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    Sayu_2l

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    Sayu_2l

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    全年齢おめがば途中

     初めて出会った時、運命だ、と感じた。
     それから少しして、運命ではないことに気付いた。その上で、運命だったらいいな、なんてどうしようもない願いを抱いた。
     そして刃を突きつけて、道を違えて、思い出を唾棄して、運命じゃなくてよかったと強がった。
     時間が経って、まあ大人になって、あの頃を振り返って、運命だと勘違いして運命だったらよかったと願って、運命じゃないことに安堵した。あれはきっと運命のいたずらだったのだ、と思うようになった。
     何にせよ、運命が関与していることは間違いない。そう、男は信じていた。






    「……ありがとう、助かった」
     カーヴェが力なく、落ち込んだ調子で礼を告げる。以前学院祭の件で礼を言われた時には「普段の三倍誠意を見せろ」なんて煽っていたアルハイゼンも、さすがに今のカーヴェを相手にふざけたおねだりをする気にはならない。頭を抱えてがっくりと項垂れる彼に、冷たい水の入ったグラスを差し出した。

     カーストの頂点ないしは上位に位置するという第二性、アルファ性を持つ者は比率的に少ないとされている。だがテイワットにおける智慧の集約地、テイワット最大の学術機関である教令院にはその少数とされるアルファ性が多く集う。スメールの著名建築デザイナーであるカーヴェ、そして教令院の書記官を務めるアルハイゼンもその例に漏れない。彼らは生まれつきのアルファである、それは診断の結果からも保証されていた。
     クラクサナリデビ救出とそれに伴うアザール達の失脚の件を除き、基本的に目立たない――カーヴェはスメールという地に長く住む以上誰でも有名になる、目立たないようにする方が難しいと語る。勿論それはどうしたって「天才」であるからこその意見なのだが、アルハイゼンの能力を考えてみれば「目立たないままでいるのは難しい」という言説も誤りではない――アルハイゼンと違い、人目を惹き目立つカーヴェはオメガに狙われやすいアルファだった。発情期という特性のせいで社会的地位が低く、長らく虐げられてきたとされるオメガだが彼らの全てがただ搾取される存在だったわけではない。中には成り上がるため、フェロモンを利用してアルファを無理矢理誘惑するオメガだっている。カーヴェは、そういった強気で強引なオメガに魅入られがちだった。
     どのようなアルファでも、発情中のオメガのフェロモンには何かしらの影響を受ける。だが何事にも例外というものは存在するものだ。希少な例外、つまりオメガのフェロモンに抗うことのできるアルファというものが存在する。それが彼のルームメイトであり、元共同研究者のアルハイゼンだ。
     アルハイゼンも間違いなく第二性はアルファである。そのことは教令院入学時の診断と、定期的に行われる健康診断にて証明されている。しかし、彼は通常のアルファと様子が異なる。彼はオメガのフェロモンに対し、強い耐性を有していた。オメガのフェロモンを感知することはできる、しかしそれにあてられることがない。それでいてアルファ性らしい優位性――要するに高い身体能力と優秀な頭脳だ――を持つため、オメガに振り回されることなく動くことができる。マハマトラであれば彼はあちこちに引っ張りだこの人材だっただろう。現実の彼はあちこち動き回る、特に目立つ機会のない書記官でしかないのだが。
     そんなアルハイゼンに、カーヴェは何度も助けられてきた。今日もそうだ、カーヴェを待ち伏せしてフェロモンレイプを目論むオメガがいたのだ。アルハイゼンと共にいなければ、今頃カーヴェはぺろりと食べられてしまっていただろう。他のアルファではいけない、オメガのフェロモンに巻き込まれてしまうから。かといってベータでは、発情を誘発されたアルファのカーヴェを抑えることができないだろう。オメガのフェロモンが効かないアルファのアルハイゼンでないと、カーヴェを連れ出すことはできないのだ。
