早太郎※もしなぎらが地元推薦を受けていたらというだけのif
「この寺有名なところなの?階段キツーっ!」
「いいじゃん、私寺巡りとか大好き!狛犬とか可愛くて大好き」
「寺には狛犬はいないよ。狛犬が守ってるのは神様だから。」
「マジで〜!?そこら辺全然よく分かってないー!あっ、でもわんちゃんの石像あるよ?」
「ねぇ、早太郎伝説って何?」
「ああ、それは…。」
大型連休、柳楽は他県から進学してきた大学の友人を観光名所に案内していた。とは言っても昔から過ごしてきた、と言うだけで地元のこともよくは知らない。観光パンフレットを見つつ何となく小学校や中学校の時に学習した知識を照らし合わせて話す上っ面なもの。
それでも友人たちはにこにこと楽しそうに聞いてくれた。実家から車を出し、観光地を巡り、美味いものを食べるととても喜んでくれた。
---
指定校推薦だから、合格は間違いなし、とは分かっていた。それでも目の前に合格通知と、入学に向けての様々な資料が届くと安堵した。
母は学生時代にはひとり暮らしをした方が良いとか、どうせ社会人になったらクソ真面目な生活送るんだから大学時代くらい羽目を外せ、とか色々言われたが、せっかく家から通える範囲に国立大学があるんだから、この大学で無ければ学べないという興味や強い意欲もないんだから、無理に外に出る必要は無いだろうと進路をさくさくと決めた。
それが正解だったと思った。共通一次の時に高熱を出し、三日三晩寝込み、挙句自分が化け物猿の系譜である、という耐え難い事実を知ったのだから。
その事実を知ったときには母とすごい勢いで喧嘩をし、泣きわめき、数日友人の家に泊めてもらい、なんとかお互い和解したものだった。
春からも一緒に暮らすのだから、お互いの顔を見ずにはいられないのだから、どこかで折り合いをつけていくしかない。家族とはそういうものなのだ。
自分が女を攫う化け物猿の系譜だと聞いてしばらくはびくびくしていた。どこかに自分が攫いたくなる女がいるのでは、と恐ろしかった。だがそんな生活にも数週間もすると慣れてきた。
大学に入り、バイト先を見つけ、サークルにも入った。自分の中の化け物は時折荒ぶり高熱を出したが、ただそれだけだ。
大学の中にも、バイト先の客にも、サークルで共に汗を流す同級生や先輩にも、俺の中の猿は反応しなかった。
このまま俺は普通の人間として生きていけるのではないか、そう思っていた。
何となくプレゼミで近い距離に座っていた学生たちと仲良くなった。県外生が2人と地元民が2人。大型連休中にどこかに出かけようという話になった。18歳になったと同時に免許を取っていたから、俺が車を出すことにした。
いくつかの観光地を巡り、地元の料理を紹介すると県外生の友人は新鮮な反応をしてくれてそれが嬉しかった。
そんなに地元愛など感じたことの無い人生だったが、他人に自分の故郷を褒められるのは悪い気持ちはしない。
ドライブの最後に、有名な寺にやってきた。
何だか歓迎されていない雰囲気を感じて首の当たりがぞわぞわしたのは気の所為だろうか。
友人はきゃいきゃいと楽しそうな声を上げ、石段を上がり、庭園を散策していた。
何度か訪れたことのある寺、庭園。柳楽は友人たちほどテンションを上げることは出来なかったが、それでも楽しそうな人の群れの中にいるのは心地よかった。
(化け物猿の伝承が)
そういえばそんな伝承のいわくがある寺だったな。
(それを倒した早太郎が)
だからか…昔から犬には嫌われるんだよな…。母さんはめちゃくちゃ好かれるって言うのに。
(娘を攫って食べちゃって)
俺は攫わないぞ。女の子を攫ったり食べたりしない。俺は真っ当な理性を持ってるんだから。
ふと、鼻先に甘い匂いを感じた。
「柳楽?どうした?」
友人たちと談笑しながら散策していたが、歩みを止めていたことに気づいた。
「…なんか、甘い香りがしない?花でも咲いてるのかな。」
「え?俺全然解んないけど。柳楽鼻いいんだな。」
「……ちょっとごめん、先行ってて。後で合流する。」
「あっ、おい、柳楽?…まあいいけど。連絡入れろよー!」
