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    POIPOI 16

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    ※ヌヴィリオ、シグ伝キャラストバレ有、捏造多々
    ※ボツにしたのをサルベージ
    「不思議なんだけど、あの男の子からヌヴィレットさんの水の気配がするのよね」
    「ああ! あの黒髪の可愛い子ね。何かの目印なのかしら?」

    或いは、龍と少年のアンチテーゼ 人と言う生き物に嫌気がさしたのは、もう何百、何千回目なのか、とうに忘れてしまった。

     ヌヴィレットは長い手足を投げ出し、ゆらゆらと水の流れに身を任せつつ、満天の星空をぼんやりと眺めていた。あの夜空へ浮かぶ星々の数と、人の醜悪さへ触れた回数は、どちらが多いだろうか。そんな事を考えていたのだが、馬鹿馬鹿しくなってきたので、止めた。
    「……いっそこのまま、海へ還るのも悪くないか?」
     つい、そんな浅はかな考えが脳裏を過る。本気でそう考えている訳ではない。だが、今現在は冗談だとも言い切れない。人の姿でフォンテーヌへやって来てからの五百年近い年月で、少々精神が摩耗してしまっているのだろう。
     いまはもう、何も考えたくない。そう静かに目蓋を閉じ、心地良い水の感覚へ体を委ねる。冷たくて、あたたかくて、心地良い。優しく体を包み込んでくれる、その感覚へ。
    「──……生きてる?」
     唐突に聞こえてきた小さな声で、ヌヴィレットは再び目蓋を持ち上げた。声がした方へ顔を向けてみると、そこには良く晴れた日の海の色があった。いや、晴れた日の海と同じ色をした、丸い瞳だ。
     ヌヴィレットが動いたのに安心したのか。海の瞳を持つその少年は、ホッと緊張を緩めた。
    「なあ、とりあえず陸へ戻らないか? 流石に水が冷たい」
    「……ああ」
     ヌヴィレットの服を掴む少年の手が紙のように白くなっている。寒いのだろう。どれだけ水が冷たかろうとヌヴィレット自身に全く問題はないが、人間は別だ。謎の少年の手をスイ、と引いてやり、ヌヴィレットは陸地へと戻る。
    「あんた泳ぐの早いな……びっくりしたぞ」
    「そうか。寒くはないか?」
    「ん、俺は慣れているから大丈夫だ」
     少年はそう言いながらずぶ濡れのシャツを脱ぎ、ぎゅっと絞っている。年の頃は十二、三歳くらいだろうか。癖毛がちな髪は深海のように落ち着いた色をしており、如何にもフォンテーヌ人らしい彫りの深い可愛らしい顔立ちをしている。
     だが気になってしまったのは、その体だ。手触りの良い砂浜みたいな綺麗な肌をしているのに、痩せ細った体には子供の体らしからぬ傷跡まで付いていたからだ。
    「…………」
     ヌヴィレットはスッと手を持ち上げ、己と少年の体から水を吸い取った。すると、瞬時にずぶ濡れであった体も髪も乾き、少年は不思議そうに目を丸くしている。
    「あれ? なに……」
    「子供が出歩くには少々遅い時刻だと思うのだが、この辺りの子か?」
     ここはブロー地区。ポワソン町からも離れたフォンテーヌ廷を対岸に眺める、人気のない場所だ。僅かな廃屋が点在するだけで、人家の気配もない。大凡の答えは見当が付いていたが、少年はヌヴィレットの問いにふるふると首を振った。
    「いや、違う。俺には家がない」
    「……そうか」
     成る程。ヌヴィレットの予想通り、この少年はいわゆる浮浪児であるらしい。
    「巡水船の航路を歩いて来たんだ。この辺りなら、何か食べる物がありそうだと思って」
    「ああ、たしかに……」
     ポワソン町は棘薔薇の会発祥の地であり、漁業が盛んな人情溢れる町だ。身寄りの無い子供がいれば手を差し伸べてくれる者がたくさん居るだろう。だが不思議なことに、少年は何も持っていない。
    「それで、成果はあったのか?」
    「いや、残念ながら……」
     食べ物の単語で空腹を思い出してしまったのだろう。少年の腹の虫が哀しげな声を上げたので、思わずヌヴィレットも目を丸くしてしまった。
     なにか持ち合わせていなかっただろうか。慌てて服の上から確認してみると、ポケットの中から可愛らしい色合いのキャンディが一つ出てきた。おそらく、メリュジーヌの誰かがおやつにと、ポケットへ入れておいてくれたのだろう。だが乾いているとはいえど、水に浮かんでいたせいで包み紙はクシャクシャのままだ。
    「…………」
    「…………」
