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    滝の中

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    滝の中

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    モブ←☔←☁

    遣らずの雨


    外はざあざあと雨が降り続いていて、空には厚い灰色の雲が敷き詰められている。どんよりとした世界はどこか薄暗い。雨音をBGMにして、五月雨は誰もいない講義室の窓際にひとりで座っていた。ぼんやりと気に入りの句集を読み、高い湿度でふやけた感触のページをめくる。
    長雨の隙間を縫うように家を出たのが悪かったのか、傘を忘れたことに気づいた時には既に遅く、雨足は激しさを増すばかり。売店で新しいものを買うか、いっそ濡れながら走って帰るかとも思ったが、特に急ぐ用も無いからとこうしてしばらく雨宿りするに至る。
    無人の講義室をもう少し味わいたかったのも本音だ。普段の喧騒から逃れるように雨音が外界を遮断して、心地よい空間を作り出していた。
    そうしてしばらくすると、静けさを割くように人の足音が聞こえてきた。パタパタという音が酷く浮いて感じる。その音量は徐々に増し、どうやらこちらに近づいてきてるようだった。出入口の引き戸を見つめていると、予想通り数分の間もなくカラカラと控えめな音を立ててそれは開かれた。
    「おや」
    顔を出したのは白髪混じりの初老の男性だった。人が残っているとは思わなかったのだろう、五月雨の姿を見て少し驚いたようだが、すぐにこんにちは、と穏やかな声で挨拶をつげた。五月雨も軽く会釈をしてそれに返す。
    「突然開けてすまなかったね」
    「いえ」
    「…ああ、これだ」
    講義室の隅には厚めの本類がひとかたまりに置かれていた。男はそれが目当てなようで、貸し出していたのに中々帰ってこないから、と歩きながら独り言た。何冊かの山を作り持ち上げるが、残りの量を1人で持つにはかなり厳しいだろうことが伺えた。
    「あの」
    「うん?」
    「…お手伝いしましょうか?」
    そう五月雨が話しかけたのは自然な流れだったと思う。男はそれに驚きつつ、五月雨をじっと見たあと少し考えてから、いいのかい?ありがとう、と柔和に笑った。


    「いやあ助かるよ。何回か往復しなければと思っていたんだ」
    「いえ、これくらいであれば」
    男の後をついて学部棟への渡り廊下を歩く。2人で分けたとはいえそこそこに積んだ本の山を持つのは男には辛くないかと思ったが、見た目から受ける印象より健脚なのか軽やかに歩みを進めている。
    廊下は文学部棟に繋がっていて、少し建物を移動するだけでどこか違う雰囲気が感じられた。辺りを見渡しながら歩いていると目的地に着いたらしくそこは男の研究室のようだった。ドアを開け連れ立って足を踏み入れると、室内は湿り気を帯びた古い紙の匂いで満たされていた。上から下まで多くの本が棚に詰まっている。ブラインドが閉められたままの室内は先程より薄暗く感じた。
    「この辺に置いといてくれるかな」
    「わかりました」
    持っていた本の山を机の空いたスペースに置いた。腕の開放感を感じながら数度ぶらつかせる。ふと壁を見ると、絵葉書や写真などが多く飾られていた。山や平原、海など景色は様々だ。隅に日付と場所がメモされている。今暮らしているこの土地より、もっと北の地方のものたちらしい。とれもシンプルな画角だが、自然を切り取ったそれらは見ていると心が落ち着いた。そのまま本棚に目を向け背表紙をなんとはなしに眺めても、興味が惹かれる専門書ばかりだ。そうしてきょろきょろと室内に目を向けていると、それに気づいた男がああ、とひとつ頷いた。
    「貸してあげるよ」
    「え?」
    「お礼…というほどでもないが、気になっているようだから」
    「いえ、そんな…」
    そんなにわかりやすい顔をしていただろうかと、気恥ずかしくなって目を伏せる。遠慮せず見ていきなさい、と微笑む男に、あ、りがとうございます、と詰まりかけながら答えた。