柳楽は匂いに導かれるようにふらふらと歩みを進める。なんだろう?でも、確かに香る、抗えない匂い。なんでこの匂いを嗅ぎながら、友人たちは無視できるのだろう、違う。気づいていないんだ。俺にしか分からない匂い。
はあはあと息が荒くなる。俺の中の猿が、殻を破って飛び出してきそうになる。落ち着け、お前は食い殺されたくないだろう?女を攫って、犬に喉笛を噛みちぎられるなんて真っ平だ。それでも匂いを追うのが止められない。柳楽は半ば駆け足で手繰り寄せるように匂いの元へと向かった。
門を抜ける。女が、石段に腰掛けていた。
ふわふわとした茶色の長い髪をしている。顔は見えない。年齢も分からない。ただ、見た瞬間に分かった。
こいつが、俺の雌だ。
雌がパッと顔を上げる。薄い色素の目が光を受けてきらめいた。少し涙で潤んだ瞳。誰だ、俺の雌を泣かした奴は、殺してやろうか。
「…えっと、君、大丈夫?」
口から出てきた言葉は頭の中とは違い随分理性的なもので。
「あっ、えっと、大丈夫、です。」
女の子はカバンの中からハンカチを出して顔を拭う。
「ちょっと待ってて。」
石段を降り、少し離れた駐車場に設置された自動販売機で飲み物を買う。ジャスミンティーと、ミルクの入ったほうじ茶を1本ずつ。
2本を持ち差し出すと、女の子はほうじ茶の方を手に取ってこくりと飲んだ。可愛い唇だ。吸ったらどんなに甘い味がするのだろう。
「…体調悪い、とかなら多分、中で休ませてもらえると思うから。歩くのしんどいとかなら、手を貸すけど。」
「違うんです、いいんです。飲み物のお金払います。」
「気にしないでよ。」
女の子はごそごそとカバンを漁ると、可愛い小さな小銭入れから硬貨を2枚だすと渡してきた。受け取りポケットにしまう。
「…余計なことしたかな、ごめん。」
「…そんな事ないです。あの、ここからバス停までどのくらいかかりますか?」
「ごめん、俺地元民だからバス使う習慣なくって、帰りの時間バス調べてないの?」
「…車で来たんですけど、置いてかれました。」
「はぁ?」
思わず低い声が出た。誰だ?俺の雌にそんな事するやつは。殺すぞ。
女の子は思わずビクッと体を震わせる、違うんだ、ごめん君に怒ってる訳じゃなくて。
「いや、ごめん、えっ…じゃあ、車で来たのに置いてかれたって…最悪じゃん。」
「…私が悪いんです。彼氏彼女…とかじゃなきけど、仲良くなって、一緒にドライブに来たのに、…キスされそうになって、まだ、違うって思ったから、嫌って言ったら、じゃあもう知らないって、置いていかれて…。」
女の子はポロポロと涙を流す。細い肩が揺れる。可愛い。抱きしめたい。それと同時に怒りでふつふつと肌が粟立つ。でも良かった。お前がまだ誰のものにもなってなくて。幸いだったな、顔も知らない車の男。お前は俺に殺されないというだけで一生分の運を使い果たしたぞ。
「…俺、良かったら駅まで車で送るよ。あっ、友達と来てるから、全然怖がらせるつもりないから!女子もいるし、あとひとりくらい乗れるから。なんなら、そいつら来てから決めてもいいし。免許証見る?住所控えて信頼出来る人に送った上とかでもいいよ。」
「…なんでそんなこと言ってくれるんですか?私、そんなに可哀想ですか?」
だってお前はようやく出逢えた俺の雌だから。
「違うよ、せっかく地元に来てもらったのに悪い思い出持って帰って欲しくないだけ。」
女の子は初めてクスリと笑った。俺の本意など知らぬように。
「柳楽ー!もう一回りして来ちゃったぜー!」
「えっ、その子誰ー?」
友人たちの声がする。だから、もう二人の時間はおしまいだ。
「友達来た、立てる?」
手を差し伸べると、女の子は素直に掴んで立ち上がった。運が良かったな。今日は孕ませるのに都合が良い日ではないようだ。
出会ったのが此処で幸いだったか、それとも不運だったか。早太郎に見張られていては、猿は女を攫えない。首を食いちぎられるのはごめんだからな。それでも、いつか俺はこの女を攫い、子を孕ませるぞ。それが俺とこの女の運命だ。
腹の中で猿がにたりと笑うのが分かった。