ルージュマジック・魔女の導き/グルアオ最近、アオイが変わった気がする。
小さな違和感を感じたのは、この日からだ。
「グルーシャさん、こんにちは。
今日も滑りに来ましたよー」
周辺のパトロールをしに外に出ると、ジムの前でアオイと会った。
彼女が元気よく挨拶を済ませれば、雪山すべりの受付を担当するスタッフのところに向かう。
いつもそうだ。
ぼくが雪かきの作業をしていたら近くまでくるし、室内にいれば中にまで入って挨拶をしにやってくる。
ここへは滑りに来ているのだから、わざわざぼくのところまで来なくていいのに。
雪に覆われた坂道を上ったり降りたりするのは大変だろ?
…なんでだ?と疑問に思って前に尋ねてみたけれど、ジムの設備を使わせてもらうのだから、ちゃんと使う前に挨拶をしないといけないとかなんとか。
よくわからなかったけれど、礼儀の話ならジムテスト希望以外の一般人にも解放しているのから別にしなくてもいいよって伝えたら、なんかもごもご言ってたけど聞き取れなかった。
その後もずっと事前にぼくのところまで軽く話しかけてから挑戦しに行く流れを止めなかったから、もう何も言わなかった。
もしかしたら、雪山すべりの最高記録を叩き出すためのルーティンにしているのかもしれないし。
アスリートだった頃、ぼくもその願掛けにも似た行動を試合前に必ずしていたから、なんとなくわかる。
…まあ、なぜかぼくが彼女のルーティンに組み込まれてしまっているのかっていうこと自体への疑問は消えてないけど。
でもああ言うのはなんとなく そうすれば上手くいきそうって かなりぼんやりした感覚から始まることも多いしな。
だから彼女が週に一、二回程度やって来ては繰り返される行為に、ぼくはいつもこう返している。
「そう、頑張ってね」
すると毎回アオイは愛嬌のある笑顔を浮かべると、雪山すべりの受付スタッフのところまで元気に走っていく。
そして彼女を見送る間、揺れるサイドのみつあみから覗く小さな耳が赤くなっているのが見えたから、帰ったら温かい飲み物をご馳走しようと思いつく。
その前に帰ってしまわないよう、予定がなければぼくが戻るまで彼女を引き留めてほしいと、チャットで昔馴染みのスタッフに伝えた。
今日もナッペ山は平和で、雪崩だとかに巻き込まれた人や、遭難者がいなければいいな…と考えながらツンベアーとチルタリスをボールから出すと、パトロールをしにその場を離れた。
ある程度周って異常がないことを確認したから戻ると、外のベンチでアオイが座って待っていた。
「まさかずっとここにいたの?
体冷えるからジム内の待合室で待ってるよう、うちのスタッフから言われなかった?」
「いえ、ちょっと外にいたかったので…」
「こんなにサムいのに、馬鹿なの?
…鼻が赤くなってる。これつけて」
何度言っても学校指定の制服を着るだけで、防寒着なんて一切着てこない彼女の鼻は可哀想なくらい赤くなっていた。
だからぼくが普段身につけているマフラーを遠慮するアオイの首に巻きつけると、立ち上がらせる。
「え、あの グルーシャさん…?」
「あんたを風邪引かせるわけにはいかないから移動するよ」
手袋越しに小さな手を掴むとジムの裏口まで行き、普段ぼくが使用する控室まで向かった。
途中彼女の方から大丈夫とか、手を繋がなくても歩けるとかなんだと言ってたけど、早く中に入って温まりたかったから無視をした。
部屋に入ってソファにアオイを座らせると、仮眠時に使っている毛布を二枚彼女に渡す。
「体が温まるから、それ使って。飲み物持ってくる。
あとあんたはココアでいい?」
こくりと小さく頷くのを見たから上着や手袋を脱ぐと、ミニキッチンに向かってホットドリンクの準備をした。
ぼくはインスタントコーヒーで、あの子はココア。
甘いのとほんの少し苦い香りが鼻をくすぐる。
「はい。どうぞ」
ローテーブルの前にマグカップを置くと、アオイはいただきますと一言添えてから飲み始める。
「あの、ご馳走してくださってありがとうございました。とっても美味しいです。」
「別にいいよ、あんたサムそうだったし。
で、すべりの方はどうだったの?目標は達成できた?」
「記録更新まであとちょっと…ってところですね」
「ふーん。まあ、あんたならやれるよ。
無理しない程度に頑張って」
そう言えばアオイは嬉しそうに頬を緩ませながら、はいと呟いた。
息を吹きかけて温度調節をしながらココアを飲もうとする彼女を見て、ふと考える。
もし、彼女が目指すぜったいれいどコースでの最速記録を更新したら、もうここには来なくなるんだろうか。
たまにふらっとやって来ては軽く話をする程度で、ここまで長く話したのは三、四年前の視察を除くと今回が初めてだ。
ぼくが下山したところで会える確率なんてたかが知れてるし、アオイがここまで来なくなれば 会うことなんでない。
そこでようやくぼくは、彼女との関係性が思ったより薄いことに気がついた。
近い将来、アオイと会う機会がほぼ無くなるのか――
「それは嫌だな…」
「どうしました?」
無意識で呟いた言葉に反応した彼女が不思議そうにぼくの方を見たけれど、なんで言えばいいのかわからなかったから何でもないと誤魔化した。
…別に仕方ないだろ。
こんなサムくてポケモンジム以外何もないところに、好き好んで来る人なんてただの物好きだ。
だから、アオイとはなかなか会えなくなるのは仕方ない。
無理矢理来てもらう必要も理由もないから、この繋がりをキープすることなんてできるはずが…ん?なんかおかしくないか?
