無題 真一郎は買ったばかりのタバコの封を切り、一本取り出した。一ヶ月ぶりのそれは、果たして違和感なく自分の指にしっくりと馴染んだ。口に咥えて先端に火をつけると、その匂いは瞬く間に部屋へ広がっていく。気休め程度に回している換気扇ではとてもそれら全てを拭ってはくれないようだった。
ふう、っと肺に入れたそれを細く吐き出していると、携帯が鳴った。若狭からだ。
「もしもし」
「よう、真ちゃん。なにしてんの?」
「今? 一ヶ月分の努力を文字通り灰にしてるとこ」
自嘲気味に言えば、どうやら意味が伝わったらしい。受話器の向こうで若狭が笑った。
「禁煙失敗したんだ?」
「一本だけオバケって怖いな。どんな幽霊より怖え」
「それがしばらくすっと一箱だけオバケに変化して、もうしばらくするとワンカートンだけオバケになるんだぜ」
「経験者は語るってか」
「聞いた話だワ。オレは禁煙しようとしてねえから」
「それもどうよ、このご時世に」
言いながら真一郎は、灰を簡易灰皿へと落とした。
最近良い感じだった女のコはタバコの匂いがダメなコだった。恋愛を成就させる為ならと始めた禁煙だったが、奮闘の甲斐なく、その女のコとのご縁は切れた。禁煙の目的が失われて、つい一本なら良いかと思ってタバコを買ってしまった。そうして今だ。
「久しぶりに吸うと頭クラクラするな」
「なに吸ってんの?」
「前と同じだよ」
「じゃあ十四ミリか。そんなキツいの久しぶりにいきなり入れたらそりゃあフラつくワ」
「キツいって……同じ銘柄のタバコ吸ってるヤツがなんか言ってら」
「だからオレは禁煙してねえし」
なにが面白いのか、若狭のクスクスと笑う声は途絶えない。
「そんなに親友の失恋が面白いかよ」
「あー、……フラれたんだ?」
「フラれてねえ。今回告ってねえもん、オレ。ただ向こうにいい感じの男ができたらしいから身を引いただけ」
「……ふーん? じゃあ傷心の真ちゃんを慰める会でも開こうか? 今日の夜ヒマ?」
「ヒマヒマ。誰か女のコ呼んでくれんの?」
「残念、オレ一人。ただし、タバコ嫌がるコがいねえ分、吸い放題だよ」
お得であるとでも言いたげな若狭の口調に、今度は真一郎のほうが笑った。
「あー。もうオレ、ワカと付き合いてェわ」
ありのままの自分を受け入れてくれる存在の大きさに思わず真一郎が呟くと、なぜか電話の向こうの笑い声が止まった。
「ワカ? どした?」
「……真ちゃんさぁ。本当にそういうとこ……いや、いいワ。適当な店予約してまた連絡する」
「おう、よろしく。じゃあまたあとでな」
そう言って電話を切る。電話が終わってから、そういえば若狭はなぜ自分に電話してきたのだろうとようやく思い至る。
「まあ、いいか。あとで聞けば」
真一郎は、もう一口吸ってからタバコの火を消した。久しぶりのニコチンで頭がクラクラするが、心はスッキリしている。やはり自分にとってタバコは、なくてはならないものなのかもしれない。
──そういえば。
「会うのも一ヶ月ぶりだけど、電話でワカと話すのもそれぐらいぶりか」
真一郎はふとそこに思い至る。気になるコができたと言うたび、気を遣っているのか若狭からの連絡はいつも減る。
その度にいつもどこか落ち着かない気持ちにさせられてることに、そしてまたいつものように連絡を取りあうようになると落ち着くことに、今更ようやく気づいた。