ツキイチオウセ わがはいはネコである、ナマエはまだない。なんてコトバがニンゲンたちの世界にはあるらしいが、そのコトバよろしくワタシにもナマエなどという大層なものはない。カラダが明るいチャイロだから、チャイロとか、キャラメルとか、タマとか、ソコノネコとか、いろんな呼ばれ方をしているが、ここに来るヒトは一様に別々の音でワタシを呼ぶので、コレは多分、ナマエなどという大層なものではないと思っている。
ここに住むジュウショク、と呼ばれるボウズなどはコノギャング!などと意味不明な音で自分を呼ぶけれど、その意味はネコとよばれる自分には全く理解できない。ただ、声が荒ぶっているので、怒られているということはわかる。多分あまりいい意味じゃないんだろう。でも、オソナエモノといわれるタベモノを食べたくらいで、なぜそんなに怒るのだろうか。どうせ雨ざらし、風の中でも出しっぱなしなそれがキレイなうちに食べてやろうとモグモグしているのに、ニンゲンはそれが気に食わないらしい。ニンゲンは贅沢なイキモノだ。来世はニンゲンになりたいものである。
自分が住まうこのオハカなる場所は、いつも静かで風が気持ちいい。先述したようにオソナエモノが年がら年じゅう置かれているので、タベモノにも困らない。夏はそれらが美味しく食べられる時間が短いのがタマニキズだが、数多そびえる直立したイシたちが夏の日差しの中でもとにかく冷たく気持ちがよくて、とてもいい。冬は寒いが、自慢のモウフがモフモフになるため、案外どうにかなっている。冬の間だけ親切になったジュウショクが家先に雨よけのコヤのようなものを置いてくれるので、それを有り難く使わせていただいているのだが、これがどうして、なかなか使い心地が良い。これがニンゲンで言う、モチツモタレツ、というやつなんだろうか。勿体ない精神でオソナエモノを食べていたが、漸くその有り難さがジュウショクに伝わったのかもしれない。春になるとそのコヤは無くなってしまうけれど。ぐぬぬ。
しかし、最近。ニンゲン的な言い方をするとここイチネンハンくらいの間。また親切なニンゲンが増えた。
そのヒトは顔にメガネという物体をつけているオトコのヒトだ。すらりとしたニ本のアシで器用に美しく歩き、髪の毛は暗く深い夕焼けの色をして、反対にそのヒトミは冬の青空の色をしている。
オトコが来る場所はいつも決まっている。ここでも一際華やかに飾られたあるオハカ。そこは他のオハカよりいつも賑やかで、ヒトの来訪が絶えない場所だった。花がたくさん飾られていて、オソナエモノがたくさん置いてある、小さな場所に不釣り合いなほどの贈り物や気持ちを浴びているその場所は、ワタシもよくお腹が空いた時にお世話になっている。だけど、サンカゲツ、ハントシ、イチネンも経つとそれもだんだん落ち着きを見せ、来訪するヒトも減ってきていた。もちろん、このオトコのように定期的に来るヒトも未だにいるが、同じ周期でキチリキチリと来るヒトは珍しい。ジュウショク的に言うと「ツキメイニチにちゃんとココに来ている」と言うことらしい。リッパなことだとジュウショクか言っていたので、たぶんすごくえらいヒトなんだろう。ワタシもニンゲンになれた暁には、ツキメイニチにオマイリをしようと思っている。えらくなりたいので。
話が逸れた。-そんなツキメイニチにここにくるオトコは、アサに来たりヨルに来たりヒルに来たり、さまざまな時間にやってくる。そして来るたびにワタシにオソナエモノをくれた。「あの人ならたぶん、その方が喜ぶでしょうし」なんて言いながら、ワタシがオソナエモノを食べる姿をじっと見つめていたりもする。なんとも優しいオトコなのだ。
今日も自慢のミミがその足音を聞きつけて、いつもの場所へ急いでアシを運んでみれば、そこにはいつも通りのオトコが立っていた。片手にキレイな桃色と雲の色をした花を束ねたものを持ち、もう片方にはなにやらフクロが握られている。にゃーにゃーにゃー。もうそろそろ来るころだと思っていました、と言ってみたら、じっとイシを見ていた視線を外して、タメイキを吐かれた。瞬間、やわらかな春風が吹く。気持ちがいい。
「…また貴方ですか」
「にゃあ」
またワタクシです。こんにちは。
今日はヒルに来たその人にアイサツ。しかしその挨拶も聞いているのかいないのか。そのオトコはまたイシに視線を戻すと、テキパキとした動きで花を飾り、フクロからごそごそとオソナエモノを出す。それはリンゴとか呼ばれるクダモノだった。しかもこのオトコが手ずから切ってきたであろうやつ。これはゴチソウだ。やったぁ!とリンゴの元へ歩いて行ったら、ぐむむと大きな手のひらが自分を拒む。そしてはぁ、とまたタメイキ。しかも深いやつ。少し困った目がそこにはあった。
