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    MATSUNDER

    @MATSUNDER

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    MATSUNDER

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    思うところあり支部から消したのをこちらに供養しておきます。

    移ろう誇り 初めの違和感は、その声から。
    「厚。風邪かい?」
     投げかけられた言葉に、厚藤四郎はどきりとした。思わず事務仕事の手が止まる。
    「ちょっと声ががさがさしてる」
    「いや……乾燥してるだけだな。大将は大丈夫か?」
     茶をひと口すすって顔を上げると、心配そうに眉を下げた審神者と目が合った。
    「私は平気だよ。加湿器でも置こうか」
     彼が立ち上がろうとするのを制止して、厚は安心させるように笑顔を見せた。
    「大したことないって。そんなことより、とっとと終わらせようぜ」
     作業を再開すると、審神者も渋々と自分の作業に戻る。それを見て厚は胸を撫で下ろした。

     春。暖かくなったと思えば冷たい風が襲い来て、昼が暖かくとも朝晩は冷え込む寒暖差の激しい季節。
     それなのに油断してしまった。
     熱い湯に浸かった昨夜の風呂上がり、暑いからと何も羽織らず本を読み始めたのが間違いだったのだ。身体が冷え切ったことに気付いたのは、自分がくしゃみをしてからだった。
     先ほどから喉も痛む。つい否定したものの、風邪をひいたのは間違いないようだ。
     それを審神者に知られたら、全てを投げ出して心配してくるだろう。さらには仲間にも気を遣わせる。
    (まあ、よく食べてよく寝たら治るよな)
     厚は喉元で咳を抑え込んだ。


    ※※※


     予想はすっかり外れた。
     翌朝、厚を襲ったのは酷い身体の重さと熱。背中が縫い付けられたように動けない。瞼を持ち上げるのにも根気が必要なほどだった。
     それに兄弟たちが気付かないはずもなく、ただ一言「寝てろ」と布団を被せられた。
    (今頃、朝餉の時間か)
     一振だけの静かな部屋で、遠くから聞こえる話し声に耳をそばだてる。兄弟を通して、審神者は厚の不調を知っただろう。心配する姿が目に浮かぶ。
    (大将、仕事できるといいんだけどな)
     彼は何かと自分に振り回されすぎる。
     修行後、初めて大怪我を負った時のことを思い出す。あの時審神者は痛々しいほど狼狽えていた。きっと今回も、彼は飛んで来るだろう。
    (誰かが──そばで、見ててくれたら……)
     意識が落ちていくなか、自分の手を握り、震えていた審神者の顔がずっと浮かんでいた。


