かげろうでも愛して(DK審神者と肥前) 西日の照りつける庭先で蝉がひっくり返って悲鳴を上げている。もう命の終わりかけなのだと知りながら、俺は庭に出て、暴れる蝉の両側を掴んで陽のあたる場所から木の根元に連れて行ってやった。
部屋に戻ると、一部始終を見ていた近侍兼恋人の肥前が呟いた。
「もう数時間で死ぬだろうに、わざわざお優しいこって」
「セミファイナル見ると、夏も終わりだなーって思って……。すぐ死んじゃうにしても、少しでも快適なところで死なせてやりたいじゃん。知ってる? 蝉って7日くらいで死んじゃうんだって、儚いよなぁ」
まぁ俗説らしくて、もうちょっと生きられるみたいだけど。
俺の発言に、肥前は黒いタンクトップ一枚で団扇で自らを扇ぎながら仏頂面で言った。
「おまえだって蜉蝣みたいな命のくせに」
「陽炎? 夏の日の道路とかに出る?」
俺が首を傾げると、肥前はイラッとした声で言った。
「ちげぇよばか、虫だよ、虫。大人になったら数時間ですぐ死ぬんだよ」
そんな虫に喩えられてしまった俺は、その場で大の字になって転がった。そりゃぁ、刀剣の、しかも付喪神の肥前からすれば、物が付喪神にもなれない100年もしないうちにだいたい死んでしまう俺たち人間なんて、泡のようなものなんだろうけど。
ていうか、そんな虫みたいな存在を主にしたり、告白とかよく受け入れてくれたもんだな。
「え───、すぐ死ぬ命でも愛してよ───!」
「うるせぇよばか……別に、嫌とは言ってねぇだろ」
だるそうに肥前が言う。それでも嬉しくなって、俺は飛び起きて彼をぎゅーっと抱きしめた。
「へへ、肥前愛してるぅ!」
「うぜぇ……」
肥前は顔を顰めてそっぽを向いた。俺の胸を軽く押し返す肥前の顔がちょっと赤くなっていて、俺はへらへらと笑ってしまう。
「にやにやすんな、ばか」
「だって、嬉しいもん」
(こういうのをツンデレって言うんだよなぁ)
最初の頃、馬鹿正直に口にしたら真っ赤な顔で殴られたので、心の中だけで留めておく。
「虫みたいに短い命かもしんないけど、俺が死んだら泣いてくれる?」
軽い気持ちで聞いてしまった俺は、一瞬で後悔した。肥前の顔からさあっと血の気が引いたのを目の当たりにしたからだ。
肥前がキッと俺を睨みつける。みるみるうちに赤い目が潤みだして、雫が溢れて頬を伝った。震える唇が開いて押し殺した声で肥前は言った。
「……っ、泣くかばか、ぜってぇ泣いてやらねぇ……っ、泣いてなんか、やらねぇからな……っ、ばかやろうっ」
ぼたぼたと涙が顎を伝って胸に落ちていく。
(いや泣いてるじゃん)
なんてツッコミも入れられず、俺は
「ごめん」
と、素直に謝って、肥前の身体を抱き寄せた。今度は押し返されず、おずおずとその両手が俺の腰に回った。
俺の肩口に顔を埋めた肥前が、苦しそうな涙声で呟いた。
「なんでおまえ、おれなんかを好きだなんて言うんだよ……。こういうの、おれには向いてねぇよ」
苦しそうに泣いている肥前が痛々しくて、俺も泣きそうになる。それでも、この手を離したくない。
「好きになってごめん。……肥前にも、しんどい思いさせてごめん。でも俺、肥前のこと好きなんだよ。ごめんね」
俺の謝罪に、肥前が息を呑んで、ゆるゆると首を横に振った。
「っ、……っ、……ぁ、あやまんじゃねぇよ……」
「肥前」
「……だって、そんなん、どうしようもねぇだろ……。おまえの心も、おれの心も……。すきになっちまったもんは、しょうがねぇ……」
「……うん」
「……ぉ、おまえに頼られて、褒められて、好きだって言われて、うっかり嬉しいなんて思っちまったおれも、どうしようもねぇ……」
「……俺、けっこう愛されてるね?」
「ばか!! なんでそういう結論になんだよ!!」
肥前が全力で叫んでから、泣き笑いの顔になった。
「なんだよ空気読めよばか……」
泣きながら小さく笑う肥前の頬にくちづける。涙で濡れているそこは少ししょっぱかった。
「だって、肥前に好きだって言われたら、嬉しくなっちゃうよ。自惚れてもいいよね?」
