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    ケミカル飲料(塩見 久遠)

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    ノスとクラ。春の卵のお話。隠し味程度ですが、信仰や風習への言及を含みます。書き始めはノスクラと思ってました。
    2023/4/9にTwitterにアップしたものに一部修正を加えています。

    月夜に満ちる、春の息吹の喜びよ 「これは、お前を思って作ったものだ」
     そうして唐突に差し出されたのは、卵の殻だった。

     癖毛の彼の来訪は久方ぶりだった。屋敷に招き入れたのは、日がとっぷりと暮れてからだったが、彼の近況報告やら最近仕入れた知識やらに耳を傾けていると、あっという間に時間が過ぎていった。
     そして、僅かに欠けた月が輝きを増し、時計の長針と短針が重なった頃、彼は鞄から小さな箱を取り出した。机に乗せられたのは、菓子の類が詰め込まれていそうな、厚紙で出来た箱だ。彼は土産と称して、使い魔の猫のための食べ物や小物を持ち込むことがあるが、それらとは趣が異なっているようだ。かといって、中身の想像がつくかと言えばそうではない。彼の唐突な行動に対して、腕を組みながら構えるくらいしかすることはなかった。
     彼は壊れ物を扱うような慎重な手付きで箱の蓋を開けた。こちらから中身は見えないが、中を覗いた彼の表情から緊張が解けていったので、扱いに配慮が必要なものが入っているのだろう。とすると、余計に見当がつかない。
     何を持ち込んだんだ、と不安さえ湧きかけたところで、箱がこちらに向けられた。身を乗り出してみれば、目に映ったのは箱いっぱいに敷き詰められた綿だった。緩衝材なのだろう、それが取り払われると、いよいよ本命が姿を現した。
     一面の綿に包まれていたのは、卵だった。ただし、その殻は白と青の細やかな幾何学模様で彩られている。柔らかい綿に沈み込む様子がないところを見るに、卵の中身は既に失われているのだろう。
     ここまで来て、ようやく気が付いた。月が満ちたのは数日前、そして先程、日付が変わり、日曜日を迎えた。世界中に、この日を待ち侘びている者がいる。正面に座っている癖毛の彼には馴染み深く、自分にとっては遠い記憶の彼方に置いてきた行事。
    つまり、イースターだ。

     そうして、冒頭の彼の言葉と共に、卵が入った箱が自分の方に差し出された。しかし、自分はこの卵を手に取るべきなのだろうか。少なくとも、行事として祝う気にはならない。彼もそれを見越していたのか、
     「こんなことをしておいて何だが、行事に則る気はないんだ」
    と、若干気まずそうな顔をしている。そんな顔をするくらいならしなければいいのに、という言葉はぐっと飲み込んだ。代わりに、
     「それなら、これはどういうことだ?」
     と、卵を指差して尋ねる。すると彼の口から出てきたのは、
     「さっきも言ったが、これはお前を思って作ったものだ」
     という先程の言葉の繰り返しだった。真面目腐った物言いから、彼が真剣であることは察せられるが、その意図が分からなくて聞いているのに、結局何も明らかになっていない。どうも、彼は結論に一直線になるというか、物事の経過を端折る傾向があるようだ。
     つまり、遠回しな言い方をしたところで、こちらが徒労するだけなのだ。
     「聞き方が悪かったな。彼の人の復活を祝いたいのでなければ、どうして、わざわざこんな手の込んだものを用意したんだ?」
     溜息交じりに聞き直すと、やはり彼は真面目腐った面持ちで頷いた。
     「そうだな…あの頃から変わらないものも、変わっているものも多くあることが分かってきた。復活祭もそうだ。特に、この国ではなんだかよく分からない行事になっているようだな。それに、自分自身が変わってしまった。何もかも、今まで通りとはいかないと思ったんだ」
     まとまりがあるようでないような、彼の語りに耳を傾ける。途中、胸に刺さる箇所があったが、顔色に出さないように、ぐっと堪えて腕を固く組んだ。幸いなことに、目を伏せながら話を続けている彼には気付かれなかったようだ。
     「それで、ええと、なんだったか。そうだ。お隣さん達から、教会に行けなくても、元々は春の訪れを祝う行事なのであれば、楽しんでしまえばいいのではないか、と言われたんだ。そう思ったら気が楽になって、そうしたら、何故かお前のことが頭に浮かんだんだ。ただ、私は他に祝い方を知らないから、これを作ることにしたんだ」
     そこまで言って、彼は説明責任を果たした気になったらしい。言い切ったような、すっきりした表情で、ティーカップに手を伸ばしている。
     しかし、急にそんなことを聞かされて、こちらとしては堪ったものではない。開いた口が塞がらないとはこのことだ。なんとか、彼の言わんとしていることを脳内でまとめる。
     「つまり、行事は関係なく、私と春の訪れを祝おうと思ったと?」
     「さっきから、そう言っているだろう」
     何度目になるか分からない溜息を吐けば、彼の方が呆れたような物言いをしてくる。
    そして、持参した卵について楽しそうに話し始めた。現代の絵の具の性能はすごいとか、卵の殻を綺麗に残して中身を取り出すのに苦労したとか、その中身で近所に住んでいる人間が巨大なプリンを作ったとか。
     どうやら、この卵にまつわる話は尽きることがないようだ。
     
