羊を数えるよりも 疲労困憊で帰宅してみれば、窓から漏れ出る灯りに安堵した。重い足を引き摺るようにして玄関から居間へと向かえば、微かな歌声が聴こえてくる。
『眠れ、愛しのレディ、どうかお眠り。羊も小鳥もお休みして、庭も牧場も静まって、蜜蜂の音も聞こえない』
低くも高くもない、透き通るような歌声だった。誘い込まれるように足を進めると、辿り着いた先には癖毛の彼女と使い魔の猫がいた。暖炉の炎に照らされた彼女たちに触れれば柔らかく、温かいのだろうとぼんやり思った。
「あぁ、おかえり、ノースディン」
ぼーっと突っ立っている自分を不審がることもなく、彼女は膝に乗せた猫の背中を撫でている。まるで宝物を抱えているようだ。
「さっきの歌は?」
迎え入れてもらったのに、碌に返事もしないまま、そう尋ねた。しかし、そんな無礼を彼女は咎めなかった。
「ん?これか。これはレディの最近のお気に入りだよ。よく眠れるようになるらしい」
柔らかく笑って、また猫の背中を撫でている。
自分の記憶が正しければ、先ほどの歌は子守歌だ。しかし、覚えのない歌詞が混ざっていた気がする。そう伝えると、
「レディのために歌ったんだ。子守歌は相手があってのものだろう?」
まるで子どもに言い含めるような口調で答えが返ってきた。それから、
「この歌をそのまま歌って問題ないのは、君に対してくらいだよ」
と続けられた。そうして彼女は何でもないように、猫の顎下をくすぐっている。
子ども扱いするなと不機嫌になることもできた。遠回しな夜の誘いかと色事に持ち込むこともできた。しかし自分の口から出たのは、
「そうしてくれたら、夢も見ないで眠れそうだな」
という疲れ果てた本音だった。口にしてから気付いたが、漏れ出た弱音を戻せるわけもない。やっと、彼女の視線が猫から自分に向けられたのに気まずさと気恥ずかしさが勝ってしまう。それでも彼女は優しく微笑んでこう言った。
「それなら、早く寝る支度をしてきなさい。君が眠るまで傍にいてあげるから」
と。そして、背中を押された。力なんて全く入っていなかったのに、自分の足はそのままふらふらと進み出し、寝室を目指していた。後ろからは、「さぁ、レディ。そろそろお休みの時間だよ」という声が聞こえた。
いつの間に催眠にかけられたのだろう。そう思ってしまうほど、全てが自然に動いていた。
心地よい反発のマットレスに体を沈めると、隣に横たわる彼女が微笑んでいた。そして、優しい歌声が響いてくる。それは、しんしんと降り積もる雪のようで、まるで自分が世界から切り取られてしまったような心地さえした。本当に、よく眠れそうだ。
『眠れ、私の王子様、どうかお眠り。羊も小鳥もお休みして、庭も牧場も静まって、蜜蜂の音も聞こえない』
完