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    DasonHen

    @DasonHen

    画像化すると長くなる文はここ
    あとたまにえっちな絵を描くとここ(報告はサークル内)

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    DasonHen

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    徹頭徹尾、先生は自分がRTA攻略されたのでやり返したろ。はぁ可愛い好き。付き合お。としか考えてないよ。

    我が愛しき砂の澄「……あー……その、やめといた方がいいと思うぜ」
     絞り出すような声で言ってしまってから、村雨の表情を見て、あーこれはミスったなと思った。オレなりに熟考したつもりだ。オレが何かを言うか言うまいか、悩んでいたのはこいつには手に取るように分かっただろう。それでも何も言わずに待っていてくれたお前への、これは一つの誠意のつもりであった。
     断じて、怒らせるつもりで言った訳ではない。
     
     胸の真ん中がずきずきと痛む。額には汗が滲んで熱かった。なのに指先は痺れるほどに冷たい。緊張している。せめて思考だけはこれに呑まれず、確立しなければと自身に念じる。
     賭場に立っている時のようだ。
     
    「理由を聞いてやろう」
     平素よりも低い声が響く。不遜な態度はいつものことである。居丈高、というよりは、そこに思考リソースを割くことに意味を見出していないのがありありと分かる仏頂面。
     今はそれに、隠そうともしない苛立ちが紛れていた。
    「……理由、理由かぁ……」
     問われた内容をそのまま反芻する。時間稼ぎだ。一挙一動を超えて不随意筋の動きまで、つぶさに観察されていることが分かる無数の目。何もかもを見通す目。観察されている恐怖に、最近は少し慣れてしまった。
     
     でも、どうだろうな。この圧倒的な強者には「何をしているか」までは分かっても、「何故」までは分からないかも知れない。
     強者に、弱者の卑屈な歪みなど。
     
    「……投げやりに自らを晒しておきながら、他者からの理解をすぐ諦めるのはあなたの悪癖だ」
    「分かられたくねーこともあんだよ、弱虫にはな」
    「そうか、ならあなたの中の整合性を主張してみれば良い。聞くだけ聞いてやろう」
    「論破する気満々じゃねぇか……」
     村雨は明らかに苛立っている。強い言葉の応酬はまるで喧嘩だ。そんなつもりはなかったのに。しかし、気を抜いていた今、他の言い回しを思いつくこともできなかった。
     そういうところが弱者たる部分なのだろう。
     はぁ、と胸の奥から溜息が出る。それでも別に、手が震えてしまいそうな緊張と、金属の塊を飲み込まされたような重苦しさは少しも楽になんてなってくれなかった。
     
     正直に言って、見えるようになったからこそ、見ないふりをすることが増えた。自覚はある。それは、臆病ゆえのことでもあったし、正直に言って、己のどんな行動も無意味であるように思えたからでもある。
     だって相手はあの村雨礼二だ。
     
     隣に立っていることが多かった。二人で遊ぶよう誘われることもあった。観察するように、じっと見つめられていることもあった。
     手が、肩が、触れ合いそうなくらい近くにあったことさえ。
     どうして?という問いが、浮かばなかった訳がない。
     行動しなかったのは、確かめようとしなかったのは、今考えてみると甘えだったのかもしれない。他でもないこの男が「わざとそうしている」のであれば、そこに必ず意味がある筈だと己に言い聞かせた。その真意は、いくら考えていたとしてもオレの妄想に過ぎないと。
     これは自暴自棄にあたるのだろうか。分からない。
    「私の態度に問題があったか?」
    「……違うと思う」
     随分と殊勝な問いかけをしてくる。視線を上げると、彼の表情はなにも表していないただの『無』であった。苛立ちの色すらそこからはかき消えていた。今の感情を、見せるつもりがないらしい。
     
     たぶん、オレの聞き間違いでないのなら、今オレはこいつに好意を告げられたはずだ。
     はずだ、と自信がないのは、彼からは好意そのものを表現されたのではなく一も二もなくいきなり「私と交際しろ」と言われたからに他ならない。
     ドラマや映画で見るようなロマンチックさは欠片もなく、今オレの自宅に村雨がいるのもこいつから誘われたとかではない。村雨が読んでいた本をオレが借りて、その礼を兼ねて食事に誘ったためだ。
     終業時間が読めないため外食よりも家が良い、と言ったのは村雨の方ではあったが、予定を立てたのはオレの方だ。
     そうするくらいには、心を許し、許されている関係だったと思う。たぶん、真経津など他の友人と比べて、オレにとっては間違いなく、ひとつふたつ頭が飛び出すくらい仲が良かった。そんなの求めていないと思われたくなくて、今の今まで知らぬふりを続けていたが。
     