     とはいえカーヴェはアルハイゼンと四六時中共にいるわけではない。それに今でこそルームメイトの仲だが、共同研究が頓挫してから数年間は直接顔を合わせない状態だったものだ。そういう時カーヴェはどうしていたのかと言うと、己の手の甲を噛み千切るのではないかという勢いで噛み、フェロモンに抗った。そのせいで卒業後のカーヴェは傷だらけで、知り合いには心配をかけていたものである。今でもそうせざるを得ない時はあるが、それでも大抵の場合はアルハイゼンが助け船を出してくれるのだ。カーヴェが傷を拵えることは極端に減った。
     カーヴェは長く重い溜め息を吐く。それから少しして、アルハイゼンが手にしていた杯を受け取った。結露した水滴が冷たい。だがその鋭利な冷たさが、嫌な火照りを宿す身体にはちょうどよかった。カーヴェはグラスに口付けると、勢いよく腕を上げてそれを飲み干す。ごきゅ、と喉仏を何度も上下させ、強引に身体を冷やした。
    「……………………はぁ」
    「…………難儀なものだな」
     カーヴェはぎろりとアルハイゼンを睨む。同じアルファなのに苦しみを分かち合えない、ずるいアルファに対しての文句の視線だ。
    「いいよな、君は。オメガにあてられないんだから」
    「……そうだな。そういうところは同情するよ」
    「……ふん」
     アルハイゼンも昔、自身がアルファ性であると判明した当時はフェロモンの影響を受けていたらしい。だが祖母を亡くし、教令院に入学してしばらくすると今のような特異体質に変わったという。なのでアルハイゼンは、フェロモンにあてられた時の苦しみを知らないわけではないのだ。自らの意思に反して強制的に発情させられる恐怖は、アルハイゼンの密かなトラウマである。故に番を作らない限り一生それに付き纏われるだろうことに、アルハイゼンは心の底から同情している。だが表情が一切変わらないこと、また普段の言動が嫌味で皮肉的なため、カーヴェには真っ直ぐ届いていないようだった。





     カーヴェにとって、第二性というのはとにかく邪魔な枷であった。フェロモンレイプを狙うオメガに振り回されることもそうだが、番の仕組みがカーヴェには受け入れがたい。アルファとオメガの間でのみ結ばれる特別な関係、それが番。番は基本的に恒久的なものとされ、どちらかが亡くなってもなお番に縛られる者がほとんどだ。それをロマンチックと言う者、浮気の心配がないから安心だと言う者がいる。しかしカーヴェからすれば、それは呪いだった。カーヴェの父親はアルファで、母親はベータである。番ではない、番になれない組み合わせだったが仲睦まじく、カーヴェにとって素晴らしい夫婦であった。もしも母親がオメガであったなら、その繋がりはより強固だっただろう。しかしそうであれば、カーヴェの母親は今も夫の死亡に心を占められていたはずだ。今、カーヴェの母親はフォンテーヌにいる。フォンテーヌにて、新たな生活を見出している。それは彼女がベータであり、番という永遠の呪いに当てはまらない存在だからこそ出来たことだ。カーヴェの母親がもしもオメガだったなら、彼女は今も救われていないはずだ。そう考えるからこそ、カーヴェは番という仕組みに懐疑的な目を向けるのである。
     自分もベータであればよかったのに。カーヴェは己の第二性のデメリットを感じる度、そう嘆く。アルファとベータの間に生まれる子の多くはベータ性を持つ。だが、絶対にアルファ、オメガ性が生まれないわけではない。少なくとも一割の確立でアルファないしはオメガが生まれる、という調査結果が出ていた。カーヴェはそのレアケースに該当する。
     カーヴェは父親と同じアルファ性を持つ。ベータはフェロモンに強制されない性だが、フェロモンを全く感知しない性ではない。ベータは、発情期のフェロモンを感じ取ることができるし多少は影響を受ける。故に彼の母親は、成長するカーヴェの傍にいられなかった。亡くした夫と同じアルファ性を持つ息子を前にすると、どうしたってまともに接することができなかったのだ。彼のことを思い出し、彼がいないという現実に打ちのめされて。
     なのでカーヴェの母親がフォンテーヌにて再婚したと、その再婚相手は母と同じベータであると知った時、やはり第二性への忌避感は間違いではなかったのだ、と納得した。何も両親の繋がりを否定するわけではない。だが、第二性なんてものがなければ。もっと、世界は単純で優しいものになり得ていたのではなかろうか。そんなことを、青いカーヴェ青年は考えざるを得なかった。

