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    hikarigaarebaii

    @hikarigaarebaii

    新田/帝幻

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    hikarigaarebaii

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    ありゆめ発行予定のR18ごはん本に収録する陸剣の話です。
    放課後にファストフード店でデートするくらいしか進展してなかった二人が初セする話の前半部分です。後半(R18)も後日ウェブ上で公開します。

    月を半分(陸剣)7月7日、17歳の誕生日。自分のラッキーナンバーが並んだその日、有栖川帝統は駅裏のバーガーショップで限定商品・真夏のココナッツチーズカレーバーガーにかぶりつきながら向かいに座る麗しの先輩の口から飛び出した「いいよ」の返事を聞いて卒倒しかけた。
    押してもダメなら引け、というこの世のルールを完全に無視し、押して押して押し続けた数か月、それがようやく実った瞬間だった。恥ずかしがりの先輩が誕生日にかこつけて交際をOKしてくれたのもまたうれしく、帝統はその場で先輩の手を握り「一生大事にするんで!」と叫んでは、赤面した先輩による手加減なしのビンタを食らい、椅子ごとひっくり返りもした。
    先輩こと夢野幻太郎は帝統のひとつ上で、同じ高校の剣道部に所属している。端正な顔立ちと凛とした佇まいは女子らの注目の的でもあるが、どういうわけか帝統の心も奪ってしまった。この件に関して夢野は冗談や勘違いであるといって取り合わなかった。でもそういうふうにかわされるほどに、帝統はますます自分の気持ちに自信を持ってしまい、諦めるという選択肢を早々にゴミ箱へ捨ててしまったのである。
    次の試合で勝ったら、とか、テストで上位に入ったら、とか、そういう条件を持ちかけても夢野は首を縦に振らなかったのに、「今日きみ、誕生日でしょ?」といって自らバーガーショップに誘い、帝統が大口を開けたタイミングで「付き合ってもいいよ」と言ってくる、その可愛らしさはおそらく自分しか知らない。
    帝統は無論、有頂天になった。もう死んでもいい!いや、よくねえわ、一生死なねえ、できればあと100年くらい生きて、その間ずっと先輩と一緒にいんだ俺。そう言うと夢野は「じゃあ野菜も食べた方がいいよ、こんな脂肪と糖の塊じゃなく」と笑ったので、帝統はトレイにあけたLサイズのポテトをつかんでむしゃむしゃ食べた。
    「いやそれも脂肪と糖だから」と笑う先輩は、この世で一番きれいで可愛い。帝統の目にはどうしたってそう映るし、ここは安っぽく騒がしいバーガーショップではなくあまたの可憐な花咲き薫る楽園にも感じられた。青春というのは古今東西、大体そういうものである。

    青春のただなかにいると、全てのものがきらめいてみえるし、今ここに生きていること自体がかけがえなく素晴らしいものに感じられてくるから不思議だ。月曜の朝の憂鬱も面倒な課題もテストも掃除当番も口うるさい家族も、今の帝統にとっては鳥の囀りくらいにしか感じられない。じっさい、「おいダイス聞いてんのかよ」とか「有栖川、数学の時間はとっくに終わってるぞ」とか、周囲から突っ込まれるほどにほうけている。
    こんな調子で浮かれまくってはいるが、先輩と一緒に居られる時間は週に一度か多くて二度ほどだった。それぞれ部活があるし、夢野は受験を控えているため休日は会わないようにしていた。二人とも部活のない金曜の放課後、例の駅裏のバーガーショップに行くのが唯一のデートで、これは二人の間ですぐに定着した。