     交際とはおおむね男女で交わされる恋人関係のことか?
     イエス。
     性的な意図を含んでいる?
     イエス。
     相手は村雨礼二で間違いない?
     イエス。
     お遊びか、何かの隠語か?
     ノー。
     オレと、獅子神敬一と、恋愛関係を築きたい?
     イエス。
     
     いちいち言葉にして問いかけたのは自信がないから、というより脳みそがまったく動いてくれなかったせいだ。オレの、そんなところまで分かっているとばかりに、馬鹿みたいな質問に村雨は律儀に答えた。
     決して性格の良い男ではないが、人の尊厳を踏み躙るために手の込んだ悪戯をする男でもない。そんな嘘をつくメリットもない。とはいえ、オレに交際を申し込むことによる他のメリットが思いつくわけでもなかった。
     意図が読めない。いや、こいつ相手に、読ませようとされた意図以外を読めた試しなどないのだが。
     
     だからたっぷり数分は考えて、色々なことを考えて、そうして出したのが冒頭の答えだった。しかし、それも間違えたみたいだ。
     でも、間違えていても、結局のところあれは本心だった。やめた方が良い、と思うのは心からの本音に他ならない。
     
     村雨は無言でこちらを見つめている。オレの言葉を待っているようだった。暴いても他人の心は、本当のところは理解できないのだというのが、分かっている。
     深く、息を吸う。落ち着け。間違えるな。そう自分に言い聞かせる。何度も繰り返し続けて、過呼吸にでもなりそうだ。
     
     正直に言って「やめておいた方が良い」という発言に、勿体ぶるような、お高く止まった理由なんてなかった。だからこそ説明するのは気が引けるが、しないのは態度として不誠実すぎるから非常に、困る。だったら最初からもっと怖がらずに、明け透けに晒してしまうんだった。
     
     見えないから気になっているのかも知れないが、これ以上を暴かれたって、出てくるのは弱くてつまらない男だけであるのが目に見えているから、というのは大きい。
     人付き合いの引き出しがないから、飽きさせない自信がないというのも本当だ。
     上手く関係を作れる自信がないのも本当。
     臆病者のオレは、いつまでもうじうじ悩んでしまってお前を苛立たせるだろう。つぎはぎだらけのハリボテを身に纏って生きてきたオレの心なんて欠陥品で、嫌いじゃない、怖くない、の気持ちは分かるが、好きの気持ちが分からない。これも、本当。
     でも、何より。万が一お前がオレのことを好いてしまっているのなら。
    「……中古品って、嫌だろ」
     
     卑屈な言い回しをしてしまった。
     端的に伝えることを意識しすぎたか。そう思い村雨の方を見るが、おそらく意図は伝わったらしい。不快そうに、その人形のように滑らかな白い眉間に皺が寄せられる。
    「言い方が気に食わん」
    「そう言われると思った。悪かったよ」
    「出した発言というのは覆らない。それをあなたはもっと意識すべきだ」
    「その通りだな、気をつける」
    「…………それで?」
    「それで?」
     
     村雨の視線がこちらを射抜いた。無数の目がオレを晒し者にする。やめてほしい。オレを掘り返して出てくるものなんて、お前が期待してお前を喜ばせるものより、お前を落胆させるものの方がずっと多いだろうに。
     
     期待外れだ。そう言って諦めてくれないだろうか。
     そんな馬鹿みたいな希望がふと頭に過ぎるのを、無理やり引き剥がした。あまりに弱者の考えだ。こんな心構えで生きて、こいつらみたいに強くなれる筈がない。
     
     焦燥が全身を焼いて、指先がちくちくと痛い。オレにまだ見ぬ期待を抱くお前の失望が怖い。どうしてこんなことを。八つ当たりめいた怒りが無防備な感情を覆った。
     それと同時に、冷静な自分が耳元で語りかけてくる。
     これも現実だ。諦めろ。隠したところで、オレの価値が覆る訳ではない。
     それならせめて、相手の意図を汲む努力くらい、したらどうだ。
     