     次に厚が目を覚ました時、まず聞こえたのは陶器が触れ合う音だった。
    「よ、起きたか」
     音の方を見やれば、微かに湯気を漏らす土鍋と薬瓶、吸い飲みを持った薬研藤四郎がいた。軽い調子でそう言って枕元の明かりを点ける。
    「声は出せるか?」
    「あ、あー……大丈夫そうだ」
     厚の声は昨日よりしわがれているものの、喉の痛みはさほど酷いものではなかった。寝間着が肌に張り付くほど汗に濡れているが、身体も随分と軽くなっている。薬研はそれらが載った盆を布団のそばに置いた。
    「そりゃ結構。ほらよ、水飲んどけ」
    「いいって。自分で飲める」
     吸い飲みを口元に当てがおうとした手を制して厚は起き上がった。
     寝ている間も世話を焼かれていたらしく、額に載せられていた濡れ手拭いが落ちる。側に水を張った桶もあった。それを掴み取りながら、厚は胸にじんわりとした温もりが広がるのを感じた。
     厚は吸い飲みを傾ける。水はぬるかったが、カラカラに渇いた喉には美味く感じられた。
    「オレ、どれくらい寝てたんだ?」
    「半日くらいだな。まだ夕餉前だ」
     薬研の言う通り、同室の兄弟たちは帰ってきておらず、遠くからは眠る前よりも賑やかな話し声が聞こえている。
    「よし、じゃあちょっと口開けてくれ」
     薬研は簡単に厚の容態を診始めた。舌に当たる金属ベラの冷たさが心地いい。
    「まーわかっちゃいるだろうが、風邪だろうな。薬はこれ。食後に飲めよ」
     診療器具をしまった後、薬研は瓶から錠剤を二錠取り出し、盆の上に置いた。
    「あ、食欲あるか?」
    「ある。助かったぜ、薬研。ありがとな」
     喉の渇きが癒されると、穏やかな空腹感がやってきた。薬研が膝の上に盆を載せてくれる。
    「取り皿は持ってきて無いぜ。そのままいけよ」
    「この大きさなら大丈夫だ」
     土鍋は一人用のもので、そのまま食器としても使えるほど小さなものだった。中には梅粥が入っており、その匂いで唾液がじわりと湧いた。
    「いただきます」
     厚はレンゲを手に取り、軽く粥をかき混ぜて──そのまま、口に運ぼうとはしなかった。
    「なんだ。うどんが良かったか?」
    「いや……」
     厚はどこか気が散っていて、食事に集中できていない。
     熱が上がってきたのかと薬研が思った時、厚は重々しく口を開いた。
    「……大将は、今日どうだったんだ?」
     ああ、と薬研は苦笑した。近侍を務めるこの兄弟は、自分のことより審神者が気になる性質らしい。
    「代理は包丁に任せたよ。やりたがってたからな。曰く──仕事しかしてない、らしい」
    「あの大将が?」
    「ああ。ここにも来てない」
     厚はぱちくりと瞬きをして、訝しげに薬研を見た。心配性で頼りなくて、刀を家族のように想う審神者が、見舞いにも来ないのはあり得ないことだった。
     主遊んでくれるかな、とうきうきしていた包丁藤四郎は、薬研が八つ時に顔を見たときにはしおしおと萎れていた。
    「主ったら全然休憩しないし、俺にもあんまり構ってくれないし。ちょっとは休まないと主まで倒れるよ!」
     と、文句を言っていた包丁のことを伝えると、厚はますます眉をひそめた。
     彼らの審神者は、事務仕事がめっぽう苦手、かつ集中力の保たない人間だった。それが仕事しかしていないと評されるのは、天変地異よりも衝撃的なことだ。
    「いやいや、包丁から見ての話かもしれないしな」
    「いいや? 俺っちも間違ってないと思うぜ」
     薬研は芝居がかった動きで手を振った。
    「包丁にひっ付いて大将を見に行ったけどな。菓子を食いながら、手は止めてなかったんだ」
     厚は薬研の目をまっすぐに見つめてそれを聞き、やがて、ふっと手元に目をやった。
    「……てっきり、オレがいないから──」
    「心配で仕事できないんじゃないかって?」
     薬研がくつくつと笑いながら、言葉の先を言い当てる。厚は頷きつつも、決まり悪そうにしてレンゲを置いた。
    「逆じゃねぇかな」
    「逆?」
     薬研の言葉に、複雑な思いが渦巻く。
    (もしかして、オレがいないから仕事ができてるのか……?)
     厚にとって、審神者の持ち物にとって、近侍に任命されることは誇りだ。一番近くで主を支えられる、信頼の証。
     厚は長く、近侍を務めてきた。隣に在り、審神者を支え、叱咤し、時には弱音を受け止めた。これまで、間違ったことをしてきたつもりは無い。
     しかし、それが審神者にとって合っていないのなら、自身のやり方を変えるべきだ。
    「なぁに、そんな顔すんな。悪い意味じゃない」
     薬研は穏やかに笑って、何かを思い浮かべるように宙に目をやった。
    「あれは見たところ……いや」 
     何かを言いかけて、薬研はすっくと立ち上がった。
    「もう直接話せ。大将呼んでくる」
     大股で部屋を出る薬研の背中を、厚は望洋とした気持ちを抱えて見送った。

    ※※※

     遠くから聞こえていた足音が、部屋の前で止まる。そして、ためらうように深く息を吸う音が聞こえた。
    「厚、入るよ」
     襖を開けた審神者の顔には、いつもより疲労が色濃く顔に出ていた。そして、感情を抑えるように強張った表情をしている。ちくりと厚の心が痛んだ。
    「起き上がって平気なのか?」
    「寝てばっかも飽きるしな」
     厚は布団の上で上体を起こしたまま、審神者を迎えていた。新しいものに着替えたのか、寝間着には乱れひとつない。
    「昨日より声が掠れてる。具合は?」
     居心地悪そうにしながら、審神者は布団のそばに膝をつく。
    「だいぶ良いぜ。明日には元通りだよ」
    「そうか……良かった」
     すぐに沈黙が訪れて、お互い気まずそうに目を伏せる。耳をすませなくても遠くのざわめきが聞こえるほど、重い空気が部屋に満ちていた。
     やがて、審神者が口を開く。
    「厚が寂しがってるから顔見せてやれ、って。薬研が」
     厚は内心、大げさに言った薬研に文句を言ってから、正面の伏せられた目を見た。
    「ああ……まあ。仕事ばっかりしてたんだってな? 感心感心」
    「見舞いにも来なくて、ごめ──」
     視線を感じて、目を上げた審神者の表情が、信じられないものを見るように歪む。
    「いやいや! オレ、心配だったんだ。仕事が手につかないんじゃないかって。でも、大丈夫だった」
    「どうして、そんな顔するんだ」
     厚はぎこちなく微笑んでいた。そして、再び目を伏せる。
    「……なんでだろうな、大将がしっかりやってて嬉しいのに。オレが、そのきっかけになれなかったのが──悔しい」
     審神者の中に、沈み込むような物悲しさが広がる。目の前の近侍に、苦しげな顔をさせているのが耐えられなかった。
    「違う、違うんだ、厚」
     彼は何度も首を振りながら厚の手をとり、固く握りしめた。
    「私が今日ずっと仕事できたのは、お前がきっかけだよ」
    「……オレが、側に居ないからじゃなく?」
    「まさか。その逆だ」
     薬研が逆、と言っていたのは正しかったらしい。再びその言葉を向けられた。
     審神者は悲しそうにしながら、厚の手を包み込むように握り直す。彼の低い体温が、氷のように厚の強張りを溶かしていく。
    「これ以上、負担かけたくなかったんだ。私が溜め込んだ仕事を手伝ってたから、きっと疲労が祟ったんだよ」
    「関係ないって! オレが身体冷やしただけだ。疲れてなんかない」
     そう言っても、審神者はまったく納得していないらしい。不満げに眉を寄せ、やがて目を閉じた。
    「修行してからの厚が、初めて重傷になった時のこと、覚えてる?」
    「ああ。覚えてる」
    「私が情けなく騒いだもんだから……落ち着かせようとして、お前は無理して笑ってただろ」