    ハンバーガーは帝統の好物で、食欲にまかせればみっつでもよっつでも食べられる。もちろんポテトも飲むように食べる。夢野はその食べっぷりに呆れたり感心したりしながら、いつも限定商品をひとつ注文してゆっくり咀嚼した。そして他愛もないおしゃべりをしながら、暗くなるのを待つのだ。すっかり陽が落ちてから、暗闇の中でこっそり手をつないで家路につく。時々向かいからライトをつけた自転車が走ってきたりするとどちらからともなく手を離したりするが、またすぐに手元に体温が戻ってくる安心感は保証されている。
    夢野の住むアパートの付近で別れると、帝統は一目散に駆け出す。部活でトラックを走っている時よりも断然体が軽い。喜びは人の体を浮かせるのかもしれない。舞い上がってんなア、と最近よく揶揄われるし、本当に少し浮いてるのかも――などとボケたことを考えながら飛ぶように家に帰り、帰ってからも「先輩今何してんすか」とか「5分だけ電話していいすか」などとメッセージを打ち、返信に一喜一憂して眠りにつく。そんな日々が滞ることなく続き、夏休みが始まって、そして終わっても、やはり途切れずに続いていた。帝統と先輩の交際も、金曜日のハンバーガーも、そして帝統の有頂天の日々も、だ。付き合ってふた月強が経過した現在、交際当初と何も変わらない関係性、温度感のままでいる。
    ただひとつ、夏をもって夢野が剣道部を引退したのだが、部活が無くなった分講習に出るようになったので、会う頻度等に変化はなかった。

    毎週金曜の放課後、昇降口で落ち合うことになっている。帝統はいつもすぐに先輩を見つける。これはもはや特技のレベルで、夢野からは勝手に位置共有アプリでもいれたんじゃないかと疑われたりした。そんなもんなくてもすぐに分かりますよ、愛の力ってやつで。そう言うと、「どっちかというと野生の勘じゃないですか?はい、お手」と手を出され、どさくさまぎれにその手を握れば、ぴしゃっとやられてしまった。
    付き合っていても大体この調子だ。でも本心はちゃんと分かっている。だから帝統はずっと浮かれたままだ。
    「おつかれーっす」
    今日も絶妙のタイミングで靴箱の前に立つ夢野を捕まえ、連れ立って校門を出た。9月に入っても夏の気配は依然として居座っており、暑がりの帝統は長袖のシャツを肘までめくりあげネクタイもカバンの底に突っ込んでいたが、品行方正な夢野は制服を着崩さず、しゃんと伸ばした背中で隣を歩いている。
    暑くないんすかと訊くと、重たい道着に慣れているから平気だと言う。汗ひとつかかない顔はひんやりした空気をまとっているようにも見える。
    「もう9月半ば、秋ですからね。ほら見て、今週からもう月見バーガーだって。今日はこれにしようかな」
    スマホの画面には満月とうさぎのシルエット、それからでかでかと新作のハンバーガーの画像が表示されている。バンズとパティの間に挟まるとろりとした半熟卵はあたりまえのように食欲をそそってくる。
    「へーうまそうすね、俺もそれにしよ。あと追加でチーズバーガー2つとナゲットも」
    「限定の白玉小豆シェイクは?」
    「んじゃそれも!」
    行きつけのバーガーショップは駅前にある人気チェーンよりも古びたビル内にあるが、その分いくらか空いているのでこの時間でも二階席なら大体空いている。自動ドアをくぐり、店員の間延びした挨拶に迎えられ、帝統と夢野は横並びの状態でカウンターについた。
    「いらっしゃいませ、店内でお召し上がりですか?」
    あーはい、と答えてから改めてメニュー表に目を落とす。
    「とりあえず月見のセット二つだろ、先輩、飲み物何にする?シェイクだけでいい?」
    「アイスティーも頼もうかな。君は?」
    「んーと、じゃあ俺はコーラのL。あ、すんませーん、注文いいすか?」
    山盛りになったトレイを抱えて二階に上がる。思った通り客はまばらで、いつも座っている窓際の席が空いていたのでそこに腰を下ろした。
