可愛くて愛らしい癖毛の彼女 「クラージィさんがトラブルに巻き込まれて幼女になっています。VRCでの検査は終わったので、今はギルドで保護しています」
そんな噓みたいな連絡に気付いたのは、仕事が一段落ついて帰り支度を始めた頃だった。信じがたい内容ではあるが、ここはシンヨコである。大方、どこかのポンチ吸血鬼の能力に巻き込まれてしまったのだろう。
元々、生まれた国も時代も異なっている彼女だが、持ち前の物怖じしなさもあって、既にこの街に馴染みつつある。最近は退治人との交流も広がっているらしい。何かとトラブル現場に遭遇することが多いので、自然と顔見知りになったようだ。個人的には、長い眠りから目覚めたばかりの彼女の世話を焼いた吸血鬼が、ギルドに頻繁に出入りしていることも影響していたのではないかと思っている。
そういうわけで、彼女がギルドで保護されているのであれば、顔見知りがいるだろうし、それほど心配しなくても大丈夫だろうと思っていた。
とはいえ、万が一のことを考え、急いでギルドに向かった。ドアを開けると、奥の方に人だかりができていた。それを不思議に感じたが、まずはカウンターにいたマスターに事情を尋ねた。すると、癖毛の彼女の命に別状はないこと、記憶もはっきりしていて体だけが幼くなっていること、元に戻るには一日程度時間を要することなどが確認できた。それだけ分かれば十分だ。さっさと連れて帰ろうと思ったが、どこにも姿が見えない。
嫌な予感がして、奥の人だかりに目を向けた。やたらと女性の退治人が多い。男性の退治人がいるにはいるが、遠巻きにそれを眺めているだけだ。そして、はしゃいでいる声に耳を傾ければ、「次はこれ着てみてほしい!」「こっちの方が似合うんじゃない?」なんて聞こえてきた。まさかとは思うが、あの中に彼女がいるのだろうか。恐る恐るマスターを振り返ると、そっと首を横に振られてしまった。つまり、渦中の人は彼女ということだ。
覚悟を決めて賑やかな集団に近付くと、洋服の山が見えた。サイズからして、子供服だろう。そして、シーニャを筆頭に、あーでもないこーでもないとコーディネートについて熱く語り合っている。
勢いに気圧されながらも更に近付き、視線を巡らせると少女の姿を確認できた。四歳か五歳くらいの背格好で、真っ黒なドレスに身を包んでいる。一見、西洋人形と見紛うような雰囲気だ。ふんだんにフリルやレースが使われたスカート部分は、ふんわりどころではなく膨らんでいる。上半身はケープに覆われていてよく見えないが、ちらりと見えた小さな手は驚くほど白かった。そして、ボンネットというのだったか、帽子のようなものを被っている。それは顎の下で、手触りの良さそうなリボンで止められていた。広い鍔のせいで顔がよく見えない。しかし、目を凝らしてみれば、ボンネットの隙間からふわふわの癖毛が覗いているではないか。見慣れた癖毛よりも柔らかそうだが、彼女の髪の毛だと確信した。
―漸く見つけた。
そう思ったところで、彼女が誰かの膝に座っていることに気付いた。彼女を乗せているのは、露出の多い修道服を纏った女性、マリアだ。着飾られた少女の頬をふにふにと突いたり、ケープやスカートをぺらぺら捲ったりしている。される方はもう慣れてしまっているのか、膝の上でなされるがままになっている。そのうち、頭にかかる重さが辛かったのか、ボンネットは取り払われた。
マリアが少女に話しかけると、少女は身を捩って恥ずかしがったかと思えば、内緒話のように何か耳打ちする。それから二人で顔を見合わせて笑い合う。しかし、そんな楽しそうなじゃれ合いは長く続かず、次の瞬間には小さな体が抱きしめられていた。
シスターが少女を抱擁している。そう言えば聞こえはいいが、少女の顔はマリアの豊かな胸に埋もれていた。微動だにしないところを見るに、軽いパニックでも起こしているのではないか。そして、それを目撃した自分も思ったよりも気が動転していたのか、咄嗟に少女をマリアから引き剝がしていた。
すると当然ながら、三者三様、唖然としてしまった。特に、急に体を持ち上げられたクラージィは伸びきった猫のようにポカンとしていた。この状況をどう弁明したものかと迷っていると、
「クラちゃん、よかったじゃねぇか。お迎え来たな!」
と、一足先に我に返ったマリアが笑った。無礼を詫びるも、「気にすんなって」とあっけらかんと返された。そして、
「それよりさ、クラちゃんのこと下ろしてやれよ」
