魔法の指先 「トイウワケデ、オケショウ、テツダッテクダサイ」
自宅に迎え入れた時に、普段よりも荷物が多いと思っていたが、それが化粧品とは予想外だった。そして、その手伝いを申し込まれたことも。
「つまり、クラージィさんの肌に合った色を俺が選べばいいんですかね?」
「はい、ジブンデエラブ、ジシンナイデス。おねがいします」
本日の予定としては、自宅でゆっくり映画鑑賞、あとは適当に、ということだった。なので、彼女の化粧を手伝うのは問題ない。自分にセンスがあるのかと言われると微妙なところだが、滅多にない“お願い”なのだから力になってやりたいと思うのは当然だろう。それに、彼女の色覚については薄々勘付いていたので、驚きというより腑に落ちる感覚の方が勝っている。
「キュウニ、コンナコトイッテ、ゴメンナサイ」
「いいえ、面白そうだし、やってみましょうよ。どんな色が好きとか、苦手とかあります?」
「んー、ハデナノハ、チョットイヤ、デス」
「なるほどね、肌が白いから、この辺でも綺麗に色が出そうだな」
「ワタシノハダ、シロイデス?」
「そうですね、血管が透けるくらい白いですよ」
なんて話しながら、テーブルに広げられた化粧品のサンプルに目を通す。ファンデーション、クリーム、アイシャドウ、チーク、口紅、その他諸々。ご丁寧に化粧用具も用意されていた。目の前の彼女は興味深そうに、しかし恐る恐るといった手付きでそれらをつついている。そして、「コレハ、ナニイロデスカ?」と聞いてくるので、一つずつ返していく。彼女の予想していた答えと合っているとぱぁっと表情が明るくなり、違っていると眉根に皺を寄せるため、途中からは彼女の百面相が楽しくなってしまった。
「それじゃ、とりあえずこの辺のでやってみましょうか。今日の服とも合うと思うし」
「はい!」
「そしたら、あっちのソファ座ってください。俺は椅子に座った方がやりやすいので」
「え?ミキさん、オケショウ、デキルデスカ?」
「できるですよー。はいはい、座ってください」
どうやら彼女は、色だけ選んでもらって化粧自体は自分で頑張るつもりだったらしい。しかし話を聞いていると、彼女は化粧をするという経験自体が乏しいようだ。それならば、自分が施した方が良いだろう。器用貧乏な自分に今回ばかりは感謝した。
ということで、自分が座るための椅子を持ちながら、困惑する彼女の背を押してソファに座らせた。
「うぅ、ミキさん、オテヤワラカニ?おねがいします」
「はぁい、安心してくださいよ」
自分と彼女は身長差があるので上目遣いは珍しいことではないのだが、ちょっと怯えた仕草が加わるとそそるものがあるなと思った。
「じゃぁ、塗っていきますよ」
そう言って、彼女に触れた。つるりとした額、初めて会った時よりふっくらとした頬、スッと通った鼻筋。日頃から整った顔立ちだと思っていたが、触れてみて初めて分かることもあるのだと実感した。彼女の生活は質素そのものなので、肌は少し乾燥気味だが肌理自体は細やかとしている。
「不快感はないです?」
「ダイジョブデス。デモ、チョット、クスグッタイデス」
「それは我慢してくださいね。次は、目元ですね」
目も口も閉じていると作り物染みたところがあると思っていたが、どうやらくすぐったさを耐えていたらしい。ふふっと笑われると、こちらもむず痒くなってきた。手元が狂いそうだ。
「そういえば、今日の服、珍しいですね。いつもは無地なのに」
自分の気持ちを一度リセットするために、雑談を挟むことにした。
「コノマエ、オススメシテモライマシタ」
「よく似合ってますよ」
「ありがとう。イロ、カエナクテモ、ガラがアルト、フンイキカワル、イッテモライマシタ」
彼女が今日着ているのは黒いワンピースだ。生地は柔らかい素材で、上半分は体の線に沿った造りになっているが、ウエストから下はふんわりと広がっている。デザインだけなら似たようなものを着ているのを見たことがある。しかし今日の服はデコルテや背面に刺繡が施されていた。蔦や小花、鳥など可愛らしい模様が銀糸で縁取られている。色合いは控えめだが、彼女の雰囲気とよく合っていた。友達とおしゃれに励んでいる姿を想像して微笑ましく思っていると、
「ミキさん、コノマエ、ガラガタクサンのシャツ、キテマシタ。コレミタトキ、ニテルオモッタデス」