    「今日さァ、体育祭のリレーメンバーの選出だったんすよ」
    トレイの上のものを適当により分け、飲み物にストローを差しながら言うと、夢野は「選ばれたんでしょ、当然」と笑って、自分のアイスティーにコーヒーミルクをおとした。
    「うちのクラス、俺より足はえー奴いないっすからね、自慢じゃねえけど」
    「ふふ、おもいっきり自慢してるよそれ」
    「けどなあ、隣は陸部二人もいるし、しかも短距離専門ではえーの。うちの組は俺だけだから勝てるかビミョーっつうか。あー今から走っとかねーとなあ」
    「とかいって今日もめちゃくちゃ食べるね」
    「食べないと死ぬんすよ、なんか最近息してるだけで腹減るターンに入ってる気ィするし。背でも伸びんのかな」
    「なんか幼児みたい、食べて走り回って寝て育って」
    「お、バカにしてんすか?」
    「してないしてない、ほらどんどん食べて」
    言われなくてもすでに一つ目のチーズバーガーを平らげていた帝統は、月見バーガーの包みを取る。ついでにポテトも数本つまんで口の中に放りこむ。
    「どう、月見うまい?」
    先に食べていた夢野は口の端についたソースを指で押さえながらうんうん頷く。
    「そっちてりやきソースにしたんだっけ、俺はフツーの」
    がぶり、と噛り付くところを、夢野はストローを咥えながらじっと見ている。なんすか?と目で訊くと、なんでもないと笑われた。
    「本当に元気ですねえ、君は。ジャンクフード好きの健康優良児」
    「先輩、動物園の餌やりとか見んの好きでしょ」
    「あ、バレました?」
    「ひっでーの」
    言いながら、「んじゃ今度、動物園とか行きます?」という台詞が浮かんだが、帝統はそれをコーラと一緒に飲み下した。自分は遠慮なく生きているようでいて、意外とそうでもないところもある。でもそれだって、良かれと思って選択していることなのだから、結局は思うとおりに生きているのと同じなのだ。人を想うというのはそういうことなのかもしれない、と近頃の帝統は思ったりする。
    「先輩は?体育祭、何出んの?」
    「僕は普通に全員参加の短距離と、あとは大玉転がしですかね」
    「そんなのねーじゃん」
    「ふふ、やりませんでした?小学生の時」
    「やったやった、あれさあ、勢い良すぎるとすっころぶんすよね、脱線して先生のとこ突っ込んだりしてめちゃくちゃ怒られて」
    「やりそうですね、君なら」
    他愛もない話をしているうちに、空の色が徐々に変わってくる。冷めかけたポテトをつまみながら「そういえば」と先輩が話題を変えた。
    「夏休み、何もしなかったね」
    「え、けどここで会ったり、コンビニでアイス食ったりは」
    してたはずだけど、と思ったが、おそらくそういう意味ではないのだと帝統は途中で気が付いた。でもそれは受験を控えた高三の夏休みであれば当然のことであって、特段疑問や不満を抱いていなかった。だから今の夢野の発言には正直面を食らってしまったし、なんと答えればいいのかも分からない。
    帝統がうろうろと目を泳がせながら言葉に詰まっていると、意外にも夢野は「別にいいんだけどね」と話をすぐに切り上げ、なんでもないふうに別の話をしはじめた。
    彼が饒舌なのは機嫌がいい時もそうなので、微かな引っ掛かりはいつのまにか消えてしまった。模試の結果、最近読んだ本、おいしかったコンビニ新商品。自然に流れていく話題にのっかりながら気まずさもなくなった頃、階段を上ってくる数名の客の姿を見て、帝統は慌ててテーブルの陰に身を隠した。すかさず夢野がどうしたのと問うてくる。
    「あ、いや別になんでも」
    言いながら頭を上げ、今度は脇に置いていたリュックをテーブルに乗せて陰を作りそこに隠れる。
    って、なんであいつらがここに? 