     そんなカーヴェだが、アルハイゼンと出会った当初はまだ第二性への嫌悪感もそこまで強くなかった。故に、今思えばとんでもないことを考えていた時期もある。それは、アルハイゼンが自分の運命だったらいいのに、というものだ。
     今でこそアルハイゼンとカーヴェは相互不理解を理解している。しかし出会った頃の彼らはまだ幼く、未熟だった。カーヴェは絵日記に「僕達の考えはまるっきり一致している」と記すくらいにはアルハイゼンと自身が同一であると思い込んでいた。すぐにその勘違いは是正され、正反対であるからこそ欠けを埋めるような関係性だと知ることになるのだが。
     それでもカーヴェはアルハイゼンのことを評価していたし、とても気に入っていた。意見が相反することは少なくなかったが、良き友人でいられると思い込んでいた。自分達はきっと相性が良い、最高の友なのだと。だが心の底では不安があったのかもしれない。カーヴェは時に愚かな選択を取るかもしれないが、決して馬鹿ではない。聡明な彼は、彼と決定的な決裂を迎えることを無意識に予期していたのかもしれない。それが、途方もない願いに現れたのだろう。
     君が、僕の運命の番だったらよかったのに。カーヴェは寝ているアルハイゼンに向かって、そうこぼしたことがある。アルハイゼンがアルファではなくオメガで、この相反する意見のように凸凹のピースが上手くはまる形だったらよかったのに。カーヴェはアルハイゼンに触れる――成長期が遅く、長らく小さな姿に留まっていたアルハイゼンは頭を撫でられるのを嫌った。だから、アルハイゼンがうたた寝をしている隙にカーヴェは彼を撫でくりまわすのを密かな趣味としていた――度、その思いを吐き出した。後にも先にもアルハイゼンだけである。人を傷つける能力を失ったカーヴェが明確にその心をずたずたに刺し、呪いのような運命を望んだ相手というのは、アルハイゼンだけだった。
     結局共同研究が破綻し、共に何かをするのではなく学術刊行物において論争を繰り広げる、そんな歪な関係性に至り、カーヴェは彼との間に運命なんてものがなくてよかったと安堵した。そして卒業し、過労死寸前まで働き、心が折れて、母親の再婚の知らせを受け取り。その頃には、カーヴェの第二性に対する懐疑心と反抗心はよく育っていた。運命に夢を見ることはなくなり、アルファ性のデメリットばかりを痛感する日々を過ごす。カーヴェの考えが固まるのも無理はない話だった。

    「珍しく遅かったな。残業か?」
    「……ああ、そのようなものだ」
     アルハイゼンの表情、声色は相変わらず。いつも通りの冷めたものである。そのことにカーヴェは「ふうん」とだけ呟いた。
     カーヴェは知っている。アルハイゼンが遅くなったのは残業ではなく、見合いのせいだと。何故知っているのかと言えば、カーヴェにはカーヴェなりの情報源があるのだ。生きるのに人間関係は必須ではないとのたまう後輩とは違い、彼は交友を大事にしている。なので色々な噂を聞くことができるのである。
     教令院にはアルファ性が多く集う。そしてスメールは、学術的資源は社会資源に等しいと考える国だ。それ故に学術家庭という、学問を第一に優先する家庭の形がある。そういったどこか歪な国は、更なる学問の発展のためならば個人というものを蔑ろにしがちだ。
     アルハイゼンは一般人からすれば目立たない、名前だけは知っているかもしれないといった程度の存在である。だが彼の有用性を知る者はいる、特に教令院の立場ある者こそ彼の能力を高く評価していた。そんな彼らはアルファである彼に過度な期待を寄せている。彼の次代もきっと優秀な人材になるだろう、という彼個人の意思や人権を無視しているのではないか、そう訴えたくなるような期待だ。それ故に彼は見合いを持ちかけられているようだ。なお「残業」と言う程度には相手にしていないし、生活に変化がないことからアルハイゼンも上手く対処できているのが明らかだが。
     カーヴェは、アルファとベータの組み合わせから生まれたアルファである。だがアルファの出生として、一番期待値が大きいのはアルファとオメガ、もしくはアルファとアルファの組み合わせになる。もしもアルハイゼンにアルファの子を期待するのであれば、オメガを宛がうのが手っ取り早いだろう。だがアルハイゼンは異例の、オメガのフェロモンに一切影響されないアルファだった。故に教令院はこう考えた。オメガでもアルファでもそう変わらないのなら、優秀な者同士を掛け合わせた方がいい。そんなどうしようもない、下劣な考えでアルハイゼンはアルファ同士での見合いに付き合わされている。
