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    85_yako_p

    カプ入り乱れの雑多です。
    昔の話は解釈違いも記念にあげてます。
    作品全部に捏造があると思ってください。

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    85_yako_p

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    なっぱっぱさんとの鋭百合同誌の再録です。(2022/5月)
    お題になった頭文字はPです。ファンタジー

    ##web再録
    ##鋭百

    Plethora 世界にはたったひとつ、目に見える愛がある。

    ***

    「牙崎くんの髪って、地毛?」
    「……あ?」
     事務所には髪の色素が薄い人が何人かいるけれど、もしも僕とおなじ人がいるとしたらそれは牙崎くんだけだと思ったからこんな質問をした。よく考えたら失礼な質問だったけど、怒られてもいいって思ってた。
     僕の言葉を聞いた牙崎くんは、猫のように周囲を見渡してつまらなそうに口をへの字に結ぶ。ここにはアマミネくんもマユミくんもぴぃちゃんもいないし、僕は牙崎くんにいくつかの和菓子を差し出して、こうして事務所のソファで向かい合っている。それに名前まで呼んでいるんだから、この言葉の向かう先は牙崎くん以外にはないってことは理解してもらえているはずだ。
     牙崎くんは僕があげたおまんじゅうを食べながら気のない返事を返す。牙崎くんが僕に意識を向けるのは珍しいことだから、買ってきた和菓子にはちゃんと意味はあったみたいだ。僕は自分用にひとつだけ買ってきた塩大福を手持ち無沙汰につまみあげて、逡巡の後にまた置いた。指先が粉まみれになって、なんだかいやにさらさらとする。
     食べたんだから反応してくれると思ったけれど、牙崎くんが食べ終わるまで返答はないようだ。なんとなく見つめていることができなくて、今度こそ塩大福に視線を落とし、持ち上げ、囓る。僕が塩大福を半分くらい食べ終えたあたりで、牙崎くんはあんなにたくさん買ってきた和菓子を全部食べ終えていた。彼は指先の粉を行儀悪く舐めていて、僕にはほんの少しも興味がないとわかる。
     僕は質問を重ねなかった。怒られてもいいと思っていたけれど、何も返ってこなくてもよかった。ただ、ぼんやり、この人が僕と同じなのかを考えて、そうであっても、そうでなくても、僕にはなんの慰めにもならないことを頭のどこかで理解していた。
     本当は、「牙崎くんって愛されてないの?」って聞くべきだったのかもしれない。
     流石にそれは失礼すぎて口には出来なかったんだけど、牙崎くんの髪が色素の薄い銀色だったから、僕は少しだけ考えてしまったんだ。
     もしかしたら牙崎くんも、愛されなくて不足している人かもしれない。僕と一緒の病気に、彼も罹っているかもしれないって。

     心因性色素変貌症
     ──誰かに愛されると、髪の色が濃くなっていく症状。

     僕が当たり前に患っている症例には『心因性色素変貌症』という名前がついている。
     心因性色素変貌症は生まれつきの病気で、抱えている人はそれなりに多い。でも大抵の人は愛されて生まれてくるから、大抵の人は死の間際まで自分が心因性色素変貌症だとは気がつかない。愛を失って、色素が落ちて、初めて理解する。そういう悲しい病が僕を蝕んでいる。
     牙崎くんは食べ終えたらすぐに退屈そうな目つきになった。それでも彼は僕を見た。射貫くような瞳を一瞬だけ気怠げに伏せて、本当に眠そうな声で「知らねーよ」とだけ口にした。
    「……生まれた時から、ずっと銀色?」
    「そーだけど」
    「そっか」
    「……髪の色なんざ、変わったことねぇよ」
     つまり、僕と牙崎くんは違うってことだ。──あるいは、牙崎くんは愛されたことがないのかもしれない。
     きれいな髪だと思う。これが愛されていない証明だとしたら、きっと彼は愛されていないほうがきれいだ。そういう、冷たい色をしていた。
     でも、生まれた時から今日まで愛されていない人間はいないと思う。僕みたいな人間ですら、昔は当たり前のように愛されていたみたいに、きっと彼だって愛されてここにいるんだろう。
     牙崎くんは立ち去ることも眠ることもせず、ただじっと僕を見ていた。僕にはもう聞きたいことも差し出せる物もない。両手をあげて、手のひらを見せた。
    「……おしまい」
     へら、と自分が笑うのがわかった。牙崎くんは最後まで瞳に興味を浮かべることもなく、その蜂蜜色をそっと閉じる。目の前で眠りだした牙崎くんを数分くらい眺めていたけれど、なんの言葉も浮かんでこない。
     きらきら、銀色の髪が輝いている。なんだか羨ましくて、少しだけ暴力的な気持ちになった。
     レッスンまであと少し。僕は散らかったゴミを捨てるために立ち上がる。セロファンを拾い集める指先から、ぱらぱらと舞った粉がテーブルを汚していった。