    帝統らが座っている奥まった窓際の席からは随分距離がある階段側のテーブル席にやってきたのは、同じ陸上部に所属している同級生と先輩一行だった。普段はよくつるんでいるし、恋人が出来たことも話している。べつに鉢合わせても何もやましいことはないが、根掘り葉掘り聞かれるのも嫌だし、先輩をうるさいやつらの目に晒したくもないので、出来れば今は気付かれたくない。
    店を出るには彼らの席の横を通って階段を降りる必要があるから、しばらくバレずにやり過ごして、彼らが店を出た後に自分たちも帰ろう。幸い、向こうからは見えにくい位置にいる。帝統はこそこそと座り直し、少し姿勢を低くして何気なく会話を再開させた。
    「体育祭終わったらすぐ学祭すね、11月?だっけ」
    「そうだね、今年はもう部の出し物がないから結構暇だと思う」
    「へえ、うちはまたなんかやるらしいすよ、ゲームのパクリみてーなやつ」
    心持ち声のボリュームを落としていたが、夢野は特に気にしたふうでもなく、勿論帝統の顔見知りが同じフロアにいることにも気づいていない。そしておそらくやつらもこっちに気付いていない。今日は部活がないので、一発で陸部と分かるジャージを着ている人間は自分を含めていなかった。
    はあ、なんとかセーフだな。帝統は心の中で息をつく。一週間に一回きりのデートに邪魔が入ったのはムカつくが、それはこちらの都合なのでしょうがない。どうか気づかれずに終わって、帰り道は二人きりだ。
    「つかよー、おまえ美南ちゃんとどうなったんだよ、こないだヤったんだろ?」
    薄まったコーラを啜っている時、向こうからデカめの声が飛んできて帝統は吹き出しかけた。下品な声の主は先日引退した副キャプテンで、足は速いがサッカー部だのバスケ部だのの女子マネに手を出している、品行方正とは真逆の早乙女という三年だ。早乙女の視線の先にいるのはおそらく二年の長距離・一ノ瀬で、これまた女に不自由していないタイプである。
    こういった、ヤった・ヤらない・ナニした・誰とシたという思春期男子特有のノリは、普段更衣室や教室の隅で繰り広げられており、それ自体はまあ、好きにやってくれと思っているが、よりによって先輩といるところで下世話な猥談を聞かされるのは、家族と見るラブシーンと同等に気まずいものがある。し、あいつらが仲間だと知れたら、あらぬ疑いや余計な心配を持たれる可能性もある。
    帝統はいまだ続く一ノ瀬と美南ちゃんとやらの肉体関係の詳細について舌打ちしたい気持ちだった。クソ、あいつら。どうする、出るか?でもあそこを通ったら絶対に捕まるしな。
    けれど徐々に生々しくなる会話やそれを茶化すバカ笑いなどには耐えられない。かなりうるさいので先輩にも聞こえてしまっているはずだ。そう思ったが、先輩は素知らぬ顔でちょうどよい柔らかさになったシェイクを啜っている。
    「……あのさ、センパイ」
    帝統はずいとテーブルに身を乗り出し、耳打ちする仕草を見せた。夢野はストローを口にしたまま目を見開く。
    「なんですか?」
    「あーその、そろそろ出ねえかなって。ほら、駅ビルん中の本屋、今度行こうって言ってたすよね」
    もう強行突破しかない。なんとか顔を見られないように先輩の陰に隠れるとかして通ればワンチャンある。そう覚悟を決めたのだが、意外なことに、夢野は不思議そうな顔で「どうして?」と訊き返してきた。
    「いや、そろそろ暗くなるし……」
    「まだ四時半だけど?」
    「えっ?あ、そーだっけ……いやその、あっ、俺、参考書探してたんすよね、そうだセンパイ、いいの選んでくんないすかね」
