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    『あなたのために、できること』#1

    レンリル編を題材にしたカハフシ小説です。カハフシエコの日常や、レンリル戦を控えたカハとフシの心情などを妄想してます。
    チュー程度はあり。
    以前に上げた作品を加筆修正しています。
    さして必要もないあとがきは消しました笑

    全部で3章。加筆修正でき次第上げていきます、

    相変わらずレンリルの朝の日差しは眩しかった。
     薄目のまま天井を見つめる。寝室の飾り窓から注ぎ込んだ光は目の前を仄白くけぶらせた。
     淡いモヤの中でチラチラと輝く塵。それをただ意味もなく眺めていた。
     まだ頭がハッキリしないから、とりあえずその場でうーん、と伸びをしてみる。ふっと緩めたら、朝陽で温められた空気が身体に吸い込まれた。
     ソニア国の気候はヤノメに比べて温暖。湿気は少なく晴れの日が圧倒的に多い。肌に感じる空気はカラリと乾いて申し分のない朝なのに、心は反対に陰鬱だった。
     既に隣にフシの姿はなく、起き上がり辺りを見回すと台所の椅子でぼんやりしているのが見える。
     朝の透き通る光に溶け込み、クタリと柔らかく椅子にもたれる姿は言いようもなく綺麗で、その横顔を眺めれば鬱陶しい気分も軽くなる気がした。
     どうせぼんやりするなら僕の方を見てくれまいかと、しばし布団の上から視線を投げかけてみたが全く効果はなく、フシは明後日の方を見て自分の世界に浸り込んでいる。
     誰かの感覚を、追っているのだろうか。
     その誰かが死ぬ程羨ましい。
     僕は僕の見えない所で僕の感覚を探すフシを想像する。その時フシの頭の中は僕で一杯なんじゃないだろうか……。などと。
     好きなだけそうしていたいけれど、さぁ二人のために朝食を準備しなくては。
     意を決して布団から立ち上がりフシの元へ。
    「おはようございます、フシ。早いですね。あれから眠れましたか?」
    「……あぁ。お前に蹴られて起きた以外はな」
     フシはふぅと大きく息を吐きゆっくりとこちらを見た。差し込む朝陽が開かれたばかりの金色の瞳を明るく輝かせる。
    「え? 本当に? それは、すみません……。でも、寝てる間のことは仕方ないですよね?」
    「ふふ、まぁな。ね、朝ご飯は? お腹空いた」
    「はい! 準備しますね。エコさんと座ってて下さいね♪」
     朝のこの時間にフシがいるなんて、それだけで幸せだから、とにかく今は目の前のこの幸せを噛み締めよう。声にそんな想いが乗っている。
     今朝は張り切って一品多くおかずを用意したい。昨晩の残りではさすがに申し訳ないから。
     身支度を整え前掛けのヒモをきゅっと結べば途端にすきっと目が覚める。
     ネギ入りのだし巻き卵と野菜の煮物、葉物の入った味噌汁に、大根おろしがたっぷりかかった揚げ出し豆腐。もちろん炊き立てのご飯も。
     うん、ばっちりじゃないか。
     トントントンと軽快に包丁を動かす。それを合図にエコがテーブルに駆け寄る。フシと並んで座った。炊き立てご飯と香ばしい揚げ出し豆腐の香りが漂って、お腹がぺこぺこなのか、エコはお腹をさすりフシに笑いかける。
    「エコさん、おはよう。もうすぐできますからね」
     何気ないこの時間さえも欠けがえのないものに感じていた。
     あと何回、こんな朝が迎えられるのだろう。
     心のどこかではそう何度もないと思いつつ、この瞬間の幸せがその思考をぼやかしていた。フシもエコも朝から満腹ご飯を食べて、満足気に笑っている。
     朝ご飯が終わるとエコは遊びに出かける素振りを見せて、同時にトタトタと階段を駆け降りる音が聞こえた。
    「ご馳走様です……。——フシ、お湯沸かしますね」
     僕は相変わらず食べるのが遅く二人が食べ終わってもまだモグモグとしていたが、お湯を沸かす為に再び台所に立った。
     ふわりと空気の動く気配を感じる。ヤカンを手に振り返ればフシが隣に立って僕の手元を覗き込んでいた。
    「フシ、どうしました? 食後のお茶、飲みますよね?」
    「ん、うん……」
    「食べ過ぎました? 朝から揚げ出しだと、重かったですか?」
     フシはいつもの癖で物憂げに目を伏せて押し黙っている。普段なら適当に声をかけて様子を伺うところだが、今日は珍しくフシから話し始めた。
    「昨日の違うよね? なんでも、ないよね?……」
    「なんです? 昨晩、話していたことですか?」