    ***

     鏡に映る自分に違和感を持たなくなったのはいつからだろう。見慣れてしまった薄黄緑色の髪をブラシで梳かしながら、ぼんやりと考える。
     昔、僕の髪の色はもっと深い緑色をしていた。生まれた時からしばらくはお母さんが僕を愛してくれていたから、僕はお母さんと同じ髪の色をしていた。まるで椿の葉のような鮮やかで深い緑色。僕の髪が愛を受けて染まっているかなんて──僕が同じ病に侵されているかなんてわかりもしないのに、お母さんは僕の髪を撫でながら「このきれいな深緑の髪は、お母さんの愛の証明なのよ」と言って笑っていたっけ。
     心因性色素変貌症は、発病に気がつかない人の方が多い。愛される価値のある人間は一生知らなくていいことなのに、愛される価値がなければ、才能がなければ、生きる価値がなければ、それは冷たい事実となって、呆気なく喉元に突きつけられてしまう。
     僕が事実に気がついたのは中学生の時だった。お母さんが僕に才能はないと気がつき始めた頃なんだろう。
     いまでもあの日を思い出すと呼吸が浅くなる。砂みたいに干涸らびた髪の色に、お母さんの言葉が降り積もっていく。そうだ、あの深緑は愛の形だとお母さんは言っていた。それなら、この枯れていく髪の色は目減りしていく愛の証明だ。
     誰にも知られたくなかったんじゃなくて、どうしても認めたくなくて目を背けた。友達にも、先生にも、お母さんにも言えないまま、僕は泣いて、泣いて、吐きそうになりながら、裁縫箱の蓋を開いた。手のひらよりも大きな裁ち切りバサミを手にとって、自分の髪を切り落としていく。指先に毛束がちぎれていく感触が伝わって、嘲笑うように床一杯に枯れ葉のような髪が散っていった。手元が狂って傷つけた皮膚からは血が滲んでいたけれど、どうしても鏡を見ることができなかった。
    「……どうして、っ、どうして、なんで、」
     なんで、なんてわかりきっている。
    「どうして……なんで僕は……一番になれないの……?」
     才能が、ないから。
     わかっていても嗚咽が止まらない。
    「いやだ……いやだよ、お母さん……」
     どれくらいの時間泣いていたんだろう。電気もつけずにうずくまっていたら、いつの間にか帰ってきていたお母さんが僕を見て、一言だけ吐き捨てた。
    「ああ、やっぱり」
     疑問はなかった。ひゅ、と喉が鳴った。遠ざかった足音がもう一度近づいてきて、僕の頭に何かが触れた。それは、お母さんの手のひらじゃなかった。
    「みっともないから、それつけてなさいね」
     僕の頭に乗っかっていたのはウィッグだった。深い深い、美しい緑色だった。こんなものを作っていたんだから、きっとあの人にも自分が息子を愛せなくなってきたことがわかっていたんだと思う。僕には才能がないって、気がつきはじめたんだろう。
     それでもお母さんは変わらずに僕が一等賞を取れるように応援してくれた。言葉はもうひとつももらえなかったけど、食事も、洋服も、居場所だって与えてくれた。ただどうしようもなく僕の髪の色は薄いままで、僕はずっとウィッグをつけて中学校に通っていた。卒業アルバムに貼りついた僕は、深い緑色の髪で微笑んでいる。


