デートしようぜ!「隊長!デートにいこう!」
ファデュイ拠点。本来ここにいないはずのオロルンが背後から飛び付いてきた。気配はわかっていたから好きにさせていたわけだが、発した言葉が問題だ。まばらにいた部下達が一瞬で姿を消したので、目を輝かせている額を小突く。
「人前では?」
「……言わない約束。ごめん」
はっとして慌てて口を塞いでは耳を垂らす。耳の下に指を入れてみてもぺったりと張り付いていて、相当反省していることが伺える。結局絆されてしまうのだから誹りは甘んじて受けよう、と思っているが何故かどこからも聞こえて来ない。むしろオロルンはできることを見つけては隊員の仕事を率先して奪いにいくので、奪われまいと全体の士気が高まっている。今のも恐らく空気を読んだのもあるが、各々役目を果たしに行ったのだろう。
「まぁ、もう誰もいないから気にしなくていい」
「あれ?本当だ」
ならばと正面から改めて抱き付いてくる。顔を擦り寄せてくふくふ笑っている姿は、愛しい以外の言葉が出てこない。一体どこで箍が外れたのかと考えながら、片手で抱き上げてテントまで運んでやる。下ろしたところで眼前に紙束が突きつけられた。
「ばあちゃんと完璧なデートプランを考えたんだ。これなら隊長にも喜んでもらえると思う」
受け取ろうとしたが、さっと避けられた。どうも俺が見てはいけないものらしい。
「それで、いつ行くんだ?」
「明日」
「……明日か」
ここしばらくは旅人が手伝ってくれるおかげで随分と余裕ができた。だが明日となると各所との調整が必要になる。流石に厳しいが、この期待に満ちた瞳を曇らせることはしたくないので、できることならば叶えてやりたい。黙って思案しているとオロルンは心配するどころか、先程より高揚した目で見詰めてくる。
「実はもう話をつけてあるんだ」
「詳しく話せ」
時折発揮する妙な行動力でなんと旅人に隊の面々、全てに話がいっているという。根回しをしてくれるのはありがたいが、私情を挟むというのは気が引ける。果たして彼の行動に何度頭を抱えたかわからないが、気を落ち着けるために息を吐く。すると楽しそうに語っていた顔に翳りが差した。
「ごめん、迷惑だったかな」
途端に萎縮してしまった顔を上げさせる。ぐいぐい仮面を押されたので外してやり、膝に乗せて頬に口付けた。
「勘違いするな。気付かなかったことが不甲斐ないだけだ」
「じゃあ一緒に行ってくれるのか?」
「あぁ、どこへでもついていこう」
「ありがとう」
お返しに可愛らしいキスが贈られた。明日の朝起きたら出発する、持ち物は特になし等、計画の内容が次々と唱えられる。詳細は伏せたままの計画を粗方聞き終わると、鮮やかな色をした双眸がこちらを凝視する。
「どうした」
「こっちに来てくれ」
ベッドまで連れて行かれるとマントを剥ぎ取られ、問答無用で寝かされた。見上げればこちらを気遣う瞳が優しく細められる。
「顔色が良くない。少し寝るといい」
数を大きく減らしたが、魔物がまだ出ないわけではない。深夜に気配を感じて飛び出して以来、休んでいなかったことに今になって気付いた。だが枕が手を伸ばせば届く距離にあるというのに、頭が乗せられているのはオロルンの膝。退こうとしたがすぐに元の位置に戻される。
「君が寝るまで僕が見張っている。本当に少しだけでいいんだ、目を閉じて休んでくれ」
「……わかった。一時眠ったらすぐに起こしてくれ」
「あぁ、約束する」
