「かわいそう」ドロになってから思う、
人は死ぬ直前に走馬灯を見るらしい。
それと同じで、殺すときも世界から音も時間も消える気がする。
普段だったら聞こえないような金属音がゆっくりと消えていく。
目に見える光景がスローモーションになって、音が遠退き、眠りに落ちる前のようなそんな感覚に似ている、頭が働かないのか目の前で何が起きたのか一瞬わからない。
それがあと少しでも長続きしていたら、あたしも足元に倒れている死体のようになっていただろう。
体勢を立て直したときには、いままで止まっていたのではないかと思うくらい、心臓がうるさい。痛いぐらいにばくばくしている胸を押さえても、一向に落ち着かない。目の前に突きつけられた刃物が頬を掠めたのか、かすかに痛みを感じる。
「あら、速いのね」
刃物の柄の先に指をひっかけ、刃物についた血を払うように素早く振ると、いつのまにかしっかりと柄を握り再び刃物を構えていた
「wow…あなたこそ、随分と過激なタイプなのね?見た目によらず」
「女はちょっとくらい秘密があった方がいいでしょ?」
たまたま夜の散歩をしていただけだったが、こんなところで誰かと出会うなんて。
ここはビルが立ち並ぶ通りで、人とすれ違うのもやっとな狭い路地が多い。いりくんだ迷路のようで足を踏み入れたら出るのが難しい路地裏だが、時々なにも考えずに歩くのが好きだった。夜風に当たりたい、それくらいの気持ちだったのに気がついたら目の前に刃物が飛んでくるとは、油断していたようだ。
「素敵ね、あたしもそういう女になりたいと思うけども、こんなところで人の首を切るギャップがあるなんて刺激が強すぎるんじゃない?」
「あなたも同じようなものでしょう?」
「あら、あたしのこと知ってる?」
「えぇ、ぱーふぇくとちゃん、だったかしら?」
そういって笑っているけども、前髪に隠れた瞳は心の中まで覗きこむようにじっと見つめている。金色の瞳がぼんやりとしていて、どこか美しくも恐ろしい。
「No、Ananasよ。よく言われるけど」
「あら、おぼえておくわ。perfectなAnanasちゃん」
そんなことをいいながらも手に握った刃物はこちらを向いている。雰囲気が違うもの、笑顔のしたに隠れている、もしくは隠しているのは殺意なのかなんなのか。
立ち止まった足を気づかれないように、重心を落としてすぐに動ける体勢を作る。
「お忙しいところお邪魔しちゃったみたいね、ごめんなさい」
「いいえ?あなたは謝ることはないわ。ただ」
ただ、
その言葉を口にしたときには金色の瞳が目の前にあった。
「自分の運のなさを恨みなさい」
思ったよりも逃げ足が速かった。
あの瞬間で大抵の相手の首をはねることができたが、首を切る手段は彼女も同じだからか
こちらの動きをギリギリで見切ったようだ。再び首を狙う前に彼女は姿を消したが、足元に落ちているものを見て口角が上がった。彼女の運がないのか、自分が運がいいのか。
やること、
落としたウエストポーチに入っているカミソリを取り出す。
今日首を切った相手の首もとに添え、頸動脈を再び切る。
軽く自分の腕をカミソリで切る、血が滲んでいるのがわかる程度で。
刃物をしまい、少し離れた距離にいくつかカミソリを落としておく。
最後に羽織っていたフードを脱いで、電話を鳴らすだけ。フードはうまくどこかで隠さなければ。
「私よ。D地区の路地裏にてドロと遭遇、先に交戦していたケイがいたけども、私がきた時には倒れていたわ。相手は首切りのエキスパートだから残念だけども、望み薄ね。
まだ時間は経っていないようだから早くきて。誰って?Ananas、赤毛の長髪のドロよ。カミソリを持っているポーチを落としたみたいだから現在逃走中。至急近隣のケイに連絡して」
電話を切ればあとは待つだけだ。
完璧に相手の首を切るのが得意な彼女からカミソリを奪ったらどうなるか、ましてやケイを殺した罪は彼女を捕まえることに力を注ぐ十分な理由になる。
「かわいそうに」
思わず口に出てしまい、そっと自分に言い聞かせるように口元に指を添える。これからほかのケイに合流するかもしれない、この笑顔はきちんとしまっておこう。
ケイにとって、彼女にとっても眠れない夜になるだろう。
軽く押さえた腰から手を離すと血が滲んでいた。まだ止まらない、血痕が道筋を作る前に止血しなければ。応急手当するにもウエストポーチを切られてしまったのが誤算だった。
ベルトのサイズに合わせた細長い小さいポーチはコートに隠れているから基本的には気づかれないが、ベルトごと切られてしまい少し走ってからないことに気がついた。
戻って回収したいのは山々だが、今日は散歩していたのもあってカミソリをつけていなかった。彼女に遭遇して身構えたときにつけるべきだったが、あの瞳に見つめられたら他のことがを考える余裕がなくなる、蛇が首に巻き付くような動くのは危険と思ったからだ。
完璧ではない、完全に油断が招いた結果だが彼女のようなドロはみたことがない。なるべくは他のドロから話を聞いてドロの情報を集めていたつもりだったが、新しく姿を現したのか。
「……いま現場付近に到着した、他には誰が向かっている?」
路地からでる途中で誰かの声がした。
あと一歩のところですぐに足を止めて体を伏せた。誰かと連絡を取っている口振りからして、嫌な予感がした。
「了解、他のケイは路地裏の捜索にあたってくれ。足が速いケイが確かいただろ?」
最悪だ、今までケイと遭遇したことは0ではないが今一番会いたくない存在だ。たまたま他のドロを探しているのか、先程あった彼女のことなのかドロの捜索を行っているようだ。早く逃げないと。
「取り急ぎカプラと合流する、Ananasはカミソリを所持していないらしい。交戦よりも逃亡を優先するだろうから早めに周りを固めておいてくれ」
聞こえた名前に耳を疑った。聞き覚えのない名前と、聞き覚えのある名前。私がカミソリを持っていないことを知るのは彼女しかいない、それが聞き覚えのない名前の人間ならばたどり着く答えは。
「まさか、ケイ…?」
足元に転がっていた死体をじっくり見ていないが、見覚えがあった。最近ドロの間でも噂になっていたここ周辺の地域をメインに動いている、ケイの容姿と特徴が似ている。偶然なのか、まさか。
声が遠くから聞こえる、複数の足音が私を思考状態から現実に引き戻してくれた。じっくり考えたい、だがそんな時間はない。切り傷のある腰を押さえてまた暗闇に続く路地裏へと走り出す。
あの一瞬ででた答えは
あたしはケイにはめられた。
ケイの皮をかぶったなにかに。