     高校に行ってウィッグを取った。高校デビューの皮を被って、僕はこの惨めな髪の色で生きていくことを決めた。
     中学生からの友達には明るく染めたと嘘を吐いた。「あの色、よかったのに」と残念がる声に、胸がぐちゃ、って歪むのがわかったけれど、どうしようもない。
     ウィッグのおかげで僕の変化は誰も知らない。高校デビューを疑われないように少しだけ悪い子になった。制服を着崩して、宿題をこまめにサボって、意図的に遅刻も増やした。だらしのない素行の悪い生徒でいるのは楽だった。先生はいろいろと僕にお小言を言ったけど、お母さんは別になにも言わない。
     友達の自撮りに映るたびに、女子から髪の色を褒められるたびに、もうかぶらなくなったウィッグを見るたびに、鏡の中でへらへらと笑う自分を見るたびに、何かが軋んでいくような気がしていた。この溶けて消えちゃいそうな色を見ると、もうあの人からの愛情は完全になくなってしまったんだって、心臓が潰れちゃうくらい理解できたから。
     それでも希望が捨てられなかった。もしかしたら、一番になれば、才能が見つかれば、愛される価値があれば、また僕の髪の色はお母さんと同じになるんじゃないか、なんて。
     思ってたんだ。『さようなら』を、聞くまでは。


     アイドルになってから見た目を褒められることが増えた。当たり前みたいに、この欠乏症の髪が褒められる。
     きれいな、小鳥の羽のような色。若葉を溶かした光の色。みんなが笑うから、これでいいんだと思う。

    ***

     変化は徐々に薄黄緑を侵食していった。僕の髪が、うっすらと鮮やかな緑に色づいていた。
     混乱して息がもつれる。あの日みたいに吐きそうになって衝動的に裁縫箱を探したけれど、見つからなかったおかげでみっともない髪になるのだけは避けられた。鏡を見ながら、呆然としてしまう。髪の根元はじわじわと、毒が蝕むように深緑に染まっていた。
    「……どうして?」
     もうお母さんは僕のことなんて愛していない。なら、誰が僕なんかを愛しているんだろう。アマミネくん、マユミくん、ぴぃちゃん、それに、ファンのみんな。だれもかれも僕を愛しているとは思えなくて、なんだか広いショッピングモールで迷子になったみたいになる。案内板もあるし、人もいる。それなのに、絶対的な孤独が僕の胸にひやりと押し付けられているような感覚に目眩がした。
     ウィッグを作らないと。全部隠してしまわないと。
     震える手でぴぃちゃんに電話をした。コール音が鳴る。ひとつ、ふたつ、みっつ。
     ふと気がついて、ぴぃちゃんが出る前に電話を切った。そうだ、また染めちゃえばいいんだ。嘘が本当になるだけだ。違う、あの日々が嘘なんだ。愛されない、こっちの僕が本物だ。
     帽子をかぶってドラッグストアに行った。近い色があるか不安だったけれど、美容院には行けなかった。こんな姿は、誰にも見せられない。
     たくさんならんだヘアカラーとにらめっこしていたら着信があった。ぴぃちゃんだ。僕はぴぃちゃんの声が大好きだけど、いまはちょっと聞きたくなかった。それでも無視するわけにもいかないから、電話に出る。
    「ぴぃちゃん? どうしたの?」
    「百々人さんですか? いえ、着信があったので……」
     忘れてた。そういえば、さっきまで僕はこの人を頼りたかったんだっけ。
     たいしたことないよ、と笑う。他愛のない話をして電話を切る。ぴぃちゃんは、僕が髪を染めたら気がついてくれるんだろうか。気がついたら褒めてくれるのかな。叱ってくれるのかな。どっちでもいいくせに、そんなことを考えた。


