「アルハイゼンのこともっと知りたいから、色々と聞いてもいい?」
おいおい君はどこのナンパ師だ、アルハイゼンを口説くんじゃない。隅の方で息を潜めているカーヴェは、つい漏れ出そうになったツッコミを酒で押し流した。
カーヴェという男には公然の秘密が多い。彼自身はバレていないと思っているが周りにはよく知られている、そんな秘密の体を成していないものが多くあった。その内の一つがアルハイゼンとのルームシェアである。何度もカーヴェ自身「僕はアルハイゼンのルームメイトだ!」と言ってアルハイゼンが注文した品を受け取っているので、もはや周囲は彼が秘密にしたがっていると知らないかもしれない。それでも彼に同居について触れる者がいないのは、何故彼らが暮らしを共にしているのかが全くわからないからだ。公然の秘密が多い男ではあるが、破産中の身の上という大変な事実だけはきちんと隠し通せている。それ故に何故アルハイゼンと同居しているのか、彼を慕う後輩や彼と喧嘩しない友人がいないだろうに何故あのアルハイゼンと家を共有しているのか、ブラックボックスと化しているのである。そこで下手につついて蛇を出すわけにはいかないと皆触れようとしない。それ故にカーヴェは同居の事実を隠し通せていると勘違いするのであった。
カーヴェはアルハイゼンと対照的に表情が豊か、つまり感情が表に出やすい男である。それ故に秘密や嘘がそうだと悟られるのが早く、生暖かい目を向けられがちである。つい最近、そうする者の中に金髪の少年が仲間入りした。国を揺るがす大事件の中にいた旅人、空。彼はアルハイゼンという共通の知り合いを通してカーヴェと友人になり、そしてカーヴェがアルハイゼンに対してまあ複雑怪奇大変に拗らせた初恋を抱いていることを知ってしまった。なお、不本意である。カーヴェが一人でダダ漏らしにしていただけである。
カーヴェは決して人付き合いが不得手な男ではない。むしろ敵を作りやすい(しかも空気が読めずにそうなっているのではなく、空気を理解した上で読まないという選択をしているのでタチが悪い)アルハイゼンとは正反対で、彼は人に好かれる男であった。それなのに何故かアルハイゼンに対しては上手くいかない。彼を前にすると嫌味や皮肉が出てしまうし、素直な言葉がなかなか出てこない。ついでに言うと彼には格好良い部分が見せられない。何故そうなるのかと言えば、とにかく初恋を拗らせているとしか言いようがない。
そんな彼はある日、旅人の少年から一つ依頼を受けることとなった。平穏な暮らしを望み、そのためならば忙しい振りをしてでも面倒事を断る同居人とは異なり、カーヴェは頼まれたら見返りを度外視してでもなんとか応えようとする男である。だが、旅人は善良であり弁えている男だった。ただ力を借りるだけというのは気が引けるから代わりに何かしてほしいことや欲しいものがあったら。その言葉にカーヴェは「別に気にしなくていいのに」とアルハイゼンに対しては何故か発揮されない寛容さを見せ、そして唸った。いや、せっかくの善意を受け取らないのはそれはそれで心苦しい。ついでに言うと、ちょうど助けが欲しいところでもある。だがこれを頼んでいいのだろうか。悩むカーヴェに、旅人は「タダ働きをさせるわけにはいかないからさ」と苦笑した。それをきっかけに、カーヴェは大変情けないことを承知で一つ見返りを求めた。
それが、アルハイゼンの好みのタイプを探ってほしい、という依頼である。正直なところ、アルハイゼンに一番近しい人物は自分であるという自負があった。だがカーヴェのコミュニケーションスキルは、何故かアルハイゼンにのみ発揮されない。アルハイゼンのつれない対応にかっと血が上り、言わなくていいことを言ってしまう自信しかなかった。
カーヴェの知る限り、想い人であるアルハイゼンと旅人の仲は良好である。自分が砂漠で建築家として腕を発揮している間に様々な修羅場を経て戦友となった、と認識していた。話を聞く限りアルハイゼンはカーヴェに対するように、彼に皮肉や嫌味を言うことはあまりないらしい。ならば素直にカーヴェの知りたいことが聞き出せるのではないか。そう考え、カーヴェは旅人に全てを託すことにした。
カーヴェは息を潜め、二人の会話に耳をすませる。賑わいの絶えない飲食店は他愛もない、つまらない話をするのに最適だった。
「別に構わない」
「ありがとう。それじゃあ……率直に聞くけど、アルハイゼンってどういう人が好きなの?」
率直すぎる。だが自分に足りていないのはこの真っ直ぐさかもしれない。アルハイゼンに対して真っ直ぐ過ぎるほどひねくれた態度を取ってしまう男は、これが若さかと眩しさに目を細めた。
「そうだな。素直な者だ」
カーヴェはショックを受けた。カーヴェは己がアルハイゼンに対して素直になれないことを自覚している。心配しても先に出てくるのは嫌味で、ひとしきり彼に文句を言ってようやく大丈夫だったのか、と聞くことができる様だ。宙に浮いたグラスは、微かに震えていた。
