狩人 vol.4.5しばらく前の話。
その日は珍しく上司から呼び出された日だった。
館では、出入り口に一番近い客人を迎えて占いをする部屋と、自身が出入りする事務作業を行う部屋がある。それ以外にこの館にいくつ部屋があるかはわからない。
始めて足を踏み入れた部屋は、簡素でなにもない広い部屋だった。少し埃っぽく感じる部屋の窓を開けている彼の背中を見る。今日は占いは休みとのことで、入り口の鍵を閉めているらしい。
「現場での仕事はどうだい?」
「まだ、慣れないですね。ついていくのでやっとです」
「そう、現場はやることが多いから、大変だよね」
「…今日はどういう…?」
窓際の汚れを気にするかのように背を向けていた彼は、横目でこちらを見て笑った。
「そろそろ、現場でなにかあった時のことを覚えてもらおうと思ってね」
なにかあった時
その言葉に含まれる意味は沢山ある気がする。
彼は言葉を濁すわけではないが、はっきりとも言わない。
「現場では、なるべくドロとの交戦を対処できるケイが配置されるようになっている。君は現場での調査を希望していたから、別の地区のケイに同行させてもらう形になっているが、その希望に変わりはない?」
「は、はい。今もそれは変わらないです」
全てのケイが現場に出向くわけではない。この館に来る前に出した配属希望届けでは、現場での仕事を希望していた。あまり机に向かい続ける仕事は得意じゃないし、なによりこの街について自分の目で見たかった。
「なるほど。君の調査報告や同行したケイの話を聞く限り、どちらかというと現場での情報収集や、調査に向いていると思う。交戦を前提とするケイのサポートとして、とかね」
同行したケイの話。何人か一緒に仕事をしたケイはいるが、いつの間にその人達と話をしたのだろうか。
彼からの指示は基本的に書類を本部に運ぶか、一日の報告を伝えるくらい。共に現場で仕事をしたことはまだない。放任主義かと思っていたが、自分が思っている以上に先を考えているあたり、やはりケイなんだと実感する。
「サポート…ですか。確かにドロと積極的に交戦できるかは、まだ自信がないです」
「それは問題ないよ。ケイの仕事はドロを捕まえること。全てのケイが交戦できるわけではないから、単独で動くケースと、チームとして動くケースがある」
「…そうなんですか?その、自分で取り押さえられるのが一番かと思ってました」
「理想はそうかもしれないね。ケイである以上、それは求められることだが、一人の力でやるべきことではない」
予想外の言葉に彼の顔を見ると、窓に寄りかかりながらじっとこちらを見ていた。笑う口元とは対照的に、目は笑っているように見えなかった。
「君は、人を殴れるかい?」
思わず、息を飲んだ。
この街ではいつか言われるかと思っていたが、この人に言われると言葉につまってしまう。何を言っても正解ではない気がするから。
「…殴れ、ないと思います」
「なるほど。では、君はどうやってドロを捕まえる?」
「それは…殴らなくてもできると思いますが…」
「君ならどうする?」
つい目線が下がってしまいそうになるのを何度もこらえる。『ドロの前でもそうするつもりかい?』と指摘されてから、なるべくは顔をあげて話すようにしている。
それでも、しゃべればしゃべるほど顔をあわせたくなくなってしまう。自分でも、考えていることに気づいているからだ。
「……すみません、今は答えが出せません」
「構わないよ。意地悪な質問をして悪かった。でも、答えを出すつもりではあるんだね?」
「…ケイになったからには、捕まえるためにやらなきゃいけない時はあると思っています」
「そうだね」
「俺は、自分の足ではドロに追い付いても、まだどうすることもできません…。だから、複数人のケイに同行させてもらっています」
こちらが喋り出すと彼は急に静かになる。相づちをうつこともなく、ただこちらを見つめている。言葉のひとつも聞き逃さないかのように。
「いつかは、一人で対処しないといけないことも、わかってはいます」
「…でも、どうしたらいいかはまだわからない?」
「わからないというよりは…取り押さえることはできても、手を出すのは…」
「そう、ならよかった」
ならよかった?
聞き返そうとした時、一歩踏み出した靴の音に遮られてしまった。なんだか、雰囲気が違う。
「一人の力でどうにもできないこともある。だからこそ、ケイは組織として存在して、チームとして動く。一人で対処しないといけない時間を減らすために」
コツッ、コツッ、と乾いた靴の音と共に、ゆっくり右手を前に伸ばしていた。まるで舞台で台詞を語る役者のように、目は真っ直ぐこちらを見続けている。
「路地裏で追い詰められたドロは、君を警戒すると思うかい?」
喉が詰まった。
その言葉にもだけど、なんだか少し不快な、違和感のようなものを首回りに感じた。
「…っ!?」
咄嗟に腕を払った。
違和感の正体は、
緩やかに首を絞められていたから。
日常の何気ない仕草のように、なにも抵抗もなく人の首に手をかけていた彼は、変わらず笑顔のままだった。
状況に気づいた瞬間、心臓がすごくうるさくなった。近づいてくるのはわかっていたのに、伸ばした手の行き先に全く気づかなかった。
「な、なにするんですか!?」
「君は警戒してなかっただろう?」
「確かにしてませんでしたけど!」
「これから僕が教えるのは、君みたいに油断しきっているドロに最も近づく方法」
「…最も近づく…?」
手をあげて、何もしないと言わんばかりに少しあとざする彼は、『教える』と言った。いままで何かを指導してもらったことはなかったのに。
「僕も交戦向きではないケイだからねぇ。弱く見せることはできるが、もうドロには警戒されることが増えてしまってね。君ならまだ通用するんじゃないかな」
「まだ、っていうのは…いつか出来なくなることなんですか?」
「そう。手品だってトリックを知ってしまったら冷めてしまうように、一度知られたら警戒されるだろうね」
「どんな方法ですか」
そう言うと、どこか嬉しそうに笑った気がした。
「君が、何もできないと思い込ませること」
たった一言、その言葉を発してから少し間があった。まるでこちらが言葉を理解するのを待つように。
「自分が強者だと思った人間は、弱者を敵と見なさない。見えない敵に意識を向けるのは困難だ」
「見えない、敵」
「それ以外にも、最低限の護身術はできるようにならないとだけどね」
何もできないと思い込ませること。
続けて何かを話す声だけが遠くで聞こえ、その言葉はしばらく頭から離れなかった。