温かい手が瞼に蓋をする。後頭部からもじわりと熱が伝わって、上にかけられたマント越しにあやすように叩かれた。不死の呪いにより数百年生きて、目新しいものはそうそうないと思っていたが、まだ二十年程しか生きていないこの青年は新鮮な気持ちを掘り起こしてくる。黒曜石の老婆の方が歳が近いという事実に罪悪感もあるが、それ以上に幸福感が強く、朽ちていくこの身を癒す。許されるならば、この刹那だけでも安らぎを。その祈りと共に意識は深く闇に沈んだ。
翌朝、予定通り準備を終えて定刻に天幕を出た。準備は終えたのだが、まだ眠そうな目を擦っているオロルンに手を引かれる。
「運ぶか?」
「大丈夫、これでも隊長に合わせてちゃんと寝るようになったんだから」
話が噛み合っていない。足元は覚束無いが、目的地には真っ直ぐ向かっているようなので様子を見る。拠点を出るのかと思ったが、中をぐるりと周り始めた。寝惚けているならそろそろ止めようかと口を開いたところで、オロルンが手を上げた。
「じいちゃん、パイモン、おまたせ」
「よぉ!相変わらずおまえは朝眠そうだな」
「朝は目が開かないんだ」
パイモンとオロルンが話している中リュックを漁っている旅人に近付き、本当に抜けても問題ないか確認をすると、隊員含め皆即答だったから心配しなくていいと伝えられた。目当てのものを探り当てたのか、鞄の体積からは考えられない急須型のものを取り出した。どうやらこの中が本日の目的地らしい。
「でも新婚旅行が旅人の洞天で本当にいいのか?」
予想だにしない言葉に固まってしまった。その隣で一気に目が覚めたらしいオロルンが真っ赤になってパイモンの口を塞ぐ。
「違うって言っただろあ、違うんだ隊長。嫌とかそういうことじゃなくて、むしろ僕はそれでもいいんだけど……」
ごにょごにょとフードを深く被って説明が途切れた代わりに、一部の隊員が早とちりしただけだと旅人が補足してくれた。ここ最近の生温い視線を送ってきた数人だろうと目星はついた。戻ってきたらどうにかするとして、狼狽えて歩き回るオロルンの肩を抱いて引き寄せる。
「わかっているから落ち着け」
目を覆って飛び上がったパイモンを気にすることなく、旅人がいってらっしゃいと手を振った。煙が辺りに立ち込めたと思えば、すぐに晴れて景色は全く別のものになっていた。桃色の花弁が舞い散り、空も地面も艶やかに染め上げる傍らで、穏やかに寄せては返す波の音。
「稲妻か」
海に囲われ独自の文化を築いている離島。だが記憶にある景色とは異なる。あくまでも洞天の中に作られた空間なのだろう。
「それで、いつまでそうしているつもりだ?」
周囲の分析を終えても、肩を抱かれたままオロルンは顔を両手で覆っている。
「……こうしてないと、つい顔が緩んじゃうから」
緩むとはどういうことか。手の下に指を入れてゆっくり引き剥がしてみる。おずおずとそれに従って覗かせた顔は、眉は下がって頬が赤いが口元だけ異様に口角が上がってしまっている。
「どういう感情だ?」
「あぁは言ったけど、隊長と新婚に見られるのは嬉しいなっていう感情」
そう言い残してまた顔を隠したので、手の甲に口付ける。
「新婚旅行のときは俺も計画から参加させてもらえるといいんだがな」
額まで赤くしたオロルンが、向きを変えて胸の中に飛び込んできた。
「……そのときは一緒に考えたいな」
ようやく顔を曝け出して蕩けるような笑顔で抱き付いてくる。もう一度キスして欲しいという要望に応えて、背伸びをして目を閉じた唇に口付けた。軽いもので終わらせるつもりが、舌が差し入れられる。周りに人の気配はないことを確認し、オロルンの身体を抱き上げて唇を深く合わせた。
期待させるようなことは言うべきではない。だがそれを避けて言葉を紡げばオロルンは敏感に察してしまう。生命ある限りは愛することを誓ったのだから、同じように未来を見ていたい。そして発露する幼さとは裏腹に物事を正しく捉える彼は、己のこの葛藤も含め見通してくれているだろう。