    「……詳しく聞きたいか?なら全部教えてやる」
    「デブリードマンは苦痛を伴う侵襲行為だ……今すべきではない。」
     デブリードマン。以前、目の前の医者に教えてもらったことがある。感染や深い傷になり、回復しなくなった壊死組織を創部から除去することだ。患者の肉を削ぐ行為だが、そうした方が傷の治りが早いのだと。
     オレがそれを正しく思い出したことが分かったのか、村雨は久方ぶりに満足そうに微笑んだ。
    「診断を下すのに、なりふり構わずメスを入れる医者などヤブでしかない。まずは問診が必要だ」
    「……オレ、病院慣れしてねーからさ、どれが必要な情報なのかあまり分かんねーんだけど」
    「危険そうなら私が止める。あなたは傷を晒しすぎないことだけを覚えていれば良い」
     ふと、村雨の醸し出す空気がゆるむ。傾聴のそれだ。友人としての村雨礼二ではなく、医者としての彼の顔が覗いた。穏やかで、優しい雰囲気。作られたそれは、注意深く観察しても綻びなど見られない。その本当の心中など、察することができようもなかった。
     異次元に強い人だ。改めてそう思う。
     
    「……中古品っつったのは良くなかった。お前にも失礼だったな。でも、まぁ、うん、あながち間違った表現ではねーんだよ。オレがオメーらと回し飲みとかしないのはそれもある。一応、検査はしたけど……検査が必要になることはやりまくってた」
    「最後にしたのは?」
    「二十歳くらい」
    「賭場入りする前だな、理由は?」
    「金が出来て必要なくなったのと、ちょうど契約の切れ目で、上手く縁が切れそうだったから」
    「なるほど」
     
     村雨は冷めかけている紅茶を口に運ぶ。何かを考えているようだが、何を考えているのかは読み取れない。
     ああ、もっと強くなりたい。そうすれば、あるいは。
     
     彼は一見で得られる情報と反して、内面は非常に気の良い男である。家族を愛し、友と笑い、生きがいを持ち、まるで叶わない理想を愚直に追い求める人間らしい人間である。
     心根はどこまでも正しいのに、そのすべての発露が些かおかしいところが、彼を異常たらしめているのだが。
     賭場での彼は強くて恐ろしくて、彼を見ているとこれを目指したいという気持ちと、こうなるには自分が自分でなくならねばならないのだろうという怯えが綯い交ぜになる。答えはまだ出ていない。
     
    「非常に不本意で不快だが、今、過去のあなたの環境に文句を言っても仕方がない。それを選んだあなたにもな。それに想定の範囲内だ。
     検査結果はまだ持っているか?」
    「探せばある」
    「あとで見せるように。必要な感染防御策なら私が指導できる」
    「そっか、ありがとう」
     本当に病院を受診したみたいに、するすると診察は進む。村雨に動揺の気配が見えないせいだろうか。男として、もし本気で恋人関係になりたいと望んでいるのであれば一番嫌がられると思った懸念点だったのだが、村雨はただ穏やかな表情でこちらを見ていた。
     もしかすると、目的は分からないがオレに治療を施すために、村雨はあんなことを言い出したのではないかと勘ぐりたくなるくらいに。
     
    「あなた、この期に及んで見て見ぬふりをするつもりか」
    「っ、」
     やってしまった。
     ぴしゃりと、鋭い声が叩きつけられて頭が現実に戻される。オレの弱気な逃避なんて、この男の前では無意味でしかないのだと。
    「少しぼーっとしてただけだ」
    「ほう、見くびられたものだな。追い詰められたいのならそうするが?」
    「その方がお前にとって良いなら、頼む」
    「冗談だ」
     村雨は笑っているが、次はないと言外に告げてきている。
     
     しかし、むしろ今この場で赦しが得られたのは少し予想外だった。確かに村雨は真経津のように、よそ見をすると怒るようなゲーム狂いではないが、格下に侮られることをみすみす許すような男でもないのだ。
     ここが賭場ではなく、オレが彼の敵になどなりようもないからだろうか。
     
