんだな。そう思った。例え、それが夢でも。ああ、と言うか怪我をしただけでコイツは泣いてたっけ。
     そういえば、オレ様がトラックに轢かれた時、チビも泣きそうな顔してた。アレはなかったことになったけど、チビもオレ様の死ぬ夢をみたりしたんだろうか。なかったことになったこと、なかったことにしてきたこと。それはオレ様がそう思っていただけだったのか。なかったことになったって、変わる何かはあるのだろうか。
    「……生きてるだろ」
     頬に添えられていた四季の手を取る。勝負事のように思い切り握ってやる。
    「……痛いっす」
     嗚咽まじりに返される言葉。でも口元は笑っていた。
    「おやすみ」
    「……おやすみ、漣っち」
     四季がそういって布団に潜り込んだ。
     オレ様はまた目を閉じた。
     
    ***

     不審者騒ぎは一段落した。なんでもパタリと不審者は現れなくなったらしい。
     下僕はこれを機に寮に住み着いてほしそうだったが、元通りになったのならオレ様は元の生活に戻るだけだ。らーめん屋もなんだかとやかく言っていたが、らーめん屋の家に泊まることもなくなった。
     パタリと姿を消した不審者。アイツの誰かを殺すという意志そのものがなかったことになったのだろうか。それとも、またあの男は誰かを刺すのか。なかったことになっても、もう一度オレ様を刺したように。この先、無関係の誰かが刺されるのだろうか。オレ様が死なないのはオレ様のせいじゃないけど、なんだかもやもやした気持ちになる。

     たまに思い出す。オレ様が死んだと泣いていた四季と、死にそうなオレ様を泣きそうな顔で見るチビのこと。

     オレ様が死んだら、オマエらはそんな顔をするんだな。

    ***

     ライブの仕事は嫌いじゃない。が、本番までの準備が多いのは煩わしい。
     それでもテレビの収録や雑誌の撮影に比べれば、体を思い切り動かせるから悪くはない。
     段取りを確認して、今は立ち位置の確認だ。もう何度も何度もライブでパフォーマンスしてきた曲。立ち位置は間違えようもない。
     一番が終わったらオレ様がセンターに。二番。曲が流れているつもりで動く。間奏。パフォーマンスが入るはずだが省略。指示が入る。らーめん屋が前に出る。オレ様と立ち位置が入れ替わる。
    「いいですね。一回流してみますか」
     頷くと曲が大音量で流れる。軽く体を動かすつもりで確認をする。適当と本気の中間くらい。
     チビはバカ真面目だからこういう時も全力なんだろうな。そう思い、何気なくチビの方を見る。チビの顔に影が落ちている。
     なんで影が落ちているんだろう。
     ふと上を見ると、機材があり得ない角度でチビに向かって落下してくるのが見えた。

     あの日と同じように、反射的に体が動いていた。

     チビの体を思い切り突き飛ばした。ライトに照らされたあの日とは真逆だ。視界がふっと暗くなって、背中に衝撃。
     ぐしゃ、と体に思い切り重力がかかるような感覚。尻餅をついたチビの足が見える。その足に向かってなにか赤いものが伸びていく。なんだろう。自分の血だと気がつくのに少し時間がかかった。
     チビはずっと動かない。呆けたようにこちらを見ているが目が合わない。らーめん屋が何か言ってる。流れていた曲が止む。その場にいる人間がみんな、好き勝手に声を出している。単語がうまく拾えずに、音が言葉として認識できない。知った感覚だ。あー、なんだか体が重い。ところどころが痛い。
     なんか、ここ最近似たようなことがあったな。なんだ、オレ様はまた死ぬのか。最近死にすぎじゃないか。いや、死なねぇんだけど。
     運が悪いのか、と思って考えてみたが、トラックに轢かれたのはチビのせいだし、刺されたのだってあの男の頭がおかしいだけだ。運もオレ様も悪くないと思い、考えるのをやめた。しかし、それにしたって限度ってもんがあるだろう。死なないとはいえ、次もまた死がなかったことになる保証なんてどこにもないのだ。それにオレ様は進んで死にたくなんてない。痛いし。
     まぁ、それでも体が動いてしまったものは仕方がない。別にチビのコトなんてどーだっていいけど、目の前で怪我されちゃ目覚めが悪い。死なれでもしたら、なおさら。
     どくどくと体から血が流れていくけど、別に後悔だってしてない。オレ様はどうせ死なないし。たぶん。
     でも、どうなんだろうな。オレ様が仮に死なない体質じゃなかったら、オレ様はチビを助けなかったんだろうか。四季のために自ら命を絶つこともなかったのか。あの日、チビの手を引くこともなかったのか。
     まぁいいか、考えたって仕方がない。
     こんな『もしも』に意味はない。もしも、なんて言うんならオレ様はうんと小さい頃に死んでいるんだから。
     なにやら人が大勢動いている。上に乗った機材をどかしているようだ。そんなのも、別にどうでもいいや。だって、死ねばなかったことになるし。
     もうメンドクセー。とっとと死んでやり直そう。
     そう思って目を閉じた。
     
