ジョーカーはいらない マユミくんがたったひとりで事務所のテーブルにトランプを並べて難しい顔をしていた。どう見ても新品のカードは作りが安っぽくて、丁寧に置かれた箱には100円ショップのピンク色をしたシールがべったりと貼られている。
卓上のトランプを動かさずに手元のトランプとスマホを交互に見るマユミくん。占いでもしてるのかなって思って、そのうなじに声をかけた。
「おはよ。マユミくん、何してるの?」
「え、ああ。百々人か。おはよう」
はぐらかすつもりなのか、そんな気はないのか。返ってきたのは答えではなく挨拶ひとつだ。
聞かれたくないことならさっさとトランプを片付けて明日のレッスンの話でもしたらいい。それなのに動く気配のないマユミくんに、あと一度と決めて問いかける。
「何してたの? 占い?」
「……いや、」
マユミくんにしては珍しく歯切れの悪い言葉だ。そこまで深追いするつもりはないけれど、新品で安っぽいトランプはやっぱり気になった。
トランプと言えば誰かと遊ぶイメージがあるけれど、マユミくんは「馴れ合いは好まない」と少しだけ寂しいことを言っていた。それにマユミくんがこんな安っぽいトランプを買ってきたのには違和感がある。マユミくんが何かを急拵えで──しかもこんな粗雑なものを用意するイメージはない。なんというか、違和感だらけだ。
それでも返答を待つしかすることはないし、マユミくんが答えないならそれでもいい。少しの空白にさてどうしようかと考えた瞬間、マユミくんがポツリと呟いた。
「トランプゲームのイメージをしていた」
その言葉に卓上のトランプを見る。きっとこれはなんらかのルールに従って並べられているんだろう。
「ジン・ラミーというゲームだそうだ。昔に観た映画に出てきた」
「そうなんだ」
「ああ。……なんの説明もなく、唐突に始まって気がついたら終わっていた。なんだろうと思っていたが、プロデューサーが知っていた」
「そっか。ぴぃちゃんはアナログゲームが好きだもんね」
ああ、というマユミくんの短い声。話を聞けばぴぃちゃんはぴぃちゃんでこのトランプゲームを気に入っていて、なんとなく調べてみたらこのゲームが映画に出てくることを知り、ぴぃちゃんからマユミくんに映画のことを聞いてきたそうだ。
「説明もなくいきなり始まるあたり、海外ではメジャーなゲームらしい」
「ふーん。これって一人用のゲームなの?」
邪魔しちゃったかな? 見ててもいいかな? そう聞けばマユミくんは一呼吸置いて口を開いた。
「いや、これは二人用のゲームだ」
「え? それを一人でやってたの?」
スマホが開きっぱなしだし、ルールを確認しながら仮想的に遊んでたってことなのかな。そんなことをするならぴぃちゃんに相手を頼んだり、僕たちに声をかけてくれればいいのに。
「ぴぃちゃんはルールを知ってるんでしょ?」
「だろうな。だが、多忙なプロデューサーにこんな私的な用事で声はかけられない」
その気持ちは痛いほどわかる。僕とこの人じゃあ、底に根を張っている感情は別のものなんだろうけど。でも、それなら、
「僕らを誘ってくれたらいいのに」
紛れもない本心だ。僕の言葉にマユミくんは、困ったように呟いた。
「……がない」
「え?」
「馴れ合いは好まないと言っただろう」
聞いた言葉だ。聞いて、それなりに動揺した言葉。
「……そっか、そうだよね」
「っ、違う。きっとうまく伝わっていない」
マユミくんが僕に何かを伝えようとしてる。間違って伝わることを嫌がってる。なんだか少しだけ心が動いて、僕はマユミくんの言葉を待つ。
「馴れ合いは好まないと言っておいて、都合のいい時だけ声をかけるわけにはいかないだろう。だからお前たちには頼めない」
「……なにそれ。ほんと、困った人だね」
マユミくんは本当に律儀でどうしようもない。僕らがわかりあって歩み寄るために晒した本音でこんな他愛もないコミュニケーションの機会を逃すだなんて馬鹿げてる。そう伝えて、マユミくんの隣に座った。
「遊ぼうよ。ルールを教えて?」
「……百々人を利用するような真似は、」
この人はきっと身動きが取れなくなっちゃうようなことを言うんだろう。だから、言葉を遮って話し始める。
「マユミくんは真面目だなぁ。それならさ、こういうのはどう?」
トランプを持ったマユミくんの手をそっと握った。トランプがはらはらと舞い落ちるのも気にせずに僕は言う。
「僕がキミを利用するよ」
「え……?」
「キミと仲良くなりたいから、キミが困ってるところにつけこむの」
だから遊ぼう。そう言えばクリームソーダの色をした瞳が僕の言葉をキョトンと見つめる。そのきれいな色に、なんだか少し胸がざわざわした。マユミくんのための言い訳が、なんだか醜いもののように思えてしまって、その罪悪感から逃れようとそこかしこに散らばった裁断の荒い安物のトランプを見る。それでも僕はこのゲームのルールが知りたかった。マユミくんと、遊びたかった。
「……海外ではメジャーなゲームだと言っただろう」
僕はマユミくんを見る。
「言ってたね」
マユミくんはずっと僕を見ている。
「映画では男女が会話をしながらやっていた。親しい人間と語らい合いながら遊べるゲームらしい」
「うん」
楽しそう、と呟いた。真剣勝負もいいけれど、僕はマユミくんと仲良くなりたいからそういうゲームの方が嬉しい。それなのにマユミくんは言う。
「……それでもいいか?」
「どういうこと?」
「これは親しい人間と遊ぶゲームで……俺はそういったことは不慣れだ。うまくできるかわからない」
「なにそれ。ほんと、マユミくんは真面目だなぁ」
困った人だなぁ、って思う。こういうとこ、アマミネくんは知ってるのかな。知っているならちょっと仲良くなれそうだし、知らないのなら少しだけ優越感がある。
「それでいいんじゃないかな。それに無理に話なんてしなくても、それで、」
「違う。……できることならお前と話したいんだ。なるべく、どうでもいい話を」
それきりマユミくんは黙って僕の言葉を待つ。それが映画のワンシーンだから? だなんてイジワルなことは聞かなかった。
マユミくんはこのゲームで遊びたいし、僕はそこにつけこんでマユミくんと仲良くなりたい。やりたいことが一致してるんだから野暮なことを言うつもりはない。
「……ルールを教えて?」
僕の言葉を聞いたマユミくんは散らばったカードを集めてシャッフルし始めた。
「最初の手札は10枚だ」
しっかりとした指先がカードを配る。
「手札を減らすことが目的だが、手札がある状態でも勝つことはできて……説明が難しいな」
眉間にシワが寄ったマユミくんを見て、慣れないんだろうなぁって思う。マユミくんは仕事の話ならすらすらできるだろうに。
「……ゆっくりでいいよ。キミの声、たくさん聞かせて?」
僕はルールを調べたりせず、のんびりとマユミくんの言葉を待つ。
どうせ僕らはアイドルをしてる限りずっと一緒なんだから、今日中に終わらなくても構わない。
そう伝えれば「遊んでばかりいるわけにはいかないだろう」と返される。困った人だなぁ、ほんと。