     髪を染めたのかと聞いてきたのはマユミくんだけだった。もっとも、ぴぃちゃんは僕に「髪型や髪の色を変えたくなったら教えてくださいね。お仕事との兼ね合いもあるので」と言ってきたから、もしかしたらぴぃちゃんにもバレているのかもしれない。
    「染めてないよ?」
     ぴぃちゃんが言及してこないなら、なかったことにしちゃえ。そう結論づけて嘘を吐けば、マユミくんは少しだけ訝しげに「そうか」と呟いた。
     そうやって、日々を過ごした。髪はずっと染め続けている。きっと、いつかまた髪色は薄くなる。この愛が離れていくのを誰にも、僕自身にも見られたくなかっただけだ。

    ***

     アップルパイフェアのお仕事で、余ったリンゴをたくさんもらった。自分でも不思議なんだけど、真っ先に浮かんだのはぴぃちゃんじゃなくてマユミくんだった。
     マユミくんはきっとリンゴが好き。でも、僕からリンゴをもらったらお返しとか色々悩んじゃうかもしれない。あれこれ考えながら給湯室に入ったら、コーヒーをいれているマユミくんがいた。
    「百々人か。百々人も何か飲むか?」
    「あ、ううん。大丈夫。ありがと。……ねぇ、マユミくんさ、リンゴがあるんだけど、食べない?」
     リンゴを配りにきたのに、ここでマユミくんにリンゴを渡さないのも変だろう。好きだよね、と言おうか迷ったのは、なんだか勝手に観察しているみたいで気味悪がられたりしないかが心配だったからだ。そんな僕のぐるぐるとした感情に気がつかず、マユミくんは少しだけ嬉しそうにリンゴを手に取った。
    「ありがとう。おいしそうだな」
    「ほんと? よかった。お仕事でアップルパイのフェアに行ったんだけど、そのときにもらったんだ」
    「そうか。そういえばその頃は全員バラバラの仕事だったな。どうだった?」
    「楽しかったよ。でも今度は三人一緒がいいな。アップルパイ、おいしかったから二人にも食べてほしかったなぁ」
     食べたかったな。そうマユミくんが呟いた。
    「……マユミくんがよければ、さ。今度はお仕事じゃなくてお客さんとして一緒に行かない?」
     三人で、と言いそびれたのはどうしてだろう。
    「……なぜだろうな」
    「え?」
     いつもは正しいマユミくんが、その間違いを正さなかったのはなんでだろう。
    「秀を置いて……ふたりきりでと、一瞬だけ考えた」
     マユミくんは喉に何かがつっかえたような顔をした。そうして、僕に背を向けてしまう。
    「……忘れてくれ。リンゴ、ありがとう」
     見慣れないマユミくんの背中と、初めて見る朱色に染まった耳。遠ざかる足音を見送って、一呼吸置いて鼓動が大きく鳴った。
    「……キミなの?」
     無意識に、秘密を隠した髪に触れていた。僕のこの髪が彼からの無自覚な愛で新緑に染まっていたとしたら。マユミくんが、もしも僕を愛してくれるなら。こんな些細なやりとりで、こんなことを思うなんて馬鹿みたいだとわかっていても情けないほどに気持ちが止められない。。
     マユミくんに愛してもらえるのだとしたら。
     そうだとしたら嬉しいと、そう思ってしまった。
     怖いと思った。失う瞬間を考えて、裁ち切りバサミの鈍く光る銀色を思い出して目が眩む。それでも、それなのに。
     給湯室に立ちこめたリンゴの甘い香りが僕の脳をぐらぐらと揺らしていた。