     数秒を待たずに、思い切り頬を叩かれた。
     
     なにすんだ、って怒鳴ってやりたかったがうまく声がでなかった。肺が潰れてるのかもしれない。チビがオレ様の頬を掴んでいる。
    「おい! しっかりしろ!」
     そう叫んでいる。ああ、そのツラは見たことがある。今にも泣きそうなチビのツラ。あの日見た、なかったことになったはずの表情。
     だんだん体が軽くなる。体の上に乗っていた機材がどかされたからなのか、オレ様の意識が飛びそうなのか、よくわからない。
     あの日のようにチビがオレ様の体を抱えた。一緒だ。チビの手が可哀想なくらい震えている。最近少し考えていたことを思い出す。
     オレ様が死にそうだと、コイツはこんな顔をするんだな。見てて、あまり気分がいいもんじゃない。でも、不愉快とも違う。なんなんだろう、これは。
     らーめん屋の姿も見える。何かに耐えるみたいな険しい顔をしてる。なんでオマエまでそんな顔するんだよ。そんな、苦しそうな。苦しいのはこっちだっての。潰れた胸が苦しくなる。頼むからそんなツラすんな。チビも、らーめん屋も。どうせなかったことになるんだから、そんな顔すんな。


     見たくないって思ってたら、なんだか本当に何も見えなくなってきた。もういいだろ。そう思い今度こそ目を閉じた。




     体が痛い。全身がズキズキと痛む。どういうことだ。いつもと何かが違う。
     意識もハッキリしない。ふわふわとした感覚。おかしい。いつも通りオレ様は死んで、なかったことになったんじゃないのか。
    「……猫には魂が九つあるって言うからな」
     親父のマヌケ声を思い出す。
    「オマエの魂も九つくらいあるのかもな」
     落ちてくる機材。アレが、あの死が九回目だったのだろうか。いや、そもそもオレ様が九回生き返る保証なんてどこにもなかった。ただ、根拠もなく親父の話を信じただけで。
     もしかして、オレ様は死んだのか。
     嘘だろ。オレ様は死なないって思ってた。なんだ、死ぬのか。あっけないんだな。
     死って、そういうもんなのか。
     オレ様は死んだのか。イヤだな。まだやってないことがいっぱいある。チビとの決着だってつけてないし、アイドルで頂点も取ってない。チビと、ついでにクソ親父にオレ様の実力を認めさせてもいない。
     そして、それ以上にチビやら四季やららーめん屋やらの、あの表情を思い返すと苦しくなることに気がついた。今回の死はなかったことにならない。なら、あいつらはどう思うんだろう。
     そこでふと思う。何でオレ様が苦しくなるんだ。わからない。そもそも、なんでオレ様が死にそうだとあいつらが泣くんだろう。

     もしかして、オレ様が死ぬと、あいつらは悲しむのか。

     そう思うと、納得がいった。たとえ、それがオレ様の思い込みでも。
     あいつら、オレ様に死んでほしくなくてあんな顔してたんじゃないだろうか。オレ様はもうすっかり忘れてたけど、死って、もう会えなくなるんだよな。なかったことにもならないんだ。
     胸がひときわ大きく、ズキリと痛んだ。オレ様も悲しいのか。わからない。でも、ここに来てようやくオレ様は死を意識した。
     もうチビには会えない。もう四季にも会えない。もうらーめん屋にもあえない。覇王にも、下僕にも、あいつらにも、親父にも。
     頭もズキズキと痛みだしてきた。それって多分悲しいことなんだ。オレ様があいつらに会えなくなるように、あいつらもオレ様に会えなくなるんだ。
     あいつらのあの表情の意味がわかった気がした。目の前でオレ様に死なれたと泣く四季のぐしゃぐしゃの顔。震える手でオレ様の体を支えていたチビの泣きそうな顔。らーめん屋の何かに耐えるみたいな見たことのない顔。
     全部全部、なかったことなった、なかったことにしてきたあいつらの表情。
     事実だけがハッキリしていて、実感は薄い。それでも胸が痛む。胸だけじゃない、頭も痛い。背中も痛い。足も痛い。
     これが死ぬってことなのか。
     目を閉じた覚えはないのに、意識がぷつりと途切れた。