    薄暗い部屋の中、時間はいつも以上にゆったりと流れて感じた。2人の間に多くの会話は無いが不思議と気まずさは感じられなかった。静寂の中に雨が窓に打ち付ける音と、五月雨が本を手に取ってページを捲る音、男が机で書き物のようなペンを走らせる音だけがしていた。遠慮せずにとは言われたが、これほどマイペースに見せてもらっても良いのだろうかとは思いつつ、男は五月雨がうろつくのも気にも留めない。
    この空間がとても好ましく感じられた。まるで最初からそうあるべきであったような居心地の良さ。本を読むふりをして、静かに目を閉じる。ぱちぱち、かりかり。音がする。そっと息を吸い込み、吐く。意識を部屋に溶かしてしまいたくなるような、そんな気持ちがした。

    「五月雨」
    「っはい」
    突然名を呼ばれたので返事をすると、男はきょとんとした顔で首を傾げている。しばらくの間があった。そういえば、自分は名乗っていないことを思い出す。
    「…すみません、名前を呼ばれたのかと」
    「きみは五月雨と言うのか?」
    「…はい」
    静かに頷くと男はそうか、そうかと納得したような顔をし、ブラインドを開けて窓の外を眺めてから五月雨を見て柔らかに笑んだ。
    「今は6月だが…旧暦の5月。さつきの雨垂れ。この時期の雨は特別だ。繊細な雨粒は時に力強く流れる。長く降る雨は山の緑をより濃くし、土壌を豊かにさせる。春と夏を繋ぐ季節だ」
    「…雨はお好きですか?」
    「うん。好きだよ」
    ああ、でも少し晴れ間が出てきたねと呟いた。窓の方を見やると、たしかに雨の勢いは先程と打って変わって大人しくなってきており、雲の隙間に微かに空が見えた。ぼやけた世界が少しずつ明るくなってきている。
    「五月雨…うつくしい名前だ。君によく似合うね」
    そう言って彼はこちらを見て、柔らかに瞳を細めた。
    「ぼやけた雨の世界に君がいる、それが目に浮かぶんだ。激しくも優しくもある、雨だ。静かに濡れて佇んで…ああ、いや…すまないね。初めて会ったのに、それがとても…」
    いや、なんでもないよ、と笑って誤魔化す男の、目じりによるしわを眺めている。じわじわと湧き上がる、胸が熱くなるような焦燥。五月雨は前で組んだ手をぎゅっと握りしめ、何かを言おうとして口を開けては閉ざした。この漠然とした感情をうまく言葉にのせる自信がなかったからだ。
    反応のない五月雨を気にすることなく、男は思いついたように机の横を漁った。
    「これを」
    差し出されたのは1本のビニール傘だ。
    「持っていきなさい。また降るといけない。替えもあるし返さなくてもいいから」
    「…ありがとう、ございます。」
    五月雨はかわいた声で礼をいい、正直にそれを受け取る。差し出した男の左手の薬指に鈍く光るものが見えた。差し込みはじめた陽を受けて光るそれは、そこに存在してからの年月を感じさせるように皮膚にくい込み、五月雨の胸をチリ、と焦がした。
    「また…本を借りに来ても、いいですか」
    そういうと、男は少し目を丸くさせたあとすぐにもちろん、と微笑んだ。
    「雨が繋いだ縁だね」
    草木を愛するように、自然を慈しむように彼は柔らかい瞳を細める。そのあたたかさに触れて、溶けてしまいたくなった。
    外は暗い雲が分かたれて空が顔を出している。夕方が近いためか黄色とオレンジが青色に溶けていた。濡れた世界は細く差し込み始めた光を受けて、きらきらと反射している。
    窓に張り付いていた水滴が一筋流れ、他の水滴とまじりまた流れていく。それが窓にぼやけて映る五月雨の輪郭をなぞってガラスを伝っていった。