     髪を染めるのをやめた。愛も病気も打ち明ける勇気が無くて、無理を言ってぴぃちゃんに用意してもらったウィッグをつけて日々を流した。
     きっとまた泣きたくなるってわかっていても、この髪がいつまで愛を歌うのかが知りたかった。泣いたってよかった。薄くなる髪色を見ながら、こんなのよくあることなんだってシニカルに嘆いて、あの過去も当たり前にしてしまえたら。
     愛されたかった。傷つきたかった。おんなじくらい、僕は切実に望んでいた。

    ***

     マユミくんと一緒に事務所に向かう途中、偶然お母さんを見かけた。
     なんの感情も持てなかった僕は薄情だ。道路の向こうで背筋を伸ばして歩くお母さんの髪色は、惨めなくらいに痩せ細り薄くなっていた。
     家庭科の授業でフライパンに流し入れたサラダ油に似たどろりとした色だった。あの人も僕とおんなじなんだ。もう、彼女は誰の愛も持っていない。
     ああ、僕はもう、あの人を愛することをやめてしまっているんだ。
     お母さんが僕を見捨てたみたいに、僕がもうお母さんを愛していないように、人はこんなにも呆気なく誰かから興味を失くす。
     涙なんてひとつもでないくせに、喉が渇いて呼吸がひりついた。僕の髪を深い緑に染め上げている人だって、いつか僕から離れていくんだろう。
     それでも、僕は。
    「……百々人、どうかしたか?」
     淀んだ頭に、ハッキリとした声が聞こえた。この人の愛が僕から離れても、この愛がこの人からのものじゃなくても、僕はまだ願っていたい。
    「うん……なんでもないよ。平気」
     僕はマユミくんと並んで歩く。当たり前になった距離で、少しだけ自惚れていたいなって思う。
    「……マユミくん」
    「ん? どうした?」
    「今度、僕の家に遊びにきてくれないかな。……マユミくんだけに、言いたいことがあるんだ」
    「わかった。百々人の家に行くのは初めてだな」
     楽しみだ、とマユミくんは口にした。ふたりきりってわかっているはずなのに、マユミくんの耳が赤く染まることはなかった。