     流石にこのまま渡す訳には行かない。少年の空腹をやわらげてやりたいが、どうすれば良いのかが分からない。クシャクシャのキャンディを手にしたまま困っているヌヴィレットを見て、少年はプッと小さく吹き出した。
    「ぷっ……アハ、ハハハッ! なあ……ふふっ! 頼みがあるんだ」
    「うむ、なんだろうか」
    「そのキャンディを俺にくれないか? あんたを助けた礼だと思ってさ」
    「これか? ああ、それはかまわないが……」
     ヌヴィレットは困惑しつつも、クシャクシャのキャンディを少年へ手渡す。濡れたせいで張り付いてしまった包み紙を少年は何とか剥がし終え、青くてまあるいそれを口の中へ放り込んだ。
    「……どうだ? おかしな味がしたら、すぐに……」
    「うん、おいしい。ミント味だ」
     キャンディなんて久しぶりに食べた。空腹が多少は満たされてくれたのか、そう顔を綻ばせた少年を見て、ヌヴィレットはホッと肩の力を抜いた。それと同時に、チリッと小さく胸が痛む。一体いつから食べていなかったのだろうか。
     そんな事を考えていると、少年は海と同じ色をした垂れ目がちの瞳を瞬かせ、ヌヴィレットへと問いかけてきた。
    「もう水に還るのは諦めたかい?」
    「水へ、還る?」
    「ああ。腹が減りすぎてここでぼーっとしてたら、あんたが浮いていたから。驚いたぞ」
    「……ああ、なるほど」
     どうやら自殺志願者だと勘違いをされたらしい。真夜中の海へぷかぷかと浮いている姿を見たら、この少年でなくとも驚いてしまうだろう。
    「私は水死体だと思われたのか」
    「うん。だけど、すぐに違うって気が付いた」
    「ほう?」
    「すごく綺麗だったから。人間じゃないのかなって」
     これはまた、随分と聡い少年だ。
     様子から察するに、少年はフォンテーヌ最高審判官の姿を知らないのだろう。だが“ヌヴィレット”の本質には気が付いた。子供の目には大人には見えない世界が映り込むものだとは知っていたが、ヌヴィレットの本質へこうも易々と辿り着いた人間は、初めてである。その類い希な利発さが、ますますヌヴィレットの興味を引いた。
     ヌヴィレットは手近にあった岩塊へ少年を招き寄せ、そこへ座らせる。服が汚れてしまうのにも構わずに、自らもその隣へ腰を下ろした。何だろうと不思議そうな顔をしている少年へ水で満たされたグラスを一つ差し出し、もう片方の手で己の分も用意をする。
    「菓子はもう持ち合わせがない。だがこの水は、君の空腹を多少は満たしてくれるはずだ」
    「……どこから持ち出したんだ?」
     少年は目を丸くしつつも、ヌヴィレットが差し出したグラスへ口を付けた。すると、どうやら口に合ってくれたらしい。その水をごくごくと飲み干し「……おいしい……」と、素直な感想を零してくれた。綺麗な水を飲んだのも久しぶりなのだろう。その表情がもう一度見てみたくて、ヌヴィレットは再びグラスを水で満たしてやった。
     夢中で水を飲む少年に頬を緩めつつ、ヌヴィレットもグラスへ口を付け静かに言葉を紡ぐ。
    「少年、少し良いだろうか?」
    「ん?」
    「君は家がないと話していたが、ポワソン町やサーンドル河へ足を運んでみてはどうだ?」
     ポワソン町やサーンドル河には、戦災孤児や捨て子を見守る有志が多い。そこへ行けば、誰かが彼を保護してくれる筈だ。少なくとも餓死や凍死の心配はない。フォンテーヌ廷にも保護施設はあるがそこは既に満員で、ヌヴィレットが一人の子供の為に口を利かせてやる訳にも行かない。
     それならばと勧めてみたのだが、少年の反応はどうにも芳しくなかった。
    「……いや、いい」
    「……ふむ?」
    「人が嫌なんだ。誰も信じられない」
     感情の共鳴、心の共有。初めて会ったこの少年とヌヴィレットは、不思議と全く同じ事を考えていたのだ。驚愕のあまり声を出せずにいると、少年はまるで独白するみたいにポツポツと語り始めた。
    「……大人は嘘つきばかりだ。綺麗な洋服を着て、お化粧をして、良いことばかり口にして、平気で嘘を吐く」
     人間の世界は欺瞞に満ちている。立派な髭をたたえ、流行のドレスを着て、よく回る二枚舌で美辞麗句ばかりを並び立てる。
    「信じても、どうせいつかは裏切られる。なら、最初から独りで生きていた方がマシだ」
     信じようとしても、私はまだどこかで彼等を赦すことができない。ならば最初から、独りでいるべきなのだろう。
     誰にも心を寄せることなく。私も君も、この広い広い世界でひとりぼっちで。
    「……ほんとはさ、あんたを助けたのも嘘なんだ」
    「嘘?」