     言いたいことは山程あるが、彼の気の抜けた話を聞いているうちに、それらがさして重要ではないように思えてきた。小さく溜息を吐きながら、箱の中の卵を手に取った。それは、驚くほど軽くて、少し力を込めれば割れてしまうような脆いものだった。親指と人差し指で摘まんで月明かりに翳せば、白地の部分が浮かび上がって見えた。よくよく見てみると、予想以上に繊細な幾何学模様が施されていることに驚かされる。彼に絵心があったとは、意外なものだ。
     しかし、当の彼はといえば、
     「その絵の具なんだがな、どうやら描かなくても、卵に巻き付けて一緒に茹でられるものもあるらしいんだ」
     と笑っている。彼の好奇心は尽きるところがないようで、これから試してみたいことについても何か話している。
     そんな彼の声にも意識は向けていたのだが、月光を反射する手元の卵の方に意識が傾いてしまったらしい。徐々に、彼への返答が疎かになっていった。すると、彼が機嫌を損ねることはなかったが、
     「そんなに、宝石でも扱うようにしなくてもいいんじゃないか。頑丈とまではいかないが、内側は補強してあるからな」
     と苦笑交じりの指摘を受けてしまった。
    しかし、それでも、卵から意識を逸らすことができなかった。

     あの頃、こんなふうにまじまじとイースター・エッグを眺める機会なんてあっただろうか。
     あったとして、心が動かされることがあっただろうか。
     そもそも、何をしていただろうか。
     
     そんなことが、ぼんやりと、頭に浮かんでは消えていく。心がどこか、遠いところに飛んでいくような心地さえしてきた。しかし、
     「ノースディン!」
     と彼に名前を呼ばれ、意識を引き戻された。鋭い声に思わず肩を跳ねさせてしまったので、慌てて腕を引き寄せた。後先考えずに勢いをつけてしまったことを後悔したが、卵は掌の上でコロンコロンと一定に揺れている。どうやら、無事だったようだ。安堵の息を吐くと、癖毛の彼が申し訳なさそうにこちらを見ていた。
     「驚かせてしまって、すまない」
     「いや、少し惚けていただけだ」
     手元の卵を箱に戻して彼の方を向くと、一変して穏やかな顔付きになっていた。それを怪訝に思っていると、
     「いや、それほど気に入ってくれるとは思わなくて」
     と微笑まれてしまった。常であれば、「馬鹿なことを言うな」くらいのことは返したかもしれないが、今回に関しては否定する気が起きなかった。
     しかし、余裕ぶっている癖毛に腹も立ったので、脛を蹴り上げてやった。すると彼は案の定、突然の衝撃と痛みに目を白黒させている。行儀悪く膝を折り曲げてこちらを睨んでくる様をみれば、溜飲が下がるというものだ。

     「お前、まだ時間はあるな?」
     立ち上がってから彼にそう問えば、「あぁ」と返ってくる。しかし、
     「これの礼だ。ワインでも持ってくるから待っていろ」
     と言えば、首を横に振り出す。
     真面目が服を着ているような奴だ。想定内の反応だったので、気にせずにこう続けた。
     「春を祝うんだろう?」
     彼の顔を見ないまま部屋を出ようとすると、後ろからガタガタと騒がしい音が聞こえてくる。「物を運ぶ手伝いくらいならできる」と言って後を追ってくるが、祝宴でも開く気だろうか。呆れると同時に、笑えてきてしまった。
     まぁ、いい。夜明けまで、時間はたっぷりあるのだから。
     
                                         完
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    ケミカル飲料(塩見 久遠)

    DONEミキとクラ♀。クマのぬいぐるみがきっかけでミッキが恋心を自覚する話。クラさん♀が魔性の幼女みたいになってる。これからミキクラ♀になると良いねと思って書きました。蛇足のようなおまけ付き。
    2023/4/8にTwitterにアップしたものに一部修正を加えています。
    魔法にかけられて 「それでは、失礼します」
     深めに礼をして、現場を後にした。ファミリー層向けイベントのアシスタントということで、テンションを高めにしたり、予想外の事態に見舞われたりと非常に忙しかったが、イベント自体は賑やかながらも穏やかに進行した。主催している会社もイベント担当者もしっかりとしており、臨時で雇われているスタッフに対しても丁寧な対応がなされた。むしろ、丁寧過ぎるくらいだった。
     その最たるものが、自分が手にしている立派な紙袋だ。中には、クマのぬいぐるみと、可愛らしくラッピングされた菓子の詰め合わせが入っている。
     「ほんのお礼ですが」
     という言葉と共に手渡された善意であるが、正直なところ困惑しかない。三十代独身男性がこれを貰ってどうしろというのだろうか。自分には、これらを喜んで受け取ってくれるような子どもや家族もいなければ、パートナーだっていないのだ。そして、ぬいぐるみを収集、愛玩する趣味も持っていない。
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