     アルハイゼンはアルファとして欠陥を持つとみなされる。オメガのフェロモンの影響を受けない、数値だけのアルファなんて揶揄されることもある。だが第二性の縛りに苦い思いを抱えるカーヴェにとって、アルハイゼンの異質さは欠陥などではない、むしろ彼は恵まれたアルファとしか思えなかった。つい先日、発情期の周期が乱れたというオメガに巻き込まれかけたカーヴェはそう感じている。あの時はアルハイゼンと家具の買い出しに出かけていたから事なきを得たが、そうでなければどうなっていたことか。カーヴェはあの時の苦しみを思い出し、息を吐いた。
    「待ってろ。今温めるから」
    「…………」
     カーヴェは今日、アルハイゼンが見合いという残業に駆り出されることを知っていた。なので夕食は、すぐに温めることができるシャフリサブスシチューを用意している。アルハイゼンが汁物を嫌っているのは勿論カーヴェも知っている。だがカーヴェはアルハイゼンの好みに合わせて作ってやる気などない。むしろ作ってやってるだけましだと思え、そう考えるくらいだった。
     鍋に火をかけ、ぬるくなってしまったそれに熱を加える。そうして温まった具だくさんのスープをご飯にかけ、アルハイゼンに寄越す。アルハイゼンは本を手にしていないからか、それを素直に受け取った。それだけ疲れているのだろう。いただきます、と律儀に挨拶してはスプーンを鳴らした。
     カーヴェは頬杖をつき、向かいに座るアルハイゼンを見つめる。アルハイゼンの表情筋はひどいさぼり癖がついており、どんなに美味しいものを食べても緩むことがない。昔はもう少し笑ってくれたというのに。そんな、幻想に近い過去を思い返しながらカーヴェは不意に問いを投げかけた。
    「……君、相手を作る気はないのか?」
     ちょうどアルハイゼンが珍しい「残業」で遅れて帰宅したのだ、話題に上げるタイミングとしては悪くないだろう。カーヴェの問いかけに、アルハイゼンが一瞬動きを止める。それから、一切目線を寄越さないまま答えを返した。
    「……ないが。何故それを君が気にする?」
    「それは……」
     何故、アルハイゼンに相手ができることを気にするか。カーヴェは目を斜め下に逸らし、ぶつぶつと愚痴るように答える。
    「君にそういう相手ができたらほら、色々と困るだろう……」
    「…………君は金が入ったら考えなしに使う癖をいい加減直せ」
    「ぐっ……」
     正論にカーヴェは言葉を詰まらせた。カーヴェ自身わかっているのだ、未だに不動産を買うだけの資金が貯まらないのは散財癖が悪いと。アルカサルザライパレスを代表作とするスメールの著名デザイナーに学院祭トーナメント優勝者という肩書きが加わった彼は、決して稼ぎが悪いわけではない。むしろドリーへの膨大な負債を毎月(数日待ってもらうこともしばしばあるが)返済できている程度には良い方だ。だがすぐ、気分が良いからと知り合いに食事を奢ってしまったり、仕事に役立つはずだから大丈夫と言い訳してギミックに使えるパーツを買ってしまったり、ふと目についた寄付(なおそれが本当にしかるべき場所に届けられるものかは、彼のために伏せておこう)に使ってしまったり、とにかくモラを使ってしまう。宵越しの金は持たぬと言うが、そんな刹那的で破滅的な使い方をするのがカーヴェの悪いところだった。カーヴェもそれを自覚しており、最近はましになったと考えている。ましになったのはちくちく家賃の滞納を責め立てる同居人がいるからこそなのだが、その事実からは目を逸らしていた。
    「俺は番を作る気も、結婚する気もない。だが、だからといっていつまでも君を置いてやれるわけではないよ」
    「わ、かってる! 僕だっていつまでも君の世話になるつもりは、ない……」
    「ほう、世話になっている自覚はあったんだな」
    「…………」
