面影 その2 瘴奸の看病の成果か、皆の体調は快方に向かっていた。ところが安堵も束の間で、今度は瘴奸が倒れた。
誰より元気そうに振る舞っていた瘴奸だったが、粥を作っている最中に急にその場にへたりこんだという。手伝いをしていた白骨がそれを見つけて、大慌てで広間に運び込んだ。
「嘘だろ……」
腐乱が思わず声を漏らした。殺しても死なないと思っていた瘴奸が病で倒れて素直に驚いていた。
「大丈夫かよお頭」
既に回復していた郎党たちが寄ってくる。瘴奸の体は熱を帯び、虚な目は潤んでいた。
「ただの寝不足だ」
瘴奸はそう言い張って立ち上がろうとする。弱味を見せたくないのか強がる瘴奸に、皆が対応に困った。迂闊に手を出せば殴られそうだが、かといって無理をさせてはならないと皆が及び腰になる。
すると死蝋が瘴奸の腕を掴まえて止めた。
「寝てろよ」
死蝋の声は低く落ち着いていて、瘴奸は驚いたように目を細めた。数日前まで臥せっていた死蝋だが、今朝には熱も下がり、腐乱に揶揄われながらも他の郎党たちの世話をしていた。
ところが瘴奸は嫌がるように死蝋から逃げようとした。
「ガキの世話になんてなるか」
虚勢を張る瘴奸だったが、死蝋に腕を掴まれたまま寝所へと引き摺っていかれた。死蝋は瘴奸を布団に転がすと得意気に笑う。
「寝るのは得意だろ」
死蝋はそう言い残して、炊事場へと向かった。死蝋が妙に張り切っているのは、瘴奸の看病をするのは自分しかいないと思ったからだった。
しかし、その瘴奸に病をうつしたのは間違いなく死蝋である。病で気が弱くなった死蝋が瘴奸から離れなかったからだ。
けれども死蝋はそんなことなど気にも止めず、瘴奸が作りかけていた粥を仕上げた。大鍋は白骨に広間へと運ぶように言いつけて、死蝋は瘴奸に取り分けたものを寝所へと運んだ。
「……見た目は粥だな」
瘴奸は死蝋の持ってきた粥を見てぽつりと言った。
「見た目もなにも、これは粥ですよ」
俺だって粥くらい作れると死蝋は息巻き、匙で粥をすくった。湯気を上げるそれを死蝋は息を吹いて冷ますと瘴奸の口元に持っていく。瘴奸は渋い顔をしながらも受け入れた。
一口すすった後、瘴奸はぽつりと呟いた。
「……まずい」
「張り倒しますよ」
「塩っぱいんだよ」
病で味覚が馬鹿になっていても感じる塩味に、瘴奸は恐ろしくなってきた。ほとんど出来上がっていたはずの粥にどれほど塩をいれたのか。瘴奸は呆れたがそれ以上は文句を言わずに粥を腹に流し込む。死蝋はその様子を笑顔で見つめていた。
瘴奸が寝たことを見届けた死蝋は広間へと向かった。瘴奸が倒れた今、この征蟻党を預かるのは死蝋である。さて皆の様子はどうかと広間に入ると、途端に死蝋は罵声を浴びた。粥の味についての文句が矢のように飛んでくる。なるほど皆元気になってきたのだと死蝋は頷き、手加減なく暴力を振るって皆を静かに寝かしつけた。
その日の夜。死蝋は再び瘴奸の寝所にいた。
瘴奸は熱が上がってきたせいか、浅い眠りを繰り返していた。苦悶に歪んだ顔に浮かぶ汗を死蝋は袖で拭う。普段は見せない瘴奸の弱った姿に、死蝋は憐憫とも愛情ともつかない感情を抱いていた。
死蝋が瘴奸に拾われた頃、幼かったためかよく風邪をひいた。食べるものも碌になく、暖かな家があるわけでもない。そんな環境のせいか季節の変わり目には決まって病にかかった。
ところが、そんなときばかりは妙に瘴奸が優しかった。大きな手が熱を見るために顔に触れた感触を、死蝋は今でも覚えている。甘えることを許されたようで、病の時だけは瘴奸の懐で眠っていた。
瘴奸の瞼が薄く開いた。何回か瞬きしたあとで、何かを探すように視線が彷徨う。すると掠れた声が死蝋を呼んだ。
「死蝋……どこ行った……」
寝返りを打ちながら、探すように瘴奸が手を伸ばす。桶の水を変えようと立ち上がりかけていた死蝋は桶を放り出して瘴奸の手を取った。いつもより熱い手を死蝋は撫でる。
「いるよ」
すると瘴奸の眉間がわずかに緩む。瘴奸の目が死蝋を見た。
「なんだその顔……ガキかお前は」
安心したように呟かれた言葉に、死蝋はそのまま手を離さなかった。
思えば幼い死蝋が風邪をひいたとき、その少しあとで瘴奸も風邪をひいていた。しかしそれを幼い死蝋には見せまいとしていたためか、瘴奸が寝込んだ姿を見たことがなかった。だから瘴奸が倒れたことや、大人しく看病されている姿に、死蝋の成長と共に瘴奸も歳をとったのだという、当然といえば当然のことに衝撃を受けていた。
やがて瘴奸は再び目を閉じた。呼吸が落ち着いたのを見計らって死蝋は呟く。
「俺がずっとそばにいるから」
眠りに落ちていた瘴奸は何も返さなかった。たとえその言葉を聞いたとしても、何の言葉の返さなかったかもしれない。二人にしかわからない距離や呼吸が確かにあった。
死蝋はしばらく瘴奸の寝顔を見つめてから、布団の端を引き寄せ、瘴奸の肩にかけ直した。静かな夜は幼い頃の二人だけの生活を思い起こさせる。いい思い出しか思い浮かばないことに、死蝋は苦笑した。
そしてそんな二人の様子を、戸の隙間から見ている二つの影があった。
「まるで親子だな」
白骨は満面の笑みを浮かべているが、腐乱は肩をすくめた。
「……親子っていうより、ありゃ嫁だろ」
やることやってんだしよ、と腐乱は続けるが、白骨が真顔で「命が惜しいならそれ以上は」と首を横に振った。