と思わぬ方向から爆弾発言が飛んできた。自分が着ている服と似ていたから、今まで着たことがない柄物に手を出した、と。可愛いが過ぎやしないか。しかしそんな動揺は表に出さず、「柄物いいですよね」とだけ返して、本題に戻ることにした。
「絶対に目を開けないでくださいね」
他人の目元に道具を押し付ける、というのは緊張するものだ。先程よりも慎重に彼女に触れる。数あるサンプルから選んだのは、銀色と青色がまとめられたものだ。彼女の肌の白さには深い青が映えるだろうという魂胆だ。まずはチップに銀色をのせて、薄い瞼に滑らせていく。それから色を重ね、最後に最も濃い青で瞼の淵を彩った。反対の眼も同様に、慎重に手を動かす。それから、血色がほとんど感じられない頬に薄いピンクのチークをはたく。頬が色づくと少し幼い印象になるのだと感心しながら、濃くなり過ぎないように加減する。
いよいよ最後、口元だ。こちらも同様に血色はあまり感じられない。
「次が最後ですよ。口、ちょっと開けてください。いや、ちょっとって言ったでしょ、そんな小鳥みたいにしないで。はい、それでよろしい」
線の鋭い顎に手を添えて、上を向かせる。ぱかーっと開けられた口に思わず笑ってしまったが、気を引き締め直してブラシを手に取った。サンプルにはカメリアピンクと書いてあったが、確かに、薄く控えめな唇が華やいだ。
「はい、できましたよ。鏡見てみてください。あ、ちゃんと映る鏡持ってます?」
「ありがとうございます。ダイジョブ、モッテキマシタ」
そう言って彼女は目を開いた。隠されていた赤い瞳が加わると、また一味違った印象になる。目元は涼やかだが、冷たすぎないと言えばいいのだろうか。普段よりも血色の良い頬もその印象を強めているのかもしれない。
自分は無事に務めを果たせただろうか。そんな不安がよぎったが、彼女は小さな鏡で自分の顔を確認すると、
「スゴイ!ワタシジャナイミタイデス!」
とこちらを見て屈託なく笑った。どうやら合格点をもらえたようだ。
「それは何より」
「はい、ありがとうございます!」
「今回、使ったのはこれね。ただ、仕事とか改まった時にはちょっと使えない色だったかな」
「ソウデスカ…」
「今度は改まった感じの時に使える色も試してみましょう」
「ホントデスカ?タスカリマス」
「いーえ、俺も結構楽しかったので気にしないでください」
使ったサンプルを分けながら片付けを始める。今日の化粧の色合いは服に合わせたこともあり、プライベートを楽しむ用といった感じだ。ビジネス向けではない。それならまた試してみればいいことだと思い提案したが、思いの外、彼女に化粧を施すことを楽しんでいたらしい。口にしてから気付いた。
散らばったサンプルを袋に収め、一息つく。一方、彼女は繰り返し鏡を見てはにこにこしている。その様子を見て、すぐに洗い落としてしまうのは勿体ないと思った。そして、あることを思いついた。
「ねぇ、これから外出ません?」
「え?エイガ、ミナイデスカ?」
「帰ってきてからでも観られますよ。それより、折角お化粧したんだし、髪形も変えてみません?それで、似合うアクセサリー探しましょうよ」
そう、もっと彼女を着飾りたくなったのだ。
「デモ、コレイジョウ、メイワク、ナリマス…」
「そう思ってたら言いませんよ」
「デモ…」
しかし、彼女はこれ以上自分に負担をかけるまいと思っているようだ。そんな謙虚さも可愛らしい。とは言え、今は引き下がるよりも押すべき時だ。
「俺としては、選ばせてもらえると嬉しいんですけどね。そうだ、ケーキも買ってきましょう。それ食べながら映画観ましょうよ」
「ケーキ…メイワク、チガウナラ」
「じゃあ、決まり。髪の毛やっちゃうから、こっち来てください」
決め手になったのはケーキのような気がするが、結果がついてきたので良いだろう。彼女を椅子に座らせ、癖毛に櫛を通す。髪ゴムくらいしかないので、とりあえずハーフアップにまとめる。
新しいワンピースに初めての化粧、いつもと違う髪形。しかも、珍しいことに今日はヒールのあるブーツを履いている。彼女の存在には慣れているはずなのに、新鮮さばかりでちょっと落ち着かない。しかしそれは彼女自身も感じているようで、そわそわとした挙動が小動物らしい。そんな彼女の隣に立つことに少しだけ優越感を抱きながら、外に出た。そして、彼女の手を取って歩き出す。
「それじゃ、デートといきますか」
完