     自責、心配、不安、恐怖がないまぜになった顔。
     審神者にそんな顔をさせたのが自分だと思うと、嬉しいようで、悔しさの方が勝った。
    「大将。そ、んなに心配すんなよ……見た目より、大丈夫……だか、ら」
     厚は激痛を堪えながら、自然と彼に笑いかけていた。
     そこから先のことは、厚自身もあまり覚えていない。ただ、審神者の表情と、震える手の感触が焼き付くように残っている。

    「許せなかった。怪我を押してまで厚に心配かけさせた、あの時の私を」
     厚は反射的に審神者を見た。
    「同じ轍は踏まない。お前に何かあったら、今度は泰然としていよう──って」
     審神者から目が離せない。あの審神者の表情と、今の表情は似ているようで、どこか違っている。
     彼はもう、あの時の震えていた彼のままではないのだ。厚がそのことに気付いた時、身体の芯が熱くなったような感覚を覚えた。
    「でも、駄目だったな。見舞いは我慢できたけど、いつも通りなんて無理だったよ」
    「そんなことない。いつも以上だろ?」
    「……なんだよ。“いつも通り”が悪いみたいに聞こえるな?」
     厚がいたずらっぽく笑うと、審神者も破顔する。
     彼らは互いの瞳をまっすぐに見て、半日分の空白を埋めるように、しばらく笑い合っていた。


    ※※※


    「大将。やってるか?」
     厚が微笑みながら執務室の障子を開けた。手には菓子盆を携えている。
    「ああ。これまでにないくらいな」
    「感心感心!」
     厚は誇らしげに笑う。審神者は大量の書類を前に格闘を続けていた。
     彼はその向かいにあぐらをかくと、書類を手にすることなく頬杖をついた。

     病床で、厚はあることを提案した。
    「大将は、仕事でオレに負担をかけたくない。そうだな?」
    「うん」
    「オレは負担だとか思ったことないけど……まあいい。オレの方は、一番そばで大将のことを支えたいんだ」
    「う、うん。ありがとう」
     一寸の照れもなく言い放たれる厚の言葉に、審神者はどぎまぎとしながら胸を押さえた。
     その様子に構うことなく、厚は淡々と言葉を継ぐ。
    「オレが手伝うのはやめない。ただ、量を最低限にする。やばい時以外な」
    「やばい時があること前提か」
    「何事も想定しとくのが大事だろ。どうだ? いい落とし所だと思うぜ?」

     そして、書類を前に唸る審神者と、彼をただ微笑んで眺める厚の構図が出来上がった。
    「あ、大将。そこの額が違うぜ」
    「え、どこ?」
     正確にはただ眺めているだけではなく、こうして口出しもしているが。
    「もう一束終わったら、休憩にしような」
     厚の声色は楽しげだ。審神者は彼をちらりと見て微笑む。
    「私が仕事してるの見てて、そんなに楽しい?」
    「ああ。なんつうか、感慨深いな」
     厚は、少しだけ変化した時間を愛しく思っていた。
     何事も同じままではありえない。停滞した物事はいずれ立ち行かなくなるだろう。
     存続には、変化が不可欠だ。
    「終わった! 休憩だ!」
    「おう。お疲れ、大将」
     厚はまた、誇らしげに笑った。この関係が変わりながらも、長く続くことを望みながら。
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