     久しくカーヴェの心を曇らせてきた、父の死。その遠因が自身にあるのではないか、幼い自身のわがままが家庭の破滅を招いたのではないか、そんな罪悪感が払拭されたのは少し前のことだ。客観性を重視し、人に阿ることなくただただ事実を突きつけるアルハイゼンから語られたからこそ、カーヴェはそれを素直に受け入れることができた。アルハイゼンの遠慮のない事実の伝達は、カーヴェに思考の余地を与えなかった。そのおかげで、カーヴェは楽に呼吸できていると言える。濁り、凝り固まったフィルターを外すことができて、彼は相対する男とようやく向き合うことができるようになったのだ。
     かつてのように感謝の言葉を素直にいくつも告げることはできない。だが冷静になったので、自分がどれだけ彼に助けられているか――彼にそんなつもりがなくとも、彼なりのメリットを求めての行為だとしても――を理解し、受け入れることができる。なので以前より、素直に礼を言う機会は増えている。その度にアルハイゼンが「もう一回」なんて意地悪を言うので有耶無耶になりがちだが、カーヴェは確かにアルハイゼンに感謝していた。
     感謝とはプラスの感情だ。好意に繋がる感情と言える。お互いに理解できないこと、変えられない存在であること、それを理解し受け入れたカーヴェはアルハイゼンに対しての思いを整理した。アルハイゼンは別にカーヴェを嫌っているわけではない、あくまでもカーヴェの意見に否を唱えているのであってカーヴェに意地悪がしたいわけではない。それに気付いたカーヴェは、アルハイゼンとの仲をどうすればいいのか迷っていた。カーヴェだってアルハイゼンのことが嫌いなわけではない。アルハイゼンにまつわる気に食わないものは色々とあるが、アルハイゼン個人を嫌っているわけではないのだ。むしろ、気にしているからこそ彼との合わない点が目につくと言える。
     黙り込んだカーヴェに、アルハイゼンは何も言わない。何もむやみやたらに喧嘩がしたいわけではないのだ。無言で皿の中身を減らすアルハイゼンを前に、カーヴェは視線をさまよわせるだけだった。





    「最近教令院で何かやってるのか?」
     カーヴェの漠然とした問いかけに、セノは片眉を上げた。それからダイスを転がし、第二ラウンドを開始する。カーヴェもセノも残りキャラカードは三枚、ルールに詳しくない者からすれば接戦と言える。実際のところは、セノが着実に布石を打っている状態なのだが。
    「何かとは?」
    「いや、別に不穏な話じゃなくて……最近アルハイゼンの奴、様子がおかしいんだよ」
     その場にいてもいなくてもアルハイゼンの話をする、カーヴェの癖はセノもよく知るところである。いきなり関連性もないのに話題にするくせに「あいつの話をしてたら空気が悪くなる」と罵倒する、それがカーヴェの悪い癖だ。アルハイゼンがいつもみんなの心の中にいるかはわからないが、少なくともカーヴェの心の中には居着いているのだろう。カーヴェは認めないだろうが。
     先手を取ったセノは、再び次のラウンドに向けての準備を進める。手札とスキルの使用を宣言し、カーヴェに場を渡す。そして、おかしいとはどういうことだ、とカーヴェの相談に話を向けた。
    「やたらと疲れているみたいでね。最近、部屋を間違えて寝ることが多いんだ」
    「部屋を」
    「ああ」
     セノもカーヴェの住まい事情を知る者の一人である。最初こそ大マハマトラの覇気に気圧されたカーヴェだが、彼が存外面白い――この面白いとは決してジョークの質を指すものではない――男だと知ると、それなりに話せる友人となった。それにカーヴェはアルカサルザライパレスの件からティナリを厚く信頼している。そんな彼が気を許している友人なのだ、信頼できないはずがない。そういうわけでセノにも、訳あってアルハイゼンと同居しているという話は明かしていた。
    「ここのところはほぼ毎日だ。寝ようと思ったらあいつが僕のベッドで寝ていてね、さすがに僕も鬼じゃない。仕方ないからってあいつを寝かせてやってるけど、おかしいと思わないか?」
    「……そうだな」
    「だろう? 普通毎日寝室を間違えたりはしない。だからきっと、何かあったに違いない」
     カーヴェはアルハイゼンの能力は素直に評価できる。アルハイゼンという男がどれだけ優秀で「天才」と呼ばれても遜色ない存在か、その信頼は今も昔も変わらない。だからこそアルハイゼンの失態には何かしらの理由が、外的要因があると自然に考えていた。それはアルハイゼンに貼られたレッテルばかりを見た盲信ではなく、彼を近くで見ているからこその推察である。