    あーだめだ、適当こきすぎて苦しすぎる展開になっちまった。帝統は内心頭を抱えたが、最後は目で訴えるしかないと思ってジッと夢野の目を見ようとした。が、同じタイミングでするりと視線をかわされてしまった。そして夢野はまたシェイクをひとくち啜り、こともなげに「まだいいですよ、これ飲んでるし」と言い放った。
    向こうのテーブルでは狙った女子をホテルに連れ込んだ一部始終が下品な言い回しで語られており、なすすべを無くした帝統は耐えるという選択肢とバレないように身を隠すという選択肢を自動的に選ばされ、押し黙るしかなかった。
    やっとやつらが退散したのは、とっぷりと日が暮れてからだ。その間夢野との雑談は続いていたが、何を話したのかあまり覚えていない。店を出る時には帝統は疲弊していた。夢野の様子は変わらない。それだけが救いのような気もしたけれど、念のため宣言しておかねばなるまい、とも思った。
    薄暗い夜道を、人差し指と中指同士をぎりぎり絡ませて歩きながら、帝統はずっと考えていたことをついに口から出した。
    「あの、センパイ。俺さ」
    「何?」
    「いや、あの、さっき、うるさかったじゃん、店ん中でなんかその、オンナがどーとか」
    ワンチャン聞こえてなかったということもあるかも、とも思ったが、夢野がすぐ「あああれね」と返してきたので、帝統は動揺を軽い咳払いで打ち消しつつ話を続けることにした。
    「多分あれ、俺と同じ学年のやつで――いや、顔知ってくるくらいで全然知らないやつなんすけど」
    さりげなく嘘まで挟み込んでしまったが、すぐにこれは悪手かもしれないと気が付いた。平素嘘をつく場面がほぼ無いため、下手な演技で墓穴を掘る可能性を生んでしまったことに後悔しつつも、今更後戻りするわけにもいかない。夢野の「へえ」という相槌のあと、本題に入る。
    「確かにクラスにもああいう感じのやついるし、俺らくらいだとフツーなのかもしんねえけど、けど、」
    「? ……けど?」
    あまりにまどろっこしいので「ていうかこれ何の話?」と言われそうな気配を察知して、帝統は腹をくくった。パッと顔を上げて目を合わせ、意を決して宣言する。
    「あのっ、お、おれはああいうやつらとは違うから!ああいうの、全然、思ってないっつうか、考えてもねえっつうか、キョーミもねえし」
    厳密に言うと最後のは嘘だ。だからもしかしたら声が上ずったかもしれない。でも夢野は黙って帝統の話を聞き、へえ、そうなんだ、とだけ返した。考えてみれば、「へえ、そうなんだ」としか返しようもない、訳の分からない宣言である。誤解して欲しくない、軽蔑されたくない、怖がらせたくない、嫌われたくないという気持ちが先走り過ぎた。
    「あの、だから俺」
    先輩のことはめちゃくちゃ本気だし、体目当てとかそんなんじゃねえから。そう補足しようとしたが、帝統の言葉の前に夢野は「ついたよ」といって目の前の自動ドアに吸い込まれていった。は?ついたってどこに。見上げると、目の前には「本」の文字。この日、帝統は夢野の勧める英語の参考書を一冊帰って家に帰った。


    「はあ、なんだかなー」
    特にもめ事があったわけでもないのにどういうわけか釈然としない。誤解は解けたはずなのに。あれから夢野の態度に大きな変化はないが、ごくごく小さな違和感のようなものは漂っているような気がする。きらめいていたはずの日々は、突然流れてきた雲に飲み込まれてしまった。こうやって一喜一憂するのだってある意味では青春の正しいありようなのだが、帝統にそれを受け止める余力などあるわけもない。
    週末を挟んで月曜が来て、火曜水曜と普段通り過ごした。普段通り過ごしていると学年の違う先輩と顔を合わせることはほとんどない。ましてや気まずさから避けるような態度を取っていれば、一度も会わないまま帰宅してしまうことだってふつうに出来てしまう。