    自宅に帰ると同居人はまだ帰宅していないようだった。帰り際にはまた雨が降り始めて、早速使うことになった傘を玄関に干す。靴を脱ぎ跳ね返りで濡れたボトムの裾も気にせず着替えもおざなりのまま五月雨は自分の部屋のベッドに倒れ込んだ。眠気がある訳では無い。ポコン、とスマホがメッセージの通知を知らせた。『雨大丈夫だった?迎えに行こうか?』
    それと、2人でよく使っている犬のスタンプがついてきた。傘を借りたので大丈夫です、とだけ返信し、同じように犬を絵をタップして送る。そのままスマホを枕元に放り、腕で顔を抑えながらひとつ大きな息を吐いた。
    1時間も満たない時間だった。それだけだ。ただ、彼の言葉のひとつひとつが、両の手で大事に包み込んでしまいたいほど、輝いていた。
    ──うつくしい名前だ、と。
    恋と言うには甘すぎるが、憧憬というには重たく心の臓にのしかかる。物理的ではない痛みは、左胸のあたりを摩ってもどうにもなりはしない
    玄関で開かれているビニール傘から落ちる雫の音すら、ぴちょん、と頭に大きく響く。雨音はどんどん強くなる。それは窓の外ではなく、五月雨の心の内側に打ち付けているようだった。








    雲に悌


    「暑い…」
    もう夕方も近いというのに、ぎらぎらとした太陽はアスファルトに照りつけ、地上を歩くだけで焦げしまいそうだと村雲は思った。長い雨の時期が終わると直ぐに夏がやって来る。いつだってそのサイクルは変わりはしない。寒い季節も苦手だが、暑いのはもっと苦手だ。額から流れてきた汗を適当に手で拭い空を見上げる。もくもくとした白い雲が浮かび突き抜ける青のコントラストはうつくしい。
    しかしそれも全部、村雲の心を重くさせた。澄んだきれいな青空も、今すぐ雷雲で包んでしまいたい。だがそれすらもきっと無意味で、彼は轟く稲妻さえも愛してしまうんじゃないだろうか。おへそが取られると子供のようにわめけば、彼は慰めてくれるだろうか。
    「あーあ」
    くだらない妄想だと吐き捨てる。このうつくしい世界がきらいだ。



    「ただいまあ」
    玄関に入ると一気に涼しい空気に包まれて多少の不快感が除かれた。居間に顔を出すと、本を読んでいたらしい五月雨がこちらを見て「おかえりなさい、雲さん」と返事をした。このやり取りももう慣れたものだ。
    2人は大学に入学すると共に暮らすようになった。元々常にそばに居て育って来たようなものだが、五月雨が大学から徒歩圏内に住むというのに村雲もくっついて、特に問題もなく同居の話が進み今に至る。五月雨との暮らしはずっとそうするべきだったかのように馴染んだ。当たり前に彼が待ち、そして彼を待つ、2人で共に帰る家が、村雲の中で大切な場所のひとつになった。
    「バイトお疲れ様です。熱中症に気をつけて、お水飲んでくださいね」
    「うん」
    冷蔵庫からペットボトルの水を出し喉を鳴らして飲む。冷えた感覚が喉に落ちていくのが心地よかった。エアコンの駆動音と五月雨がページをめくる音だけが、居間に響いている。自然風で涼を取るのが1番好ましいが、ここ最近の暑さは規格外だ。文明の利器に頼らざるを得ない。それでも冷えすぎて村雲が腹を痛めては良くないと、低すぎない程度で温度調整されていた。そうした五月雨の細やかな気遣いのひとつひとつに、村雲は胸がじんわりと暖かくなる。
    ソファの空いている方に腰掛けると、五月雨はこちらを見て頬に手を伸ばしてきた。
    「顔が赤くなってます。暑かったでしょう」
    「網の上の魚の気分」
    「お夕飯にできますね」
    村雲の言葉にふ、と口角があげられた。頬をくすぐる指先はひんやりとしていて気持ちがいいので、つい瞳を細めて頬擦りをした。
    心地よい時間。だが、ふと五月雨の開いている本にが目に入る。それが最近、村雲の気分を優れなくさせる原因だった。