    ***

     おかしと、麦茶。
     マユミくんの家でいただく銘柄がわからない紅茶に比べたら情けないほど質素だし、アマミネくんの家みたいにおばあちゃんが煮出してくれた麦茶と違って市販品のペットボトルは素っ気ない。
     それでもマユミくんはいつも通りにまっすぐに背筋を伸ばして、僕の部屋でスナック菓子を口にしていた。いつもはシアタールームでソファーに腰掛けているマユミくんが、僕と並んでベッドにもたれかかっているのはなんだか不思議な感じがする。
     静かな時間がしばらくあった。僕が雑談もなにもせずに黙っていたからだろう。マユミくんがいつも通りのハッキリとした声で問い掛けてくる。
    「……話とはなんだ? 百々人」
     その声がうんと優しいから、僕はどこまで打ち明けていいのか揺らいでしまう。
     全部を言うつもりで、全部をキミから暴きたくてここにいるのに、いまさらこの関係を壊すのが怖くなってしまう。
    「……えっと、あのね……」
     泣けなんてしないくせに嗚咽に似た衝動が喉を塞ぐ。俯いていたら、マユミくんの手が僕の手に重ねられた。
    「怖がることはない」
     こんなにしっかりとしたマユミくんの手は、案外僕と変わらない大きさをしていた。
    「言いたくないなら無理に言わなくていい。だが、言いたいことがあって呼んだんだろう? ……不安があるなら、俺はその不安を取り除きたい」
     硬くて、鋭くて、やさしい声だ。信じていたいって思った。愛も、情も、なくてもいい。きっとこの人は、僕の自惚れに呆れたって僕から居場所を奪ったりしない。
     この人を信じるって、そう決めたのは僕だ。
    「……僕は、嘘を吐いてるんだ」
     覚悟を決めてウィッグを取る。雪を湛えた椿の葉のような、鮮やかな緑色が這い出てきた。
    「僕は心因性色素変貌症なんだ。知ってる? 愛されると髪の色が濃くなる病気」
    「……そうなのか」
     マユミくんは少しだけ間を置いて返事をした。愛されていると知るためには、愛のない状態を知らなければならない。僕が心因性色素変貌症を患っていると知っているのなら、それは僕から愛が離れたことがあるということだ。
     それをマユミくんはどう捉えたんだろう。考え込んでいるマユミくんに、ただ事実だけを伝えた。
    「僕ね、中学くらいから誰にも愛されてなかったの。だから、ずっと髪の色が薄かったんだ」
     言ってしまった。震えた声を責めることもせず、マユミくんが僕の手をそっと握る。マユミくんは何も言わなかったけれど、僕が話し終わるまで待っていてくれている。
    「……昔は髪の色が濃かったんだ。お母さんがまだ僕のことを愛してたから。でももうお母さんはいないからダメなはずなんだ。こんなふうに深く染まるわけがない」
    「……百々人の母親は、」
     いないのか、と聞かれる前に、諦めたような声が出た。
    「いるよ。生きてる……っていうのかな。いるけど、いない。もう帰ってこない。あの人は僕のことなんて、どうでもいいって思ってる」
    「だが、その髪色は」
    「あの人じゃない」
     ぴしゃりとマユミくんの言葉を遮った。笑おうとしたけど、ほっぺたがひきつっているのが自分でもわかる。
    「見放されたの。……それでいいと思ってる。仕方ないって思うから」
     それでいい。仕方ない。全部本当だ。それに僕は薄情だから、いまはあの人からの愛よりも、目の前のこの人に愛されたいと願っている。
    「……リンゴを渡した日のこと、覚えてる?」
     覚えてないって言われたら、僕はどうするつもりだったんだろう。忘れないでいてほしい。あの日のことは僕たちにとって、特別な時間だったと自惚れていたかった。
    「……覚えている」
     なら、教えて欲しい。見つめてほしい。キミがあの日、何を思ったのか。
    「忘れてくれってマユミくんは言ったよね。でも、僕はずっと覚えてるんだ。あの声も、キミが知らない、真っ赤に染まったキミの耳も」
     今度は僕からマユミくんの手を取った。願うように両手でその手を包み込んで、祈るように僕の額に当てる。マユミくんの呼吸がうっすらと伝わってきた。
    「キミが僕のことを好きなら……愛してくれるなら、僕はうれしい……」
     お願い、望ませて。ぐちゃぐちゃの欲望を吐露する声が涙で滲んでいく。
    「髪が染まるの。ねぇ、君が好きだよ。マユミくんが僕を好きならとっても嬉しいんだ。この愛がキミからのものなら、僕は、……ぼくは……」
     キミが好きだから、僕のことを好きになってほしい。本能みたいな感情がどんどん嗚咽にすりかわっていく。お母さんにも言えなかったことが、マユミくん相手なら言えた。
    「……ぼくは、きみがすき。ねぇ……きみは……?」
    「……俺は、百々人の事が好きなんだろうな」
    「え……?」
     ゆっくりと手が解けていく。離れていく熱を埋めるように抱きしめられた。すまない、と一言呟いて、マユミくんは喋りだす。
    「俺は自分自身の感情に疎い……自分のことがよくわからないんだ。だからこんな蒙昧な言い方になってしまうが、俺は百々人の事が好きなんだと思う」
     それはマユミくんに似合わないふわふわとした言葉だった。どんな表情をしているのかが知りたいのに、抱きしめられているとマユミくんの顔がよく見えない。
    「百々人を好きだと思うと、自分自身の気持ちに合点がいく。……俺は百々人が笑うと特別にうれしいんだ。愛と呼ぶなら、それは百々人、お前がいい」
    「……うん」
     目の前の、マユミくんの肩越しに見る世界が涙でぼやけてまぼろしみたいになっていく。
    「打ち明けてくれてありがとう。……気がつかせてくれて、ありがとう」
     マユミくんに頭を撫でてもらったら、いままでの気持ちが全部流れ出してしまった。誰かに抱きしめてほしかった。お母さんに愛してもらえなくて寂しかった。愛の不在を証明する髪が大嫌いだった。髪が染まったとき、情けないくらいに望みを抱いた。給湯室で恋を見つけた。キミに愛されたいと、僕は僕が思う以上に焦がれていたんだ。
     マユミくんの肩に顔をうずめて、マユミくんの洋服がぐしゃぐしゃに濡れるまで声をあげて泣いた。マユミくんはずっと僕を抱きしめながら、何も言わずにそばにいてくれた。


