夕影のいない森(名夏)「先生、蝶が」
タキが手を伸ばすと猫に止まっていた蝶は驚ろいて素早く飛び去った。
鱗粉がわずかに舞っている。いくつもの光の粒が輝きながら空から土に落ちて行った。
「あっ、ごめんね……」
慌てて手を引いたタキを見上げて猫がため息をつく。それから夏目を見て、もう一度ため息をついた。
呆れたような猫の態度に何も言えなかった。だって、猫の言うことは全部正しい。彼の言葉と同じように。
飛び去る蝶を見送るタキと猫が視界の端に映っているのに何も見えていない。夏目からも全てが飛び去った気がして、何も見たくない。
ただ深く深く息を吐き出す。
「タキ、ごめん」
「なにが……あ、これ」
そっとクッキーの袋を差し出すと、タキはそれだけで全部を理解したように表情を引き攣らせた。受け取ろうと一度手を伸ばそうとして、でもためらってまた下げてしまうタキと夏目の間で、受け取ってもらえない袋が宙に浮いている。
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