「まだ食べないでください。お参りが済んでおりませんので…。…いや、何を言ってるんだ自分は、ネコ相手に」
「にゃう」
「返事、なんですかね、これ。…まぁ、どこまでこちらの言っていることが理解できてるのかは知りませんが、とにかくもうちょっと、待っててください」
実は全部わかっております。ワタシの口の構造上、ニンゲンのコトバは喋れませんが理解はできます。なにせワタシはえらいネコなので。
しかし今更そんなことを言っても仕方ない。待てと言われたら待つのがサホウ。ジュウショクにもキツいシツケをされたワタシは、案外イイコなのです。止められたその場にきちんと座ってちゃしちゃしと手を毛繕い。良いと言われるまでこのように待っておりますとそちらを見れば、オトコはまたタメイキを吐いた。そうしてごそごそとフクロの中からオセンコウと呼ばれるものを出して火をつける。青い空に立ち上がるケムリ。ゆったりとしたそれは青空に溶けるようになくなって、残るのはなんとも不思議な匂いだけ。オトコはそのケムリを目で追った後、ゆっくりふぅーと燃えてる部分を一吹きし、それを一段高い台座にさした。
オトコは立ち上がる。そうしてゆっくりと目の前にそびえるイシの表面を撫でて、下を向いた。自分が踏みしめているイシをまるでノックをする様に、こつんこつんとアシで叩く。まるで何かの合図のように。-アイサツのように。
そうして、オトコはゆっくりと手を合わせて目を瞑った。これをジュウショクはイノリ、と呼んでいた気がするが、ニンゲンの儀式らしいその行為の意味を、ワタシは未だに正しく理解できていない。でもたぶん、すごく大切なモノなのだろう。このオハカにくる誰も彼もが、音もなく、声もなく、この直立したイシの目の前でそのようなことをする。鳴いてるものもいれば、笑っているものもいる。悲しいんだか、苦しいんだか、なんだかわからない顔をしているものも。だけど、それをすると、皆一様にある程度すっきりした顔をしている気がする。また来るね、なんて言うヒトもいれば、見ていてくれ、なんて言うヒトもいる。それが事実なのか、願いなのか、要望なのかは、自分には到底わからない。だけど、きっと大切なことなのだろう。ここに来るニンゲンはイチネンを通して後を絶たない。
このオトコはどうだろう。見上げてみれば、そのオトコはゆっくりと瞼を開けて、恭しく腕を組み、そうしてじっとイシを見つめていた。その瞳も顔も、あまりにも真剣でどんな色をしているのかわからない。他のニンゲンが見たら、ブッチョウズラと怒られる程度には、あまりにも鋭い顔をしている気がする。
でも、ワタシは知っている。そんな顔をしていても、これはツキメイニチにリチギにキチンとここに来る。いつもキレイな花と美味しいオソナエモノを持って、どんな時にも、どんな時間にも、どんな天気でもここに来る。そうして毎回毎回、今日と同じようにイノルのだ。「カミやユウレイやレイコンなど信じておりませんが」なんて、悪態をつきながら。そうしてじっと、じっと、何かに耐え忍ぶようにキレイな二本足で立っているのだ。表情を崩す他のニンゲンと同じように、静かに目を瞑る時間が、イノルときが、このブッチョウズラなオトコにもどうしようもなく必要なんだろう。マイツキマイツキ、この行為を繰り返してしまう程度には。
思わず座っていた体勢を崩し、そのオトコの足元に擦り寄った。すりりと頭をこすりつければ、目をぱちりと見開いてオトコは自分をじっと見る。呆然と言うような、ぼんやりと言うような、ニンゲンの感情のキビ、というものがワタシにはわからないから、その顔の真意は測れない。だけど。
「貴方ね…その毛の色で、そんなことを、しないでいただけますか」
揺れたコエ。小さなコエ。何かを思い出すように絞り出されたそれの色などワタシにはとんと分からなかったが、いろいろなモノを良く聴くことができるこのミミにはしっかりと届いている。
明るいチャイロ。ワタシのカラダの色。それを見てオトコが何を思い出しているかも、ワタシにはわからない。それでもそれはゆっくりとコシを下ろして、ワタシの頭を恐々撫でた。慣れない手つきがすこしおかしい。それでもワタシはユウシュウなネコなので、そのテノヒラが暖かいことも、それにどんな気持ちが乗っかっているかも、ちゃんとわかってる。別に噛み付いたりしませんよ、気の済むまで存分に撫でなさいとにゃうにゃう言ってみたが、オトコにそれが伝わることはない。
しかし、ぽそり。
「…この毛の色、忌々しいので別の色になりませんかね」
