サディルシじゃなさそう ラファエルの報告を受けて俯く。拡張された聴覚が拾う機械の駆動音が、いやに大きく感じられる。
メタトロンの生体反応が途絶えた。メタトロンだけではない。ザフィケルとジョフィエルも破壊された。これでミカエル様の統括する戦闘用の素体は全滅したということになる。残る素体は破壊に特化した最後にして最高の素体であるガブリエル様と、ぼくら十賢者の監視用素体であるルシフェル様、戦闘用の素体を統括していたミカエル様と、情報の収集や分関に特化した素体であるカマエルやラファエル、そしてぼくを統括するハニエル様の七体だ。
「戦力を分散させたことが裏目に出ちまったか。奴らを過小評価し過ぎたな」
「それでも今回は三体での任務だった。独断で分散しなければありえなかった敗北だ。監督不行き届きだな、ミカエルよ」
ハニエル様の指摘にミカエル様が鼻を鳴らす。不服ではあるが、反論する気はないようだった。平静そのものの心音が何よりの証左だ。
「……なるほど」
報告を受け、統括素体の二人のやり取りを静観していたらしいルシフェル様が、そこで漸く声を発した。
微かな風の気配を頼りに、ぼくは声の聞こえた方へと向き直る。
「奴らは既に、我らを各個撃破出来る程度の戦力は有しているのか」
ルシフェル様の声が空ろに響いた。会話というより、ただの事実確認のような抑揚を欠いた平坦な声音だった。
常に纏う風に阻害されて、ルシフェル様の息遣いも心音もぼくの耳には上手く届かない。そもそも、上位素体であり十賢者を監視する役目を持つルシフェル様は、ジャミングに阻まれて上手く探れた試しがない。そのことに不便や不満を抱いたことはなかったが、今のような有事の際は少し、残念に思う。同じ上位素体でも、ミカエル様とは大違いだ。
「同じ間違いは繰り返さん。奴らが調子づいて乗り込んできたところを、我ら総出で返り討ちにするだけだ」
独白めいたルシフェル様の言葉を、ハニエル様が拾う。すると、ルシフェル様の纏う風が微かに揺らいだ。
「……迎撃はおまえの駒で対応しろ」
「オレの配下を捨て駒にしろと?」
「メタトロンたちの敗北は戦力の分散だ。三人で当たれば遅れは取らん」
「万全を期す理由を覆すには弱いな」
「知恵遅れの猿どもに後れを取る無能は要らん、と言っているのだ」
不意に、風が遠のく。正確には遮蔽物によって音が遮断された。ハニエル様だ。ハニエル様が、ルシフェル様とぼくら情報収集、分析用の素体の間に割って入ったのだということが知れる。
ルシフェル様が吐き出す小さな息遣いが耳に届いた。溜め息だ。
空気が張り詰めている。縋る物が欲しくて無意識にさ迷うぼくの手を骨ばった手が捉えた。すぐ隣に立っていたカマエルの手だ。
「ラファエルたちがそれほど戦闘に特化していないことは解っている。だが、崩壊紋章がまだ安定しない。おまえたちにはガブリエルのサポートを任せ、三体にはその間の時間稼ぎをさせる」
「上の手綱もてめぇ一人で握れねぇとは、どっちが猿以下の無能なんだかなぁ」
おれらを監視する素体が聞いて飽きれる。ルシフェル様をせせら笑うミカエル様の声が聞こえる。その響きは若干の怒気を含んでいる。間接的にメタトロンたちを猿以下の無能呼ばわりされたからだ。
ルシフェル様は何も言わない。けれどフィーナルのガラス張りの床が小刻みに震え出す。周囲の気圧が変化して、ある筈のない音をぼくの耳が認識し始める。耳鳴りだ。すると、今度は熱気が肌を舐めて産毛の焦げるにおいが鼻腔をついた。それだけではない。鉄の、ゴムの、ガラスの、ありとあらゆる事象が高熱によって溶解し、焼け焦げるにおいが漂う。ミカエル様の炎だ。
いけない。カマエルの手を一層強く握り締めて、ぼくは声を張り上げた。
「だ、だいじょうぶです。ぼくたちだけでやれます!」
ぼくの声に、すぐに大気の震えが収まった。耳鳴りが止む。けれどミカエル様から発せられる怒気を孕んだ熱は、相変わらず空気を焼いている。肺が痛い。
「ミカエル」
ハニエル様がミカエル様の名前を呼んだ。決して大きくはないが、力強い声だった。熱気が弱まるのを感じる。
「オレの部下がこう言っているのだ。場をおさめろ」
「……おまえはそれでいいのか」
問いとすら言えない、断定的な物言いだった。だからなのか。ハニエル様も何も言わなかった。ルシフェル様も黙ったままだ。ただ静かに、周囲の熱は冷めていった。
部屋を後にしようとしたところを、呼び止められて振り返る。名前を呼ばれたのはぼくだけだったが、カマエルとラファエルも足を止めた。呼び止めたのはルシフェル様だった。
「サディケルだけでいい。おまえたちは持ち場へ戻れ」
上位素体からの命令には原則逆らうことは出来ない。それでもカマエルとラファエルからはぼくだけを残して行くことに戸惑う気配がした。
「ぼくは大丈夫。二人は先に戻ってて」
促しても、すぐに二体が遠ざかることはなかった。もう一度、本当に大丈夫だからと念を押す。そこでやっと、足音が耳に届き扉の開閉音と共に二体の気配は薄らいでいった。
そうして、ぼくの聴覚を以ってしても、二体の声はおろかその息遣いすら拾えないことを確認してから、ルシフェル様と向かい合った。
「何のつもりだ」
「仰っている意味が分かりません」