その日は月が丸い日だった久しぶりに獲物に会わない夜だった。
せっかく修理してもらった銃も試す相手がいなければ冷たい鉄の塊だ、いつもより重いまま帰るのは退屈にさえ思えたが、下手に付きまとわれるよりはいい。
ビルの屋上の端を歩きながら、明かりの消えない街は相変わらずどこかからなにかしら聞こえる。
それなのに。
「どこにでもいるはずなのに、案外いねーんだよなぁ。どいつもこいつも」
冷える夜だ、狙った獲物も冬眠しているのかもしれない。それとももう先に狩られてしまったか。狩人のようなドロもいると聞いたことがあるが、正直どんな狩りをするのか見てみたい。映画でよくあるどこかの民族生まれか?
この街は、画面の向こうの映画と何ら変わりがない。人はすぐ死ぬ、そこら辺で銃声が聴こえる、薬の売買も強盗も暴力も、破壊もなにもかもこの街ではある。普通とやらが自分にはわからないが、映画の中で映画みたい、という台詞は正直矛盾しすぎていて面白かった。そしたらここだって映画の世界だ。
そう思うのは、それだけ愉快な登場人物が多いからだ。ビルの側面にある階段に降りると、久しぶりにその登場人物の一人に出会った。一人というべきか、三人というべきか。階段をご丁寧に降りるのはだるくて2階くらいの高さから降りるとそのうちの二人はすぐにこちらを見た。そんな睨むなって
「よぉ、夜のお散歩かい?おねーさん方」
両手をあげるとこちらをじっと睨む目線が緩んだ。そっとこちらに近づくと片耳のかけた彼女は脇腹に顔を擦り付けてくる。
「はは、手厚い歓迎だな。また綺麗になったか?」
二人ともすり寄ってくるわけではないが、手を伸ばすと開いている片目もそっと閉じて挨拶程度に触れさせてくれる辺り、気を許してもらえてるんだろうか。何度か撫でると、影になっているビルの階段で腰かけているやつに声をかけた。
「よぉ、年をとると夜寝れなくなるのかい?ヴォルフの旦那」
「こんばんわ、眠れないわけではないさ。夜に眠らないだけだよ」
閉じた目は自分の方を向くわけでもなく、少しうつむきがちに下を見つめている。腰かけて杖に両手を置いている姿は前に会った時と同じだった。
「前会ったときから動いてねーんじゃねぇか?石像でも始めたのか?」
「そんなことないさ、君がここにくる時が、私がここに腰かけている時だった。それだけだよ」
「ほんとに年寄りくせーぞ」
両脇から熱烈な歓迎を受けて思わずよろけそうになる、これも前と同じだった。
こいつと言葉を交わすと、頭がいいと思うのになぜか会話が成り立つ不思議な感覚になる。言い回しはよく分からないが、嫌いでもない話し方だった。
「最近冷え込むからかケイもドロもいやしねぇ、あんたぐらいだぜ」
「外の空気に触れる場所には、みんないないさ」
「地下にでも潜ってんのか?通りで地下に穴が多いわけだ」
少しだけ口角をあげて笑っていた。見ているのは変わらず地面だが。
隣に腰かけると、そばに来た彼女は顔にすり寄ってくる。少し目線が上になった頬を撫でると、ゆっくりと目を細めた。
「太陽が上るうちは外にいるのだから、太陽が沈めば人も沈んでしまうのかもしれない」
「うまいねぇ、あんたは太陽が沈むからでてくるんだろ?」
「夜の街に生きている人間は、そんなもんさ」
太陽が上る時間くらいはなんとなくわかる。それでも正直、昼の街があるとは思えない。夜の街というのならなおさら、この街の姿が当たり前だから。
「太陽が上ってる時に外になんてでられやしねぇよ」
「なぜだい?」
「…日の光なんて浴びたら、死ぬ気がするのさ」
昔から思っていたことだ。もはや生まれてこの方、太陽が上る時間に外に出たことがあるのだろうか。
この街にきてようやく外の空気を吸ったようなもんだ。電気の明かりでさえ眩しく思うのに、太陽なんてからだが焼けてしまうか、もしくは灰にでもなるかもしれない。映画の向こうではよくある出来事だったから。
「案外そんなことないさ」
喉を撫でてやると心地良さそうに顔をあげるが、静かになったからかじっと自分の目を見てきた。
そっと頭を撫でながら寄りかかると、とても暖かかった。この感覚を思い出すと喉がつまる、好きじゃない。
「あんたは別に平気だからだろ」
「日の光を浴びて死ぬと思ったことはないよ。ただ」
地面を見つめていた顔をゆっくりとあげて、空をみた。
「私が夜を生きたいだけだ」
そういって開いた目はなにを見ているのか。
いつも笑っているはずなのに、見上げた顔はなにを思うのか。傷のある目さえ空を見つめていた。
そういえばその日は月が丸い日だった。前に会ったときと同じように。その日はしばらく動かなかった。