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    ケミカル飲料(塩見 久遠)

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    POIPOI 43

    ノスとクラ。娯楽が苦手な二人が楽器を弾いたらどうなるのか。左右はどちらでも。
    2023/2/7にTwitterにアップしたものの再掲です。

    何度でも愛の挨拶を 彼と生活を共にしている屋敷は広い。外見に違わず、室内も手入れが行き届いている。家具や調度品、壁紙に至るまで見劣りすることはない。家主である彼の努力の賜物なのだろう。そして、それらの使われ方を見ていれば、彼なりの愛着も感じられた。物を大事にする人柄が窺われて、自分としても好ましく思っていた。
     しかし、そんな中にあって、ひたすらに沈黙を貫いているものがあった。それらは部屋の一角で存在感を放っているのだが、活躍の場を与えられているのを見たことがない。それでいて、手入れだけはされているのだから、不思議に思うのも無理ないだろう。触れられたくないものであれば片付けられているはずだ、そう思って彼に尋ねてみたのだ。
     「ノースディン、君は楽器を弾く趣味があるのか?」

     この問いかけに対して彼は眉間に皺を寄せてみせた。この前教えてもらった「苦虫を噛み潰したような顔」という日本語がぴったりの表情だ。それほど不快にさせてしまうとは思っておらず、気付けば謝罪の言葉が口をついていたほどだ。
     「すまない。使われていないのに手入れはされているから、どういうことか気になってしまって。触れられたくないことだったのだな」
     「いや、別にそういうわけでは…」
     どうやら怒らせてしまったわけではないらしい。しかし、珍しく口籠った彼は額に手を当てて黙り込んでしまった。彼の言葉が続けられるのを大人しく待っていると、ぽつぽつとこれらの楽器の経緯が語られた。
     上流階級の嗜みの一環としていくつかの楽器を演奏できるように技術を習得したこと、かつては生活を円滑に進めるために人間を招き入れて賑やかな集まりを演出したこともあったこと、しかし現在はそのようなサロンめいたものを開催する必要もないこと、そして何より楽器の演奏に楽しさを見出せなかったこと。
     「とはいえ、処分するほどでもなかったから、そのまま置いている。調律は定期的にしているから、もしお前が使いたいなら使えばいい」
     と締めくくられた。
     「なるほど。話してくれてありがとう」
     「礼を言われるようなことじゃない」
     そう言って彼は手にしている本に視線を戻そうとした。自分はと言えば、部屋の隅に鎮座している楽器―アップライトピアノ、ヴァイオリン、チェロ―と彼とを交互に見比べていた。そしてこう思ったのだ。
     「弾いているところを見てみたかった」
     と。すると、彼が勢いよく顔を上げた。どうやら、心中に留まらず、声に出してしまっていたようだ。楽しさを見出せなかったと言っていたのに、こんなことを言われては困らせるだけだろう。反省の念もあり、慌てて撤回しようとした。しかし、目の前の髭の彼からは意外な返事が返ってきた。
     「一回だけならいいだろう」
     と。そして、「お前も、聞けばわかるだろうさ」とも続けられた。その発言の真意は掴めないが、若干の申し訳なさもあり、黙るしかなかった。