    「うん、いや、なんでも……」
     つい口を突いて出た言葉がフシの心に引っかかってしまったようで、しまったなと後悔した。そうなると分かっているから言わないでいたのに。
    「フシ、心配しないで下さい。変なことを言ってすみませんでした。少し弱気になって……」
    「うん」
    「フシが気にすることはないですよ。大丈夫です」
     ヤカンの蓋がカタカタと震え始めた。少しの沈黙。フシは何も言わずに俯いたまま、じっと何もない空間を見つめている。
    「そんなに気に病まないで、あの——」
    「お前のことは、信じてる」
     唐突にフシが口を開いた。
    「え? それは……、ありがとうございます。どうしました? 珍しいですね、そんなことを言うなんて」
    「信じてるけど怖くて、おれは信じきれるかな……」
    「フシ……、私の事は自分で考えますから、心配には及びません。すみません、忘れて下さい、昨日のことは——」
     ゆらり、フシの身体が揺れた。
     ハッとした瞬間、フシは僕の両腕に身体を預けた。フシの掌が必死に僕の背中を掴んだ。突然のことで、しかもフシの勢いは結構なものだったので、体勢が保てず流しの縁を掴んで踏ん張っていた。
     フシのおでこがトスンと僕の胸の上に着地する。いつもの匂いが軽やかに舞った。
     体温が伝わってくる。見た目よりずっと暖かい。フシとこの距離にいるのはあの時以来だな……、と過去を思い出していた。
     顔が酷く熱い。心拍が昂り胸が痛い程だ。きっとそれは、フシが一番感じているだろう。なのにどこか冷静に、今度は大丈夫なのだろうか、と他所の心配をする自分もいる。
     本当は僕もフシをしっかりと抱き締めたかったけれど、あの「告白の夜」が頭を掠めてためらってしまった。
    「ごめん、ちょっとだけ」
    「……え、あ、はい、全然、ちょっとでなくても……。いえ、すみません、あの——」
    「お前だけは変わらないで、ずっと同じでいてくれ」
    「え? あ、ええ、フシがそう言うなら……」
    「うん」
     フシの話の意味は正直分からなかった。僕は、フシに何かを求められているのだろうか。ほとんど上の空だから、分からないのだろうか……。でもこの状況なら誰だってそうに違いないと、変な結論づけをしてみた。
     いや、今はまず何かしら返事をしなくては。とりあえず頭に浮かんだ取り留めないことを言葉にしてみる。
    「フシ……、あの、私は何よりあなたが大事なんです、だから、えーと、何が起こってもあなたの味方です」
    「……」
    「それと、これは仕事とは関係なく、私自身があなたを守りたいのです。あなたにしてあげられる事は少ないかもしれない、でもきっと——」
    「いいんだ何もしなくて。それが一番いい。特別なんていらないよ」
     僕の訴えは小さく呟かれたフシの言葉に遮られた。思っていたのとは違う答え。それは、できれば認めたくない。
    「してあげたいじゃ、ないですか……。それに、これは勝手ですけど、必要とされたいじゃないですか、あなたに……」
     フシは一瞬黙ったが、ためらいながらもまた同じように言葉を繰り返した。僕の背中の掌にぎゅと力がこもる。その掌が僕の心臓を握っているようだった。
    「すれば何かが変わるから、良くも悪くも変わってしまうんだ。だから、いいんだ、今が一番いいから、このまま何もしないで」
    「ええ、では、何も……」
     僕の胸に顔を埋めたまま、フシは必死に言葉を吐き出している。そんな切羽詰まった声を出されてはもう、僕に反論する余地などない。
    「たまに疲れちゃうよ、周りにはおれに変われと言うものばかりで。変わらずに過ごしたいのに、ものすごく昔みたいに、ここにいた時みたいに……」
     以前のフシのようにあどけない話し方だけれど、どこか悲しみに満ちていて、ここにあった昔の風景を思い出しているのだろうか、時折ためらいながら記憶の断片を探すように言葉を連ねていく。
     僕はたまらない気持ちになってしまった。フシに掴まれた心臓をさらに握り潰されるような、キュウキュウとした痛みが走る。
    「フシは……、そのままでいいです、出来ない時は、出来ないでいいですよ。人は皆、そんなものです」
    「おれは、人じゃない」
    「私よりは人らしいですよ、全然。……人として接することは、イヤですか?」
    「……」
    「……半々ですね。人であれと思う半面、唯一無二で神のようなあなたを崇拝している。でも、本当の神様になって手の届かない所へ行ってしまうのは、正直辛いです」