    さすがにまずいかと思い、木曜の今日は昼休みに夢野の教室がある棟まで行ってみた。しかし教室の中を覗いてみても夢野の姿はない。後輩からの呼び出しで部室にでも行ってるんだろうか。あるいは図書室とか。
    帝統は気が抜け、二年の階に戻ろうとした。その時、教室の奥の席で手を振る見慣れたピンク頭が目に入り、帝統は神にすがるような気持ちでぶんぶん手を振り返した。その様子に、相手が小走りでこちらへ駆け寄ってきた。
    「どしたの?なんか用?」
    「な、夢野先輩は?今日休み?」
    「え、来てるよ?今ちょっと山ちゃんに呼ばれてる」
    山ちゃんとは剣道部顧問の山之内のことで、帝統ははーっと息をついた。
    「なんだ、そっか、いねーんすね」
    「なーに帝統、幻太郎とケンカ?」
    こてんと首を傾げる飴村乱数は夢野のクラスメイトで、付き合うようになってから紹介された。夢野とは真逆のタイプに見えるが、二人は中学からの友人で、同性の恋人ができたことを報告できるくらいは気の知れた仲らしい。
    「ケンカ……はべつにしてねーんすけど、なんつうのかな、なんかちょっと」
    「幻太郎も言ってたよ、帝統にモヤモヤする~って」
    「は!?え、なんそれ、なんすかそれ!いつ?いつの話!?」
    思わず勢いよく両肩を掴むと、体の小さい飴村乱数はぐらぐら揺さぶられながら「やだ帝統こわあい、うそだようそうそ、うそっていうかじょーだん!」とけらけら笑った。
    「でもなんか身に覚えがあるからそんなに慌てるんでしょ?やっぱケンカしてるんじゃない?」
    「してねーって」
    「ふうん、じゃあラブラブなんだ?でもそーだよね、つきあって二か月なんてさ、べったべたでしょ。毎日シたって足りないくらいじゃん?って、あれあれ、なにそれ、なんで赤くなるの?え、うそ、もしかしてまだだった?」
    マジでどいつもこいつもなんなんだよ!帝統は全速力で階段を駆け下り、教室まで走った。赤い顔を隠すように机に突っ伏して、それからあー!と頭を掻きむしる。なんだよダイス、熱あんのか?と後ろで茶化す声がしたが、構うこともできなかった。
    どいつもこいつも。俺はちげーんだよ、そんなんじゃねーの。先輩だってそうだよ。あの人だって、おまえらみてーにアホでエロくてしょーもないやつじゃない。
    結局放課後部活に出るのもやめて家に帰った。無論夢野にも会っていない。明日は金曜だが、会える気がしない。何もないのに、何もしてないのに。なんだってこんなに面倒なことになるんだろう。
    人の心というものはいつだってはっきり見えない。自分のすらもそうだから、こんなことになるのだろうか。自室の布団に包まりながら、帝統は珍しく苦々しい気持ちで夜をやり過ごしたのだった。


    翌日なんとか登校したものの、未だに覇気は戻らず、放課後を迎えるのも憂鬱だった。こんなことは当然初めてだ。これまでの浮かれきった日々が遠く見える。
    「なんだよダイス、彼女とでも別れたんか?」
    移動教室で渡り廊下に出た際、すれ違いざまにそう言ってきたのは例のバーガーショップで下品な会話を繰り広げていた中の一人で、帝統はよっぽど「おめーらのせいだわ!」といってやりたかったし、なんなら一発蹴っ飛ばしてもやりたかったが、それもまた違う気がするし、そんなことをすればなおさら先輩を幻滅させてしまうような気がして、なんとか堪えた。
    金曜日は剣道部も陸上部も部活動がない。だから会うのはいつも金曜だった。放課後のベルが鳴り、人の群れがぞろぞろと昇降口へ向かう中、いつもなら息を切らして走ってすぐに夢野を捕まえているところだが、帝統はあらかたクラスメイトが廊下へ出た後でのろのろ昇降口の方へと流れていった。