     そうしてカーヴェが一番有り得そうだと判断したのが、業務の多忙だ。カーヴェからすればどん底と言える書記官の職だが、話を聞くとどうもただの書記官業務に収まっていないようである。一度は代理賢者に任じられ、このまま賢者となるのではないかと噂されていたくらいだ。代理賢者であった頃、クーデターによる混乱があったと言えど比較的円滑に業務が回っていたのはアルハイゼンの力もあると言われている。そんな優秀な彼を大人しく書記官に戻すだろうか。アルハイゼンは「手当は据え置きだ」と語っていた。それに基本的には元の職と同じ内容をこなしていると言うが、時折代理賢者時代にやっていたような業務を任されることもあるらしい。つまり、それを見越しての手当である。それを知ったカーヴェは、さすがにうわぁと引いた。これだから教令院のやり口は気に食わない、と彼の教令院(の上層部)嫌いを悪化させたものである。
     カーヴェは、絶対そうだ、と根拠のない確信を根拠のある確信にしたがっている。そんな彼に、セノは残念な事実を提示した。特に教令院で何かしらの催事や企みを計画している気配はない、アルハイゼンはここしばらく元の悠々自適な生活(要するに執務室に居着かない、あまり良いとは言えない勤務態度)を続けていると。それを聞いたカーヴェは紅の瞳を細め、それからううんと眉を顰めた。そうじゃないと思いたいがセノの言うことが嘘だとは思えない、そんな複雑な表情である。
    「そうか……じゃあ何なんだ? 毎日毎日僕の部屋で寝やがって……」
    「ふむ。寝室を使うことで親密になりたいというアピールかもしれない」
    「うわ、やめてくれ! 二重にぞっとした!」
     二重に……? セノが首を傾げる。二重とは一体……? セノは疑問に思いつつ、カーヴェのデッキに攻撃を仕掛ける。七聖召喚のために学院祭トーナメントに出る男だ、どんな状況でも冷静にプレイを進めることは止めない。セノの周到な準備のおかげで、カーヴェの出撃キャラは一撃で落とされる。あ、とカーヴェが己の劣勢を悟った時には手遅れだった。





     いつまでも世話になる気はないが、今すぐに出て行こうという気にはなれなかった。アルハイゼンもカーヴェが出て行くのがベストだと言いながら強引に追い出そうとすることはない。だからそれに甘えてしまうし、勘違いしてしまいそうになる。何だかんだで君、僕と一緒に暮らすの悪くないと思ってるだろ。それで、この生活を続けるのも悪くないと思っていたらいいな。そう、食事をする彼の絵の下に綴ろうとして、手を止めた。
    「………………」
     カーヴェが抱いていたアルハイゼンへの苦手意識は、かつてアルハイゼンが容赦なくカーヴェに事実を突きつけた過去のトラウマと、アルハイゼンの態度から生じていた「僕のことが嫌いなんだろう」の二つからなる。しかし前者はともかく、後者は勘違いだったということが明らかになった。アルハイゼンはカーヴェのことを嫌っているわけではない、彼を誤りと見なし変えようと、否定しているわけではない。その真実は、カーヴェの意識を大きく変えるのに十分すぎた。人というものは単純だ。多くの者はこの論理が適用される。自分のことを好きな人は好きになる、という論理が。なのでカーヴェは「そっちが僕のこと気に食わないなら僕だってそうだ」と対抗するかのようにアルハイゼンに噛みついていた。だがアルハイゼンに嫌われているわけではないと、むしろこれまでの行動などを振り返ってみて「好きか嫌いかで言うと好きなんじゃない?」と気付くと、結果はシンプルなものである。甘い青春時代を引きずっているカーヴェがアルハイゼンに好意を寄せるのは自然なことだった。また友人という関係性が築けるならばそれに越したことはない。カーヴェは、意見の対立と彼個人への感情を分けて考えられるようになっていた。
     なのでカーヴェはかつて友人だった頃のように、アルハイゼンに対して素直に接し始めた。かつてのカーヴェはアルハイゼンにひどく甘かった。当時の彼らを知る者はこう表すだろう。蜜月って言葉がぴったりだったよ、と。
     アルハイゼンに対しては取り繕うことなく傍若無人に振る舞うカーヴェだが、彼は空気の読める聡明な男だ。アルハイゼンが何を好み、何を望み、何に喜ぶのかも冷静になって観察すれば理解できるスペックを持つ。なのでカーヴェは最近、アルハイゼンにまつわる多くを知ることになった。例えば夕飯、買って帰るよりもカーヴェの手作りの方が反応が良いこととか。シーツを干してやった翌朝は機嫌が良いこととか。読書の邪魔にならないのであれば、カーヴェによる部屋の改装は割と好きなこととか。
