幸せなら手を叩こう スーパーに足を踏み入れると、気の抜けた有線放送が聞こえてくる。流れているのは、現代人には耳馴染みのある、とある手遊び歌だ。すると、買い物カゴを手に先を行く二人の後を追おうとしていた三木の足が、ふと止まった。クラージィと本日の献立について話していた吉田は、三木が後ろに控えていないことに気付くと来た道を振り返って、
「三木さん、どうしました?」
と声をかけた。人が少ない時間帯とはいえ、日本人離れした長身の彼が無言で佇んでいると目立ってしまう。そんな彼が買い物カゴを片手に上を向いて呆けている様は、どこかシュールにも映った。しかし吉田の呼びかけで三木は気を取り直したようだ。人よりも長い足を動かせば、すぐに二人に追い付いた。そして、
「いや、小さい頃、この歌に対して、そんなこと言われてもなって思ってたこと、思い出してました」
と零した。それから取り繕うように、
「すみません、今日作るのって何でしたっけ?」
と、陳列された野菜に視線を向けた。すると吉田は視線をそちらに向けつつ、
「そうですね。僕はなんでこんな簡単なこと言うんだろうって思ってましたよ。大人になったら、結構難しいこと言ってたんだなって気付きましたけど」
と笑った。思いがけず吉田が話題に乗ってきたので、三木は呆気に取られつつも話を続けることにした。
「俺はね、それをしたところでどうなるって思ってました」
「随分と達観した子だったんですね」
「いやー、こまっしゃくれてただけですよ」
「それ言ったら、僕は単純過ぎますからね」
なんて二人して笑い合う。
そうして、野菜売り場で昔話に花を咲かせるのは結構なことだが、残されたクラージィは話の行き先が見えずに困惑していた。ひとまず、有線放送に耳を傾けてみたのだが、馴染みのないメロディである上に、独特といってもいい音色に毒気を抜かれるばかりだった。
そんな彼の様子に気付いた二人は、「クラさん、すみません」と慌てて彼に向き合った。そして、流れている歌について簡単な解説を始めたのだった。それを受けてクラージィは、
「ナルホド、ツマリ、感謝ノ祈リ、似テマスネ」
と真剣な表情で頷いた。それを聞いた残りの二人は、彼の日頃の行動を思い返して納得したのか、こちらも頷いている。そして、
「クラさんにとっては習慣なんですね」
「ちゃんと感謝できるってすごいですよね。大人になると、どうにも気恥ずかしくなっちゃうことが多くて…」
「あー、それ分かります」
と二人で言い交す。そして、「見習わないと、ですね」なんて顔を見合わせながら、本日の食材を求めて通路を進んでいく。クラージィはといえば、きょとんとした表情のまま二人の後を追いつつ、
「オ二人トモ、イツモ、シテマスヨ」
と続けたのだ。それに意表を突かれた三木と吉田は揃って、
「え?」
と立ち止まった。そうして、振り返った二人に向けられたのは、
「イタダキマス、ゴチソウサマ、イツモ、シテマス。コウヤッテ」
という食事の挨拶であり、丁寧に手を合わせるジェスチャーまでついてきたのだった。クラージィにとっては世辞でもなんでもないらしく、
「ヨシダサンのご飯、幸セニナリマス。皆デ一緒ニ食事スル、コレモ、幸セデス。オ二人ハ、違ウデスカ?」
とも述べている。隣人から与えられる美味なる糧と、共に食卓を囲むことへの、非常に率直な賞賛の言葉だ。
それを受けて先に我に返ったのは三木であり、
「言われてみればそうですね」
と感心してみせた。そして、「クラさん、あれは手を合わせる、であって、叩くではないですよ」と律儀に訂正を加えるのも忘れていなかった。一方、吉田はといえば、気恥ずかしさと嬉しさで口元をもにゃもにゃと歪ませていた。それから表情を引き締め直すと、
「二人とも、今日食べたいもののリクエスト、一つずつ受けますよ!」
と言い切ったのだった。すると、二人の眼が輝き出した。
「本当デスカ?」
「はい、なんでもいいですよ」
「手間がかかるやつでも?」
「一晩置く、とかじゃなければいいですよ」
吉田は、両脇の頭上からテンション高く降りかかってくるあれこれをいなしながら、微笑ましさを感じていた。全員、いい年をした大人で、金さえ払えば美味しいものなんていつでも食べられるのだ。それなのに、巨大料理だの自宅パーティーだのといっては、三人で集まって食卓を囲んでいる。これがどれだけ特別なことなのだろう。思っていたよりも、この状況を、彼らとの関係を楽しんでいるのかもしれない。
タイムセールのシールが貼られた鶏肉のパック(大)を手にした吉田が、
「お二人とも、唐揚げは作りますからね。リクエストから外して大丈夫ですよ」
と伝えると、あーでもないこうでもないと悩んでいた二人は顔を見合わせた。そして、次の瞬間には、パンっという小気味よい音が店内に響いたのだった。
完