仮初だらけの箱庭 千歳緑色の羽織の裾がゆるり、と翻る。紺碧の空から、真っ白な0と1が連なって降り注いでは消えていった。赤煉瓦が綺麗に敷き詰められてた路をゆっくりと辿る下駄の音が、からん、ころんと響く。
薄墨色に染まった不揃いのビル群を漂っていると、埋もれるように喫茶店がひっそりと佇んでいた。そこに一人の青年が立ち止まる。翼の形をしたノブにそっと手を添えて、扉を押し開いて中へと歩を進めた。
――からん。
渇いた鈴の音が彼の訪れを知らせ、芳醇な香りが迎え入れる。彼は悠然と奥へと進み、最奥の窓際の席へと向かった。柔らかな陽の光が降り注ぎ、懐かしい温かみを彼に与える。
――ことん。
小さな音を立てて、一対の珈琲カップが置かれた。ゆらゆらと揺蕩う湯気に乗って、ほろ苦い香りが彼の鼻孔を擽る。真っ白なカップに注がれた珈琲がゆらり、と波紋を描いた。
「んなぁ、」
つい、と鳴き声のする方へと顔を上げれば、至極嬉しそうな貌した黒猫が。ふんわり、と貌を綻ばせ、嬉しそうに目を細める彼が。待ち侘びた再会、互いにゆっくりと心を通わせてゆく。
「おかえり」
珈琲カップを抱き込むように寝そべる黒猫の背中をそっと、撫でる。艶やかな毛並みが心地良い。もっと、と彼の掌に躯を預ける黒猫。
「おや?」
首元を擽ろうと忍ばせた指先に、ひんやりとしたモノが触れた。その正体を探ろうと、縁を指の腹でなぞってゆくと、ちりりっと涼やかな音が耳に届く。
「ぅ」
それがよく見えるように顔を仰け反らせると、少し不機嫌そうに顔を顰める黒猫。漆黒の毛皮にひっそりと在る三日月。くるり、と反転するとそこには――。
【孤月】
精巧な筆致で掘られていた。確かめるように、幾度も撫でる。黒猫を通して覗き見た、紅き結晶に閉じ籠もる神子(みこ)姫が授けた名だった。
「孤月……どうして、あの姫君はこの名を君に与えたんだろうね?」
黒猫は答えない。じっ、と金の双眸を彼に向けるだけだった。