     つい本音が溢れた。でも、きっとこれは僕が言いたいだけで、フシの言いたい話とは違う気もするが、今は気にしていられなかった。言葉を選ぶ余裕はない。フシは長い睫毛を伏せて、目の前にある僕の上着の縫い目をなぞっている。
    「そんなんじゃないよ、おれはおれだ」
    「ええ、全部含めてフシなんです。そして、私は……、そんなフシが大好きなんです」
    「……好き? って何。こないだの話か?」
    「え、え? 聞いてました? え、やだな……、すみません、……えーそうか……しまった……」
     フシが「今日は帰る」と言ってくれたあの日の夜。
     今は抜け殻だから聞こえまい。そう思い込んで独り言を言っていたのが聞こえていたらしい。恥ずかしいやら、気まずいやらでさらに顔が熱くなる。フシは少し不機嫌そうに目線だけで僕をチラと見上げた。
    「そういうの分からないけど、嫌いじゃないよ、お前のこと」
    「いつも、そう言うんですね。……ありがとうございます」
    「なんで? 嫌いじゃないからいいだろ? 好きの意味がイマイチ分からない。他に言いようがない、ダメか?」
     納得できないぞ、という顔でジトリと僕を睨む。「嫌いじゃない」という言葉の方が僕にとっては難解だ。好きとは違う、けど嫌いでもない……。
    「……いえ、いいです、こうして傍にいられるなら、どちらでも」
    「うーん、うん、そうなのかな。まぁ、嫌いじゃないな」
    「じゃあ、私も嫌いじゃないです、フシのこと」
    「……、そうか」
     フシはどこか意味深な間の後で頷いた。
     フシの話の腰を折ってしまい、さらに気まずくなった。僕の気持ちのことなど話しても、フシの気が楽になるとも思えないが、つい、口から出てしまった……。普段秘めているものが耐えきれず漏れ出たのだろうか。
     フシの話を聞いているようで、このチャンスを活かそうと打算する自分が、なんだか情けなくなってしまった。
    「ごめんなさい、フシの話を聞きたいのに……、余計なことを」
    「いや、いいんだ、これでいい……」
     そう言って、また僕の胸に顔を埋めてジッと大人しくしている。まあるくてフワフワのフシの後頭部を見下ろすと、時折見慣れた結び髪が尻尾みたいに揺れていて、何気なく撫で始めてしまった。
    「フシ……」
    「なに?」
    「え、あー、い、いいえ」
     本当に意味もなく呼んでしまい、急にフシの金色の瞳がこちらを向くから、恥ずかしさで身体が強張りゴニョゴニョとしてしまう。それでも、指の背で髪を撫でつけるのをフシは咎めなかった。
    「……変なの、ふふ」
    「え? 何がです?」
    「ホワホワの光出すぎてて顔よく見えないから、面白くて、ははは」
    「ちょっと、今の場面でそんな、空気読んで……」
    「え?」
    「いえ、別に……、ホワホワは不可抗力です。仕方ありません」
    「ふふ、そうだね」
    「……イヤじゃないですか? 私があなたを想うことは」
    「別に」
    「そうですか……」
    「ふふ」
     笑えるなら良かったです、と言いかけて言葉を飲んでしまった。辛い現実を思い出させてしまうような気がして。
     フシは、いつになく優しく微笑んでいる。この街に来てからしばらく経つけれど、フシがこんな柔らかい表情でいることはなかったから、心がホッとして僕も顔が綻んだ。
     午前の明るい木漏れ日が台所に差し込んでフシの笑顔の上で揺らめいている。たよたよとした揺らめきは、フシの繊細な顔立ちにとても良く馴染んでいた。
     真っ白なフシの髪を淡い黄色に染める光。その光の斑点がフシを美しく彩るのを僕は飽きることなく眺めていた。
     それに、日差しのせいだろうか、フシの体温がさらに暖かく感じる。
     フシにしか見えない光は、これくらい綺麗なんだろうか……。
     僕のフシへの想いが、同じくらい綺麗なものであったらいいのに。
    「綺麗だね。天気がいいから、陽の光みたいで」
    「それは、見えないのが残念ですね」
    「おれにしか見えない、良かったな。誰かに見えたら大変だな」
    「……からかわないでほしいな」
     目を細めて小さく笑みを溢すフシは本当に愛らしかった。昨日までの厳しい顔はどこにもなくて。
     この瞳は、いつも変わらない。
     指先でそっと目尻に触れる。フシはくすぐったい風にぱちりと瞬きをして、再び目を細めた。
     フシの瞳に宿る輝きはいつも変わらないと僕は思っている。きっと本当のフシは、フシの魂はこの瞳の奥にいるのだろう。そんな風に思える。