と指摘された。それを受けて少女もやっと我に返ったのか、「ナンデ、三木サン、イルデスカ?!」ともがき始めた。それから、泣きそうな表情で両手をマリアに伸ばし、助けを求める姿に多大なショックを受ける。
―俺、なんか悪いことした?小さいとは言え、淑女のことを猫のように抱っこしたのは確かに礼儀がなってなかったかもしれない。でも、だからってそんなに嫌がられると立ち直れなくなりそうなんだけど。
ショックが一気に頭を駆け巡り、茫然自失となった自分の手から少女は抜け出し、再度マリアの膝の上に戻った。そして体を丸め、背中を向けられてしまう。そんな姿に更にショックを受けると、苦笑したマリアが慰めるようにこう言った。
「三木さん、悪く思わないでやってくれよ。クラちゃんさ、小さくなっちゃったところ見られたくないって言ってたんだ。ガリガリな子どもでみっともないからって。まぁ、そうしたら、そんなの関係ないから美少女を着飾ろうぜってなって、今に至るんだけどな」
「ちなみに、俺は服とか興味ないから、クラちゃん突いて遊んでたぜ!」
今までの経過説明も含んでいて丁寧なことだ。しかし、少女の背中をあやすように撫でている優しい手付きと、それを享受している姿になんとも言えない気持ちが湧き出てくる。とはいえ、これ以上無様な姿を晒すわけにもいかず、「そうだったんですね」と平静を装って返した。とりあえず、嫌われたわけではないようなので、良しとしよう。
少女はマリアの膝の上で未だに丸まっている。床に膝をつき、視線を合わせられるようにしてから、できる限り穏やかな声で話しかける。
「クラさん、事情は聞きました。突然のことで驚いていると思いますが、今日のところはもう家に帰りませんか?」
ここに長居していても、ずっと着せ替え人形にされるだけだろう。それに、彼女の幼気な姿をこれ以上晒したくなかった。声を掛けてしばらく待っていると、目の前のミノムシがもぞもぞと動き出した。そうしてやっと視線が合った。全身真っ黒な衣装のなかで、真っ白な肌と赤い眼は異彩を放っていた。そして、
「三木サン、オ迎エ、来テクレタ。オ仕事ダッタノニ、ゴメンナサイ」
と決まりの悪そうな表情と涙声で言われてしまった。彼女の性格を考えれば十分にあり得る思考なのだが、少女の姿で言われるとなんだか心が抉られるような気がするのは何故だろう。しかし、
「いいえ、仕事はもう終わりましたよ。だから、もう帰りましょう」
と返せば、細い首を縦に振ってくれた。これでひとまずは一件落着だろう。
そう思うと少し心に余裕ができた。なので、彼女の面倒を見てくれていたマリアに礼を伝えるついでに、先ほど気になったことを聞いてしまった。
「そういえば、さっきクラさんを抱きしめてたのは、何があったんですか?」
と。しかし、彼女の返答を受けて、本当に余計なことを聞いてしまったと後悔した。その返答というのは、
「ああ、俺さ、妹が欲しかったんだ。だから、お姉ちゃんって呼んでみてほしいって言ったら、乗ってくれたんだ」
というものだった。これにはクラージィも慌て出したが、動じないマリアに「もっかい呼んでくれよ」と顔を覗き込まれて赤面していた。そしてそれから、消えてしまいそうなか細い声だったが、マリアに顔を寄せ、
「オ姉サマ」
と耳打ちしたのだった。それを受けたマリアは、「おう、お姉ちゃんだぞー」なんて言って、少女の頬を両手で包み、額同士をコツンとくっつけた。すると、少女は花が綻ぶように笑ったのだ。
これを見ては居ても立っても居られず、マリアの膝の上から彼女を持ち上げ、抱え込んだ。各方面への礼もそこそこに、ギルドの出口に向かう。後ろから、「まだこれ着てもらってないのに!」なんて抗議の声が聞こえたが、すべて無視して外に出た。
急ぎ足で歩を進めるうちに、いくらか冷静さを取り戻す。そこで、まるで誘拐犯のようなことをしてしまったと気付いた。一度立ち止まり、無言で抱き抱えられていた彼女に謝罪すべく、視線を下に向けた。
「クラさん、驚かせちゃいましたよね。ごめんなさい」
すると、彼女は首を横に振ったが、伏し目がちにこう続けた。
「三木サン、怒ッテマスカ?」
と。小さな手でコートの胸元をきゅっと掴まれると、庇護欲と罪悪感が同時に湧き出てきた。
「怒ってませんよ。ただ、あれ以上クラさんが着せ替え人形になるのは大変そうだなと思って…」
本命の理由はこれではないが、正直に言うわけにもいかず、差し障りが無さそうな言葉を選んで伝える。すると彼女の表情が更に曇り、
