結局アイスは溶けました 炬燵で蜜柑、といえば冬の風物詩である。自分の目の前にあるのはラム酒のロック、彼女の前にあるのはアイスクリームだが、炬燵は全てを受け入れてくれるので問題ないだろう。
なかなか溶けないアイスクリームをちまちまとつつく彼女の挙動は、どこか幼さを感じさせる。普段の凛々しさからは想像しにくい、緩み切った表情も拍車をかけてギャップを生み出している。何か既視感があると思ったが、警察犬や盲導犬の素の姿を見た時に感じる感動が近いかもしれない。
寒がりで冷え性の彼女は炬燵を大層気に入っている。使い始めた当初はお行儀よく座っていたのだが、今では座椅子とクッションをフル活用しているし、机の天板に突っ伏していることもある。彼女にとって炬燵は、鍋やホットプレートといった食事を楽しむ場でもあり、尽きないおしゃべりに興じる場でもある。彼女に言わせれば「ダラクのミチを進ンデイマス」ということだが、炬燵には魔物が潜んでいるので仕方ない。これに抗う方が無理な話だ。
寒い日に炬燵で温まりながら冷たいものを食べる時間は何物にも代えがたい、と教えたのは自分なのだが、彼女がこれほどまでに満喫するようになったのは少々意外だった。今日もやや大きめのアイスクリームのカップを手にウキウキしている。三十代も半ばを迎えた自分の胃にはやや重たいそのアイスクリームだが、彼女にはちょうど良いサイズらしい。以前、何かの番組で見かけたバケツアイスに興味を示していたので、我が家の冷凍庫を掃除しておかないといけないかもしれない。
冷凍庫の中身を頭で思い浮かべながらグラスに酒を継ぎ足す。それから彼女の掘削現場に目をやると、真ん中に窪みができたところだった。
「バニラアイスとラム酒は合うらしいですよ」
以前、仕事でそんな情報を耳にしたことを思い出した。彼女はアルコール耐性がそれなりにあるので試してみてもいいのではないか、そう思うと同時に口が動いていた。そして、唐突な提案にきょとんとしている彼女に、
「苦手じゃなければ試してみます?」
とラム酒の瓶を掲げて見せる。すると、彼女はアイスクリームと酒瓶を交互に見比べてから遠慮がちに、「オ願イシマス」とこちらにカップを差し出した。
滑らかな窪みに垂らしたのは、量にしてみればスプーン一杯分に満たないくらいだ。しかし、生成りに琥珀色が映えており、一気に贅沢感が増した気がする。「お待たせしました」とカップを彼女の方に戻す。「ありがとうございます」とお礼の言葉が返ってきたが、彼女の視線はアイスに釘付けだった。
ラム酒溜まりとなった窪みを始点にバニラアイスをスプーンで掬い、口に運ぶ。興味よりも警戒が勝っていたのか量は少なめだったが、その後の彼女の目の輝きが満足感を十分に語っていた。
「ミキさん、スゴク不思議デス。キャラメル?プリン?ミタイデス。デモ、モンブラン?に近イ味モシテマス」
と一生懸命感想を伝えてくれる。さっきまで目をキラキラさせてアイスを食べていたのに、スプーン片手に首を傾げながら思案している姿には日頃の凛々しさが顔を覗かせている。「これだから見ていて飽きないな」と内心ほくそ笑んだが、子ども扱いしていると思われてはたまらないので何事もないような表情で取り繕う。
「ラム酒はお菓子の香り付けに使われることも多いみたいですよ」
「ソウイエバ、ラムレーズンと同ジ匂イシマス」
「そうでしょうね。あー、ラムレーズンアイスのレーズン抜きと同じってことか」
「いえ、バニラだけ、チョット違イマス」
彼女は何でも食べられるタイプだが、味の違いが分からないわけではない。眠りから目覚めてからは食への興味が強まったらしく、なんでも試してみてはデータを蓄積させている。その彼女が言うのだから、バニラアイスのラム酒掛けとラムレーズンアイスの味は異なっているのだろう。彼女を見て感心していると、不意にスプーンが目の前に現れた。
「ミキさん、食ベタ方ガ、分カリヤスイデス」
スプーンの差出人は癖毛の彼女だ。味の違いを説明しようとしても難しかったのだろう。ならば食べてみればよいという結論に至ったようだ。百聞は一見に如かず。とてもシンプルだ。出されたものを断る理由もないので、そのまま頂くことにした。
口の中で溶けて混ざり合ったバニラアイスとラム酒はすんなりと喉を通過していった。思っていたより後味もべたついていない。
「意外とさっぱりしてますね。あぁ、もう俺は大丈夫ですよ」
「ソウデスカ」
「はい。量は少ないけど、度数が高いから、ゆっくり食べてくださいね」
そう伝えると、彼女は素直に頷いてからバニラアイスに向き直った。ラム酒が接してシャリシャリとした食感に変化したアイスに目を丸くさせたり、ラム酒だけを味わってみたりしている彼女はやはり見ていて飽きない。人の挙動を肴に酒を楽しむというのは趣味の悪い貴族のようだと思ったが、面白さを感じてしまうとなかなかやめられないものである。
バニラアイスとラム酒のみでこれだけ楽しめる彼女のことだ、パフェやあんみつなども是非体験してほしいものだ。そんなことを考えていると、つけっぱなしにしていたテレビからとあるコマーシャルが流れてきた。それを見た彼女の目は好奇心に満たされ、輝きを増していた。
「ミキさん、アレハ、ドウイウモノデスカ?」
「アイスとケーキ、一緒ニナッタ?」
「ドッチモ美味シイ。ソレガ、合体シタラ、倍オイシイ?」
そう、アイスケーキである。
「ケーキ要素はスポンジくらいですけど、なんか特別感ありますよね。食べたことないですけど」
売ったことはあるが、食べたことはないので適当なことしか言えないが、彼女にとってはそれで充分だったようだ。まだ見ぬアイスケーキに思いを馳せ、
「次ノお仕事、成功シタラ、アイスケーキ食ベマショウ!」
と目標まで決めている。前向きになれたのなら何よりだ。
「アイスケーキって、でかいからそれなりに値段しますよ。うちの冷凍庫に入るか分からないし…」
なんだか説教染みた口調になってしまったが、既にスマホを取り出して検索を始めているので威厳も何もないだろう。すると、よほどアイスケーキが気になるのか、彼女にしては珍しく炬燵から出て、自分の隣まで近付いてきた。その時自分の頭の中には、彼女の体がすぐに冷えてしまうということと、残ったアイスが溶けてしまうということが同時に浮かんでいた。そして次の瞬間には、自分の両足の間に彼女の体を収めて炬燵に戻し、アイスのカップを引き寄せて彼女の前に置いていた。
お互いに、何が起こったのか理解が追い付かず、一瞬沈黙が流れた。我に返った時には言い訳なり弁明なりをしなければと思った。しかし、こちらを見上げる彼女の頬がうっすら赤く染まっていたので、そんな考えは吹き飛び、両腕に力を込めてしまったのだった。
完