     三つの楽器の中から彼が選んだのはチェロだった。久しく弾いていないという言葉が信じられないほど、彼の手際は良かった。エンドピンが床に立てられると、その振動が自分の足裏にも伝わってきた。椅子に腰かけ、両足の間に楽器を置いてチューニングを進める彼の姿は、想像通り様になっていた。ケースに入っていたらしい、古びた楽譜には夥しい書き込みが見えた。それらから一枚を選んで近くの机の上に無造作に置いている。
     「期待はするなよ」
     そう言った彼が弓を構える。弓が弦に触れれば、空気が震え、音が響き出した。その瞬間、背筋が凍ったような感覚に襲われた。その場の空気が張り詰める。チューニングは完璧で、音程の狂いは一切ない。音の一粒、一粒がはっきりと聞こえるほど、正確な演奏だった。しかし演奏している本人の表情は険しい。伏せられた赤い眼は悩まし気な色を帯びているが、顰められた柳眉が、固く結ばれた口元が重々しい雰囲気を増長させていた。
     気付けば音が止んでいた。弓を机に置いた彼と目が合った。
     「お望み通り、弾いてみたが?」
     そう言って方眉を上げる彼に、
    「ありがとう。素晴らしい演奏だった」
     と礼を伝える。これも本音ではあったのだが、彼には自分の本心などお見通しらしい。
     「他にも思っていることがあるんじゃないか?怒らないから言ってみろ」
     と続きを促されてしまった。そこまで言われては隠し通せるはずもなく、正直な感想を伝えることにした。
     「素晴らしいと思ったのは本当だ。音程もリズムも正確だった。ただ、なんというか、とても緊張した。それで、その…、あの、すまない………音が神経質だな、と、思った」
     無理を言って弾いてもらったのになんて言い草だろうと思うが、白状する。しかし彼は本当に怒らなかった。むしろ、
     「だろうな。そう言われてきたし、自分でもそう思うさ」
     と淡々としている。そして、沈黙が流れる。気まずさを感じているのは自分だけかもしれないが、かといってどうすべきかも分からず困惑していると、彼の方が沈黙を破った。
     「お前はどうなんだ?教会にいたんだから、私よりも音楽に馴染みがあるんじゃないのか?」
     と思いもよらぬ問いかけが飛んできた。あまり歓迎したくない問いではあったが、自分だけ回避するのは道理が通らないと思い、正直に答えることにする。
     「一応、オルガンやピアノであれば多少は弾ける。あとは…賛美歌が歌える、そのくらいだ」
     なんともはっきりしない回答になってしまったが、彼はそう取らなかったらしい。先程までの苦々しい表情を一転させて、楽しそうに口角を上げている。
     「そうか、それなら、ちょうどいいものがあるな」
     そう言って、視線をピアノに向けた。それにつられて自分もピアノを見た。きっと、錆び付いたブリキのおもちゃのようにガタついた動きだっただろう。
     「クラージィ?」
     ニヤついた声色で名前を呼ばれれば観念するしかなく、立ち上がってピアノの元に向かった。蓋を開けてみれば真っ赤な布が鍵盤を保護していた。それを取り払って、脇に避けておく。椅子の高さを調整してから腰を落ち着けた。背中に刺さる視線に居心地の悪さを感じて仕方ない。彼の方を振り返ると、チェロを抱えたまま「どうぞ」と言わんばかりに掌を上に向けている。
     「楽譜無しで弾けるものは限られるから、期待はしないでほしい」
     そう言い訳をして鍵盤に向き直る。久方ぶりに触れた鍵盤はとても冷たかった。ペダルを確認しながら、頭のなかで旋律を思い描く。何度も耳にして、歌い、弾いたことのある賛美歌だ。そうやって自分に言い聞かせる。しかし、二百年前と異なり、冷えやすく動きにくくなった指先の不安だけはどうにも拭えなかった。
     深呼吸をしてから、思い切って鍵盤を沈めた。彼の言葉の通り、調律に狂いはなかった。少々、タッチが重いが問題はない。そして、緊張はあるものの、体は覚えているままに動いてくれた。指で旋律を奏で、神を賛美する歌を口で紡ぐ。
     最後の和音の余韻を残したまま鍵盤から指を離した。恐る恐る彼を振り返ると、拍手で迎えられた。
     「よしてくれ。耳汚しだっただろう」
     決まりの悪さからそう伝えると、彼は真剣な表情で首を振った。
     「そう卑下するな。凄まじい力強さを感じる旋律だったぞ」
     真面目なコメントに聞こえるが、その後ろに本音が隠れていることは明白だった。
     「つまり何が言いたい?」
     先程の彼と同じことをしている自覚があった。隠しきれない本音ならばさっさと出してもらったほうが気楽なのだ。すると彼からこんな言葉が続けられた。
     「演奏の腕前も歌唱力も悪くない。だが、圧が強すぎる。その辺の弱いやつなら祓えるんじゃないか?」
     お前の声は広がるというよりも飛んでくる感覚に近い、とも言われてしまった。どれも身に覚えのある感想だった。
     「二百年前も似たようなことを言われていた」
     とだけ返して、体ごと彼の方に向き直した。
     機械的で緊張が走るような彼の神経質な演奏と、力を籠めすぎて最早高圧的になっている自分の演奏。どちらも、音を楽しんでいるとは言い難い代物だった。
     「私たちは音楽というものから縁が遠いらしいな」
     「そうだな、それに、物事を楽しむということが壊滅的に下手なようだ」
     そう言ってから、しばし沈黙が流れた。そして、同時に吹き出してしまった。だって、考えてもみてほしい。双方、音程もリズムも外していないのに、音楽としては決定的に欠けているのだ。真面目にやっているからこそ、救いがなくて、いっそのこと滑稽だ。
     ひとしきり笑ってから、大きく息を吐いた。そして、彼にこう提案したのだった。
     「なぁ、二人で弾ける曲を探してみないか?」

