あなたのために 深夜零時半。執務室の障子が開く音で、ビクッ、と審神者の身体が跳ねる。ペン先がぶれて、心電図のような横棒が書類に現れた。
「大将、ちゃんとやってたか? これ食べて、ひと休みしようぜ!」
審神者は机の上の書類を下敷きに、半ば突っ伏せるようにしていた。のろのろと音の方を見上げると、そこには盆を手にした厚藤四郎が立っている。満面の笑みが眩しい。
「おかえり~……なんか持ってきてくれたの?」
これ幸いと、力の入らない手で握っていたボールペンを転がした。
「大根餅だぜ。チーズたーっぷりの」
「チーズ! ……深夜なのに、いいのか?」
「おう。歌仙からも許しが出てる」
「歌仙が? へえ、珍しいものを作ってくれたね」
厚はぎくりとする。歌仙の名が出たことで、彼が作った料理であると審神者は誤解しているようだった。
「厚も一緒に食べよう。独り占めするのはもったいない」
審神者が書類を除けたところに、皿や箸を置く。彼の目は大根餅に釘付けだ。
「……あのな、大将」
「ん?」
そう厚が口を開けば、言葉を待つ視線が向けられる。厚はつい、と一瞬だけ目を逸らした。おかしい。さっきまでは、自信満々に打ち明けられるはずだったのに。
「実はそれ、オレが作ったんだ」
審神者はきょとんとしたまま、何も言わない。
「……厚が?」
ややあって、発された彼の言葉はとても静かだが、明らかに喜びが混じっていた。
「はは、そうかあ……私のために?」
厚が頷くと、審神者はにやけそうになる頬を一度ぺちんと叩く。そして、待ちきれないように手を合わせた。
「いただきます」
口に運ぶ様子を、厚は盆をきつく抱えて注意深く見る。味は歌仙のお墨付きで自信はあるが、やはり緊張が腹の底にあった。
一口で食べられる大きさではあるが、審神者は大根餅を控えめにかじった。咀嚼してすぐ、パッと顔を輝かせる。
「うん……すっごい旨いよ、これ!」
開口一番に笑いかけられ、身体の力が抜けた厚の顔にはにかみが浮かぶ。
「そっか。良かった」
審神者は二口目もゆっくりと味わって食べている。それが無性に嬉しくて、厚は陽だまりのような優しい目を向ける。作った甲斐があるというものだ。
ふう、と審神者が心地よさそうに息をついた。
「いつの間にこんな凝ったもの作れるようになったんだ? 大根餅って、色々混ぜて作るやつだろ」
「ああ、歌仙に教えてもらったんだよ。大根の仕込みしてるところだったから、それ貰ってな」
「なるほど、それでか。会ったらお礼を言わなきゃな」
審神者が二つ目をつまんだところで、厚は地袋から急須と湯呑みを取り出して茶の用意をし始める。
「なあ、厚」
二つ目をじっくりと食べ終わり、三つ目を取った時、審神者が呼んだ。
「さっきはああ言ったけど、やっぱり独り占めしてもいいか?」
「もちろん良いぜ。大将のために作ったからな」
「うん。だから全部腹に収めたい」
想像以上に喜ばれている。厚にはそれが分かって、とても照れくさくなる。
「よーし、全部食べるならその分、もっと頑張れるよな!」
「えー……努力はする……」
照れ隠しに口をついた言葉に、審神者がしょんぼりとした声を上げた。しかし、三つ目を口に運んで、ころりと笑顔を浮かべる。
また新しい料理を習おうと、厚はその顔を見て決めたのだった。