なんでぼくはアオイと会えなくなることを、こんなにも残念に感じているんだ?
相手がチャンピオンランクの人間だとしても、ジム戦が終わればジムリーダーと会うことなんてないから、定期的に会っている今の方が珍しいのに…。
突如現れ始めた謎の感情に戸惑いつつも、一旦落ち着くためにコーヒーを一口飲む。
熱々で入れたはずが、いつの間にか少し温くなっていた。
温いコーヒーはあまり好みではないけれど、温め直すすのも面倒だからそのまま飲み続けていると、隣でアオイが鞄から何かを取り出した。
人差し指サイズで筒状のプラスチックケース。
蓋を開けて中身を練り出すと、柔らかそうな唇の上に滑らせた。
「あんたもそんなの使うんだ」
「あ、はい!最近乾燥が酷いので…。
あの、どう…ですか?このリップ塗ると色が変わるんですけれど…」
恐る恐るといった風に聞いてきたけれど、正直どう…と聞かれても。
美容関連にはあんまり興味ないし。
でも、なんというか…。
「似合ってないと思う」
こおり状態にでもなったのかというくらいピシリと固まった。
さっきまで上機嫌だったアオイはみるみるうちに暗くなっていき、マグカップの中身一点のみをただ見つめ始める。
その様子を見てようやく自分の失言に気がついたけれど全て遅かった。
「あ、いや…ごめん。ぼくが言いたかったのは…」
「いえ、大丈夫です…。貴重なご意見、ありがとうございました」
誰が見ても落ち込んでいるんだろうなとわかる空気を纏ったアオイに、自分の口下手なくせにはっきりいう性格に苦々しさを感じる。
そのリップの色がアオイに合っていないのは確かだけど、ぼくが本当に言いたかったのはそうじゃなくて――
口を開いたと同時に、ぼくはその言葉を伝えてもいいのか迷う。
ただの知り合いに対して、セクハラじみた発言でサムくないかとか考えている内に、持ち直したアオイの方から別の話題を振られたため、結局何も言えず有耶無耶になった。
少ししてココアを飲み終わると彼女は用事があるからと帰ることになり、ジムの裏口まで連れて行くと別れの挨拶をした。
部屋に戻って残りのコーヒーを飲もうとしたけど、既に冷めきっていて飲む気になれずに捨てることにした。
それからというもの、会う度にアオイは少しづつ変わっていく。
つやつやとした唇には、彼女に合う色合いがのるようになった。
その次の週は、睫毛が上を向いているような気がする。
その次の週は、瞼がキラキラし始めた。
その次の週は…と経過していくにつれて顔が全体的に華やかになっていき、最終的にはふわりと甘い香りを漂わせるようになった。
しかも最初の色つきリップの時とは違って全てアオイの雰囲気に合ったもので、少し前まで活発な子供という印象が 大人になろうとする少女へと進化していく。
それを目の当たりにしているぼくは、なんだか胸が騒いで落ち着かない。
口を開けば今までと何も変わってないのに、目が離せない。
このたった数週間の間に何があった?
誰が彼女を変えさせた?