     想定よりもずっと寛大な処遇に、心が迷い始める。
     もともと、蓋をして無理やり閉じ込めて、見ないふりをして腐らせていたものだ。臭いから、みんな見たくもないだろうから、こんなものを持っている人間は劣っているから、無理にでも蓋をしてきた。シンプルな話だ。
     それを開けて、目の前の男に全てを見せつけて、オレの中身に綺麗なところなど一部もないのを見せつけて、それで死ぬほどがっかりさせてやれば良いんじゃないか。それがたとえ双方を傷つけるだけのものだったとしても。
     そんな暴力的な自暴自棄が頭を擡げる。
    「デブリードマンは行わないと言った筈だが?」
     オレの逡巡を読み取ったらしい村雨が、言葉を発した。
    「なぁ、デブリードマンって、取った後に何も残らない場合ってどうすんだ?」
    「それはそもそもデブリ適応にならん」
    「デブリって略すんだ。お前の診断的には、オレはデブリの適応外じゃねえの?」
    「私が誤診するとでも言いたいのか」
     不快そうに眉を上げるその表情に、悪かったという意味を込めて両手を上げると村雨はふぅ、とひとつ息を吐く。
    「……肩が痛いと整形外科を受診した患者が、心筋梗塞だと心臓血管外科に運び込まれるケースは多い。同じく腰痛で腎臓内科。胸痛の訴えで循環器内科から消化器外科に回されることもある。」
    「あー、素人判断すんなって?」
    「その通り」
     軽く首を傾げる芝居がかった仕草で、村雨は椅子の背もたれに身を預けた。とても疲れていたり、眠気に負けそうだったりする時以外には見られない、珍しい格好だ。そのままテーブルの下の足が組まれるのも、機械仕掛けのようにお上品なマナーを身につけたこの男の、珍しいポーズだった。
     急に、どうしたというのだろう。
     
    「……あなたが私を受け入れ難いというのは分かっている。これは私のエゴに他ならない」
    「……いや、」
     そうして続いたのは、村雨とは思えないような、弱気な発言。思わず返答が遅れてしまうくらいには、違和感がありすぎるものだ。
     オレが面食らっているのが分かるからか、村雨はすぐにそのポーズをとるのをやめた。両足が床に着き、いつものように背筋がぴんと伸びる。
    「らしくないか?」
    「そりゃあもう」
    「ならばやめる。あなたを不快にさせるためにしている訳ではない」
    「いや別に、不快とかじゃねーけど……」
     オレの反応を見て、村雨はころころと態度を変えている。というのはこの話を始めた最初からずっとそうだ。何のために?まさか、本当にオレを不快にさせないためだけにそうしている訳ではあるまい。
     そんなことに、意味などないのだから。
     
    「あなたが、前向きに私の話を聞く姿勢をとるまでは待つつもりだ」
    「もう前向きなつもりなんだけど」
    「友人のことくらい、きちんと見ている」
    「…………そっか、」
     追い詰められた状況にも関わらず、この男から伝えられる好意的な言葉だけで、愚かにも自分の頬がかっと熱くなるのが分かった。
     彼は、村雨は、僭越なことにまだオレのことを友と括ってくれているらしい。思えば村雨は最初から、彼くらい強くなりたいと思う弱いオレを否定せず、しかしそれを勧めず警告してくる程度には愚かなオレを甘やかしてすらいた。
     そうだ、オレは村雨と対等な立場になど立っておらず、常に見守られ、甘やかされている。
     そこまでを考えて、ふと気付く。
     
     だとしたらこれは、茶番以外の何になるというのだろう。
     
    「今のあなたには分からないだろうが、必要だからこうしている」
    「…………」
     オレは何も発言していない。でも、見透かされている。この疑問すら。
     あまりに全てを理解されているのだ。オレが必死になって隠してきた恥部も、きっとすべて分かった上で、こいつは。
     あまりの力量差に、馬鹿にされている、と憤る気持ちも湧かなかった。
     死にそうになりながら部屋を飛び回る蠅を、人は哀れだと思うことはあっても馬鹿だと笑うことなんてしない。蠅にはここが室内で、出口から出て行かねば命がなくなるということを理解する脳味噌が備わっていないからだ。
     それくらいの差がオレたちの間にはある。
     
