七月七日、快晴 願わくば、せめて君へ花を手向ける事を赦される私に。
「ヌヴィレットさん、頼まれた物を受け取ってきたぞ」
七月七日、快晴。夏がすぐそこまで近付いている、少し汗ばむ陽気の長閑な休日。
フォンテーヌ廷を背にぼんやり空を見上げているヌヴィレットへ、花輪を手にした恋人が声をかけてくれた。白い花で作られた花輪を手にした恋人、リオセスリは、今日の空と同じくらいニコッと晴れやかに笑ってくれた。それに釣られ、思わずヌヴィレットの頬も緩む。
「ああ、ありがとう。手間を掛けてしまったな」
「構わんさ。看護師長の分も花を送っておいたぞ」
「すまないな。シグウィンの体調は大事ないだろうか?」
「はは、ただの風邪さ。本人もそう言っていただろう?」
随分と心配性の父さんだな。リオセスリはそう小さく笑いつつ、行こうと無言で促してくれた。リオセスリは花輪を、ヌヴィレットは良質なワインを手に、フォンテーヌ廷の裏手にある山を登って行く。陽気のせいか、途中の草原ではピクニックを楽しむ者も多く、そんな人々を横目に二人は緩やかな山道を登り続けた。
「しかし、珍しいな? あんたが山へ行きたいなんて」
「ああ、そうだな。今日は少し暑すぎたか」
「いや、汗ばむくらいで丁度良いさ。あんたも俺もたまには体を動かさないとな」
「昨夜は互いに汗をかいたと思うが?」
「おっ……下ネタトークの腕を上げたな?」
余計なお世話だと、リオセスリは苦笑しながらヌヴィレットの肩を小突く。気の置けない何気ないやり取りが嬉しくて、ヌヴィレットも声を出して小さく笑った。普段はなかなか見せることのない、ヌヴィレットの素顔だ。
──いや、むしろ。自分がこんな人間臭い顔をできるのだなんて、ヌヴィレット自身も知らなかった。
「……君には本当に、感謝することばかりだな」
「ハハ、唐突にどうした?」
「いや、せっかくの休日に私の我が儘に付き合わせてしまった。すまない」
「今の状況を指しているのならば、これはあんたの我が儘じゃなくてデートって呼ぶんじゃないのかい?」
「うむ……? いや、これは私の我が儘の範疇だな」
「ほう?」
「この後に、先日君が美味しそうだと感想を述べていたヴァザーリ回廊の店へ、予約を入れてある」
「ヴァザーリ回廊?」
「ああ。よって、それが本日のデートと呼べる行為の開始に当たるのだろうな」
「……ああ! ハハッ、あのスペアリブが自慢です!って看板を出していた店か。そいつは朗報だ」
「その後はシグウィンへの見舞いの品を見繕って、君に新しいピアスをプレゼントする予定だ。そのピアスを私の手で装着してやり、そのまま流れるようにキスをする予定になっている」
「ハハッ! そいつは用意周到だ。はいはい、分かったよ。水の上でスペアリブを食べるのは久しぶりだな」
タレは多目にしてくれ、と注文しよう。そう付け加えられたリオセスリの言葉に、思わず顔が蕩けてしまいそうになった。晴れ空の下で彼と過ごす時間は、こんなにも愛おしい。
昨日は定例会議のあと、いつものようにリオセスリを誘い濃密な夜を過ごした。そうして久しぶりに会う恋人と存分に肌を重ねたあと、一緒に来て貰えないだろうか、と誘ったのだ。
自分の罪へ向き合う為に。真っ直ぐ目を逸らさず、運命を乗り越える力を持つ君と。
「……お? あそこか?」
山登りと言っても三十分ほどだ。フォンテーヌ廷とサラシア海原が見渡せる開けた草原に、目的の場所があった。そこは小さな墓地。フォンテーヌで生きてきた人々が眠っている、静かな場所だ。
ささやかな墓地の一番海側。鮮やかな緑の葉と熟した果実のコントラストが眩しい、一本のバブルオレンジの木。
「……彼は、ワインとバブルオレンジが好物だった」
「そうかい。そいつはここが一等地になるだろうな」
名前も刻まれていないその墓の前へ、ヌヴィレットは静かに立った。グローブを外し墓標をゆっくりと撫でてみたが、当然ながら何もない。ただ静かに、墓標はヌヴィレットの手を受け入れてくれていた。
「…………」
さわ、と涼風が二人の間を駆け抜ける。ヌヴィレットの長い髪が夏風に揺れ、墓標を撫でる横顔を隠してくれた。後ろで花輪を持つその人は何も語らず、ただそんなヌヴィレットを静かに見守り続けている。
四百年の、長い長い贖罪。
君が守りたかったもの、彼女が夢見た未来。私は果たして君たちの“願い”を、果たすことが出来たのだろうか。
「……風が出てきたな」
ヌヴィレットが墓標から手を離すのを待って、後ろにいたリオセスリが花輪を手に一歩前へと進み出る。名前の無い墓標へそっと花輪をかけてやり、静かにヌヴィレットの隣へ立った。
「……あんたの願いは、叶ったかい?」
「──ああ」
願わくば、せめて君へ花を手向ける事を赦される私に。
ヌヴィレットが四百年かけて償うと心に刻んだその罪は、いま全てが浄化された。ヌヴィレットの手を拒むことなく、ありがとう、と夏風が囁く。記憶の中へ鮮やかに残り続けている彼等が、笑顔でそう手を振ってくれているのだ。
「さて、行こうか。リオセスリ殿」
「ああ。今度は看護師長も元気な時に、三人で来よう」
「そうだな。釣りとピクニックを兼ねるのも悪くなさそうだ」
「そういや、看護師長が新しいバスケットが欲しいと言っていたな。愛娘の願いを叶えてやるのはどうだい?」
「名案だ。では、君の願いを叶えたのちに雑貨屋へ行こう」
七月七日、快晴。
己の罪と向き合い続けた四百年間。痛み、苦しみ、悲しみ、喜び。様々な雨を浴び続けてきた今ならば、胸を張って言える。私は君たちの願いを果たし、私は私の願いを果たした。
だからいつか、私が大切な二人を連れてそちらへ伺う時には、またあの笑顔を見せてほしい。
拝啓、ヴォートラン殿、我が娘カロレへ。敬具。