     そして今僕の腕の中にいるこの少年の表情を、たまらなく愛おしいものに変えてくれる……。
     僕が想像していた恋愛とは少し違うな。僕の好きな人は、恋愛というものを良く知らないし興味もない。女の子とも男の子とも言えず、そもそも人でもない。
     それでも僕は構わないところを見ると、きっと相当好きに違いない。そう思ったら面白くなって来てやたらに顔が緩んでしまう。
     フシが重荷に耐えかねて嘆いている時でも、こんな事を考えるなんて少し申し訳ない。でも……。
     浮かんでは消える自己陶酔。僕は指先でフシの跳ねた髪をくるくるとして遊んでいたが、そんな気分だからつい油断してしまった。
     かがみ込んで短く口づけする。フシの柔らかい髪が、今度は自分の頬を撫でる。
     ……。
     フシは、驚くほど反応がない。
     薄目で伺うと、相変わらずジト目のままで「?」の顔をしていた。
    「ん? なに?」
    「……あ、すみません、つい、ごめんなさい……」
    「何が?」
    「いえ、いいんです、分からなくても」
    「うん? うん……」
    「分からなくても、いいんです」
    「……うん」
     気づけば僕はためらわずフシをぎゅっと抱き留めていた。フシの華奢な両肩を感じると改めてフシの身の上がいたたまれなく思えて、ジワリと目の前が滲む。
    「この先がどうなるかは分かりません。でも私も、私の気持ちも変わりませんよ。それだけは、どんな時もどこに居ても、変わりません、それは約束します」
    「あぁ、うん……」
    「だから、あとは……、なるようになります。もし……、私が見えなくなっても、気持ちはいつも一緒ですから。それに、どこにいてもフシにはわかるでしょう?」
    「そうだけど、見えはしないから」
    「元々気持ちなど、見えはしないので」
    「見えるよ、ホワホワしてる」
    「好意は見えると思いますが、私の気持ちはそれだけじゃありません」
    「ふーん、難しいな、面倒くさい……」
    「面倒ですか……、はは」
    「うん、メンドーだけど、なんか少し安心したかも」
    「それなら、良かった」
     本当にそれで良いのかも分からないが、フシはどこか満足そうだから、それで良しとした。
     フシの両腕が不意にぎゅっと僕に絡みついた。思わず「あっ」と息を吐き出す。三秒程の刹那の間。しかし僕には何倍にも長く感じられた。ことさら強く心臓が高鳴る。
     応えようと腕を上げた瞬間、フシは僕をそっと押し戻した。フシにしては珍しく、照れくさそうにはにかんでいる。
    「もうこれで最後。あとは、頼らない」
    「そんな、頼って、欲しいですけど……」
     上げかけた腕は宙ぶらりんのままで引っ込めるのをためらっていた。フシの体温が徐々に離れていくことがたまらなく惜しい。
    「弱気なやつに頼れるもんか。おれのが強い。今だけだ」
    「それは、反論できないですね」
    「だろう? おれが自分で何とかしないとさ。お前といるとなんだか弱気になる。今はダメなんだ、強くならないと」
    「うーん、それなら……。ダメですか、私にだけ言ってくれてもいいのに」
     やっぱりこのまま離れていくことが惜しくてもう一度フシを引き寄せようと腕を伸ばす。けれど敢えなくフシの手に制された。
    「ダメだ」
    「そうですか、それは残念ですね、そうか……」
    「うん。……カハク」
    「なんです?」
     フシは僕の目を一瞬覗き込んだが、すぐに諦めまつ毛を伏せてしまった。
    「いや、いいや……。じゃ、行かないと。皆が待ってる」
    「あ、フシ! あ……」
     フシのいた場所がフッと軽くなる。今までの暖かさが急激に冷めていく。
     あの透き通る笑顔がまだ目の前にあるようで、しばらくぼんやりと今の出来事を反芻しては、幸せと同時にこれ以上フシに踏み込めない虚しさを噛み締めていた。
     僕にできるのはフシに何もしないこと、なのか。
     ……一番辛い。
     しばらくそのまま流しの縁を掴んでいたが、ヤカンのシュンシュンとけたたましい音に慌てて火のそばへ駆け寄った。
    「あちっ! しまった……、いたた」
     咄嗟に手を出したせいで指先に火傷が。
     流しの桶の冷たい水に手を浸すと僅かに桶から水が溢れ水面が揺れる。僕はじっとそれを見つめていた。