    「あなたは私の行動を具に観察していたな」
     村雨はふ、と息を吐く。
    「……的外れじゃなかったか?」
    「見た上で、あなたがそう判断したのだろう。それはあなたの自由だ」
     見たくないのであれば、それも一つの答えだしな。
     そう続けて村雨は再び、冷めた紅茶を口にする。渋いだろう。入れ直してやりたいが、今はそうすることができる状況ではなかった。
     オレの自由。それはそうだ。オレたちの間で駆け引きなどは存在しない。成立できない。だからこそ、村雨がどのように行動しようと、何を見せてきていようと、捉えるのはオレの自由。
     ならば何故。
     オレから発せられるその問いが察せない男ではない。しかし村雨の視線はカップから逸らされることはなかった。つまり、黙殺されたのだ。
    「……自分で思いつけってことか」
    「私を鬼か何かだとでも思っているのか?」
    「いや、妥当なところだと思うぜ。期待に沿えるよう努力する。期限は?」
    「設定しない」
    「焦らせるじゃねぇか」
    「私は鬼ではない……が、小さくともプライドくらいある」
    「謙虚だなぁ?」
     あくまで村雨のために、という態度を守り続けるのはこいつの情けだろうか。困った。オレが弱すぎるせいで、村雨にとってはほんの言葉遊びですら猶予が必要になってしまうのは。
    「今は、それよりも返事がほしい」
    「返事?」
    「あなた、私に言われたことをもう忘れたのか」
    「あぁ、交際してくれって?」
    「そうだ」
    「やめた方が良い理由、もっとちゃんと言葉にした方が良いか?」
    「時間の無駄になっても良いと思うなら続けろ」
    「言っても変わんねーの?」
    「変わんねーが?」
     村雨の声は口調に反して真面目なもので、おどけているようにも、ふざけているようにも見えなかった。見えないからと言ってそうではない、という訳ではないのがなんとも悔しいところだが。
     
     正直言って、ここまで話したって、この男が何を考えているかなんて分からない。何のつもりで言っているのかも、何のために言っているのかも、何も。
     交際、という言葉の解釈に齟齬がないことはすでに確認した。子供のごっこ遊びのようなそれではなく、大人としての生々しいそれであることも、遠回しながら。
     きっと、こいつはオレが懸念していた理由のことも、ほとんど察しがついていたに違いない。それでも交際の申し出は変わらないと言う。だとすれば、本意は交際そのものではなく、その関係を結んだ先にある何か。みみっちく、オレが気にしていたことなんて何の意味もないのだ。見当すらつかないそれを、もし見せてくれるのであれば是非とも手にしたいところだった。
     
     まぁ、そもそも今さら何かを出し惜しみするほど獅子神敬一という男に価値などない。オレの汚れも澱みも全て、もう知られているのなら、今さら彼が落胆することもないだろう。
     そんなことを怖がるくらいなら、こいつが何か目的を持ってそうしているのなら、オレは友人として、それに乗ってやるべきではないのか。
     言い訳ばかりを胸に並べて、怖いものを受け止める準備ばかり入念な臆病者を、赤銅がじっと見ている。
     
     村雨の深く赤い、光の反射によっては桃色にも見える目と目が合う。その視線に、何の意図も感じられないのはずっと同じ。
     ならば、一歩を踏み出すしか。
     
    「ネタバラシはあんのか?」
    「あなたの返事を聞いたら」
    「なるほどな……分かったよ」
     怖がることはない。なにも殺されるようなことではないはずだ。もしこれで、強さの一端でも掴むことができれば最高の報酬になる。何も察することができないマヌケなオレを、見捨てずにいてくれるこいつに、面白いものを見せてやれるかもしれない。
     
    「分かった、とは?」
    「抜かりねぇな。交際に了承するって意味だ」
     さて、鬼が出るか蛇が出るか。
     
     斜に構えてそう言った瞬間、ぶわりと何か異常な気配が目の前の男から発せられたのが分かった。驚き目をそちらに向けるが、村雨の見た目はなにも変わっていない。見た目は。
     目の前には何も変わらず、ただ笑った村雨が、そこに座っているだけだ。
    「……今のなし、は聞かない」
    「言う、つもりは、ねぇけど、」
     にやりと笑う口元の、綺麗に並んだ歯から目が逸らせない理由は分からなかった。怒ってはいない。冷たい表情でもない。
     ならこれは一体?
     