いろんな疑問がちらつくけど、一番不可解なのは、なんでぼくがそんなことを考えてしまうのかってこと。
それがわからなくて、胸に何か突っかかっているような気がして苦しい。
気がつけば、アオイのことを考える時間が大幅に増えていた。
そんな釈然としない気持ちを抱えたまま、ある日ぼくは年に二回 宝探しが始まる前と終わった後に開かれているジムリーダー会議に参加するため、ポケモンリーグに向かった。
今回の主な内容は、宝探し終了後の各自報告と来年に向けた取り組みに対する伝達。
ぼく以外は兼任だから予定は詰まってるしさっさと終わらせたいからか、会議室に到着した時点で既に全員が揃っていた。
いつものように眠気防止のために買ってきた紙パックのコーヒーを片手に席に着こうとした時だった。
「ねー、ねーリップ氏。
最近アオイ氏が可愛くなってるけど、あれキミが関わってるんでしょー?」
「あら、よくわかったわね」
「だって前に新作コスメレビューでコラボした時、なんかいろいろ喋ってたじゃん。
なになに〜プロモでもお願いしてんの?」
向かい側でナンジャモとリップさんがアオイのことについて話しているのが聞こえて、思わず聞き耳を立ててしまう。
「アオイちゃんからの個人的なお願いよ。
あの子教えたことぜーんぶ身につけちゃうから、教え甲斐があっていいわ。
リップの秘伝技まで教えちゃった」
「ふーん、個人的なお願いね…。
ありがちだけど、好きな子できたからオシャレに目覚めちゃったりー?
やば、今度会ったら突撃しちゃお!」
好きな子?
アオイに好きな男ができたから、最近さらに可愛くなったってこと?
そんなこと――
心の中に渦巻いた感情を抑えるために、歯を食い縛る。
「ちょっとアンタ何やってんだい!」
隣に座っていたライムさんの叱る声が聞こえるけれど、正直それどころじゃなかった。
好きな人ができたなんて、あれくらいの年の子なら普通のことだろ。
ぼくとあの子は、ただ定期的に会う チャンピオンランクの学生とジムリーダーというだけ。
そんな、ほんの少しのことで切れてしまうような関係性なのに、どうしてここまでアオイの話題で心が揺さぶられるのかはわからない。
けれど 彼女に確かめないといけないことできたから、これが終わったらテーブルシティに行こう。
これからの予定を変更すると、ぐちゃぐちゃになった紙パックをゴミ箱に捨てに行く。
ああ、コーヒーまみれになった机も綺麗にしなくちゃな。
終わり
〈おまけ・魔女の導き〉
「リップさん、お願いがあるんです!」
ティーン層をメインターゲットにした新作化粧品をナンジャモちゃんのチャンネルでPRするため、そこでメイクモデルとして登場するアオイちゃんにメイクをしようと準備していると、鏡の前に座る彼女から突然話しかけられる。
内容を聞いてみたら、自分に似合う色合いを教えてほしいというもの。
「前に色つきリップをつけたんですけど、似合ってないって言われて。
ぐる…好きな人の前ではかわいくなりたいのに、何がいいのかよくわからないので…」
そう言いながら暗い表情を浮かべる彼女に対して快く了承した。
誰でも変われるマジック。
それがお化粧、それがメイク。
やりようによっては自分を奮い立たせることもできるし、自分の魅力を最大限引き出すことだってできる。
アオイちゃんがその人のために可愛くなりたいと願うのなら、リップ頑張っちゃう。
だって、女の子の願いを叶える魔女のようで素敵なんだもん。
リップはメイクの可能性を信じてる。
それなら、この子に手を貸す他 ないんじゃないかしら。
「とっておきのゴイスーなやり方も伝授したし、きっと大丈夫よ」
後日、複数回に分けてベイクジムまで来てもらい、限られた時間をフル活用しつつアオイちゃんにメイクの全てを教え込んだ。
そしてバッチグーとお墨付きを与えたら、不安そうだったアオイちゃんの顔がキラキラと輝いていく。
言いたいことを上手く伝えられない可愛いあの人も、これで少しは慌てるんじゃないかしら。
だって今の彼女、とっても素敵なんだもの。
誰の目にも留まって、強く惹きつけられるような魅力に溢れてる。
そんなアオイちゃんを、あなたは放っておけるかしら?
それができないのなら、初めから言うべきだったのよ。
そのままでも十分愛らしいって――
うふふ。雪山に篭ってないで、女の子を褒める言葉の一つくらい ちゃあんと身につけてこなくっちゃね。
終わり