     そういえば僕は期せずしてフシに想いを伝えてしまった。思い出してまた顔が熱くなる。それに、勢いであんな事をしてしまって……。まだ感触が残っていて消えない。消えないで欲しい……。
     フシの嫌いじゃない、久しぶりに聞いたな。そうか、本当に嫌われてはなかったのか。それだけでも嬉しい。
     いや、それだけでいいのかな……、出してはいけない、そう思うと尚更出てくるのが欲というもので。
     ここに来て後悔が強くなってきた。ますます、離れ難くなってしまった。
     ただただ、フシが心痛める姿を何もせず眺めて、必要なら自分から離れるしかないと分かってしまったら、あまりに切なくて所在がなくなってしまった。
     今まで拠り所にしていたフシへの想いが思わぬ方向へ変わってしまったようで……。喪失感に心が追いつけない。
    「フシ……」
     さっきまで暖かく幸せに満ちていたこの空間が途端に寒々しく感じ、湧き上がる焦燥に心臓がギリギリと締め付けられた。握りしめる左手に爪先が刺さる。意味もなくフシを呼んでみても、こだまして自分に帰ってくるだけだった。
     そして、その後から湧き上がるのは、彼らにフシを渡したくない、僕のいない所で一緒にいて欲しくないという仄暗い感情。これは嫉妬だろうか。
    「おかしいな……、さっきはあんなに幸せで、あんなに……、フシ……」
     このままではいけない、フシを行かせてはいけない、そんな想いが駆け巡っては消えるのをただじっと、耐えて待つ。いつもならそれで済む。衝動はいずれ過ぎ去る……。
     やがて見つめていた指先の赤みがスッと消えてなくなった。不思議と痛みも感じない。
     同時に張り詰めいた心がフワと解れていく。
    「フシ、やっぱりフシには私がいないと……、ダメですよね?」
     そう口に出せば幾分気持ちが楽になる。素直に湧き上がる想いに心を預けてみれば、また別種の心地よさに支配される。
     フシは怒るかもしれないけれど、やっぱりフシには僕が必要で、僕だけに心を開いてくれないと……、僕はそのためにここにいるのだから。
    「ふふ、それなら、よかった……」
     焦りや不安は、ぼんやりとして心の片隅に漂うだけになっていた。
     ふと左手に目をやる。掌に薄ら血が滲んでいる。
     左手は何も言わないが、もしこいつに目があったなら、こちらをじっと見上げているに違いない。僕の意識の中に僕を見上げる絵面が浮かび上がっている。
     頭の中の僕は、意外にも満足気な顔をしていた。
    「お前、何をしたんだ……?」
     左手はすす、と指先を動かした。
     促されるまま指先を走らせる。滲んだ血が言葉に変わる。
    『なやまないで、あなたはわるくありません』
    「え?……」
    『あなたにはかれがひつよう。かれもあなたがひつよう。ヨクはわるいことではありません』
    「……、何が言いたい……」
    『かれはいたいのがきらい。つらいのがきらい。そうでしょう?』
    「……」
    『かれをかいほうして。このせかいは』
    「どういうつもりなんだ、お前……」
    『このせかいはいたみにみちている。あなたがかれを——』
     突然、誰かに左腕を掴まれた。
     驚いた勢いで水桶がひっくり返り、左手の言葉は水に流れて跡形もなく消えた。
    「エコさん⁉︎」
    「ん……」
    「あぁ、帰っていたんですね……」
    「……」
    「これは……、何でもないです」
     いつ戻って来たのだろうか。遊びに出かけていたはずのエコがいつの間にか隣にいて、僕の左腕をワシと掴み心配気に見上げている。左手には既に火傷の跡も傷跡もなかったが何気なく隠してしまった。
    「……」
    「あ……、お腹、空いてないですか? ……フシは、もういません」
    「ん」
     今のを見られただろうか。特にまずい内容ではなかったかもしれないが、僕は酷く後ろめたかった。
    「エコさん、フシには言わないで下さいね」
    「……」
    「ありがとう……、さぁ買い出し、行きましょうか」
     なんとか笑顔を捻り出した。エコはいぶかしい表情のまま、左手を離さずじっと見上げている。
     エコには、何かしらの変化が分かるのかもしれない。心の裏側を探るような真っ直ぐの瞳に、僕はたじろいでしまった。見透かされてしまう、言いたくない、できれば、隠し通したい……。
     僕は、咄嗟に左手で振り払う。
     エコはそれでも、僕にぎゅとしがみついて離れなかった。

     
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