ワードパレット『3マゼンダ色の海』3マゼンダ色の海
『どこか遠い国』『心中』『懐かしい』
ただ腕を引かれているだけなのに懐かしい気持ちになった。
「お前がこうやって僕をどこかへ連れて行くのはいつぶりだろうね」
「え?そんなことしてたっけ」
「小さい時は、よくお前が悪巧みに誘ってきただろ」
おそ松は一番に儲け話や面白い話を見つけるのが得意だった。そして、僕を見つけると一番に駆け寄ってくれるから、僕はおそ松の一番でいられる気がしたんだ。
「どこに行くの?」
「んー、海、見たいなって」
この街中で何言ってるんだ。
「海?歩きじゃ無理だよ」
「さっきイヤミからかっぱら……拾ったんだよね。美術館のチケット2枚」
美術館……?別に僕相手だからイヤミからかっぱらったことなんか素直に言えばいいのに。変なところでかっこつけたがるよな。
「お前と美術館って似合わないね」
「俺もそう思う。普段はつまんねーって思うんだけどさ」
とん、とチケットに描かれた絵を指す。
「この海、お前と見たいなって」
それはマゼンダ色の海の絵だった。
「綺麗。日の出かな……?」
「そーなの?なんか綺麗だなって思ったんだよね」
「どこでやってるの?」
「駅前のあのビルの何階か」
「ちゃんと見ろよな」
チケットを見ると6階みたいだった。
「はは、俺、こういうところ抜けてるからチョロ松に一生面倒見てもらえると助かる〜」
「僕も流石に一生は無理だからね?」
「えー?なんで?」
なんでって……。普通に考えたらわからないかなぁ。
「普通に、結婚したりとか自立して家出てったりするだろ」
僕は当たり前のことを言ったはずなのにおそ松兄さんは少し不機嫌になった。
「俺らに普通が通用すると思ってるのがお前のヤバいところだよな。俺たちとっくに普通の道を外れちゃってるのに」
うわ、聞きたくない。そんなの、信じたくない。僕はまだ……。
「まあ、今日はそういうの忘れて楽しもうぜ」
僕の表情が曇ったのを見てなのか腕を引くのをやめて肩を組んで歩き始めた。体温と汗の匂い。近いな。でも、嫌じゃない。他の兄弟がこの距離にいたらちょっと近すぎるのに、おそ松兄さんだけが特別だ。そんなことを思っても仕方がないけど。僕にとっておそ松兄さんが特別でも、あいつにとってはそうでもないだろうし。よし、切り替えよう。
「なになに……失われた国の景色展?」
「イヤミがおフランスの景色を見るザンス〜とか言ってたけど絶対フランスないじゃん」
イヤミってフランスに憧れてるのに絶対フランスに辿り着けない運持ってるよな。
「俺、初海外はチョロ松とがいいな」
「金ないのに海外旅行の話とかしちゃう?」
「チョロ松とだったら退屈しないもん」
その言葉が嬉しくて心臓が飛び跳ねた。まるで、僕が特別みたいじゃないか。隠すようにおそ松兄さんから顔を逸らす。
「あらぁ?今お兄ちゃんにドキッとした?」
なんでこいつこういうの見抜くのは得意なんだよ。最悪。
「してない!」
「んふ、まあいいや」
ぎゅっと肩に絡む腕の力が強くなった。こんなに近かったらドキドキしてるのバレちゃうよ。
「チョロ松は俺と2人は嫌?」
「い、嫌じゃないけど」
このままこの雰囲気に呑まれるのはヤバい気がする。
「この海、聞いたことない国の海なんだ。なぁなぁ、こういう誰も知らないようなどこか遠い国でなにしたい?」
そんなの、よく調べないと観光地もわかんないだろ。
「お前は考えるばっかだから俺から言おうか」
言外に頭でっかちと罵られたような気がする。
「俺たちが2人で海外旅行したらさ、きっとどこかで帰れなくなると思う」
帰れ、なく……?
「だって帰ったらお前の嫌いな現実ってもんが待ってるし、永遠の旅行気分っていうのも最高じゃない?」
なんだかリアルに想像してしまう。
「まあ、最悪金がなくなったらそこで心中なんてのもいいよね。ロマンがある」
「物騒なこと言うなよ。する勇気もないくせに」
心のどこかでそれもありなんじゃないかと思ってしまった自分が怖い。
「お前がいいなら、やっちゃうよ?俺」
まるで本気みたいな目だ。
「まあ、覚悟ができたら」
「お前と一緒なら俺はどこでもいいよ」
その言葉が僕のことを特別だと言ってくれてる。それだけで充分だ。これ以上を望んだらきっとおそ松兄さんの言ったようなことになってしまう。
「いつか、覚悟ができたらね」
「今は、絵の海で満足しなきゃな」
ぷらぷらと風に靡く2枚のチケットはもしかしたら戻れない旅への片道切符だったかもしれない。