5/4無料配布・再録 ある日、ヌヴィレットは運命が動く音を聞いていた。
「……カロレ?」
執務室の窓から空を見上げると、そこには今日もまあるい月が輝いていた。いつもと変わらぬ、穏やかな夜。だが、ヌヴィレットは確かに聞いていたのだ。自分が待ち望んでいた運命がやって来る音を。
ヌヴィレットはなりふり構わずに窓から飛び出し、紺碧の夜空へ浮かぶ月へ向かって一直線に飛び込む。正確には、この世界に浮かぶ月とは月ではない。だが、自分たちにとってあの穏やかな輝きは、確かに月なのである。
月の光へ追いつき飛び越えた先には、限りないブルーが広がっている。上下左右ないその空間へヌヴィレットが滑り込むと──いた。
「……ヒトの子供、か?」
ゆっくり、ゆっくりとこちらへ沈んでくるのは、ボロボロの新聞紙に包まれた小さな塊。血の匂いがするその塊は息絶えて間もないのだろうか。弱々しいながらも何かを訴えかけてきており、ヌヴィレットは思わず手を伸ばし、その塊をそっと受け止めてやった。ボロボロの新聞紙をそっと避けてやると、そこには小さくて可愛らしい、まだ温もりの残った赤子の姿がある。
「…………」
かなしい、さみしい、いたい、くるしい。
生まれてすぐに非道な行為を受け、海へ投げ込まれたのだろうか。彼は所謂〝人の形〟をしておらず、口にするのも憚られる姿になっていた。誰にも愛されず必要とされず誰にも抱かれることなく、彼はこの冷たい海へ投げ捨てられたのだろう。
メリュジーヌと出会う前の自分と同じ、たった一人で、誰のぬくもりも知らずに。
「……ん?」
すると、最期の力を振り絞ったのだろうか。指が欠けてしまった小さな手がヌヴィレットの髪を一房掴んでいるのに気が付いた。誰かのぬくもりを求めるかのように、貝殻のように小さな手が。
「……君は強い子供なのだな」
フッと、ヌヴィレットは頬を緩めた。泣かないで欲しい。君へ生きる場所を与えよう、ぬくもりも、未来も。
ヌヴィレットが血の汚れも気にせずに青白い唇へ口付け生命の息吹を吹き込む。すると、子供は息を吹き返し小さく鳴き始めた。そのまま月の下へと戻り、クルミの木の下へそっと寝かせてやる。明日になれば、クルミ採りに来たメリュジーヌ達が子供を見付けてくれるはずだ。
そして遠くない未来、美しく成長した君とまた巡り会いたい。
【了】