焼きあがったのは、もちもちのおもち 彼には親友がいる。その付き合いは長く、人生の半分以上に及ぶようだ。一緒に遊んだり、電話やパソコンといった電子機器でやりとりしたりするだけではなく、仕事の手伝いをすることもあるのだという。きっと、お互いが特別な存在なのだと思う。
勿論、その関係に割って入ろうとは思わない。いくら恋仲とはいえ、人の交友関係に口を挟むなんて、論外だ。
ただ、時折、酷くもどかしい気持ちになるのは、事実として認めなければならない。
今がまさに、その時だ。
今日は、仕事をいくつも掛け持っている彼の時間が珍しく空いていた。かといって、どこかに出かける気にはならなかった昼下がり。彼の自宅で、互いにテレビを見たり、本を読んだり、方向性を決めないおしゃべりに興じたりとのんびり過ごしていた。
そんな折、彼のスマホに着信が入った。仕事の話かと思えば、そうではなく、彼の親友からだった。いや、ある意味仕事の話といえるかもしれない。修羅場を迎えることが多いという彼の親友は、先んじて戦力の確保をしようとして、彼に連絡を入れたようだ。何やら日程の話をしているのは理解できた。
しかし、それ以外の話の流れにはついていけない。何故なら、電話に応じる彼の口調や使う言葉が、普段自分に向けられるものとは全く異なっているからだ。
親友と話している時の彼は、普段よりも口数が多い。ということは、話す速度も上がっているのだ。そうなると、日本語に不慣れな自分は聞き取れないことが増えてしまう。更に、耳慣れない単語が連発されるだけではなく、語尾も上がり気味で、なんだか威圧的に聞こえてしまう。そして、どことなく、声が高い。表情だっていつもよりもはっきりしていて、活き活きとしている。目の前にいるのは間違いなく彼なのに、なんだか別人のように思えてしまうのだ。その瞬間が、もどかしく、寂しい。
彼が電話に応じてから二十分ほどが経過しただろうか。自分の手元には本があるし、別に蔑ろにされているわけでもない。それなのに、何故か心がもやもやしていた。仕事の話を邪魔しようとは思わないが、理解できる単語を拾うだけでも、既に日程調整の話は済んでいて、世間話に興じているように思われた。
すると、次の瞬間には、行き場のない気持ちに突き動かされるように、彼の傍に身を寄せていた。背中にそっと頬をくっつければ、頭上から彼の手が伸びてきた。器用なことに、変わらない速度で話しながら、こちらも見ずに髪の毛をわしゃわしゃと掻き混ぜてくる。彼の掌は温かくて心地よいが、我慢が利かない子どもをあやす様な、手慰みの様な仕草にムッとしてしまった。
なんとかして一泡吹かせてやれないか。そう思考を巡らせた時に、脳裏に浮かんだのは、近所の子ども達が遊んでいる姿だった。
妙案を実行すべく、身を起こした。そして、彼の背中に指を押し付ける。高い身長に見合った、広くて、しっかりと筋肉に覆われた背中だ。太い背骨に運びを阻まれないように注意しながら、人差し指を真横に滑らせた。少し下に移動して、もう一本描く。それから今度は上から下に運び、丸を描く。
唐突な刺激に彼は驚いたようだが、何かの遊びと思われたのだろう。制止されることはなかった。これ幸いと、広いキャンバスに指を走らせていく。
あるメッセージを書き終えたところで一息吐くと、再び彼の手が伸びてきて頭を撫でられた。どうやら、無事に伝わったらしい。しかし、まだやることは残っているのだ。彼の手から潜り抜け、メッセージを綴り加えた。
指の動きを再開させたところで彼は不審に思ったようだが、一文字、また一文字と追加するにつれて背中の筋肉が緊張していくのが分かった。全て描き終えた頃には、慌てた様子で通話を終了させていた。そして、スマホを握り締めたままこちらを振り返った彼の表情は常よりも余裕がないもので、
「ちょっと!クラさん?!今の何?!」
なんて、大きな声まで出していた。
作戦は無事成功。一緒にいる時は、こっちを見てくださいね。
『まだですか? カナエさん』
完