     開くはずのない目が開いた。真っ白な天井。ここはどこだろう。あの世ってやつか。なにやらずいぶんとふかふかしたものに横たえられている。
     ああ、全身が痛い。死んだ後もこんな痛みが続くなんて聞いてない。そう思って死後の世界とやらを見渡してみる。首を右に捻ると間近にチビの姿があった。
    「……は?」
     なんで、チビが。オレ様は死んだんじゃなかったのか。
    改めて首を捻る。オレ様は真っ白なベッドに横になっているようで、そのベッドの横の椅子に腰掛けてチビが本を読んでいた。
    「おーいタケル、飲み物を買ってきたぞ」
     らーめん屋の声まで聞こえる。なんだか、呑気な声。チビが向いたほうを見てみれば、ドアを開けてらーめん屋が入ってくるところだった。
     この風景、なんか見覚えある。撮影で見た。病院だ、たぶん。改めて自分の姿を見てみる。
     見慣れない服。ぐるぐる巻かれた包帯。痛む体。
    「…………生きてる?」
     思わず声に出してしまった。
     もしかしなくても、オレ様は生きてるのか。
    「……っ! おい! オマエ!」
     チビがすごい剣幕で振り返る。らーめん屋がドタドタと駆け寄ってくる。
    「漣! 目を覚ましたのか!」
    「…………よかった……」
     そうして、チビもらーめん屋も、オレ様を見て安心したように笑った。
     なんだこれ。オレ様は死ななかったのか。
     そうか、死ぬほどの怪我じゃなかったのか。死んでないから、なかったことにもならなかった。単純な話だ。
    「……しばらく安静にしてれば、問題ないって……」
     さっきかららーめん屋が説明を続けている。話を聞くに、どうやらオレ様はビックリするほどピンピンしているらしい。詳しい検査はこれからだが、怪我の具合は良好。数週間もせずに退院できそう。などなど。
    「ああ、しゃべりすぎたな。一気にすまん…………なぁ、漣」
     一通り説明し終えたのか、らーめん屋が言う。少しの沈黙のあと、名前を呼ばれ、手を握られた。
    「……タケルを守ってくれてありがとうな。でも、もうあんな無茶はしないでくれ」
     苦しそうな表情だった。傷つけてしまったのだろうか。わからない。でも、わかることがある。らーめん屋はオレ様が怪我して、悲しいんだ。
    「…………オマエ」
    チビが口を開く。チビもいつもとは違う顔をしていた。魚の骨が喉に刺さってるような、そんな顔。
    「……すまなかった」
    「別に、オレ様が勝手にやったことだろ」
    「それでもだ……そんで、礼。言わなきゃって思うけど、言いたくない。……あんなことされても、嬉しくなんてない」
    「あんなことってなんだよ」
    「あんなことはあんなことだろう! 頼んでなんてない。なんであんな……下手したら大怪我じゃすまなかったんだぞ!」
    「じゃあ黙って見過ごせってのか! ってか! 別にチビのこととか考えてやったんじゃねーし! 反射っていうか……気まぐれだ!」
    「どうどう! 二人とも落ち着け」
     つい、言い争いになってしまう。らーめん屋に止められる。いつもの会話だ。生きてたからこそできる、会話。
    「タケルは心配したんだよな」
    「……心配?」
    「……当たり前だろ。心配する。あんな、あんなこと、されたら……怪我、されたら……」
     そういってチビが俯く。心配。そうか、心配してたのか。そう思うと、ずっとよくわからなかったことが、するするとわかっていくような気がした。
     チビが口うるさく声をかけてきたのも、四季がオレ様を探しにきたのも、らーめん屋が家に泊めたりしてきたのも、下僕が寮で寝泊まりしろってあれほど言ってきたのも。
     死にかけたときに見た、チビの、らーめん屋の、四季の、あの顔も。
     みんな、オレ様のことを心配してたのか。
     そう思うと、なんだかそわそわした。でもイヤな感じじゃなくて、なんだろう、胸がきゅってなる。
    「……心配してたのか」
    「当たり前だ」
    「そうだ。師匠も、プロダクションのみんなも、ファンの人たちも、みんな漣のこと心配してる」
     だから、早く元気になってくれよ。らーめん屋がそう笑う。
     そうか、オレ様は心配されてたのか。
    「ふん、オレ様は最強大天才だからな! こんな怪我なんて楽勝なんだよ!」
     大声を出したら少し背中が痛んだ。それでも、それすらなんだか愉快で声を出して笑った。
     オレ様は、生きてた。