    「ぴぃちゃんにも、ちゃんと言わないといけないよね……」
     飽きるほど泣いたらすっきりして、ちょっと冷静になった。いま活躍している『アイドル花園百々人』の髪色は薄緑だ。しばらくは髪を染めるかウィッグをかぶらないといけないだろうし、ぴぃちゃんにはこの髪のことを言わないといけない。
    「そうだな。この先ずっとその色なのだから、伝えるのは早いほうがいいだろう」
    「ずっと……ずっと、好きでいてくれるの?」
    「ああ。自分の気持ちにも気がついていなかった人間が言えたセリフではないが……この気持ちはずっと変わらない」
     もう髪の色が薄くなることはないと、愛はもう失われないとマユミくんは言う。
     見慣れた薄黄緑色のウィッグが床に落っこちている。アイドルになってからは悪くないと思えていた髪の色だけど、マユミくんはあの薄緑色を偽物にしてくれた。
    「……マユミくんが僕を変えたんだよ」
     隣に座るマユミくんにそっとくっついて呟く。
    「ああ。……俺の愛は、こんな色をしているんだな」
     マユミくんが僕の髪にやさしく触れた。髪に感覚なんてないのに、くすぐったくて僕は笑う。
    「髪の色だけじゃないよ。……僕はさ、捨てられるのが怖いから人を好きになりたくなかったんだ」
     あの日に見かけたお母さんの髪の色を思い出す。人は人を簡単に捨てる。それでも諦めたくないと思えたのは、マユミくんのせいだ。
    「でもね……僕はいま、キミと恋がしたい。昔の僕だったらきっと諦めてた」
    「そうか。……俺もだ。百々人が気づかせてくれたこの気持ちを大切にしたい」
     マユミくんが頭を撫でてくれるから、僕は心地よくて目を閉じる。普段は虚しい静寂が、どうしようもなく幸福だった。

    ***

    「マユミくんの愛、すご……」
    「いや……百々人の事が好きなんだと自覚したら、愛おしさが止められなくてな……」
     数ヶ月も経っていないと思う。僕の髪はいまや深緑を越えて真っ黒だ。どうやら僕が昔にもらっていたお母さんの愛は生ぬるかったらしく、この愛情深い恋人に愛された僕の髪はどんどん染まり、烏の濡れ羽色と形容しても差し支えのない美しさになった。吸い込まれるような黒にうっすらとした緑色の光沢が輝いている様は、自分でも見惚れてしまうくらいだ。
    「ふふ、愛情過多で別人になっちゃいそう」
    「……すまない」
     申し訳なさそうな、照れているようなマユミくんの声。
    「すまなくないよ。マユミくんがたくさん愛してくれるの、すごくうれしいんだ」
     もう髪の色が変わることはないって信じられるから、僕は地毛で生活することに決めた。
     宣材写真なんかも全部地毛で撮り直して、新しい仕事は黒髪で売り込んでもらってる。入っていたお仕事もウィッグで問題なくこなせたし、黒髪は黒髪で評判がいい。
     まだ黒髪は見慣れない。それでも、マユミくんの愛情が当たり前になる日がくるんだろう。
    「いつも愛してくれてありがとう。……僕も、マユミくんが大好き」
     キミの髪を染めて証明できたらいいのに。心の底からそう呟けば、僕からの愛を疑ったことはないとマユミくんが笑う。
     深く色づいた僕の髪を、マユミくんがそっと撫でた。
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