狩人 vol.3どんなに足音を消そうとゆっくり歩こうが、
廃墟では無意味だった。
歩く度に砂利を踏むような音が響く。この先は永遠に続く道なのではないかと、廊下の奥まで響いているように聞こえる。
噂に聞いていたが、それはあくまで噂だ。
若い社員が話していたのを小耳にはさんだくらいで、こんな出来事とは縁のない生活を送っていたはずだった。
見知らぬ廃墟に人間を集めて矢で射ぬく、
まるで狩人のごとく。
そんな愉快犯は、ドロしかいない。
体がひどく重く感じる。
逃げなければ、と頭では思うもののどこに逃げればいいのか。逃げるもなにもなぜこんな目に遭わなければならない?そんなことを嘆く気にさえなれなかった。
動物を狩るときに、反論されたことがあるだろうか。だが人間は生きるために動物の肉を食べ、命をもらう。人間が人間を狩ることになんのメリットがある?食物連鎖のサイクルから外れた行為を、なぜ狩人は行うのだろうか。
「おかしな話だ、人間を狩ってどうする、人間を人間が食べるとでも?」
頭のなかで考えているのか、口に出しているのかもはやわからなくなっていた。えらく長い時間を歩き続けている気がする、まるでここは砂漠の真ん中にある廃墟のような気さえしていた、ひどく喉が乾く。
「人間が人間を狩るなんて、それは狩りではなく人殺しだ、ただの殺人鬼じゃないか」
あぁそうだ。人の命を奪うことに喜びを感じるのがドロなのだろうか。人間の不幸になることばかりする、この街から消えることのない不愉快な存在たち
「ろくでもない街なのはわかっていた、自分の娯楽のために人の命をも巻き込むなんて。なにがハンターだ、なにがゲームだ、馬鹿馬鹿しい、馬鹿馬鹿しい……」
どんどん腹立たしくなってきた。こんなことに巻き込まれなければ、とっくに家についているだろうに。いまさら新しい仕事を探すこともできず、この街に残っていたものの年々こういった人に被害を被るドロばかり増えている。
「馬鹿馬鹿しい、馬鹿馬鹿しい、ふざけるな。狩人ではなくただの人殺しだ!」
「動物からしたら、人間もそうだろうな」
聞こえた声は、自分の声でもなければあの場所にいた人間の声でもないことは一瞬でわかった。
それと一緒に、空気を切る音が後ろで聞こえたことも。
耳の奥が痛くなるくらい、急に周りの音が聞こえなくなった。じんわりとなにかが広がるように、背中に違和感を感じる。それが痛みに変わる前に、またひとつ、ふたつと背中に違和感が増える。
違和感の正体を確認しようと、振り返る前に頭がぐらつくような衝撃を感じた。
「……人間だけが狩りをできると思ったら、大間違いだ。動物が全部いなくなれば、こうなるのは不思議じゃないだろ」
頭から矢を抜いた時、一瞬体が動いた。
「俺は人間を狩ってるつもりはない。動物と人間、なにが違うんだ?この街では人間を食うやつもいるのに」
投げた質問に答えが返ってくることはなかった。
この病院は街では大きいほうだったものの、治安の悪化からか、また別の場所にできたらしい。自然とここからは人が離れ、今はこの病院の周辺にすら人は住んでいないとか。廃れゆく病院のそばで過ごすのは、確かにちょっと気味が悪い。
「子供の頃だから、退院してからは少し行っただけなんだけど。昔からある病院だから、大きな工事とかがなければ道は変わっていないと思う 」
「十分ですよ、助かります」
「私には、これしかできないから」
所々上の階の床が崩れていたり、椅子やベッドでバリケードのようになっている場所もあったためいくつか道を引き返したが、少しずつこの場所の地図が掴めてきたようだ。
彼女は少しだけ落ち着いて周りをみている。このままハンターに遭遇しなければ一番いいのだが。
時おり足元に透明な糸が仕掛けられていたり、開けている場所は注意深く観察して罠を回避することもできたが、それでも冷静にならないとわからないようなトラップだ。
ここまで念入りに罠を仕掛けている辺り、相手は一人だけなのだろうか。それならば、うまくいけば自分でも押さえ込めるかもしれない。うまくいけばの話だが。
「少し、ほっとした」
「なにが?」
「君がケイだってこと。ちょっと信じられなかったけども」
「……よく言われます」
「でも、赤い髪のよく走っているケイの話は街でも聞く。こんなところで嘘ついても仕方ないし、きっとそれが君なんだろうなって」
言葉に詰まったが、走り回った甲斐があったのかもしれない。どこか余裕のある彼女の横顔をみて、言ってよかったと思う。
「すみません、ケイなのに巻き込まれていて」
「仕方ないよ。この街をよくするためにいるケイだって、人間なんだもの。私たちと同じように、仕事以外の時間があると思う」
とても落ち着いた人だと思った。
最初はひどく動揺していたが、次第に病院内の地図を把握してきたのか落ち着いて話している。
声を潜めているものの、冷静に周りを見ている姿は、俺よりも頼りがいがあると思うくらいだった。
気持ちが前向きになっているようだ、そう実感するだけで俺自身も安心する。よくない感情が伝染しやすいように、いい感情もうつりやすい。
だけども、そんなことを考えていたのはとても呑気だったと痛感した。
小さい悲鳴が聞こえたあと彼女はすぐに口を押さえていた。体が強ばり喉がひどくつまる。この感覚は絶対慣れることのない、慣れてはいけないと思う感覚だ。何度も経験はしたくないが。
曲がった先で見つけたのは、さっきまで言葉を交わしていた白シャツの男性だった。さっきと違うのは仰向けで倒れていることと、開かれた目は動かないことだった。
「……見ないほうがいいです」
彼女が背を向けたのを確認してから恐る恐る一歩踏み出した。仰向けで倒れている頭からなにかが溢れだしたように、水溜まりができていることに気づきたくなかった。