     関係ないけど、このあと下僕が四季を連れてきたせいで、めちゃくちゃにやかましかった。


    ***


    後日談


    「漣っち! これはこっちでいいっすか?」
    「ああ? なに勝手に持ってきてんだよ。いらねーって言っただろ」
    「カラーボックス、できたぞ」
    「何、いれるんだ?」
    「台本とかちょうどいいだろう? しかし、漣は台本をちゃんと取っといてたんだな」
     チビとらーめん屋と会話していた四季だが、目が合うと大きいクマをぶんぶんをふってこちらに見せてくる
     引っ越し祝いだと言って四季が持ってきたクマはちょっと引くほどデカい。現に、四季はそのクマを片手で持てていないし、両手でがっしりと抑えたクマは、四季の体を半分以上隠していた。
     あのあと退院してすぐに、物置にしていた寮の部屋を片付けることにした。片付けと言っても、寝泊まりができるように最低限の家具と寝具を運び入れた。それだけだ。
     それだけなのにみんな嬉しそうだった。事務所の大人連中はなにやらいろんなものをくれたし、年の近い連中は絶対に遊びに行くから、と楽しそうにしていた。下僕に至っては泣くほど喜んでいて、少しビックリした。
     チビは何を思ったのか、手伝うとまで言い出した。その場にいたらーめん屋も手伝うと言い出したので、断るのもめんどくさくなって承諾した。当日になってみたら何故か四季も来てた。全員が全員、楽しそうで嬉しそうだった。何が楽しいのかはさっぱりだったけど、悪い気分ではなかった。
     くだらねー。事務所で合流したチビ達を見ながら呟いた時、下僕が言ってた。みんな漣のことが心配なんだよ、って。
     そうか。みんな、心配してたのか。
     病院で聞いたらーめん屋の言葉を思い出す。心配。そうなのか。
     オレ様が怪我したり、外で寝泊まりするの、心配するんだな。そう思った。
     別に、それが理由ではないけど、退院してしばらくは寮にいてやろうと思った。まだ少し体が痛いし、包帯を取り替えるのに外だと都合が悪いだろうし。背中の薬、一人じゃ塗りにくいし。
     それで下僕とか、らーめん屋とか、四季とかチビとか、他のやつらがちょっと嬉しそうなら、悪くないかなって思った。それだけだ。


     多分、オレ様は少ししか変わらない。今はまだ、包帯を変える度にアイツらの泣きそうな顔を思い出して、寮で寝泊まりしたりする。
     でもいつか怪我が完全に治ったらまた外で寝泊まりするようになるのかもしれない。先のことはわからない。

     ただ、少しは変わる。ここ数回の死は頻度も相まって、それなりに変化ってのをしてる気がする。

     なるべく忘れないようにしようと思う。なかったことになった、死の直前に見たアイツらの表情。
     オレ様は死なないけど、死んだら悲しむやつらがいるってこと。死なないからって、死んでいいわけじゃないこと。
     死ぬとか死なないとか、そんなおおごとじゃなくても、なんだか心配されたりしてること。
     そしてそれが、悪い気分じゃないこと。
    「漣、これはこっちでいいのか?」
     らーめん屋のほうを見ると、布団の上にあのクマがのっかっていた。デカすぎて布団からはみ出ている。
    「ふざけんな。オレ様が寝らんねーだろ」
    「えー! ここでいいんすよ! ここがベストポジションっす!」
     四季がばふばふとクマを叩いてる。
    「一緒に寝るのがいいんすよ!」
    「いいんじゃないか? すごくもふもふしてるし、ふわふわだ」
    「タケルっちは話がわかるっすね! タケルっちもくまっち、いるっすか?」
    「いいのか? ……いや、悪いだろ」
    「いーんすよ! くまっちの良さはみーんなに広めたいっすから!」
    「クマがほしいならそのクマ持ってけよ、チビ」
    「オマエ、四季さんがせっかくくれたのに、その態度はなんだ」
    「いらねーから言ってんだよ。オレ様に文句あんのか」
    「漣っちもタケルっちも! ケンカはダメっすよ!」
    「はっはっは、仕事を取られたな」
     いつも通り、チビと言い合いになる。らーめん屋じゃなくて、四季に止められる。らーめん屋が笑ってる。
    「つーか、コイツのせいだろ」
     会話は続く。日々は続く。日常が続く。



     何度死んでもわかんなかったことが、ようやくわかりはじめたような気がした。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works