    「うん、腹が減りすぎてここで座り込んでいたらさ。なんかどうでも良くなってきて」
     この砂浜の対岸には、荘厳なフォンテーヌ邸の姿が見える。
     一晩中消えることのない繁栄の灯火、豪奢な建物、雄大なるグレートフォンテーヌの象徴。そこでは沢山の人々が暮らし、富と美食を愛し、優雅な芸術へ傾倒し、無数の欲望と罪が渦巻いている。仮面の下ではドロドロとした現実が流れているのに、それらを地下へ閉じ込め見ないふりをし続けているのだ。
     ああ、どうして。
     自分はこの世界へ生まれてきてしまったのだろう。
    「そんな事を考えていたらさ、海の中へ入っていたんだ。それで、たまたまあんたを見つけた」
    「…………」
    「ハハ、馬鹿だよなぁ。俺みたいな子供が死んだところで、世界はなにも変わらないのにさ」
    「──少年、」
    「うん?」
    「君はまだ、水へ還りたいと願うか?」
     ああ、どうして。自分はこの世界へ生まれてきてしまったのだろう。
     二人の間で無言の時が流れる。海の色をした瞳と、仄かな赤紫を湛えた瞳が、逸らされることなくじっと宙で絡み合う。
    「私ならば願いを叶えてやる事が可能だ。君が望むのならば、の話だが」
     口に出してみて初めて、それはなんて甘美な響きなのだろうかと思った。
     ヌヴィレットは運命と言う言葉が嫌いだ。天や神に定められた物と定義されているその単語には、嫌悪感しか覚えない。だが、この世に生を受けてから数百年。運命の巡り合わせと言う経験を、いま自分はしているのかもしれないと思った。
     君がそう望むのならば、このまま二人で水へ還ってもかまわない。
    「…………」
     唐突な申し出に驚いているのか、理解しきれていないのか。海色の瞳は丸く見開かれており、やがてゆっくりと柔らかくしなるのをヌヴィレットは眺めていた。綺麗だ、その色がとても綺麗だと、ついつい見惚れてしまう。
    「ダメだ。俺にはまだやるべきことがある。あんたも──そうだろう?」
    「……ああ」
    「キャンディと水、ありがとう。うまかった」
     人間を信じられない少年は、ヌヴィレットがヒトならざるものである事に気が付いていた。だからこそ、贈り物を素直に受け取ってくれたのだろう。あと少し大きくなれば、きっと彼もヌヴィレットの正体へは気が付けなくなる。ならば、今日の事は忘れた方が彼の為だ。彼へ飲ませた水には、ヌヴィレットに関しての記憶を洗い流す力が籠められていた。
    「じゃあな、俺は帰る。今日の寝床を探さないとな」
     少年が身軽な動作で岩塊からぴょんと飛び降りると、それと同時に雲行きが怪しかった空がとうとう泣き出してしまった。
    「お、雨だ……」
    「うむ、あまり濡れぬうちに帰りたまえ。風邪をひい……」
     少年は先ほどのヌヴィレットのようにポケットを漁っていたかと思うと、皺だらけのハンカチを取り出し、ふわりとヌヴィレットの頭上へかけてくれた。信じられないその行動に驚いていると、少年は照れ臭そうに小さく笑う。
    「せっかく乾いた髪が濡れてしまうからな。キャンディの礼だ」
    「礼……」
     雨に濡れたところで、ヌヴィレットにとってはどうと言うことはない。だが人間とは、こうして他者へ傘を差し掛ける心も持ち合わせているのだ。
     もう一回だけ、信じてみようか。
     人間というものを、フォンテーヌへ生を受けた者達を。心の中で渦巻いていた濁流が少しずつ浄化され、再び清流となり流れ始めたのを感じる。
     大丈夫だ、私はまた泳ぎ出せる。
    「…………」
    「ん?」
     スッと、傷だらけの小さな手を取り、そのまま自分の頬へと当てる。暖かい、人間の温度が心地良いと感じたのは、これが始めてだった。この温もりを、できるだけ長く覚えていたい。少年の手を頬へ当てたまま、ヌヴィレットは己へも言い聞かせるように、力強く語る。
    「憎しみや悲しみは、時には生の原動力となる。己の正義から目を背けてはならない」
    「……うん」
    「運命に溺れるなかれ、精一杯抗いたまえ。君にはその力がある」
    「……あんたも?」
    「無論、私もだ」
     いつか必ず、この姿で生を受けた意義を見つけてみせる。
     もしいつか君と再び巡り会う日があるのならば、私は背を正し、己の信念を貫く姿を見せると約束しよう。その時は、君の話も聞かせてほしい。
    「また海で会おう、少年」
    「うん……」
     二つに分かたれた川の流れが、大海で巡り会うように。その時は、共に運命とやらに挑んでみるのも悪くない。