優しくしたのも束の間、そんなことを言い始めるから噛み付いてやろうかと思った。優しい手つきに騙されるところだった!何ともこのオトコ!食えないやつだ!オソナエモノをくれなかったらちょっとカジカジしてツメで引っ掻いていたかもしれない。
身を翻して距離を取り、じっとり睨みつけてやると、やっとオトコが少し口元を緩ませた。それは初めて見るエガオかもしれなかった。
「…はぁ、感傷的になる暇などないと言うのに。…これだから嫌いなんですよ、こういう場所は」
言いながら、立ち去る気配は全くない。また同じように腕を組み、そうして目をつぶって空を仰いだ。目を開けた瞬間飛び込む青は、空は、一体このオトコにはどう映っているのだろうか。
「一抜けなんていいご身分ですね、本当に。…精々そこから自分の躍進を指をくわえて見ていてください。それくらいは出来るでしょう?」
楽しそうに呟く声はオセンコウのケムリと同じように空気に溶ける。声が溶けた空気を纏って、風が吹いた。春の草花をふくんだ、青々としたにおいがビコウをくすぐる。撫でるように自分のカラダと、オトコの髪の毛を揺らす。オトコの発したコトバはきれいにきれいに風に溶けて、本当に喋ったのか、声を出したのかすら、分からなくなりそうだった。僭越ながら自分が返事をしてやろうかと思ったが、たぶん、それを答えるヒトは、応えて欲しいヒトは、決してワタシではないのだろう。それだけはわかる。ネコの自分にも。
オトコは一区切りと言わんばかりに息を吐き出すと、持ってきた道具をテキパキと片して、帰り支度をし始める。擦り寄ってきたワタシをまた不器用に撫で、「もう食べていいですよ、あれ」なんて言ってくる。そうして先ほどからは考えられないような溌剌とした声で「それでは!」なんて言い、ケイレイと呼ばれるポーズをした。先ほどとは異なり、表情に迷いも曇りもない、明朗快活とした色を灯してこの場所を後にする。追い風が吹く。それを気にも止めずにオトコは前に進み続けた。ワタシはそんなオトコの後ろ姿をじっとじっと見つめ続けたが、いつもと同じように、そのオトコはもう、後ろを振り返ることは、なかった。
びゅう、と風が吹く。柔らかな風だ。そよ風のような優しい風だ。そこにかいだことのあるにおいが混ざったことにはたり、気がついて、後ろを見れば、あぁ、アナタと、また見知ったヒトが視界に映る。近寄って、すりよるけど、どうにもいつも実感がない。面白い。ニンゲンはいろんなヒトがいるなぁと常々思う。
こんにちは。あぁ、やっぱりアナタも来ていましたか。足音がいつも聞こえないので、今回もいらっしゃることに全く気が付きませんでした。えー、ずっといらっしゃったのですか?コエ、掛けてくれればいいのに。そうしたらあのオトコにもここにいるぞ!とお伝えできたものを…。え?それはいい?なんとも謙虚。でも時々ははいはい!とテを挙げないと、ご飯を食べそびれたり、気づいてもらえなくて悲しい思いをするかと思います。…あぁ、そうですね、今日はリンゴを置いていきました。とても美味しそうなやつ。一つだけ何やらミミ…?がついてるものがあって、これは…?…ウサギ?ウサギとは…ネコじゃなくて何でウサギなんでしょう。まぁネコであるワタシには考えが及ばないところではあります。ニンゲンは難しい。そこはネコでいいでしょうに。ねぇ?ウサギなんて。ワタシはネコなのに。ねぇ?
そうそう、そう言えばワタシ、アナタがいない間に新しいコトバを覚えました。ジュウショクのオマゴサンがね、デートをするらしいのです。デート。知ってますか?オウセとも言うようです。男女二人でどこかに行ったり、同じトキを過ごすことを言うのだそうで。それを聞いてワタシ、ピン!ときたのです!あのオトコとアナタ、ツキイチで会うこの瞬間、これはデートであり、オウセなのではと!…何で笑うのですか?ぶんぶん手を振って、違うだなんて、ニンゲンの目は誤魔化せても、ネコの目は誤魔化せませんよ。何せワタシの目はアナタたちよりずーっと遠くのものまで見渡せるのですから!…ね、楽しみですよね。またツギのツキ。また来てくれるはずですよ、あのオトコ。オウセのために。目を見て手の仕草を見ればわかります。忘れるわけがありません。
…だからね、アナタも、そんなキレイな瞳に涙をためてないで、いっしょにリンゴを食べましょう。だってあのオトコが折角持ってきたのです。たぶん、アナタのために。こんな可愛いウサギを作って。ねぇ、あのブッチョウズラが、面白いですね。だからこのウサギは、アナタが食べてくださいね。そうして、ちょっと元気になったら、またあのオトコのことや、ガッコウのこと、オシゴトのこと、ニンゲンのことをたくさんを話して教えてください。
だって、ワタシ、それだってとても楽しみなのですから。ね。このオソナエモノを食べるより、ずうっと、ね。