     「そんなこともあったな」
     髭の彼が呟いた。酒精に頬を赤らめ、襟元を弛めている姿はなかなかにだらしない。日頃の彼からは想像し難いが、共に過ごすうちに見慣れてしまった。
     そう、あれから数十年が経った。彼も自分も相変わらず不器用だが、変化したこともある。まず、自分は少しだけ肩の力を抜けるようになった。彼はだらしない姿をそれほど隠さないようになった。そして、共通の趣味ができた。
     グラスを弄んでいる彼を尻目にピアノに向かう。今の気分にぴったりの曲が頭に浮かんできたのだ。いますぐ表現したいが、自分一人では物足りない。背中に視線を感じながら、数小節だけ弾いてみせ、彼を振り返った。
     「随分と熱いお誘いをどうも。できれば言葉で聞きたかったがね」
     彼はこちらの意図を汲み取ってくれたようだ。不満めいたことを言いつつも表情はニヤついており、彼もすぐにチェロの準備に取り掛かった。
     「誰に似たのか分からないが口下手でね。こちらの方が雄弁なんだ」
     「それはそれは。親の顔が見てみたいな」
     「まったくだ。今日も他のことにかまけていて、つれないんだ」
     「お前なぁ、こいつに嫉妬するなよ」
     そんな軽口を叩いているうちに互いの準備が整った。急ぎになったが、チェロを抱える彼の手付きは酷く優しい。顔を見合わせ、息を吸ってから鍵盤に指を乗せた。
     始まりは微かなピアノから。追ってチェロの柔らかい音が重なってくる。視線を交わせば音がうねり、響きが広がっていく。互いの出方を窺ったかと思えば、挑発してみる。テンポもリズムも予想がつかないが、二人の間に不足はなかった。
     楽譜に書かれた指示なんてまるで無視して、心のままに音を重ねていく。悪戯っぽく跳ねる音は温かく、互いの心を擽っていった。交わす視線が、響く音が、酷く心地よかった。二人でいるから快いのだと、そう思った。

                                          完
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    ケミカル飲料(塩見 久遠)

    DONEミキとクラ♀。クマのぬいぐるみがきっかけでミッキが恋心を自覚する話。クラさん♀が魔性の幼女みたいになってる。これからミキクラ♀になると良いねと思って書きました。蛇足のようなおまけ付き。
    2023/4/8にTwitterにアップしたものに一部修正を加えています。
    魔法にかけられて 「それでは、失礼します」
     深めに礼をして、現場を後にした。ファミリー層向けイベントのアシスタントということで、テンションを高めにしたり、予想外の事態に見舞われたりと非常に忙しかったが、イベント自体は賑やかながらも穏やかに進行した。主催している会社もイベント担当者もしっかりとしており、臨時で雇われているスタッフに対しても丁寧な対応がなされた。むしろ、丁寧過ぎるくらいだった。
     その最たるものが、自分が手にしている立派な紙袋だ。中には、クマのぬいぐるみと、可愛らしくラッピングされた菓子の詰め合わせが入っている。
     「ほんのお礼ですが」
     という言葉と共に手渡された善意であるが、正直なところ困惑しかない。三十代独身男性がこれを貰ってどうしろというのだろうか。自分には、これらを喜んで受け取ってくれるような子どもや家族もいなければ、パートナーだっていないのだ。そして、ぬいぐるみを収集、愛玩する趣味も持っていない。
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