    あの人がいないと、あれだけ輝いてみえていた風景も色を付け忘れた絵なんかと同じように味気なく、何に惹きつけられることもなく無感動に過ぎ去っていくような気がしてしまう。勿論知り合う前だって自分には普通の毎日があったはずなのに、それが今では信じられないような気がしてくる。
    帝統は靴箱の前まで来て、上履きを脱ぎかけた。しかし、横を向いた瞬間にそれは飛び込んできた。
    「見つけた」
    少し背を曲げて屈んでいた帝統の視線に合わせるようにわざとしゃがんで、だからすぐ真横に顔が来て。
    「先輩」
    なんで…?と言いかけて、帝統は口を噤んだ。同じ言葉が夢野の口から出たからだ。なんで?なんで帰っちゃうの、なんかあった?澄んだ声と目だった。帝統はすぐに首を振る。
    「すんません、俺……」
    「いいよ全然。あ、いつものとこでいいよね」
    「え?あ、うっす」
    帝統は慌てて靴を履き、先を歩き始めた夢野を追った。いつもと何ら変わらない、普段通りの先輩にほっとしつつ、それならこっちもさっさといつも通りに戻らねば、とも思った。
    全部自分の勝手な思い込みと早とちりで、最初から何も起きてなかった。なんだ、不安になって損した。今週全然会えなかったし、先週の金曜は散々だったし、今日はその分も楽しんでやる。先輩に不安をうつすような真似ももうしない。
    帝統は切り替えて、バーガーショップまでの道すがら、普段通りの明るさで会話を重ねた。たくさん笑った。まだ日が落ちていないので手をつなぐのは堪えたが、わざと肩が触れる距離で歩きもした。
    いいじゃん、すげーいい感じ。浮かれっぷりが戻ってきたなと思った頃、駅裏のバーガーショップが見えてきた。
    「先輩、今日何食うの?また月見?」
    俺はどうしよっかな。ポケットからスマホを出してメニューを確認するも、隣を歩いていた夢野はなぜか返事をせずに足早に店を目指す。どうしたんすか、と声を掛けながら、先に自動ドアに吸い込まれていった夢野を追いかける。カウンターに先客はおらず、すぐに店員が「いらっしゃいませ、どうぞ」とアイコンタクトしてきた。帝統は慌てて夢野の隣につく。覗き見た夢野の横顔は、笑っていない。
    「お客様、店内でお召し上がりですか?」
    マニュアル通りの店員の問いに、帝統は反射的に返事をしようとした。しかし驚くべきことに、それは夢野によって制された。
    「いえ、お持ち帰りで」
    「…は?」
    「はいかしこまりました、お持ち帰りですね」
    「え、いやいや、え、ちょっと、え?」
    違うでしょ、持ち帰りって、俺らこれからどこいくんすか。言いながら、帝統は急激に体温が上がるのを感じた。
    夢野は淡々とメニュー表を指差しながら注文していく。月見バーガーセット二つ、ポテトはLで、両方コーラで。あ、あとナゲットとアップルパイもください。数分後、袋いっぱいの食べ物をぶら下げてバーガーショップを出た。夢野が「こっち」と歩き出した方向はいつもの帰り道、15分も歩けば夢野のアパートが見えてくる。
    「ちょっと、あの、待って、俺」
    正面を向いたまま「大丈夫、今誰もいないから」と言われ、帝統は大丈夫じゃないことを確信した。アパートの敷地に入り、おなじ玄関ドアが並ぶ静かな廊下を心臓が張り裂けそうな気持ちで歩いていく。そのうちの一つの前で夢野が立ち止まり、制服のポケットから取り出した鍵を差し込んだ。金属質な音が響いてドアが開く。ドアの向こうは薄暗いが微かに先輩の匂いがして、帝統は背中が震えた。
    「どうぞ、狭いけど適当に上がって」
    夢野はさっさとローファーを脱ぎ、手に抱えたあたたかい袋を持って部屋の奥へと消えていった。
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