     なのでここ最近、自分が食事担当の日はなるべく手料理を振る舞うようにしている。材料も自分の目で見繕って、アルハイゼンのためにとにかく美味しいものをと張り切って。カーヴェは奉仕するのが好きな質だった。尽くされるよりは尽くす方が性に合う、なので何だかんだ日々の雑事をこなすのはそう苦でもなかったのである。
     どうしたって喧嘩はなくなりやしないが、それでも以前に比べ空気が穏やかなものになった。カーヴェの受け取り方が変わっただけだが、カーヴェ本人からすれば革命が起きたような心地である。つい絵日記に同居人の、無防備であどけない姿を描いてしまうくらいには、彼を素直に好ましいと思えることができていた。先に荷造りまでして出て行こうとしていたというのに、今やこのまま暮らし続けるのも悪くないんじゃないか、なんて思ったりもしている。それはアルハイゼンに甘えたいから、ではない。カーヴェだって借金はどうにかしたいし、どうにかしなければならないと認識している。その身に背負う負債を何とか解消した先にある可能性の一つとして考えているだけだった。
    「………………」
     どうせ誰も見ない。自分しか見ないものなのだ。カーヴェは結局、思いの丈を素直に文字の形で残すことにした。カーヴェが幼少期よりつけている絵日記は、よく願望で締められている。たまに見返すと、当時の自分の考えていることに変な笑いが出てしまうものだ。もしこれでアルハイゼンと出会った頃の「運命だったらいいな」というささやかな夢が書いてあれば、今頃カーヴェは恥ずかしさにのたうち回っていたはずである。書いてないので奇行に走る羽目にはならなかったが。
    「…………でもここに書いたことって大体叶ってないな……」
     カーヴェは気付いてしまった。別に教令院に講師として戻ったことはないし、旧い生家を売り払った後しばらくは底辺の生活に陥った。メラックについてはわからないし、口がきけない以上確かめる術もない。カーヴェはもしかして書いたら叶わないのでは、という悪いジンクスに悩む。それなら「この生活を続けるのも悪くないと思ってたらいいな」の記述は消すべきではないか。だが消すには打ち消し線を入れる必要がある。打ち消し線を入れるのって、書いたこと自体の否定ではなく書いてあることの否定として捉えられそうだ。そうじゃない、そうじゃないんだ。いやでもどうせ僕しか見ないんだから。うーんうーんと悩むカーヴェの耳に、扉の音が届く。
    「……あ」
     いつの間にかアルハイゼンの定時になっていたらしい。

    (今のところここで力尽きてる、のんびり続きを書いて支部にあげる予定)
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    Sayu_2l

    DOODLE問:男は建築デザイナーである。依頼人との打ち合わせの際、昼食のカレーを頂くことになった。しかし彼はそれを食べるやいなや、慌てて家に帰った。何故彼は家に帰ったのだろうか?
    バレンタインカヴェアル この家にはカレーの味が二つある。
     スメールにおけるカレーとは家庭料理の代名詞と言っても過言ではない。匂いを嗅げばどこの家のカレーかわかる、と言うくらいだ。どこの家庭にもその家の味というものがある。その中でこの、アルハイゼンとカーヴェが暮らす家には二つの味がある。
     一つ目はそれぞれを形成するに至った二つの味を上手く調和させた味である。アルハイゼンの祖母が教えたカレー、カーヴェの母が教えたカレー、その二つが混ざったものが普段、二人が作る味である。基本的にこの家で作られるカレーはこちらだ。
     もう一つはふと忘れた頃に出てくる、年に一度くらいの間隔で出てくる知らない味である。ベースは二人で作ったカレーなのだが、謎の隠し味が仕込まれているのだ。それを作るのはアルハイゼンである。カーヴェはその隠し味が何なのか、何故突然そちらの味を作るのか全く知り得ない。ただアルハイゼンという男は案外気まぐれな男である。そういうこともあるか、と出てくる度に受け流していた。
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