    ある日を境に、五月雨は見慣れない本をよく読むようになった。大学の図書館にでも行ってるのかと聞くと、違うと言う。
    「人から借りているのです」
    そうして手にある本を五月雨が愛しげに眺めるのを見た時、村雲は叫び出しそうになった。本の表紙をゆったりなぞる指先が語りかけてくる。本を透かした向こう側に、誰かをみている。それに気づくと血の気が引いて、その場でどう返したのかは正直覚えていない。
    村雲は誰より五月雨が1番だ。如何なる時も五月雨のそばにいると心が安らぎ、落ち込みがちな気持ちも雲から光差し込む光に照らされるように晴れた。村雲が共にいるといえば五月雨も離れず手を握ってくれた。お互いがお互いを大事に思う心に疑いなど何一つなく、そしてこの先もずっとそれは永遠に変わることは無いと、絶対的に信じていた。それは驕りであったのか名のない関係に甘えていたのか、もはや村雲にはわからない。たしかに彼はいつでも隣にいたのだ。いたはずだった。
    足元の地面が次々と割れてその中に落ちていくような衝撃だった。どうして、なんでと思っても、現実は変わらない。自分が喚き散らしたところで陽は昇り、また沈んでいく。素知らぬ顔をして流れていく風景をナイフでビリビリに破けたらどんなにいいことか。五月雨が雨に濡れた街を、くすんだ世界も、すべて愛しげに眺める度に己の腹がぎゅうっと傷む。思わず手で痛む箇所を摩った時、それは腹ではなく胸だと気づいた。
    こんな世界がきらいだ。自分勝手な癇癪にもほどがある。そんなことはわかっているのだ。
    村雲は何をするでもなく五月雨の横顔を見つめた。うつくしい稜線だ。本の文字を辿る伏せられた睫毛も、いちばん近くで見ているのに。

    「…雲さん?」
    思わず横からその体を抱きしめていた。肩越しに頭をすり付けると五月雨の匂いがした。村雲の大好きな、彼自身の香り。帰ってきたばかりの自分など汗くさいかもしれない。それでも、汗で濡れて乾ききっていない肌をわざとらしく擦りつけてしまう。触れ合ったところから自分の汚い感情が伝わって、やめろ、気持ち悪い、と引き剥がせばいい。嫌悪の瞳でこちらを見ればいい。
    だが五月雨は抱きしめられたまま、優しく村雲の背中を撫ぜた。じっとりと濡れている服も嫌がりもせず、腕を回し真正面から抱き締め返す。五月雨は何も言わない。だが安心させるように何度も、ぽんぽんと背を叩いて指先で髪を梳いた。
    彼が優しく受け止めてくれる度に泣きそうになる。自分を抱き返す為かあの本はページの途中でソファの上に放り出されていた。それを見てどうだ参ったか、なんて誇らしくもなれない。体はこんなにぴたりと重ねられても、彼の心すべてを貰うことが出来ないということを思い知らされているようだった。
    ず、と鼻を鳴らす。いつの間にか本当に泣いていた。
    「雨さん」
    己を宥める手を取って、この部屋に縛り付けてしまいたい。目の前の白いうなじに噛み付いてしまいたい。嫌ってくれるだろうか。でも、嫌われたくない。いっそ優しくしないで欲しいし、どろどろに甘やかして欲しい。突き放して欲しくて、誰よりも愛して欲しい。

    「(こんな世界、無くなっちゃえばいいのに)」

    たとえば隕石が落ちてきて2人とも一瞬にして散り消える様を想像をする。そうなればきっと爽快だ、なんてまた下らない妄想をする。五月雨に見えないよう乾いた笑みを浮かべ、彼の肩を小さく涙で濡らした。
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    滝の中

    DONEくもさみとモブ土曜日の15時すぎ。ホットのオリジナルブレンド。窓際の斜めに向き合う2人席の片方に座り、読みかけの本を開く。
    中心街の端の方にあるこのカフェはわたしの行きつけになっていた。立地のせいか店内はあまり混んでおらず、洒落たジャズをBGMにゆったりとした時間が流れている。以前たまたま通りがかって試しに入ってみたところ店の雰囲気と挽きたてのコーヒーの味が気に入り、こうして決まった日に来ては本を読んだりぼうっとしたりと好きに過ごして日々のリフレッシュをしていた。

    そんないつも通りのとある日。もはや定位置となった席につきコーヒーを味わっていると、隣のテーブルに一人の男性が座った。足音がとても静かで椅子の引く音で存在に気がついたほどだ。なんとはなしにそちらに目をやる。
    ぐ、と喉が詰まった。一言で、きれいな人だった。楝色の髪が風も吹かない店内でサラリと揺れている。横顔は完璧な稜線を描いていて、手元のカップに視線を落とす切れ長の目元は涼やかだがきつい感じはしない。長い指を取っ手に添えてカフェラテを一口飲むだけでも絵になっていて、映画か何かのワンシーンのように思えた。わたしの意識は完全にその彼に向けら 4160

