バツ1子持ちの蜂楽くんとお隣の凛ちゃん with 潔さん(途中の章)夜中、凛はドンドンと何かを叩く音で目を覚ました。
明日は遠征のため、朝が早い。できれば気づかないふりをしてもう一度寝てしまいたかったが、玄関の方から聞こえるドアを叩く音は一向に止む気配がない。近所から苦情がくることを覚悟して無視するか、きっと今夜は一睡もできなくなるだろうが様子を見に行くか。前者を選ぼうとした凛だったが、聞こえるはずのない泣き声が耳に入った気がして、小さく舌打ちをして布団から出た。
玄関へ向かうと、やはり外側から誰かが扉を叩く音が響いていた。このマンションはセキュリティーが高く、外部の人間がコンシェルジュを通さずに各戸の玄関まで来ることはできない。迷惑な客はインターフォンを押すことをせず、ひたすらにドアを殴打している。なぜインターフォンを鳴らすことをしないのか。答えは簡単、手が届かないからだ。
「おい、ちび、お前もういつもなら寝てる時間だろ。蜂楽は何してる」
しゃがんで、ちび、蜂楽の子供の手を両手で包む。全体が紅くなり、ところどころ内出血しているように見える。
「おい、蜂楽はどうした。家にいないのか?」
凛は隣の部屋のドアに目を向ける。一人息子がこんな夜中に家を飛び出したというのに、保護者は全く出てくる気配はない。
「う、うぁーーーん」
凛の姿を見て安心したのか、堪えていたらしい涙が大量に溢れ、喉から嗚咽が溢れる。凛は、チグハグに留められた子供のパジャマのボタンを留め直した。親が直してやらなかったのではなく、おそらく親もボタンを留めることが苦手なのだ。
「……寒いから部屋入れ」
おしりを地面につけ座り込んでしまった子供を片腕で抱え上げ、部屋に戻る。ソファに座らせ毛布でくるみ、ホットミルクを用意する。
「ちび、手、出せ」
血が出ているところはないか確認してから、アイスノンを握らせる。
「りんちゃん、これつめたいからヤ」
「いいから、赤いところに当てておけ。それで、何があったんだ」
子供は一度引っ込んだ涙をまたダバダバと流し始めた。
「めぐるくんがね、ぼくのほっぺ、ぶったの」
凛が両頬に手を添え顔をあげさせると、確かに左頬の方が明らかに腫れているし、熱を持っている。泣いてるせいで紅潮していたため、言われるまで気が付かなかった。
「どうしてあいつは、廻は、お前をぶったんだ?」
視線を合わせて、ゆっくり、はっきり問いかける。痛いの痛いの飛んでいけ、と心の中で呟きながら凛は左頬を撫で続けた。
「りんちゃんは、おこらない?」
不安げに、けれども凛をまっすぐに見つめる。凛はこの目が少し苦手で、いつも目を逸らしてしまう。
「怒らない。俺がお前を怒ったことなんてないだろ?」
「うん。うん、いっつもりんちゃんは、ぼくのなかまになってくれるもんね」
子供は、抱えていたぬいぐるみをギュウと強く抱きしめた。俺のお気に入りなのに、形が崩れて苦しそうな表情になっている気がする、と凛は思った。
「なんでぼくのママはいなくなっちゃたの?ママはどこ?ってきいたの」
「そんなこと、よく聞いてることだろ?ママはいない。お前もよくわかっているはずだ。そんなことじゃ、あいつは怒らない。お前に手を上げるなんてことは、ない。他にも何か言ったんだろ。教えろ」
子供はモジモジと手遊びをした後、伺うような視線を凛に向けた。
「大丈夫だ」
「うん」
「言ってみろ」
アイスノンを一回手から離させ、傷の具合を見る。目を合わせない方が言いやすいかもしれない。
「どうして、りんちゃんはぼくたちのかぞくになってくれないの?って、きいたの」
凛は顔を上げる。子供はソファから降り、凛の方に手を置き、まっすぐ立って凛を見据えた。祈るような目を向ける子供に、凛の方こそ泣きたい気持ちになる。
「どうしてりんちゃんはいっしょのおふとんでねてくれないの?」
「なんでりんちゃんはいっしょにゆうちゃんちいってくれないの?」
「おうちがちがうのはどうして?おとなりさんじゃヤダ」
「りんちゃんと三人がいい」
「おゆうぎ会、りんちゃんはなんでみにきちゃダメなの?」
堰を切ったようにしゃべり出した子供に凛はタジタジになる。
「りんちゃんは、めぐるくんのこと大すきでしょ?めぐるくんはりんちゃんのこと大すきだっていってたよ」
「……好きじゃない」
「チューするのに?」
「してない」
「してるもん!いつもしてるもん!こないだもベランダでチューしてたもん!」
「してない!!!」
「うわーん!りんちゃんのうそつきぃー!」
りんちゃんがうそつくー!と叫びながら床に背中をつけクルクルと回り始めた。凛は慌てて近くにあるリビングテーブルや観葉植物を遠ざける。
蜂楽は結婚していたことを世間に公表していない。つまりはこの子供の存在も、表立っては知らされていないのだ。
「りんちゃんもいなくなっちゃうの?」
この子供が自分の存在を不安に思い、必要以上に孤独を感じてしまうのも、不思議はないのかもしれない。
「俺はいなくならない」
「ほんと?よっちゃんのところにもいかない?」
「なんで潔が出てくるんだ……行くわけない」
「よかったー」
「でも、お前たちとずっと一緒にいられるかは、わからない」
「なんでー!?」
回転は止まったものの、今度は突っ伏しておいおい泣き始めた。凛は背中をさすりながら、優しく聞こえるように声をかける。
「俺はお前のことを大切に思っている。でもきっとずっと一緒にはいられない」
「なんでーーー!!!!?」
今度は後ろから大きい声が聞こえ、凛と子供は廊下に続くガラス入りドアの方に目を向ける。
「ヤダ!ヤダよ凛ちゃん!!なんでそんなこと言うの?ずっと一緒にいようよ!俺のことほんとは嫌いなの?!」
でかい方の蜂楽が凛の足に縋りつく。床に腹ばいになり足をバタバタとラグに叩きつけ埃を立てている。
「ヤダヤダヤダ!凛ちゃん一生俺と一緒にいて!」
凛は暴れ回る蜂楽と呆然としている子供を見下ろしながら溜め息をつく。どうしてこんなことになったのか。どうしてこんな奴を好きになってしまったのか。相談する友達もいない凛には、これから先もこの親子に振り回される未来しかないのだった。