彼岸には程遠い 桜にはいくつも種類がある。花の色、花弁の重なり方、咲く時期、それぞれ異なっているが、いずれも美しいと思う。しかし、唯一、苦手に感じる桜がある。枝垂桜だ。宵闇に浮かぶ薄紅は妖しく、風に靡く枝は意思を持っているようだ。それが、この世のものではないように感じられて、なんだか薄気味悪い。
勤務からの帰り道、大きな公園の前を通る。最近は夜桜見物の客で賑わっていたが、今日に限ってはやけに静まっていることに気付いた。園内に目を向ければ、満開の枝垂れ桜が月明かりに照らされている。そして、よくよく目を凝らすと、桜の下に誰かが蹲っているのが見えた。ふらりと立ち上がった細長いシルエットには見覚えがある。三木だ。
声を掛けようと思い、公園に足を踏み入れようとした。しかし、それは叶わなかった。
こちらを振り向いたはずの彼の顔に、何も無かったからだ。
その瞬間、背筋が凍り付いた。拳を握り締めて再度足を踏み出そうとすると、今度は突風に見舞われた。そして、桜吹雪が視界を覆っていく。目を開けていられないほどに、眩しい。
風が止んで瞼を上げると、目の前には彼が立っていた。
「いやー、すごい風でしたね」
なんて目を細める彼は、いつも通りの三木に見えた。先程の姿は見間違いだったのだろうか。きっと、そうに違いない。だって、目の前の彼は、ちゃんと笑っているのだから。
一人で安堵の息を吐いていると、
「クラさん、花びらが沢山ついちゃってますよ」
と彼がこちらに手を伸ばしてきた。あれほどの突風に見舞われたのだから、無理もないことだ。礼を言って、彼の手を受け入れようとしたところで、強烈な違和感に襲われた。
自分よりも桜の近くにいたはずの彼に纏わりつくものはなく、その姿はまるで闇から抜け出てきたかのように真っ黒だった。
完