不意にキスを阻まれた。思いきり、大きな手のひらで口付けをキャンセルされてしまった。明らかな拒否のポーズに、カーヴェはつい硬直してしまう。今、何があった。アルハイゼンにキスを拒まれた。えっ、なんで。いい流れだったという自負のあるカーヴェは真正面から困惑していた。それ故にアルハイゼンの手のひらに口付けたまま、数秒間間抜けな彫刻になってしまっていた。
「…………えー、あー……アルハイゼン?」
名前を呼びかけてみても手は離れない。仕方なしにアルハイゼンの手をぺいっと払い除け、カーヴェは彼の顔を覗き込んだ。
「……嫌だった?」
カーヴェは自身のスキンシップ、愛撫がややしつこい自覚があった。それは彼の性格もあるし、アルハイゼンのせいでもある。アルハイゼンがなかなか反応を見せようとせず我慢するから、カーヴェはついやりすぎてしまうのだ。あと単純に触れ合うのが好きというところもある。それ故に一度閨を共にするとアルハイゼンの白い肌には赤い痕が点々と散らばることになるのだが、これまで文句を言われたことは(きちんと服で隠れる範囲に収めているからか)ない。文句を言わないということは許されている、受け入れられているということ。そう考え調子に乗ってきたのだが、まさか。カーヴェは僅かに眉尻を下げ、相変わらずの無愛想を見下ろした。
「嫌だったらこう、僕も考えるけど」
「別に嫌ではない」
「……じゃあなんでさっき止めた?」
カーヴェの疑問はもっともである。アルハイゼンの手は明確にカーヴェのキスを妨害した。事故にしてはタイミングといい場所といい完璧すぎる。アルハイゼンの意思がないとは思えなかった。
何もカーヴェはただアルハイゼンで欲を発散したいわけではない。恋人同士での行為なのだ、アルハイゼンの意思を尊重したい気持ちはある。かといって全てを呑み込んで言うがままに従うつもりはないが。なので話し合いを求め、アルハイゼンの本音を引き出そうと問いかけた。が、アルハイゼンの返事はなかった。
「…………アルハイゼン?」
「…………」
「えーと、やっぱり嫌だったのか……?」
「嫌だなんて言っていない」
「じゃあ何で止めたんだよ」
だんまり。カーヴェが君ねぇと苛立ちを滲ませたところで、ようやくその変わらない表情が僅かに揺れた。
「…………君は、よく触れる」
「ん?」
「それが、少し恥ずかしい」
「……………………」
カーヴェは己の耳を疑った。ついでに目も疑った。今、こいつは何て言った? 恥ずかしい? あのアルハイゼンが? あのアルハイゼンが カーヴェは幻聴を疑ったが、先程の声が幻だとは思えないし思いたくもなかった。もし今のが幻聴であれば、己の妄想力はスメール一のものだと自負できるくらいの代物である。
恥ずかしい。僕がいっぱいキスして触るのが、少し恥ずかしい。カーヴェはぐるぐると思考を巡らせる中、ふと思い出した。アルハイゼンは人間である、機械ではない。恐ろしいまでに理性的だが、理性的なだけであり無感情ではないのだ。感情があるからカーヴェに嫌味な返答をするし、酒場で取っ組み合いの喧嘩をして大迷惑をかけたこともある。そして彼はたまに、大変わかりづらく――正直なところセノのジョークより――反応に困るような冗談を言うことがある。もしやこれなのか。空気もタイミングも全く読めていない冗談だったりするのか。カーヴェは己の恋人が素直にかわいらしい可能性を信じきれず、逃避の選択肢を取った。
「今更恥ずかしいとか何のじょうだ」
「……今更ではないが」
えっ。カーヴェが固まる。それに対しアルハイゼンは平然と――少なくともカーヴェにはそう見えた――続けた。
「俺はずっと恥ずかしいと思っていた」
「えっ……な、なんで言わなかったんだ……?」
「……ふむ」
なんでここで考える。思考するような問いか今のは。内心大騒ぎのカーヴェをよそに、アルハイゼンは黙々と言葉を選んでいるようだった。あいにくとカーヴェとは異なり、アルハイゼンは綿密に考えた上で一つだけ言葉を出すタイプなのである。
「……君に、からかわれるのが嫌だったからだろう」
「だろうってなんでそんな他人事……まあいい。さっき止めたのは我慢の限界を超えたから、か?」
「うん。さすがにしつこすぎてつい手が出た」
怖。何ともないように言うがこの自称文弱はあくまでも自称文弱なだけで武闘派である。神の目すら「相手をぶちのめすのに使える」と言うような男なのだ。そんな男の「つい手が出た」は、子猫の愛らしいパンチ程度のものではない。何度か机とキスさせられ、たんこぶを作らされた記憶のあるカーヴェはぶるりと身を震わせた。
そんなにしつこかったのか。手が出るくらいって、抑えないと身の危険が。いやでも抑えたくない気持ちがある。カーヴェは、恥ずかしがるアルハイゼンというレア演出よりも彼の膂力から繰り出されるバッドエンドに冷や汗を流す。そんな彼をじっと、何を考えているのかよくわからない目でアルハイゼンは見つめていた。
「…………カーヴェ」
「見舞いの品は酒で頼むぞ」
「さすがに恥ずかしいからと言って君に怪我を負わせようとは思っていない。それに、重ねて言うが嫌なわけでもない」
だから。アルハイゼンはシーツの海に身を委ねたまま、軽々しく口にした。
「俺を縛ってくれ、カーヴェ。君のために、俺のために」
「…………へっ」
「伝わっていないかもしれないが、恥ずかしいと思っていることを伝えたことで更に羞恥心が強くなっている。このままだと君をビマリスタン送りにしてしまうだろう」
「だ、からって緊縛要求はどうなってるんだよ!」
スキンシップの終了か、ドキドキ緊縛プレイか。究極の二択を迫られたカーヴェは、大変手先が器用であることだけを記して話を終わりにしよう。