    滝の中

    DONE世界の端っこのとあるサミ缶それは路地裏のゴミ山の端に転がっていた。
    なぜそんな所で見つけたかと言うと、自分もそのゴミ山のゴミと同じように地面に体を放り出していたからだ。服はもう何日着たかわからないしあちこち擦り切れてボロボロで、髪も髭も伸び放題。とにかく何か腹に入れたくてゴミ山を漁ったが、めぼしいものもなくやがて体に力が入らなくなりそのまま倒れ込んだ。もうここで終わりだろうか。最期までろくでもない人生だったな、と瞳を閉じるとくだらない思い出達が脳裏をかすめて、これが走馬灯かと自嘲気味に笑った。
    その時、コン、と耳に金属音が届いた。
    ネズミだろうかと薄く目を開けると、かすみがかった視界の中に一際存在感を放っている、ひとつの缶詰があった。こんなもの先程まであっただろうか。這いつくばったままにじり寄り、震えている手でそれを掴んだ。缶詰はあちこち錆びていて表示がうまく読み取れない。何かの──シロップ漬け、ということがどうにかしてわかる程度だ。見るからにしてかなりの月日が経っている代物のようだった。だが外側が錆びていても内側は大丈夫かもしれない。今はとにかくその缶詰に天啓のように感じ、少しでもいい、腐っててもいい、口 2490

    滝の中

    MAIKINGくもさみ いのちの匂いがする。
    だだ広い本丸の畑にしゃがみこんで、村雲はそう思った。凍えるような冬を溶かしてこの本丸にも春がやってきた。遠くに望む山々も緑が生い茂り視界が徐々に色彩を持ちはじめている。風はぬるく頬を撫でるし、日差しは徐々に暖かく大地を照らしている。
    村雲にとってこの本丸で迎える初めての春だ。寒さに震える日々よりずっといい。大きく深呼吸するとつちやくさのにおいが鼻腔をくすぐる。むくむくと、新芽が土を割り地表に顔を出す音まで聞こえてくる気がした。
    この季節は何かと忙しいらしい。雑草を抜き畝を作り土壌を整えてから苗の植え付けや種をまいて…等など、説明を受けるだけで混乱するほどとにかくやることが多かった。指示通りの区画を耕し終えたところで立ち上がりひとつ大きく伸びをする。しばらく屈んでいたせいで節々が軋んだ。
    「雲くん、お疲れ様。そろそろ日が高くなってくるしちょっと休もうか」
    「桑くん」
    少し離れたところで同じように作業をしていた桑名が歩いてきた。当番であろうとなかろうと畑にいることが多い彼だが、今日は正式な用命だ。桑名はまだ土があるだけの畑を見渡してひとり満足そうに眺めている。
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    滝の中

    MAIKINGモブ←☔←☁遣らずの雨


    外はざあざあと雨が降り続いていて、空には厚い灰色の雲が敷き詰められている。どんよりとした世界はどこか薄暗い。雨音をBGMにして、五月雨は誰もいない講義室の窓際にひとりで座っていた。ぼんやりと気に入りの句集を読み、高い湿度でふやけた感触のページをめくる。
    長雨の隙間を縫うように家を出たのが悪かったのか、傘を忘れたことに気づいた時には既に遅く、雨足は激しさを増すばかり。売店で新しいものを買うか、いっそ濡れながら走って帰るかとも思ったが、特に急ぐ用も無いからとこうしてしばらく雨宿りするに至る。
    無人の講義室をもう少し味わいたかったのも本音だ。普段の喧騒から逃れるように雨音が外界を遮断して、心地よい空間を作り出していた。
    そうしてしばらくすると、静けさを割くように人の足音が聞こえてきた。パタパタという音が酷く浮いて感じる。その音量は徐々に増し、どうやらこちらに近づいてきてるようだった。出入口の引き戸を見つめていると、予想通り数分の間もなくカラカラと控えめな音を立ててそれは開かれた。
    「おや」
    顔を出したのは白髪混じりの初老の男性だった。人が残っているとは思わなかったのだろう 6025

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