至近距離で開かれた瞳は情欲の灯火が揺らめいていて、思わず喉が鳴る。更に一歩踏み込もうとしたところで、腕が突っ張られて嫌がる猫のように仰け反った。宙に浮いている足をばたつかせたので下ろしてやると、また真っ赤になってフードを深く被ってしまった。
「これ以上やるとデートどころじゃなくなりそうだから、ちょっと待っててくれ!」
早口で告げると陸続きにある邸宅へ走って向かっていった。向かい側に見える島にもいくつか住居が建てられているが、大きさから見てあれが本宅だろう。桜は絶えず散り、波も一定の間隔で打ち寄せているが、空間としての時が止まっているような違和感がある。
少しだけ、この力が羨ましいと、朽ちゆくこの身体が恨めしいと思ってしまった。あまりにも浅慮な考えだ。例え本当に時が止まったとしても、果たすべきことは変わらないというのに。そんな憂いを振り払う如く頭を振ると、荷物を抱えたオロルンが戻ってきた。
「おまたせ!ここで朝ご飯にしようと思って、お弁当を作っておいたんだ」
撥水性が高そうな布を敷き、その上に風呂敷に包まれた重箱が置かれた。三段重ねの箱が開かれると、所狭しと料理が詰め込まれている。
「見事だな」
「稲妻ではこうやって桜の下で花見をするって聞いて、昨日仕込んでみた」
「何回かここに来たのか?」
「準備のためにばあちゃんと一緒に来たんだ。そのときに旅人が稲妻の料理上手のトーマを連れて来てくれて、色々教わったんだ」
他にも洞天の形式はいくつかあるようで、この計画のためにわざわざ変えてくれた礼としてレイアウトを手伝ったらしい。そのときはスメールの建築学者がやってきて旅人の人脈の広さに驚かされた、また一度ここに招待されたら自由に出入りができるので、その知り合い達は気が向いたときにふらりと訪れては思い思いの時間を過ごすのだという。
嬉々としてこれまで体験したことを語るオロルンの話を聞きながら、食べやすいように小さく形作られたものを口に運ぶ。計画を尋ねてみると、今日は主に洞天内の観光、明日は動植物に詳しい者の話を聞くという段取り程度で、細かくは決めていないらしい。
「予定に追われるより、隊長とここでのんびりできればいいなと思って」
休暇をとっても何をするか事前に決めてしまう自分にとって、オロルンと過ごす時間は不思議な感覚であった。こうして何の予定もなくのんびりと、話をしているだけでいつの間にか時間が経ってしまっている。始めこそもっと有意義な時間の使い方があるのではないかと思ったが、いざ翌日になってみると身体的な疲労度と精神的な充足感が全く違う。これが休息をとるということかと理解してから、何も考えないようにした。
「あと昼頃にここについて詳しく教えてくれる人が来るらしい」
てっきり旅人から聞いていたかと思ったんだが、どうやら本邸とはルールが違うとか何とか、オロルンもよくわかっていないようだ。まぁ教えてもらえるのだから別にいいかと二人で結論付けて弁当を食べ終えた。水筒から注いだ茶を啜っていると、隣で大きな欠伸が聞こえる。
「寝ていろ。まだ昼までには時間がある」
「うん……でも勿体ないから、ちょっとしたら起こしてくれないか」
「しばらくしたらな」
「しばらくじゃなくてちょっと」
当然のように俺が着ているマントに包まって身体を預けてきた。これは起きるまで動けないので桜の木を背凭れに景色を眺める。昼はかなりの暑さになるナタと異なり、この空間は適温に保たれている。次第に触れている箇所から体温が移ってきて眠気を誘う。脅威となる要素は見当たらないが、いつでも臨戦態勢に入れるよう僅かに気は張って軽く目を閉じた。