     そうして、時間は動き出す。
     君が大きな流れになれるのかは、分からない。私が大海へ辿り着けるのかすらも、今は未知数だ。だがきっと、君はこのフォンテーヌの歴史へ名を刻む大きな流れとなる。プネウマとウーシアが影響し合い大きなエネルギーを生み出す様に。私と君の運命は、いずれきっと混じり合う。

     だから、少年よ。君はこの国を支える大きな流れとなれ。





    「巡回ご苦労。変わりないか?」
    「あ、ヌヴィレット様! お疲れ様です。はい!異常はありません」
     街の明かりがポツポツと灯り始めた夕暮れ時のヴァザーリ回廊。仕事の合間を縫い降りてきたヌヴィレットは、廷地区担当のメリュジーヌへ声をかけた。巡回を終えたメリュジーヌ達は、そろそろ退勤の時刻なのだろう。今日はカフェリュテスに寄って帰ろうと、相談し合っていたらしい。
    「ヌヴィレット様も一緒にどうですか? 限定のイチジクタルトが美味しいそうですよ」
    「すまない。君たちからの誘いはとても嬉しいのだが、まだ仕事の途中でな」
    「そうなのですね、残念です……、あ。もしかして今日も本の処分に?」
    「ああ」
     束ねられた本や新聞と、たくさんの文房具を抱えたまま、ヌヴィレットはコクリと頷いた。メリュジーヌ達へ返事をしつつ、ボーモンド工房の軒下、箱が雑然と置かれた場所へと向かう。そこには工房から出たジャンク品が置かれており『ご自由にどうぞ』と手書きの札が貼られていた。ヌヴィレットは持参した本や文房具を、ジャンク品箱の脇へと下ろす。
    「──私には不要の物達だ。これらが必要な誰かの手に渡れば良い」
    「リサイクルってやつですね。素晴らしいです」
    「例の件も、問題は起きていないだろうか?」
    「バッチリですよ! ふふ、私たちの小さい体が意外なところでお役に立てて、良かったです」
    「……そうか。感謝する」
     何もかもに嫌気がさしてフォンテーヌ廷を抜け出した、あの夜。パレ・メルモニアへと戻ったヌヴィレットは、腹心である数名の警察隊のメリュジーヌへと話をした。
     フォンテーヌの孤児問題は深刻だ。だが、保守派の声が大きい今は、ヌヴィレットが強硬手段へ出る訳には行かない。すぐに体制を変えるのは現状不可能であり、リスクも伴う。ならば、出来る事から始めるべきだ。
    「困っている子供を見つけたら、声を掛けるようにしています」
    「……ありがとう。食事も問題なさそうか?」
    「はい! ヌヴィレット様が教えてくれたレシピ通りのスープを用意しています。美味しいって、子供達も喜んでいましたよ」
    「そうか」
     表立って出来ないのならば、舞台裏から。
     パトロールの最中にストリートチルドレンと思わしき子供達へ声を掛け、腹を空かせているのならば、食事を。怪我をしているのならば、手当を。雨が降っていたら、傘を。
     メリュジーヌ達が人間へ贈り物をする行為は禁じられている。だが、ヌヴィレットの指示であれば話は別だ。やがては大きな流れを作れるように、これは小さな一歩にすぎない。
    「本やジャンクパーツもすごく喜ばれていますよ。これで勉強ができるって」
    「それは良かった」
    「あ、そう言えば……すごく頭が良い子がいるのですよ」
    「ほう?」
    「海みたいに綺麗な目をした男の子で、我慢強くて大人びた子です。ヌヴィレット様もきっと彼を気に入りますよ」
     いつか彼と会って、お話してみてほしいです。
     そう続けられたメリュジーヌの言葉へは、ヌヴィレットは優しく微笑みだけを返しておいた。

     フォンテーヌの肥沃な大地へ雨が降り注ぐ。喜び、怒り、哀しみ、幸福、様々な想いが入り混じった雨が。
     そして雨はやがて小さな流れとなり、小さな流れは川となり、また雨を受け、大河となる。やがて川は海へと辿り着き、大海へと混じり合う。

     だから、少年よ。君はこの国を支える大きな流れとなれ。

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