肥前はため息をついて頷いた。
「ああもう、いいよ、存分に自惚れてろよ」
おれのかわいい主様、と肥前が囁いて、俺の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「また子ども扱いする───!」
「はぁ? おまえ未成年だろなに言ってんだ、まだまだガキだろ、そういう文句は成人してから言え」
「ううう……」
俺がぐうの音も出ず唸ると、肥前は涙を乱暴にゴシゴシ擦って大きく息を吐くと、いつもの肥前の顔に戻って俺の腕から抜け出した。
「おら、休憩は終わりだ、とっとと課題終わらせねえと夕めし抜きにすんぞ」
抱き合った夜には、肥前が大人しく一緒の布団に入って寝てくれるのが嬉しい。疲れた、と呟いたまま、後ろを向いてしまったのはちょっと寂しいけれど。あんまり肥前は抱き合って寝てくれないのだ。
肥前の薄い背中を手のひらで辿りながら、俺は昼間の話を思い出していた。
「あのさ、……戦いに向かわせてる俺が言う台詞じゃないけど、折れないでね。肥前が折れたら俺も死ぬから。だから折れないって、約束して」
俺の言葉に、肥前が大きくため息をついた。
「ばか、おれが折れてもまた肥前忠広を顕現させればいいだけだろ」
「それはやだ……それは肥前だけど、俺のこの肥前じゃないもん……」
肥前は俺を蜉蝣の命と言ったけれど、刀剣男士は陽炎のような存在だなと思う。刀剣という依代から各本丸へと生まれいづるもの。同じ存在でありながら、本丸ごとに個体差があり、違う存在であるもの。刀剣の上に陽炎のように投影されているものをそれぞれが見ているみたいだ。俺の肥前忠広は、俺が審神者になって1ヶ月目の初めての特命調査で本丸にきた脇差で、ほぼ最初から面倒を見てきてくれた兄のような存在で、そんな肥前だから好きになったのに。たとえ別の肥前が顕現しても代わりになるものじゃない。
俺が不貞腐れていると、肥前が寝返りを打ってこちらを向いた。べち、と軽い力で額を弾かれる。
「でっ」
「ばかだなぁ、おまえ」
ひどく優しい声で肥前は囁いた。
「変わんねぇよ、おんなじ肥前忠広だ。また、このおれを落としたみたいにちゃんと口説け。な? だから簡単に死ぬなんて言うんじゃねぇ。それでなくても人間なんて蜉蝣みたいなもんなんだし」
肥前の指が、俺の胸の中心をトントンと叩いた。
「おれは、おまえのその気持ちだけで十分だ。もう一人前の審神者だろ、おれだけじゃなくて、本丸全体のことを考えろ」
「むっちゃんみたいなこと言う……」
むぅ、と嫌そうに肥前の眉間に皺が寄った。
「あいつもまぁ……ある意味おれの弟みたいなもんだからな。陸奥守にはおれがこんなこと言ったなんて黙ってろよ、はしゃいでうぜぇから。ほら、もう寝るぞ」
またくるりと肥前は寝返りを打って向こうを向いてしまった。完全に寝る体勢に入った肥前の背中に、俺は呟いた。
「ねぇ、逆に俺が病気とかで先に死ぬことになっても、肥前は折れないでね。主に殉じて後追いとかしないでね」
びく、と肥前の背中が震えた。一瞬間が空いて、肥前は低い声で俺に言った。
「…………。ばか。………ばかなこと言ってないでとっとと寝ろ」
その声が涙交じりだったので、俺の願いは果たされないかもなぁ、と思った。肥前は俺には「心変わりしたら自分を折れ」とか証文書かせて約束させるくせに、俺の約束には巧妙にうんと言ってくれない。肥前の背中に額をつけて、後ろから手を回して抱きしめた。振り払われることはなかったけれど、肥前が息を詰めて、身体を強張らせたのが感じられて、俺の胸も痛くなる。
(ごめん。でも俺は、肥前に折れてほしくないなあ……)
「……っ、………ぅ、……っ」
肥前が時折喉を詰まらせて、不自然な呼吸をしている。泣かないで、とすぐにでも言って正面から抱きしめたかったが、泣いてないと一点張りするのは分かりきっていたので、後ろから抱きしめた態勢のままで我慢をした。声を堪えて静かに泣いている肥前の腹のあたりを宥めるように擦ってやりながら、何も知らない振りをして俺も目を閉じた。