「正直に自分の思っていることを伝えられる人物は好ましい」
「あぁ……」
思っていることを伝えられていない。三分の一も伝えられていない。カーヴェはただ、アルハイゼンを愛しているのだ。愛しているのに、まるで嫌っているかのような否定な言葉を発してしまう。カーヴェは目の前が真っ暗になるような絶望を覚えたが、なんと話は終わらない。
「それから、物事に対して黙々と真面目に取り組む姿は好感が持てる」
カーヴェは己が物静かか騒がしいかで言えば後者の自覚があった。デザイン案を出す時も、行き詰まった時は「ああ! 全然だ! どうしたと言うんだ僕の頭! もう終わりだ! どうにもできない!」と騒いで辺りを散らかして、アルハイゼンによく叱られている記憶がある。全然黙々としていない。真面目には取り組んでいるが、めちゃくちゃうるさい。カーヴェは青ざめた。からん、と小さくなった氷が音を立てて酒に沈む。そんなカーヴェに注目する者は、一人としていなかった。
「あとは、そうだな。一緒にいて安らぐ者がいい」
自分といる時のアルハイゼンは安らいでいるだろうか。否、むしろピリピリしているように見える。カーヴェは己がアルハイゼンを怒らせている自覚があった。今の旅人といる姿の方が余程くつろいでいるように見える。カーヴェはわなわなと震えていた。そこに、更に旅人のダメ押しが入る。
「見た目とかはどう?」
「見た目?」
「まあアルハイゼンのことだから見た目にこだわることはないとか言いそうだけど」
「よくわかっているな」
ぼ、僕だってアルハイゼンの言いそうなことわかるけど 僕なんか完全に見た目も声も再現した上で想像できるけど カーヴェはよくわからない対抗意識を抱いた。年端もいかない少年に対して。大人げないことである。
そんな一人騒がしいカーヴェの気持ちなどつゆ知らず(そもそもカーヴェは隠れて盗み聞きしている状態なので知られていては意味がない)、二人の会話は続く。穏やかで和やかな空気だった。
「…………強いて言うなら」
「強いて言うなら?」
「金色は、好きかもしれない。眩しい金色だ」
おいおい、もしかして旅人がアルハイゼンを口説いているのかと思ったら君が旅人を口説いているのか? カーヴェは戦慄した。思えば合致するのだ。カーヴェから見ても、旅人の少年は素直で真面目な好青年である。その上彼はカーヴェも認める義と情に厚い男でもある。今だって他人と衝突を起こしやすいあのアルハイゼンと和やかな空気を作り出せている。そして彼が好きかもしれないといった金色の髪に瞳を持つ。もうこれはそういうことではないのだろうか。カーヴェは鼻をつんと突くような絶望を紛らわせるため、杯の中を空にした。
カーヴェはアルハイゼンに言わせてみれば精神的にひ弱で、何でもないようなことで大騒ぎする子供である。好みのタイプと真逆だ、完璧に合致している子がいて今いい空気になっている。そう結論を出してしまったカーヴェは隅のテーブルで項垂れ、うぅぅと情けなく涙ぐむのに忙しくなっていた。故に、その先を聞き逃していた。
「何となく思い当たる人がいるんだけど」
「ほう。もしそれが今この場にいないことになっている人物であるならば君の推測は正しいと言えるだろう」
あーやっぱり。少年は苦笑した。苦笑するしかなかった。
素直な者。アルハイゼンは誤解されやすいがただ面倒事を避けたいだけで、決して人が嫌いなわけではない。なので彼はわからないことをわからないと、おかしいと思ったことをおかしいとストレートに、思考を止めることなく意見としてぶつけてくる者を決して拒みはしない。アルハイゼンの評価する素直さとはそういうものである。
物事に真面目に黙々と取り組む者。カーヴェは知らないが、旅人は何度かカーヴェのいるタイミングで彼らの家を訪れている。そこでカーヴェはじっと黙り、ひたすら設計図と模型に向き合っていた。少年の知るカーヴェという人は、明るく賑やかで華やかな男性である。そんな彼が動じず、ただ一つのものに向き合っている姿はひどいギャップを感じさせた。同じ部屋で読書に興じていたアルハイゼンは戸惑う少年に気づくやいなや、落ち着いた調子で言ったものである。「彼に用があるならしばらく待つしかない。君さえよければ、ここには本がある」と。
金色。少年の持つ金色は柔らかな金であり、眩しいと表すには優しすぎる色だった。アルハイゼンが眩いと目を細めながらも見ずにはいられない色を持つのは、彼である。
「なんかお腹いっぱいになっちゃったな……」
「なら持って帰るといい。彼女も喜ぶだろう」
「アルハイゼン、パイモンのことも好きだよね」
うん、とアルハイゼンは小さな肯定と共にグラスを手に取った。そしてごくりと小休止を挟んだ後、微かに目尻を下げた。
「あと、そうだ。そいつは踊るのが得意だ」
「……手のひらで?」
「一人でだ」
少年はちらりと一点に目を向け、はは、と乾いた笑いを零した。