「ヤッパリ、私、ミットモナイデスネ」
と俯いてしまった。そこで、先ほどのマリアの言葉を思い出す。こうなっては下手に取り繕うとする方が墓穴を掘ると判断し、可能な範囲で自分の気持ちを伝えることにした。
「あのですね、今のクラさんは可愛いから、あ、普段も可愛いですけど、今回は子ども特有の愛らしさが相まって更に可愛くなってるんですよ。だから、そういう姿を色んな人に見られるのは、俺が嫌だなって思ったんです。だから、クラさんは何も悪くないですよ」
と目を見て伝える。気持ちの悪いことを言ってやしないかと不安になったが、彼女がきょとんとした後に安堵したように息を吐いていたので、真意は伝わったらしい。
しかし、誤解が解けたところで、絵面の悪さは変わらない。事案になる前に帰宅できるように家路を急いだ。
その途中で彼女から、今日だけで数えきれないほどの服に袖を通したという報告を聞かされた。今はすっかり人形のような恰好になっているが、フォーマルからカジュアル、サブカルなどジャンルは多岐に渡っていたらしい。彼女としては戸惑いも大きかったのだろうが、きっと彼女に似合う服が選ばれていたのだろう。なんだかんだ楽しめた部分もあったようだ。
「もしかして、まだ色々着たかった感じですか?」
「イエ、モウ、十分デス。イイ思イ出、デキマシタ」
勝手に連れ出したことは悪手だったかと思ったが、そうではなかったとのことで胸を撫で下ろした。子供服とはいえ、自分からは選ばないようなジャンルの服を着られたのは彼女にとっても良い経験になったようで微笑ましく思った。しかし、ケープを摘まみながら名残惜しそうに、
「元ニ戻ッタラ、似合ワナイデスカラ」
と言うのを見て、気持ちがすっと冷えるような心地がした。
彼女は日頃、質素で堅実な生活を送っている。単なる吝嗇ではなく、必要だと思えば手元に置くし、新しいものにも好奇心をもって接触していく。そういうところが好ましいと思う。ただ、彼女は自分の外見や容姿に頓着しないというか、優先順位を低めている気がするのだ。信条もあるのかと思っていたが、今回の件を鑑みるに、彼女は自身の容姿などを過小評価しているのかもしれない。
もし、ファッションに興味があるのに、気持ちに蓋をしているのであれば、もったいないと思う。彼女が元に戻ってからも色んな服を着てみてほしいと思った。
いや、自分が見たいだけだ。彼女に似合う服を選びたいし、着てほしい。これは自己満足以外の何物でもないが、そう自覚してしまえば、開き直るまでに時間はかからなかった。
「ねぇ、クラさん。今度の休みに、一緒に買い物に行きませんか?」
抱えている小さな体に向かってそう提案する。見上げてくる赤い眼は、状況がよく分かっていないようだが、
「イイデスヨ。何ガ買イタイ、デスカ?」
なんて返してくる。自分に関わる買い物だなんて夢にも思っていなさそうだ。
そして、何が買いたいと言われると返答に困ってしまう。服と一口にいっても、アウターやらインナーやら分類が細かすぎる。それに、彼女が以前、知人たちから「スポブラだけはやめなさい」と注意されていたことを知っているので、ちゃんとサイズのあった下着をつけてほしい。これは下心に限ったことではなく、体を労わったり負担を減らしたりする方法を知ってほしいのだ。冷え性なんだし。そんな言い訳を頭の中で繰り広げつつ、どう返したものか考える。とはいえ、靴や帽子、小物類、化粧品まで含めれば限りがなく、収集がつかない。
まぁ、いきなり色んなものを与えられるようなことを彼女が受け入れるはずがないし、自分の懐事情も厳しい。長い時間をかけて、少しずつ、彼女が自分自身の楽しみを増やしていってくれれば良い、くらいの気持ちで構えていた方が良さそうだ。捻じ込めそうなところは遠慮なく捻じ込んでいくが、そういう駆け引きも楽しいものだ。
図らずも脳内で作戦会議を繰り広げていると、自分の様子を不審に感じているらしい彼女がこちらをじっとみつめていることに気付いた。謝りながら、軽い体を抱え直す。本来の彼女の輪郭や質量との違いを改めて実感しつつ、その眼は変わらないのだと思った。筋が通っていて、強い意志を秘めている。こちらの考えが見透かされてしまいそうだ。そんな彼女と視線を合わせて、こう伝える。
「そうですね、色々あるんですが…クラさんは、ウィンドウショッピングってしたことあります?」
完