    「……あなたは可愛らしく、愚かで、しかしあまりに美しい」
    「…………ふざけてんのか?」
    「ふざけてなどいない。ネタバラシをすると言っただろう」
     村雨のその返答に、止まった脳が逡巡する。ネタバラシ。確かに言った。オレが返事をしてから、交際関係を申し込んだその理由を告げると。
     ……は?
    「…………は?」
    「こんなに喜ばしい気分になったのは本当に久しぶりだ。感謝する」
     村雨はそう言い放ち、ポケットから取り出したスマートフォンを弄っている。口元には歪みすら見える満面の笑み。
     いや、まさか、にやにやと、ステーキ屋に行った時ですら見なかったその恐ろしい笑顔は喜びのそれだと言うのだろうか。
    「失礼なことを。だが今の私は機嫌が良いので、特別に許してやろう」
     言うのと同時に、オレのポケットの中のスマートフォンが何か、メッセージの着信を告げた。確認しろという視線に促されるままロックを解除した画面には、トークアプリが開かれている。
     いつものメンバー全員が集まるグループの、トーク画面だった。
     
    『獅子神と正式に交際を開始したので、適宜配慮するように』
     
    「……、っ、……?」
     人間、驚きすぎるとなんの言葉も出なくなるものらしい。震える手がスマホを取り落とす。その間にも、目の前の男が送ったメッセージには全員分の既読が付き、しゅぽしゅぽと間抜けな音を立てて、あっという間に画面が下へとスクロールされていった。
     お遊びと、からかいと、祝福の言葉が流れていく。
    「なん、……え、なんで、」
    「何故?皆あなたと仲が良い。牽制くらいするだろう?」
    「いや、い、いや、え?」
     村雨はこの上なく愉快そうに、下品に頬杖をついてこちらを見ている。彼はオレの、この慌てる姿すら楽しんでいるようだった。
     
    「一応言っておくが、私はあなたのマヌケな勘違いくらい認識していた。あなたは私のことなど眼中にないからな。
     ……報われない哀れな片想い、というやつだ。」
     頬杖が外れる。顔に対して大きめの手が広げられ、また芝居がかった様子で長い指がヒラヒラと揺られた。まるで照れても悲しんでもいない様子で、それよりも胸の奥から湧き上がる愉悦を抑えきれないといった顔で、くつくつと喉の奥で村雨は笑う。
    「そのため、先ほどまでのあなたに私の胸の内を正直に明かしたところで無駄だと判断した。だがこれは裏を返せば『あなたの心には誰の手垢も付いていない』ということだ。だからこそ、あなたは私が本気であなたに惚れているという可能性を思い付きすらしない。
     しかし、あなたは誰が相手だとしても約束を違えない人だ。それを利用させてもらった。言質さえ取ってしまえばこちらのものだと。」
     さて、さらに聞きたいことはあるか?そんな声が続く。
     機嫌が良いというのは本当らしい。村雨に、楽しげにこんな風に尋ねられたことなど今まで一度もない。
     
     色々と、聞きたいことはある筈なのだが、そのどれもがオレの喉まで上がってくることはなかった。震える指の感覚はもうなくて、自分がどんな表情を浮かべているかも分からなくて、操作されなかったスマホの画面はもう暗くなっている。自分の呼吸が荒い。それだけは分かる。
     
     怖かった。
     ただ、想像すらできない未知の世界が怖かった。
     
    「怖がらせるとは想定していた。が、私は鬼ではない。あなたをいじめたい訳でもないからな。ゆっくりと進めさせてもらう。
     ただ、あなたが何と言おうと、我々はすでに恋人同士であるというだけだ。あなたが私に振り向くまで、他の誰にも邪魔されず、あなたを堂々と口説くことができる権利を得ただけ。
     ははっ、賭けは私の勝ちだな。」
     
     がらり。椅子を引く音が響く。ぱす、ぱす、と間抜けなスリッパの音を立てて、村雨がこちらに回ってくるのをただ、眺めることしかできなかった。彼との距離はすぐに縮まり、顔が覗き込まれる。頬に、細い指が添えられる。
     それは見た目から想像していたよりも、ずっとずっと熱く、柔らかく、固い。
     
     視界がだんだんと暗くなる。彼の黒髪が近付いてきているからだ。そして、あの赤銅色は、近くでよく見るとピンクが混じっているのだと、初めて気が付いた。声は出ない。
     
     息が苦しい。鼻に、自分は飲んでいない紅茶の香りが抜けていく。口の中には、渋みと恐ろしいまでの熱だけが残った。
     
    「これからよろしく。」
     村雨は笑う。悪者のようで、小馬鹿にしているようで、優しそうで、しかし底が知れない。そんな、心からの笑顔だった。
     
     
     まるで現実味のない遠くで、世界が崩れる音がする。
     それは確かにオレの耳元で鳴っていた。
     
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